2014年08月24日

広島の災害に寄せて 災害について考えた

広島市の土砂災害の被害が近年まれに見る規模・悲惨さだ。
これを書いている現時点でも被害は進行中で新たに土砂崩れの危険が指摘され、救難活動も難航しているという。被害にあった方々と救難にあたる消防関連の方々のことを思うと大変に重い気持ちになる。

今回災害を免れ、報道で災害の様子を見ているわれわれに直接できる支援はそれほどない。一段落したら復旧復興のための募金があることだろう。正しい団体に正しく募金することだ。

ただ、われわれにもやるべきことはある。
災害はどこでも襲ってくる。地震か津波か洪水か土砂災害か火山噴火か豪雪か台風か。種類は違えど災害に無縁な土地などない。
よその災害を教訓に明日に備えることだ。それはわが身を守るだけではなく、周囲に負担をかけず、なにより救難に危険を冒す覚悟の消防・警察や自衛隊、海上保安庁の人々のためにもなる。

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こうした災害では公の対応が批判されることも多いが、個人の認識・行動にも考える余地はあるのではなかろうか。
今回避難先が間違っていたケースが散見されるという。高潮・津波用の避難場所に避難し、そこを土石流や土砂崩れが襲ったという。
なぜすべてに共通の避難場所がないのかと思う人も地方によってはいるだろう。しかし、すべての災害に安全な土地が広がっている場所なんて限られている。地形によって避難の用途が限られてしまうのは仕方ない。山が崩れるときには海に逃げ、海が荒れるときには山に逃げるのである。

避難先の用途はあらかじめ決められ広報されていたという。しかし、避難した当人はなんとなく災害があったらどこそこへ、というぼんやりとした認識で、災害の種類によって行き先が違うなんてことは理解していなかったようなのだ。
当然公の広報の巧拙が問われるであろうが、個人の理解力、判断力というものも問われねばなるまいと思う。

住民の生命と財産を守るために公が危険を調査し、防災・避難を計画し、広報するのは当然の使命であるが、最終的に身を守るのは住民個人だ。公の言うままに右を向き左を向くようではいけない。盲信では正しく公が住民をリードしているか否かを判断することができないだろうに。
自分の住居、行動範囲の地形や気候、過去の災害は分かっているのだし、それによりどんな災害が起こりうるかは想像できる。素人ゆえ精度に問題はあろうが、そうそう外れるものではない。山奥で津波の心配をしても意味はない。
土砂崩れが警戒されているのにあの避難所じゃダメだろうと判断する能力が欲しい。災害時にはどうしたって想定外のことは起きる。その場のとっさの判断が運命を左右することだってある。

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ちょっと妙な例であるが韓国の貨客船事故の話である。関係者の無責任かつ自己中心的な態度が被害を生んだ人災と断じてよかろう。
最後まで乗客の命を救うために頑張らねばならない船長と乗員の一部が真っ先に逃げ出しただけではなく、状況判断を誤って沈みゆく船の内部に残れとアナウンスしたという。乗客の多くが犠牲になった中で生き残ったのはアナウンスを無視して脱出した人たちだった。まさにとっさの判断力が明暗を分けたと言えよう。

乗員と乗客の関係は地上の災害に置き換えれば公と住民である。
当然、乗員だろうが公だろうが正しく判断し、リードせねばならない。だが、人間誤りもあるし、韓国の事件のように誤り以前の問題がないとも限らない。
後で責任を追及するのはいくらでもやればよいが自分が死んでしまってはどうにもならない。

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とはいえ個人の理解力、判断力と言っても、前提となる知識が必要である。

人間としての自然な感覚だけに基づいた判断は誤りをもたらす可能性がある。
特に私が問題だと思うのは、人間は自らと比較にならないほど巨大で堅固なものは無制限に信頼してしまうのではないかということである。

大地や山のように大きいものは永久不滅に動かないものだという安心感を持ってしまう。いや人間の作ったものとはいえ巨大な堤防、防潮堤などどっしりとしたコンクリート製で「たかだか水でどうやって壊れるのか」と信頼してしまう。

もちろんこれが誤りであったことは災害が証明している。
たとえば、大地は堅固と思っていたが、地球的時間で見れば実際は薄い板がゆらゆらうごめいているにすぎなかった。ぶつかってはせり上がり、また沈み込む、煮込んだ鍋に浮く灰汁のような存在にすぎなかった。
事実、東日本大震災ではひずみを解放した沿岸の土地がぐっと低くなった。農地へ海水が浸食するなど問題になっている。しかし、これが本来の高さ。つまり、人間視点でみていた土地の標高は「最近(ここ数千年?)押されて持ち上がってるわ」という一時的なものだったのだ。
土砂災害も人間視点では堅固な山が突如崩れたと思うかもしれないが、山は地表という板に盛り上げてしまった砂の塊のようなもので、常にゆすったり水をかけたりして「均そう」としているのだ。明日か100万年後かは別としてそのうち崩れるのである。
ましてや人間が作った堤防や防波堤なんてものは、地球規模で見れば砂の上をカタツムリが這った跡くらいのはかなさであり、それもまた震災で見せつけられた。

なんとなく立派だから、で安心してはいかん。

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中途半端な知識も時には危険だ。
津波に対する世間一般の知識は中途半端だと思っている。いや、私がエキスパートというのではないのだが、平均よりは危機感を持っているとは自負しているのだ。

原発推進の背景もあって、津波の脅威の矮小化がすすめられているように思えてならない。
とくに津波の脅威を高さで表現することは大変に誤解を招く。
「XX原発に想定される津波は最大XXメートル。防潮堤をさらに2m高くしたので安全です」
津波の高さなんぞ、津波の強さを表現するあいまいなごく一面に過ぎない。
津波の本質は運動エネルギーを持った水の塊だということではなかろうか。

子供向けの科学記事でも書いてある。津波は沖では高くなく、沿岸に近づくと高くなる。それは水深が浅くなり、エネルギーが海上に表出するからである。
運動エネルギーが集中するかしないかによって高さなど変わってしまう。
過去に20mの津波で町が飲み込まれたからといって、22mの防潮堤を設けたところで抑え込めるものではあるまい。同じ規模の津波が発生すれば行き場を失った津波は防潮堤を超えるだろう。そしてそれは想定外と言われるのだろうが。

津波を完全に抑え込むような建造物を人間は作れない。作れたとしても、そんなものを作ったら海岸線は破壊され自然も漁業も人の暮らしもあったものではない。
津波はそらすものであって、抑え込むものではないと考えている。
絶対に水をかぶってはいけないごく一部の地区と、あえて津波を呼び込み水没やむなしという地区を分けて作らねばなるまい。砂浜海岸の周辺、水田や湖沼の沿岸を遊水地として犠牲にする覚悟も必要だろう。被害はあろうとも人命が失われずお金で補償ができる範囲に収めれば全体としていいことだ。

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そんなことを言ったらどうしようもないではないかと悲観する向きもあろう。
確かに人間には荒ぶる山を固定する技術も押し寄せる津波を抑え込む技術も持っていない。
しかし、人間は逃げることができる。
地震はごく直前にしかわからぬが、津波は数分〜数十分とはいえ時間がある。豪雨や豪雪は予測ができるし、豪雨に伴う土砂災害も予測できる、地滑りも監視体制さえしっかりしていれば予測できる。
逃げる時間はあるものの無限ではない。財産すべてまとめてよっこらしょと逃げる時間はない。
与えられる時間は10秒かもしれぬし2日かもしれぬ。それに応じて、何を準備して、というより「なにを捨てて」逃げるのかをよくシミュレーションしておかねばならないだろう。

と、口で言うのは簡単だが、場面を想定するのもなかなかむつかしい。
もし自分が大人一人幼児を連れて海岸地区を歩いていたとしよう。そのとき携帯に緊急地震速報。確認する間もなくすぐに強い揺れ。
はたして、ベビーカーを押して歩いて逃げるべきか、走るべきか。荷物もベビーカーも打ち捨てて子供を抱いて走るべきか。
限られた情報と周囲の状況(ベビーカー押して走ると群衆の中では危険だとか)で即座に判断することは難しいだろう。

無論、最悪を想定して行動するのが一つの解ではある。
でも、私なら荷物の中にあるお昼ご飯のおにぎりがすごく心に引っかかるだろう。この荷物を担ぐと死ぬのか死なないのかお昼ご飯はどうなるのか。最悪を想定すれば外れることがたいていになり、その都度失うものもある。毎回ベビーカーとおにぎりはどこかへ行ってしまうのだ。ま、おにぎり云々はともかくとしてそのあと混乱があるのなら当座の食料を打ち捨てるべきか否かは真面目な話である。
そんなことを繰り返せばそのうち安全第一のポリシーも揺らぐだろう。
脱線はさておき、災害の際に避難が遅れる原因として、現状を理由なく強く肯定する心理的な力が働くためだと言われる。家が流されるかもしれないと言われても、今は電気がついていて水も入ってこなくて居間の畳は乾いていて。まさかまさか。今大丈夫なのに、快適なのに、雨の中合羽を着て逃げるなんてまさかまさか。と。

そうした人間の心理についても過去の災害に学ぶべきだろう。

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直接的な災害への備えも重要であるのだが、背景といえばいいのだろうか、基礎的な、災害に備える準備についても考える余地がある。

前述のとおり、その地域・地形によってどんな災害がどの程度の規模で襲うのかはある程度予想ができる。
土砂崩れが起きやすいのはどこか、津波が来たらどこが流されるか、直下型地震で火災が起きやすいのはどこか。
こうした条件を勘案し調査しハザードマップとして公開する動きはある。ところがこの動きが効果的に動いていないことがあるようだ。
事実今回の広島の災害においても、公が調査を命じたが調査が白紙に戻ったのなんだの、それが数年かかっているだの、どうにも「科学的でない」なにかがあったような報道がある。なんでも、今年初めから調査を始め調査結果が間もなく公表されるという地区もあったという。

ハザードマップの作成には当の住人からの反発があるという。
無論自分が長年住んでいるところが名指しで危険だと言われたら不愉快なのはわからんではない。だが、大きな動機は地価の低下だという。資産価値が下がれば大損だと。
多くの住民はたとえ土地を所有していたとしても自らが住むためであって、すでに所有しているなら(売るつもりはないから)地価が下がることに敏感ではない。固都税が下がることを考えれば歓迎する考え方もあろう。地価が下がることに敏感なのは売買が視野にある地主階級ではなかろうか。

そうした損得勘定が正しい情報の公開を妨げているとしたらどうか。
大都市目線で考えるとたかが一地主が地方公共団体に影響を及ぼせるかと思うかもしれないが、規模の小さい地方公共団体において地主は地元の名士であることも多々あるし、地主階級が連携して抵抗する事態も多々あろう。
こうした事態はまだまだ報道が足りない。
一部の報道では「地価が下がるから抵抗が。。」くらいのことは言うがその背景については細かく報じない。
地元の地主階級の勢力図を詳細に描いて報じる必要があるのではないか。また、ハザードマップ作成公開に反対した人を名指して批判できる仕組みがあってもいい。
極論にすぎるかもしれないがそれで人が死ぬと思ったらどうだろうか。

地価を守るために危険を隠せば不信は募るばかりである。
どうせ危険のない土地はないのである。どういう対策をとっているのかとれるのか、それを明確にすれば信用は増し土地も売れるに違いない。

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たとえ小規模なレジャーの事故であっても、自らあるいは家族が被害にあい、救難する人を危険にさらす。
台風シーズンでもある。今一度自らの行動と周囲の環境を点検されることをお勧めする。

posted by Mozzo at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

セクハラ大魔王 橋本聖子氏は何もかも失格

これでいいのかと憤慨する報道。
東京スポーツから一部引用する。

引用ここから====
高橋大輔謝罪で橋本聖子氏に“けじめ”を求める声
2014年08月22日 16時00分

 日本スケート連盟の橋本聖子会長(49)がソチ五輪後の打ち上げの際、フィギュアスケートの高橋大輔(28=関大大学院)に「無理チュー」したと写真付きで週刊文春に報じられた件が、まだまだ波紋を広げている。21日、高橋が公の場に姿を見せ、騒動について謝罪した。“被害者”の方が大人の姿勢を示した一方で、渦中の橋本氏は入院を理由にコメントを出したのみ。橋本氏の影響力が強いスポーツ界からは「五輪の申し子」に“けじめ”を求める声が上がっている。
 高橋は22日から行われるアイスショーの「フレンズ オン アイス」(新横浜スケートセンター)公開リハーサルに登場。記者会見の最後に今回の騒動について触れ「私事で関係者やファンの方々にご迷惑や心配をおかけし、申し訳ありませんでした」と謝罪した。
 打ち上げで五輪特有の緊張感から解放されたこともあり「最後の最後でお酒が入り、はしゃぎすぎてしまった。もう少し考えて行動しないといけないと、反省しています」。嫌がる高橋に橋本氏がキスを強要したのでは?とパワハラ、セクハラを問われているが「自分ではパワハラ、セクハラは一切ないと思っている。橋本会長はいつも選手を思ってくれ、叱咤激励してくれている」と話し、橋本氏をかばった。
 本来の橋本氏は豪快な性格で、男女関係なくざっくばらんに接する人物で知られている。被害者と見られた高橋が自らの口で「パワハラ、セクハラではない」と断定したことで、橋本氏の“罪”は軽くなったように思われる。

以下省略 引用ここまで====

高橋氏から見れば20歳以上上の、しかも組織のトップの人にキスを迫られてどうだったのか。もし、関係ない相手なら「絡むんじゃないあっち行け」と怒鳴りつけても当然だ。そこを抑えたのは自らおかれた状況がわかっていたからであって、それ以外の解釈ができるだろうか。
いや、実力のある一線級の高橋氏だからこうした対応ができたのであって、そうでなければ話題になることもなく、声明を出すことすらできなかったのではなかろうか。

この騒動に二つの疑問がある。

まず、この騒動の男女関係が逆転していたらどうだったろうか。
「49歳スケート連盟橋本聖会長が、28歳フィギュアスケートの高橋輔子選手にキスを強要」。。。。まぁ公人としての生命はあっという間に終わるんじゃないか。
立場の強い女と弱い男という図式に慣れていないのか、追求が甘くないか。

いうまでもなく、セクハラに男女の別は関係ない。
統計上社会背景もあって、上位の男性が加害者、下位の女性が被害者という例が多いことだろうが、それだけがセクハラではない。性別が逆転しようが互いに同性であろうが、立場の違いに乗じて本来性的要素があってはならない職場に性的概念を持ち込んだり性的関係を強要することがすべてセクハラなのである。

そういえば思い出したが、セクハラなる言葉が一般化し始めたころ、職場の「フェミニスト」を自認するおばはん(あえて言う)が「セクハラってのは男が女に対してすることなの。女がするってのはないの。定義がそうなっているの」と大声で吠えていたなぁ。どこぞにそんな文書があったのかもしれないが、真に女性の権利を考えているならその定義を疑わねばなるまい。
女の敵は女だ。思いを強くしたのである。


もう一つの疑問は、このスケート連盟なる組織と彼女の姿勢である。
橋本氏は夏冬のオリンピック出場を果たした当時のスターである。
その後政治的な活動にも踏み出し、国会議員のみならずスケート連盟の会長の座にある。
これは邪推の域であろうが、彼女はその縦割り封建的体質の中で大事にされ、その体質をそのまま受け継いできたのではなかろうかという疑問である。
数年前の女子柔道のパワハラ告発騒動においては、告発するなら本名さらしてかかってこんかいとばかりに威圧する発言をし、女子柔道界の「権力者」側を擁護している。
その騒動から女の敵は女の好例とおもっていたのだが、今回男の敵であることまで露呈した。

記事にある通り、組織の圧力を受けて高橋氏は擁護する会見をしたのであろう。キスを強要された側が「はしゃぎすぎた」「反省する」なんてことがあろうか。
また、これは橋本氏にとっては窮地であるのだろうが、行方不明はいかん。組織の代表であり政治家であろうに。いざとなったら矢面に立ち(時には詭弁を弄してでも)弁で切り抜ける能力が求められるのは言うまでもない。もちろん、誠実と真実だけで切り抜けるのが正しいが、海千山千の政界、仮に嘘だろうが詭弁だろうが話をできないのは無能であるのだ。
posted by Mozzo at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月21日

まんだらけの万引き騒動 その後

かのまんだらけの万引き騒動についてはこのブログで触れた。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/403708346.html

報道によれば容疑者が逮捕されたとのことである。

テレ朝Newsから引用する。

引用ここから====
「まんだらけ」“万引き”で50歳の男逮捕(08/19 05:50)
 東京・中野区の古物店「まんだらけ」で「鉄人28号」の人形が盗まれた事件で、警視庁は、千葉市に住む50歳の男を19日午前に逮捕しました。

 窃盗の疑いで逮捕されたのは、千葉市若葉区に住むアルバイト・岩間和俊容疑者です。岩間容疑者は4日午後5時ごろ、「まんだらけ中野店」で25万円で売られていた鉄人28号のブリキの人形を盗んだ疑いが持たれています。警視庁によりますと、岩間容疑者は、事件の数日後に中野区内の別の古物店で同型の鉄人28号の人形を売っていたということです。18日深夜、自宅から任意同行して事情を聴いていました。鉄人28号を巡っては、店側は「返却しなければ、顔写真をホームページで公開する」と警告していましたが、警視庁から「捜査に支障をきたす」と要請され、顔写真の公開を中止していました。取り調べに対し、岩間容疑者は「ショーケースのガラス戸が少し開いていたので盗んでしまった。売ってお金にしようと思った」と容疑を認めているということです。
引用ここまで====

逮捕直後の報道では犯行を認めていないという報道もあったと記憶しているが、新しい報道では犯行を認めているようである。のちに供述を変えたのだろう。
また、盗品を売った理由が自分が好きなフィギュアを買うため(ウルトラマンが好きらしい)だとか。個人的にはこれまた理解不能で、番組(?)は違えどフィギュアが好きなら盗まれた側の悲しみがわかるだろうに。不謹慎な言い方だがなぜほかの犯罪にしなかったと思う。別の犯罪ならいいというのではないが理解しがたい。
たとえば、高級スポーツカーを真に愛する愛好家であるなら、他人の持ち物とて傷つけたりしたいものだろうか。特にそれが生産終了した歴史的名車だったとしたら。
それで思い出した騒動。日本がバブルで発狂していたころ、世界的名画を高額で競り落とした挙句、自分が死んだら棺桶に入れてほしいとのたまった御仁がいた。もちろん批判殺到。現在だったらブログは炎上していることであろう。

売買とはいえ、歴史に裏付けられたほかに代えがたい文化財に対して、所有者であって所有者ではないのだ。保管し管理する権利と義務を買ったに過ぎない。
それを理解しない人間は真の愛好家ではない。
この容疑者も真の愛好家ではないのだろう。

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とりあえず、盗品の所在は確認された。文化財として最悪の事態、つまり破壊・逸失はまぬかれたことはよかったことだ。

法律的に言うと、盗品を売った先の店が盗品と知らずに買い受けた場合、善意の第三者(この場合の善意とはいい悪いではなく、知っていたかどうかの意)であるため所有権を主張できる。
できれば、売り先の店が犯人に販売代金プラス慰謝料を請求し、商品はもとのまんだらけに返す、まんだらけは慰謝料を犯人に請求するということで収めてほしいものだとおもう。法律的にはまんだらけがいったん売り先から買戻し、その料金を請求するのが正しいかもしれぬが、商行為とすれば容疑者が売った金額で買い戻せるはずはなく、そこに差額を設定すれば無用な批判を招くかもしれない。

容疑者は50代とはいえ経済的に豊かとは感じられない。支払いは期待できないかもしれないが、ここから先はゆっくり解決すればいいことである。

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興味深いのはマスコミを通じて発表されたコメントである。
引用は弁護士ドットコムからで、まんだらけ側の発表全文である。

引用ここから====
●「商品もおそらく返還されるであろうと思います」

今回の、鉄人28号の万引きの件、マスコミの方々が取り上げてくださった事、非常に感謝しております。話題になったことで関心も寄せて頂き、その事で、警察の方々も、威信をかけて捜査して頂きました。犯人も、無事逮捕され、商品もおそらく返還されるであろうと思います。これも皆様のおかげですので、本当に感謝しております。有り難うございました。
引用ここまで====

微妙かつ露骨といえば露骨な言い回しである。
この騒ぎがなければ警察やる気出さなかったんだろうがと読める。

一部の報道では嘘か本当か、画像公開かという報道を受けて犯人の家族が接触してきたともされる。
また、この犯人が商品を売った店はなんと被害者のまんだらけと同じテナントビルに入っているとも報じられている。犯行の甘さ、行動範囲の狭さを感じさせる。
なるほど、世間から注目され、警察が本気になれば一気に解決するのはよくわかる。
問題は世間も注目せず警察も本気にならないケースだ。独自に世間の注目を集めたことは警察としては面白くなかったようだ。
従順に警察の言うことに従っていたら、今日の解決はあったのだろうか。

また、この件は解決したからいいが、その陰で後回しにされた事件があるのだろう。まんだらけといえばサブカルチャー関連の古物商としては有名有力企業である。その発信力はバカにできない。
陰でそれほどの力がない被害者が泣いていないか。もちろん責めるはまんだらけではなく警察だ。警察の手が回っていないのであるならその予算をつける側に非がある。

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警察や消防、自衛隊、海上保安庁、あるいは病院のように非常時に備え、国民の生命と財産を守る組織の費用対効果というものは測定しがたい。ことに投資が足りていないことが分かりにくい。
これが水道事業であれば、水道料金では損益はどうかとか、水道がいきわたらない世帯がないかということが如実にわかる。やるべき仕事の効果が直接的に見えるからだ。

私はもっと警察に予算を付ければいいと思う。人も機材もぐっと増やすべきだ。
無駄という人もいるかもしれないが、本当に足りているのか、不測の事態にも対応する余力が常にあるのか証明はむつかしい。無駄にならぬよう遊ばせなければいいのである。
本来・最低限の犯罪捜査で人が大幅に余るくらいでいいのである。余ったら、防犯活動に回ってもらおう。さらにはお年寄りや障碍者への相談活動もあろうし、街頭路上の警備活動にも携わればいい。一部の警備会社は警察に吸収されるなり業務提携するなり融合して、警備員が適切な権限を持てるようにすればクライアントにより満足を与えることができるだろう。違法駐車の取り締まりなど、本来警察官が行うべきことを外部委託しているのが現状である。簡単な業務に完全に訓練された警察官を充てるのは無駄というなら、職務権限の限定された警察官(簡単になれる分給料が安い)を拡充する方が健全だ。
観光地であれば観光ガイド的な役割を担ってもいい。どうせ交番で道案内はするのである。親切でお勧めスポットを教えてくれる警官もいる。そこを踏み込んで警察官が案内するXXめぐり、あってもいいと思う。事件がなくとも町に警察官が溶け込んでいれば防犯の効果もあるだろう。警官萌えなんてブームがあるかもしれない。観光協会が投資してもいいのではなかろうか。
いたるところに、人命救助の基礎訓練を受けた人がいればこれほど安心なことはない。暴漢に対処するスキルがあってAEDが躊躇なく使える人が周囲にいたら。
そして、いざ犯罪勃発となれば事件に集中できる。万事抜かりはない。

思わず話が大脱線してしまったが、今回のまんだらけの騒動は警察に大きな課題を突き付けていると思う。まんだらけ側は万引きの被害は激しいと嘆く。
殺人事件などの凶悪犯罪ではないけれど、こうした小さめの犯罪が一向に解決しないといういらいらもまた安心感から遠ざかることになる。
割れ窓理論という概念もある。ぜひ、改善を期待したいものである。
posted by Mozzo at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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