2014年08月14日

まんだらけの万引き騒動

考えさせられる騒動である。

引用ここから====
返さなければ顔公開…「万引き犯」警告に波紋
2014年08月11日 11時53分

 古い玩具や漫画などを販売する古書店「まんだらけ」(東京)で、鉄人28号の人形を万引きしたとされる男の写真がインターネットのホームページに掲載されている。

 顔にはモザイクがかけられているが、人形を返さない場合は「モザイクを外す」と警告しており、有識者からは「気持ちは分かるがやり過ぎ」との指摘も出ている。

 まんだらけのホームページには、警告文と盗まれた鉄人28号の人形の写真、さらに同書店で防犯カメラに映った男の写真が、顔にモザイクをかけた状態で公開されている。万引きしたとされる男が12日までに人形を返さなかった場合、顔写真のモザイクを外して公開するとしている。同書店は警視庁中野署に万引きの被害届を提出している。

 まんだらけのネット掲載について、ネット関連の法律に詳しい森亮二弁護士は「人形の万引きは窃盗罪。難しいケースだが、モザイクを外して顔写真を公開すると男を脅すことは、脅迫罪に該当する可能性がある」と指摘する。

 甲南大法科大学院の園田寿教授(刑法)は「書店の気持ちも分かるが、多くの店が同様のことをしたら社会が混乱する」と話し、「モザイクが外され、窃盗犯としてネット上に公開すれば、男への名誉毀損罪が成り立つ。店側の行為が公益目的と認定されれば名誉毀損罪は免責されるが、このケースは該当しないだろう」と分析する。

 まんだらけは「全ては盗んだ方の出方次第。返還されない場合は画像公開、犯人の特定を行う」とのコメントを出した。
2014年08月11日 11時53分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

別の報道では鉄人28号のブリキのおもちゃでお値段数十万円だとも。個人的には全く価値は見いだせないのであるがそれはさておき。

法律などに詳しい識者から言わせるとやりすぎということで、確かにルール上はそうなんだろう。文中にある脅迫、名誉毀損という問題のほか、他の報道では「私刑」であるという問題も指摘されている。
ルールとして悪い。それは確かだ。だがそれだけでいいのだろうか。納得がいかんのである。

たしかに警察に証拠を提出してあとは任せるというのが理屈としては正しいのだろう。だが、いまや窃盗犯が多すぎてなかなか本格的な捜査をしてくれないという。
受け付け順でやってくれればまだしも、おり悪くウン億円宝石窃盗事件があれば優先になるんではなかろうか。警察のメンツがあるから。
数十万円といえばそれほどの高額ではないという言い方もできよう。宝石、自動車、美術品、職業的窃盗犯の対象はたいていもっと高いものだ。

警察に行ってもどうにもならないからと強引な手法をとったことを一概に責められないようにおもうのだ。
話題になることで盗品が転売される危険もかなり下がるだろう。警察に任せていたら話題にもならず転売され、犯人を捕まえても盗品は戻らないこともありうる。もちろん、犯人を追いつめることで盗品を破壊・廃棄される危険もあるのだがそこは賭けなのだろう。
これしか有効な手段がないと思えば。

いくら高価であってもお金で代わりがあるものならばよい。だが、この手のものは一度失われれば二度と戻らないものではなかろうか(ですよね?)。私には価値は理解できないのだが、歴史が作り出した価値はそれがなんであろうともかけがえのないものであることは理解できる。何億円かけようとも、精巧なレプリカは作れても、製造後何十年かたったブリキのおもちゃの本物は作れないのである。
そこには金額に換算できない、当事者だけにわかる価値観があるのではなかろうか。

警察が無力で、大切なものを取り返すにはこうするしかないとしたらどうなんだろう。そして、最終的に写真を公開して犯罪を形成するとしても、それによって守られる価値と比べてどうなんだろう。緊急避難とか正当防衛といった概念にちかいものを考慮せねばならないようにも思う。いや、緊急避難で免責されないとしても、犯罪を顧みず大切なものを守るというひとはいるだろう。それを妨げる方法はないし、ある程度の共感・同情を禁じ得ない。

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もちろん、大事なものを守るから犯罪行為OKということを主張したいわけではない。警察が完璧な対応をしてくれたらそれが一番なんだろう。
だが、警察にとって窃盗犯など日常のできごとであろうし、予算にも限界がある。対応力は有限だ。かりに全力の体制をとれたとしても被害者にとっては即時完全解決を望むわけで、満足がいくとは限らない。どうしたって実態とは開きがでる。実際には警察が100%の満足を提供することはできまい。

この文章を寝かしているあいだに、まんだらけ側は警察の要請に応じて公開を中止したそうである。犯人の目星がついているならいいのだが。

不謹慎な話だが、私はこの事件についてまんだらけ側が突っ走って画像を公開し、犯人も登場し、法廷で対決してもらいたかったと思う。うまくいけばさまざまな常識を問い直す裁判になったかもしれない。
いろいろ司法が示さねばならないものが突きつけられる。

はたして今回盗難にあった商品の価値をどう判断するか。
犯人側は売値の数十万円を価値と主張するだろう。だが、原告側としてはそれは単なる市場価格であって、文化遺産として社会で共有(所在が明確で開示される)されていることを前提に、その価値は市場価格に乗っていないと主張するだろう(してほしい)。
文化遺産としてあえて金額に換算すれば1000億円だけれども(歴史は1000億円でも作れないが)その価値は不動に維持されたまま所有権(というよりは管理権)を移転するための金額が市場価格だと。いや、1000億円払ったからと言って、文化遺産を叩き潰して捨てる権利が買えるだろうかと。
司法としてその価値を認めるか認めないか。市場価格ですぱっと切り捨ててしまえば簡単だけれど、それで正義が実現されることになるのか。司法は正義を考えているのか。いや個別の共感できない価値観を取り上げるのが正義か。議論を呼ぶだろう。

また画像公開にまつわる行為が犯罪としても、窃盗とのバランスをどうとるか。
警察とて状況によっては犯人の画像を公開する。最近では詐欺集団がATMから金をおろす画像を公開していることが目立つ。警察がしていることを民間がやってはいけないという道義的理由はなにか。公開する手順があるのだから、公開しないのは警察の不作為ではないかという疑問も出てくるだろう。被害者側が要請したら公開するのが原則としていいのではないかという議論があっていい。
犯罪者のプライバシーだけが大事だと言わんばかりの一部識者には辟易とする。

一方で、刑事裁判に耐えうる証拠画像かどうかは素人に判断しがたい部分があって、商品を手に取って鞄に入れた画像があったとしても、画像に残っていない場面で棚に戻したと主張されればそれを突き崩す周辺の証拠が必要になるのは目に見えている。
冤罪の可能性も含めて、刑事裁判に耐ええない画像を公開した責任もまた判断されることもあろう。

私自身いろいろ考えてしまって、こうあるべしという結論に至っていない。
翻って報道をみると「脅迫罪を形成するからダメ」などと切片しか見ていないように思う。切片しか見ていないから共感を得られずひいては司法や法曹界への信頼が揺らぐかもしれない。
いろんな事件をきっかけに、正義ってなんだろうと何度でも問い直すことだけが先につながるのではと思うばかりである。
posted by Mozzo at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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