2014年08月31日

海の事故にまた文句を言うのである

海や山の事故に厳しい我がブログである。言うことは毎回同じなのであるが。産経新聞から引用する。

引用ここから====
「釣りしていたら車が落ちた」 119番途中で切れる 車ごと海に転落、男性死亡
2014.8.30 12:09

 30日午前1時半ごろ、愛知県西尾市一色町小藪船江東の港で、同市一色町一色乾地の自営業、山崎浩さん(74)の軽乗用車が海中に転落した。警察と消防が山崎さんを救助したが、まもなく病院で死亡が確認された。死因は水死。

 西尾署によると、山崎さん本人から「釣りをしていたら車が落ちた」と119番があり、電話は途中で切れた。車内に遺書はなく、目立った外傷もなかった。現場付近には釣り禁止の看板が立っていた。

 同署が詳しい事故原因を調べている。
引用ここまで====

この記事から読み取れるのは、
74歳、同行者おそらくなし、真夜中、港、おそらく足場が悪い(釣り禁止)。
死んだ人に酷な言い方になるだろうが、そりゃ事故も起きるだろうし、事故が起これば死に直結でおかしくない。なんと無謀なのか。

はたしてこの人が車内にいたのか、軽乗用車が落ちるのを防ごうと車内に戻ったか、あるいは落ちた軽乗用車を何とかしようとして海に入ったのかは読み取れない。
だが、携帯電話で連絡する状況であったことを考えると車内にいたのではなかろうか。釣り場近くまで車を乗り入れてそのまま転落というのが一番蓋然性がある。
車止めがなかったのか、よくあるブレーキふみ間違いのような事故なのか。
いずれにせよ自動車を扱ううえでの状況判断あるいは操作における能力に疑問を感じる。

また、この人がどの程度目や足腰がしっかりしていたかは分からぬが、74歳で夜の港の岸壁に出かけて安全とは到底言えまい。足元が濡れているかもしれぬし、打ち捨てられ踏みつけられた魚があるかもしれぬ。滑って海に転落する可能性は高まる。

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真夜中に警察と消防が出て救助したと言うところにも引っかかる。
海や山の事故では行方不明者がいても日没とともに捜索一旦打ち切り、翌朝再開という措置が取られることが多々ある。当然捜索は困難だし二次災害の危険があるからだ。

港の岸壁近くだから条件は異なるのだろうが、真夜中の救助活動は困難なことであろう。たかが釣りのために警察や消防の人々の生命を危険にさらしているのはどうかと思う。
同じ場所で事故が起きたとしても、漁師が漁船のロープが緩んでいないか点検に来たときの事故とでは価値が違っていい。人間の命には軽重はないかもしれないが、事故の経緯により救助の必要性は変わっていい。

「遊びの夜釣りで事故を起こしても、朝まで助けに行きません By警察&消防」
と言い切ったらいいと思う。

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はたしてこの事故が起こらないようにするにはどうしたらよかったのだろうか。
ここからはこの事故とは切り離して、想像されうる状況を仮定して考える。

まず、夜中にひとりで釣りに行くという74歳を見て同居家族など周囲の人はどうすべきか。止める道義的義務があると思う(実際にこの人に同居家族がいたかどうかは分からぬ)。
しかし実効性があろうか。
現代の74歳といえばそこそこ体力がある。まだ若いもんに負けないと意地を張りがちだ。一方で性格は頑固に変わり、ことに若い人の意見を聞けなくなる。
さらに、これは私の偏見だが釣りをやる人は独特の傾向があると思う。独善的というか、乱暴というか。
周囲がいかに止めようとも「うるさい、俺は大丈夫だ」と振り切ってしまう姿が想像される。
当然、「夜釣りで事故を起こしても助けに行きません」と言われても無視するだろう。
そこを羽交い絞めにして押さえつけられるわけもなく。

では、車が海に近づけないような構造であればよかったのか。
これが観光釣り場であればそうあるべきであろう。
しかし、ここは地図で周囲の状況を見るにおそらく漁港だ。荷卸しなどのために車で突端まで行かねばなるまい。車が近づけないような柵を作れと言うのは無理がある。
夜間だけでも閉め切ればと思うが、漁師は状況によっては未明から動き出す。そんなことは到底できまい。
漁港全体に立ち入れる人を漁業関係者だけにして、セキュリティーカードを持っている人・車だけが立ち入れるようにする手はあろう。しかし「なんで夜釣りに来るやつのためにこんな投資を」という話になろうし、そもそも禁を侵して入り込む釣り人は想像以上のことをやってのける。
立ち入り禁止の防波堤に入り込むために柵を越えるなんてのは序の口、ボートやボディボードで海から侵入する輩もいる。
それがなぜかといえば釣れるから。夜釣りをするのも昼間より釣れるから。あさましい。
セキュリティーゲートを作ってもその脇を無理やり侵入するかもしれぬし、誰かからカードを不正に借りるかもしれない。
仮に車での事故は防げても、釣り人が入り込んで事故を起こすことは避けられまい。

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ちょっと角度を変えて考えてみた。漁港で釣りをするということは、漁港内とはいえ漁業権と衝突するのではなかろうか。
海でも川でも、漁業権の設定されている場所で勝手に水産物をとるわけにはいかない(埋め立てなどで漁業権が放棄されている場所もある)。
たとえ地元の漁師が捕らない雑魚狙いであっても、入漁料を払わねば釣り糸を垂らすことはできないと理解しているのだが、なにか例外があるのか。わかる人コメントを。

もし、私の漁業権の理解が正しければ今回の事件は、入漁料を払った上でのことか密漁かのいずれかである。
つまり取り締まりの一環で事故防止ができるのではなかろうかということである。
しかし、現実には費用の壁がある。暴力団がらみの大規模な密漁にも有効な手が打てないでいるのだ。
それでも、日本の漁業を守るため+暴力団の資金を断つために公の力で取り締まりを強化することはできぬものか。その副産物として今回のような事故も防げるだろう。

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ま、それでも「夜釣りで事故を起こしても助けない」くらいのことは言っていいと思うのである。
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アメリカの銃の事故から見る 力を信奉する人たち

タイトルだけでは何が起こったか即座にわからないとんでもない事件である。

引用ここから====
9歳少女撃った短機関銃跳ね、指導の男性死亡
2014年08月29日 07時52分

 【ロサンゼルス=加藤賢治】米西部アリゾナ州の射撃場で25日、9歳の少女が撃った銃が反動で跳ね上がり、横で指導していたインストラクターの男性(39)が頭部を撃たれて死亡した。

 AP通信によると、少女は両親と射撃場を訪れ、イスラエル製の短機関銃を試射した。引き金を引いている間は連続して弾が出る銃で、反動で銃口が男性に向いた。両親はその様子をビデオで撮影していた。

 同通信によると、2008年には東部マサチューセッツ州で開かれた銃展示会で、短機関銃を試射した8歳の少年が反動を制御できず、頭部に被弾して死亡する事故が起きている。
2014年08月29日 07時52分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

短機関銃とはアメリカ映画に出てくるギャングが使っているような銃である。アル・カポネの世界である。手で持ってどどどと撃てるあれである。
短いというからには普通の機関銃もあるのだが、これはたいてい三脚や台座に据え付けて使うもので、手で持って撃つ銃砲類としてはかなり強力と言えよう。強力な銃砲としては「一発の威力が強い」ものと「連発が強い」ものがある。短機関銃はその名の通り連発が効くのが特徴だ。

私は実際に銃に触ったことなどないので正確なことは言えないが、9歳に短機関銃というのは常軌を逸していると思う。
この「イスラエル製の短機関銃」とはいったいどんなものかと思い、Wikipediaに当たってみた。

短機関銃・PDW等一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83%E3%83%BBPDW%E7%AD%89%E4%B8%80%E8%A6%A7

この一覧によるとUZIという機種に行き当たる。
UZIといえばアクション映画に登場したりもするのでその名前はなにかと目にすることがある。たしか、映画ターミネーターでも銃砲店でUZIをくれと言っていたのではなかったか。シュワちゃん乱暴で金を払わず店主を殺しちゃうけど(まぁ金持ってないか)。

WikipediaさんによればUZIといっても機種がいろいろあるらしいが、基本的には9mmの拳銃弾を用い、連射能力があるようだ。
文中にはオリジナルのUZIは重くて(3.8kg)連射時に制御しやすいともあるが、軽量化されたモデルは制御が難しいともある。記事の写真を見る限りどの機種かはわからぬが、9歳の子が一人で構えて射撃しているようで重い銃であろうがなかろうが制御は難しいだろう。台座に固定しているならまだしも。
また、日本人のように銃器が身近でないと9mmと言われてもピンと来ないが、これまた拳銃弾としては割と強力なものらしい。

というわけで、事故になるのも当然で、射撃場で短機関銃を撃てと連れていく親も親だし、それを止めないインストラクターもどうかと思う。インストラクターは死んだわけだが、正直言って同情はできない。子供本人は面白がって撃ったのだろうが結果はこれだ。起こした事態を理解できる年齢ではあろう。のちにトラウマになるのではなかろうか。

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これを銃社会の病理と言ってしまえばそれまでだ。

これが銃規制反対派のいう「武装して自衛する権利」なのだろうか疑問だ。
仮にその権利を認めたとして、9歳の子供に短機関銃を撃たせる意味がわからない。記事にある「引き金を引いている間は連続して弾が出る銃」とはつまりフルオートということで、いかな銃社会のアメリカと言えど多くの州で所持が制限されるものである(アリゾナ州は銃規制が緩いというイメージだが)。

短機関銃でないと自衛できない敵が襲ってきたなら9歳が短機関銃で立ち向かってどうなるというのか。対処能力判断力から考えて子供に銃を持たせるのが解ではなかろうに。本当に自衛する必要があるなら大人がついている必要があるのだ。
短機関銃どころか拳銃ですら正しく扱えるとは思えない。期せずして現れた強盗を撃ち殺すより、家族やクラスメートを撃ち殺す確率が100倍以上高かろう。
これは、射撃場での話であって、日常で銃を持たせるわけではないという考えもあるのだろう。しかしこれで「銃は大人が持つもの、子供は絶対に触るな」と教育できるだろうか。
大人が銃を信奉し日常に銃があれば、子供は興味をもって触るだろう。さらに大人がより強力な銃を信奉するなら、子供の興味のベクトルも同じ方向に向くだろう。だから射撃場で撃ちたいと思うわけだ。
大人が大口径で連射の効く銃を信奉していることは動画サイトをちょっと検索すればよくわかる。反動で大人がのけぞるほどの大口径の銃を撃つシーン、ラジコン飛行機を飛ばして機関銃で撃ち落とすシーン。なんで素人が機関銃を持てるのが疑問であるのだが。そこには自ら生身の力を大きく超えた力を得て高揚した「まるでドラッグを吸ったような」人の姿がある。

ま、これは偏見なのだろうけど、今回のアリゾナもそうだし、テキサスとかいわゆる南部の州はでっかい車とでっかい銃が好きというイメージがある。
アメリカ全部が銃大好きというわけではないが、なんだか、そういう自らの生身の力を超えたものを手に入れたい誇示したいという人たちがいるように思えて仕方ない。

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これは海を隔てたアメリカの話だからと安心していいのであろうか。

銃にまつわる事件は日本に起きていないわけではない。
自宅に銃を保管していた、子供がいじった、暴発という事件がなかったわけではない。その他銃を持ち出して大ごとになった事件は多々ある。
それでも、銃は厳しく規制されているから危険性はアメリカとは比べ物にならないほど低いだろう。
だが、自らの生身の力を超える力を得たいという願望は変わることはないのではなかろうか。

そう思うとわれわれの生活にも警戒せねばならないものがあろう。
力がある、強いというのは古来から主に男性が強調してきたことである。強い男こそ優れているというのは、動物としては正しい方向でそうしてわれわれは進化してきた動物であるのだ。
そのため、現代の人間にもその傾向がみられる。
世の男性のファッションは強さを強調したものである。スポーツもまたしかり。
女性も強さを強調した方面に進む人もいるが、それが人間心理の複雑さというものではある。ま、男性に多いが男女ともにそういう人たちがいるということだ。

強そうな格好をしているだけで温厚無害な人はいいが、そうでないケースも多々ある。
なんといっても自動車やバイクである。大排気量でパワフルなものを求める傾向は、生活のその他の面でも力を強調するように思う。実体験として。
自動車やバイクも大きいだけでおとなしく運転していてくれればいいのだが、えてしてその性向が運転にも行動にも出るようである。怖い。危ない。

また、言動が暴力的という人も同じベクトル上にあるのだろう。語気荒く思考が雑で理屈無視。何かあって手を出すと手が後ろに回るので我慢はしているようだが、手を出さんばかりの態度。手を出す限界も低いのだろう。
こうした人が場にいるとやはり引きずられてしまっておかしな方向に進む。

乱暴運転も乱暴な態度も今のところ自分に被害を及ぼしていないのかもしれない。
だが、行動原理に暴力がある人はなにかあったときに暴力に訴える。偏見かもしれないが私はそう思っている。ゆえに遠ざけたい。

ところが、不思議なことにこうした人(たいてい男性)を豪快で頼れる人と見る人が少なくない。力を車に求めたり、力を誇示する人はそうしないと自我が保てないのではないか。そもそも本当に力がないからそうするのではないか。本当に力のある人は、自分の力だけでにこやかにかろやかに問題を解決するものだ。


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2014年08月30日

役に立つ新商品を待っている

現代においてはもはや恥ずかしい話ではあるが、私は新しいものにはあまり興味がない。必要と判断すれば買ったり使ったりするが、話題になっているだけで飛びつく気はない。

たとえば携帯電話の最新機種だ最新機能だには見向きもしない。
もちろん携帯電話は使っているが、これは社会生活上仕方ないからだ。公衆電話がないとか即座に連絡がつくのが常識とか事情があるからだ。
したがって使っている機能といえば通話、電話帳、着信履歴、ごくたまにメール程度。
固定電話と公衆電話で成り立っていた昔の方が気楽だったなと思わなくもなく。また電話の取次ぎとか待ち合わせとか、はたまた電話番号を覚えるとか、人間の能力が下がっているのではなかろうかと思わなくもなく。

いきなり脱線する。LINEなるものが人気のようだが、運営会社が韓国の会社だってみんなわかって使っているのだろうか。日韓関係を鑑みて広報など韓国風味を消しているようではあるが、そんなものにデータを送って悪用されないか心配ではないのかね。まぁ子供同士のくだらないやり取りが漏れたところでなんだという話だが、政治家や公務員、企業経営者、重要な情報を扱う人はやめておいた方がいいような気がする。そのうち情報漏れの騒動が起きるかもね。

脱線はさておき。

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こんな具合だから拙宅には新しいものがあまりない。というか物があまりないのだが。
20年前にはなかったようなもの、というのがそれほどない。

PCとインターネットは20年前にもあったが進歩している。そこそこ新しいものについていっている。最後尾からついていくくらいだが。
PCは高性能の機種じゃなく、性能そこそこ節電型で小さいことが優先だ。動画、音楽、ブラウザ、ワープロくらいのことならそれほどの性能は要らぬ。
PCは古いものでは性能が追い付かない以前にOSが使えないとか買い替えざるを得ない状況に追い込まれている。また、音楽プレイヤー、ビデオプレイヤー、ワープロといった情報家電を駆逐し、一台にまとめてくれたのはありがたい。家庭によってはテレビやファクシミリ、写真アルバム、書籍もPCにしていることだろう。およそデータで表現できるものはPCで置き換え可能だ。
これは認めざるを得ない。
インターネットも今や外界とのやり取りには必須だ。メールもブラウザもなければ情報のやり取りが停止する。これも認めざるを得ない。

まぁ、こうして状況に追い込まれるかよっぽど気に入らねば新しいものには手を出さないのである。

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さてこれ以外にと身の回りを眺めてみても、めぼしいものは見つからない。
逆に落ち着いてみると古いものに手を出すことすらある。
たとえば字を書くなら今や超高性能のボールペンが安価に手に入るのである。滑らかだ耐水だかすれないだというナントカインクのボールペンが200円もしない。いや、3本100円で売られているような安価品ですら書くのには何の支障もない。
しかし、その100倍以上の値段の万年筆に手を出したりするのである。しかもインクはカートリッジ式ではなくインク壺からインクを吸うタイプとか。
何の意味もないが面白い。趣味とは実用ではないのだ。
必要のない最新機器に手を出すのも、実用性の低い古いものに手を出すのも、結局心の潤いなんである。

ここまで長い上に前ふりになっていない話であった。

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もろ手を挙げて賛成し、活用しているものもある。
交通系プリペイドカードである。
スイカだイコカだと各地の交通機関が発行しているプリペイドカードである。発酵されてから何年も経っているのではあるが、近年各社の互換性ができたこととコンビニをはじめ店頭でも使えるようになったため普及が進んでいるように見える。

何がいいと言って手間いらずであることだ。
ほんのワンタッチである。電車やバスはもちろんコンビニもこれ一枚。大変に便利だ。
私は不器用なので小銭を出すのがとろいのであるが、そんなことを心配せずともよい。

私が使って便利だというだけではない。これが普及されることで効率的になってもいるのだ。
おおもとの駅での利用というのは全体の効率化にはたいして役立っていない。
無論、定期券がなくとも直接改札に向かえるとか定期の乗り越し精算が改札でできるというのは個人にとっては効率がいいのだが、時間帯あたり改札を通れる最大人数が増えたわけではない。それ以前にも自動改札はあったし磁気式定期券、乗車券で通るのと大きな差異はない。
大変混雑する駅でも券売機の数が抑えられるメリットがある程度か。

なんといっても効果があるのはバスだ。
従来なら両替がどうの、小銭があるのないのともたもたする人がいて、その間バスは出発できない(前払い式の場合)。後払い式であっても終点ではなかなか降りられないということもあった。
それが最近はカードが普及したため大変に早い。小銭でもたもたするのが気になるのか、思いのほか中高年の利用が多い。
明らかにバスの発車が早い。さっと着いてピッピッピッで発車しまーすてなものだ。
これはバスが早く着くという効果もあるし、道路の渋滞を軽減する効果もあることだろう。

もちろん、問題は内在しているのかもしれぬ。店の初期費用や手数料負担はどうなっているのかとか、会社が乱立しすぎでもうちょっと統合すれば無駄が省けるのではなかろうかとか。
ま、問題があれば解決していただくとして、非接触式ICカードや通信モジュールなど技術を組み合わせて便利なものを世に提案してくれたことには感謝したいと思う。

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さて便利なこの交通系プリペイドカード。最新の技術が使われているかといえばどうだろうか。むろん、薄く小さく洗練されたとか、機器の性能が上がったいう意味での最新技術は使われているが、基礎技術や概念については20年前には完成していたともいえよう。

非接触式ICカードはずっと以前に実用化されていた。セキュリティシステムで入退室管理などに使われ始めたのはずいぶん前だ。当時はカードというか板というか財布に入れたら邪魔なほどの厚みではあったが。
バスや自動販売機で使うためには通信モジュールを使う。これは携帯電話の電波をを使って中央のサーバーと連絡をするためだ。携帯電話もデータ通信も今とは方式や性能が違うとはいえ、ずいぶん昔からあった。
その他、暗号化技術であるとか、中央のサーバーの性能であるとか、ネットワークの通信速度であるとか進歩したものは多数あろうが、交通系プリペイドカードが登場するために新たに登場したものはないのではなかろうか。

もちろん性能の向上が実現を可能にした一面はあろう。サーバーの性能や容量や価格が伴わないとビジネスにならんとか。20年前にそのまま実現できたとはいいがたい。技術的にできても商売にはならぬ。とはいえ、決して技術者だけでこのビジネスが出来上がったわけではないというのは明らかなのである。
技術を組み合わせ全体の絵を描いた人がいて、その絵を広げつなげた人がいるわけである。

無論、最先端の技術開発は重要な仕事ではあり細かいことを熟知していることも大事なのだが、その技術が「ざっくりこんなもん」と理解したうえでいろいろ組み合わせて新しいビジネスを作る仕事もまた重要なのである。
商品開発に携わる若い人の活躍を期待したいものだ。
posted by Mozzo at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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