2014年08月17日

肉の消費最下位だからもっと肉を食えと?

これが公のやる仕事か、という疑問の騒動。

引用ここから====
全国でも最低レベルの肉類消費県、理由は…
2014年08月15日 10時00分

 県民の皆さん、お肉をもっと食べましょう――。

 全国最低レベルにある群馬県内の肉類消費を改善しようと、県と畜産関係団体が手を組んで「肉食のすゝめ!推進委員会」を発足させた。県産の牛肉や野菜で全ての具材を賄える「すき焼き」などをアピールし、県内での消費拡大を図る。

 委員会は7月中旬、県農畜産物販売戦略協議会の部会の一つとして新設された。背景には、県産豚肉やブランド牛「上州和牛」が市場で評価される一方、県内であまり肉が食べられていないことへの懸念がある。

 総務省が2013年、47の都道府県庁所在地と5政令市を対象に実施した家計調査(2人以上世帯)によると、前橋市は、牛肉と鶏肉に対する支出金額、鶏肉の購入量はいずれも全52都市中、最下位だった。特に、1世帯あたりの牛肉の支出金額8386円は、1位の京都市(4万643円)の約5分の1にとどまった。

 肉の消費が低迷している原因について、推進委事務局の県畜産課は「県民に根付いた粉食文化が少なからず関係しているのではないか」と分析している。小麦粉を使った伝統的なおきりこみやうどんのほか、パスタやラーメンなどが好まれ、肉料理が敬遠されがちになっている、という見方だ。

 推進委は県内の旅館に県産食肉を使った料理を提供するよう働きかけることにしており、消費拡大を目指したイベントやシンポジウムの開催も検討している。
2014年08月15日 10時00分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

言いたいのは県民の健康を考えたうえでのことか、ということである。
畜産関係団体がPRに努めるのは分からんではない。
業界団体は消費者の健康もなにもあったものではなく、自らの利益を追求するものだ。畜産関係団体なんてのはまだおとなしい方で、砂糖関係は砂糖が健康にいいからガンガン食べようと宣伝している。個人的には連中は死ねばいいと思うのだが。

「推進委事務局の県畜産課」ってのがどうにも納得いかない。畜産畜産と視野が狭くなっているのかもしれないが、そもそももっと肉を食べるべき状況にあるのか。最下位というのがカチンときたのか。くだらない。
いうまでもなく、畜肉が悪いものではないが肉だけでいいはずがなく、穀物で基本的かつ安定したカロリーや植物性脂肪と蛋白質を確保し、ビタミンや無機質、繊維をとれる野菜類、有用な脂肪酸を含む魚肉をバランスよくとらねばならない。

さらに日本人の長年の食生活に根差した体質というものがあり、コーカソイドやネグロイドと異なり畜肉や乳製品の摂取は体質に向いていない面がある。
コーカソイドと言えど、生乳の摂取はここ数千年で取得した能力なのである。
日本人の体質は海藻や野菜、穀物に向いていると思われる。

公が音頭をとるなら、もっと豆や芋を食べよう、海藻を食べようではなかろうか。小麦やコメはそれなりの消費があるようなので。
さらに食文化を豊かにするのであれば、芋も食べるけど芋茎(サトイモ)、芋のつるや葉(サツマイモ)も食べてみようとPRするのが正しいのではなかろうか。芋茎美味しいのだけどね。

===
さらに言えば、日本においては畜産は高級品をこじんまりとつくる産業であってほしい。
肉をもりもり食べるのは健康からもどうかと思うが、そもそも飼料を自給できていない、産業として問題があるのだ。
簡単に言えば、肉で輸入しようが飼料を輸入して肉に変換しようが大した差はないのである。飢餓の輸出と言ってもいい。穀物そして貴重な水資源(仮想的に)を輸入しているのである。
濃厚飼料に頼らず除草に頑張っているヤギの肉なら応援する。国産の飼料を食わせるなら牛も豚も鶏も応援する。だが現実はどうか。

いずれにせよ公が絡むような話ではない。
posted by Mozzo at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オフロードバイクでどこでも走っていいとでも!?


こういう事故も起こりうるのかと驚愕した。
産経ニュースから引用する。

引用ここから====
胸に木の枝刺さり女性死亡 バイクで山林走行中 長野
2014.8.16 22:53 [事件・トラブル]

 16日午後0時25分ごろ、長野県下諏訪町社の山林をオフロードバイクで走っていた女性の胸部に木の枝が刺さり、死亡した。諏訪署は神戸市の40代の会社員とみて、身元の確認を急いでいる。

 同署によると、現場は舗装していない道で、女性は関西方面のバイク仲間5人と一緒に訪れ、先頭を走っていた。死因は失血死で、同署は道の脇に生えた木の枝が刺さった後、転倒したとみて事故原因を調べている。
引用ここまで====

先頭を走っていたというから先行車が跳ね上げた枝ということもないようだ。
刺さるほどとがった枝が自然に生えていたか、以前その場所を走ったバイク等が折った枝が残っていたかというところだろう。

これを「気を付ければ安全なスポーツ」として肯定するとしたら、この女性の落ち度は何だったのだろうか。
事前にルートを徒歩で確認して危険物を撤去すべきだったのか? おそらくそれはこのスポーツの醍醐味を失うとして否定されるのだろう。
防弾服のような貫通を防ぐような防具をつけるべきだったのだろうか。枝が刺さるという事件は回避できたとしても、自然の中に突っ込んでいったら何が起こるかはわからない。つる性の植物が首にかかって閉まるかもしれない。毒草に触れるかもしれない。樹上にいる蛇に襲われるかもしれない(日本ではめったなことはないでしょうが)。
予想もできない事故の可能性があることだろう。

この山林の持ち主が誰かは記事からはわからぬが、バイクで踏み込んでも安全ですなどというわけはあるまい。はたして持ち主が納得していることなのかどうかも疑問である。

バイク仲間5人と連れ立っていくくらいであるから、「ごく変わった人の趣味」ということではないようだ。
日本にこんな変わった人は3人くらいしかいないということならまだしも、「同好の士」が集まるほどメジャーであるなら、はたしてそれが許容されることなのかどうかは吟味されていい。

当然、オフロードバイクで山林に踏み込めば薄い土壌を破壊し、排気ガスをまき散らし、騒音に弱い動物に影響する。メジャーになっていいものとは到底思えない。
でこぼこしたオフロードバイクのタイヤで地面をかき削れば、猪が何百頭と歩くほどのダメージを与えるに違いない。

さらに言えば、亡くなったのは神戸の人、事件の現場は長野である。
豊かな自然を「浪費」するために来たのか。本人は気持ちがいいかもしれないがはたしてそれが妥当であるのか、亡くなった方がいるのに責めるのははばかられるかもしれないが、考えてみる必要がある。
オフロードバイクを楽しみたければ地元神戸の坂道や階段を走ればいいのではないのか。むろんそれは地元の人に怒られるだろう。だが、神戸で怒られることを長野でやっていい理屈はない。迷惑を受ける側に抗議する力があるかないかの違いに過ぎない。
posted by Mozzo at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラックすき家に考えるわれわれの消費生活

牛丼チェーンの「すき家」を展開するゼンショーホールディングスが今期決算見通しを41億円の黒字から13億円の赤字に見直したと報じられた。

すき家は苛酷な労働条件が問題となっていた。
報じられるのは想像を絶するものである。
深夜の一人勤務、24時間勤務、月間500時間勤務、2週間家に帰れないなどなど。すき家には奴隷制度があるらしい。
ことに深夜の一人勤務については強盗の標的になっているとかねてから指摘があったにもかかわらず、複数の従業員を張り付けるコストと強盗に奪われる金を比べれば強盗の方がよいと非公式には語られている。

さすがに労働者側も嫌気がさしてやめていき、時給を上げても人は集まらず、人が集まらないから店は荒れ、と悪循環で一時閉店に追い込まれる店が多数。これでは利益はおぼつかない。

いわゆるブラック企業として批判を受けるも経営者の鼻息は荒かったのだが、最近やっと改善しようかという状況になったそうな。まぁ数年遅い。

====
深夜の一人勤務を考えるということ自体が頭が悪い証拠なのである。
昼に5人で一時間に5万円売り上げたとしよう。客数百数十。5人いれば問題なく回るだろう。
同じ店で夜間の一時間に1万円だったら1人で回るだろうか。客数20少々。一人で作って出して会計して掃除して食器洗って。回るわけがない。
二分数十秒に一人なんだからなんとかなるだろと思った人は甘い。波があるのである。終電とか終バスとか近所の店の閉店時間だとか、なにか要因があって急に込むことが普通なのだ。均せば一人に二分数十秒かけていいとはいえ「いま先客が4人いるからお客さん10分待って」は通用しない。
当然ながら売り上げゼロでも店を開ければ人は必要だし、役割分担できなければ効率は下がるのである。
人間が具体的にどう働いているかを想像することもできず、たんなる単純な数字としてみているからこうなる。

なにも単純に労働者を大切にしろということを言いたいのではない。
短期的に人件費を抑えて儲けが出たとしても中長期的にみればマイナスになることは今回の事例が証明している。そこが問題だ。

一人勤務は表面的・一時的に人件費の削減をもたらすだろう。
だが、即座に数字に表れないところに影響はあるのだ。

一人勤務の弊害は客にも見える。
ネットに投稿された画像には、客席(テーブル席)の一隅に積み上げられた使用済み食器の山というのがあった。店員はトレイをとりあえず引くことしかできず、洗い物にまで手が回らないのである。
さらにいえば、手間のかかるテーブル席を使用済み食器で埋めてしまえば、客はカウンターに座らざるをえまい。そういうこともあるかもしれない。
そんな荒れた客席で食事をしたら次も行こうと思うだろうか。
ましてやトイレが荒れ放題でもどうにもなるまい。

無論、客に見えないところの様子は推して知るべしだ。私自身飲食店でのアルバイト経験があるからわかる。忙しくて手が回らないと最初に犠牲になるのは衛生である。
本来であれば「数をこなす」のは飲食店の第一の使命ではないから、本来の美味しくて衛生的なものを提供するためには客を待たせる、結果数をこなせないという姿が正しい。しかし、店員は客と上からのプレッシャーで衛生を犠牲にしがちだ。

チェイン店ともなればマニュアルで衛生関連のルールが決まっている。
器具・用具を何分ごとに洗浄・消毒するとか、ストックしている完成品(たとえば揚げたポテト)や半完成品(たとえば焼いた卵)、調理のためにセッティングしてある食材(たとえばピクルス)、冷蔵庫に入っている下ごしらえ済みの食材(たとえば切ったトマト)の保持時間がきっちり定められている。
キッチンで使う布巾は30分ごとに消毒するとか、ポテトは7分で捨てるとか決まっているのである。
忙しくなれば布巾を消毒している暇はないし、ポテトはまとめて揚げて30分経っても売るというわけだ。

食事に行くと「この店回っていないな」と思うことが時々ある。
確かに客が多いが回転が悪く、みんな料理を待っている状態。店がてんやわんやという感じがする。
たまたま予想もしないラッシュが来たというなら許せるが、いつもこうなら人数が足りないか全体に効率が低いのである。衛生面は推して知るべし。

====
人件費圧縮は安直なコストダウンである。企業として最大限の効率化は当然のことであるが、行き過ぎて衛生や労働者の人権を損なうレベルに陥りやすい。

人件費以外のコストダウンは大変に難しい。削減幅が限られていたり初期投資を要したりする。
たとえば電気。売り手の言い値で買わされる。それが力関係である。
節電も限界があるし、省電力機器に置き換えるには初期投資が必要だ。
食材も同じ。調達先を選定したり、一括調達・直営農場など工夫はできるが、大幅なコストダウンができるほどであればそもそも食材を売る企業としても成功できるだろう。そう簡単にコストダウンの余地はない。
店舗を作るコストも工夫はすれど限界はある。吉野家は専門の店舗設計施工チームを持っていて、内装や施工の共通化でコストと工期を圧縮しているそうだがそれでも出店時の一時的な効果だ。

その点人件費は簡単だ。二人いる人を一人にすればあっという間に半額。

無論、人件費を浪費していいわけではない。
最適化・効率化は最大限工夫されねばならないだろう。だがそれを安直な労働者の酷使、低賃金に頼っては経営者が能無しだと言っていることと同じだ。

====
正しい効率化はまだまだできる。最近の工夫を見ればいい。

たとえば、一昔前はどんぶりに飯を盛るのは手動であった。だが今はコンパクトな機械で自動でできる。保温ジャーを置くのとほぼ同じスペースでストックしたご飯を自動で適量に盛り付ける機械が設置できる。みそ汁も自動で盛り付ける機械がある(これは昔からあるが)。
手動だと飯を盛る→みそ汁を盛る→客に出すという順になるところである。これが、どんぶりをセットしてスイッチOn→みそ汁椀ををセットしてスイッチOn→どんぶりを手に取る→みそ汁椀を手に取る→客に出すということになる。文字にするとステップが増えてしまったが一人でも作業が並行できるので全体では早い。
しかも、一人の客が注文して商品が出るまでの時間も短縮される。客にとってもうれしい。

さらに、機械は手動では簡単にできないことも一瞬でやってのける。
このみそ汁の自動ディスペンサーなんてものは手動では追い付かないわけである。すでに鍋にできているみそ汁を盛るならまだしも、即席とはいえ手動で粉なり生みそなりを椀に入れて湯を注ぐのは手間がかかる。機械なら数秒だ。

で、このみそ汁ディスペンサーが近年進歩しているのである。
従来は乾燥したインスタントみそ汁しか使えなかった。適量の粉末と湯を混ぜて椀に注ぐのである。ところが、最近では生みそのみそ汁の素と熱湯を混ぜる方式の機械が普及している。
これが優れモノである。
従来の手軽な外食店のみそ汁は、粉末のインスタントか大鍋に作り置きしたみそ汁を椀に注ぐだけかであった。作り置きしたみそ汁は当然味が落ちる。粉末も独特のおいしさはあるが、味噌の芳香は味わえない。
インスタントでも生みそはバカにできないおいしさなのだ。
もちろん即席であり、きちんと出汁を取って、具を煮て、味噌を溶いた煮え端に提供されるものに勝てるわけではなかろう。だが、庶民的な店でそんな対応はなかなかむつかしい。
これが大変好評で、定食屋、ファミレスなど庶民的な飲食店では「この店はみそ汁がおいしい」と客が気づくほどであるのだ。

効率化からだいぶ脱線してしまったが、効率化をしつつ質を上げる方法を模索するというのが経営者として正しいのではないかと思うのである。

====
安直な、客も従業員もそして株主も喜ばない人件費削減をなぜやるか。
それは、ここまで述べたとおり安直であり、即効性があるからだ。
物いう株主が意見しても動かない。数字だけ見る経営者と、数字だけ見る大株主が動かないからだ。

ではどうすればよいのか。
まず、労働組合は全くと言っていいほど頼りにならない。
個別に団体交渉でその企業が「まとも」になったとしても、労働者を使いつぶすような他社に短期的にコストで勝てるはずがない。労働組合というのは戦術的に間違っているのである。
話の発端が企業間の競争であるのだから、最低限の労働環境を守った上で競争条件を等しくせねばならないわけである。これは一企業と労働者の押し引きでできることではなく、公がスタートラインをつくるべきだ。労働組合も実効性を考えるなら公に向けて活動したらどうなのか。

企業は労働関係の規制が厳しくなると、価格競争に勝てないだの価格が上がるだの文句を言うだろう。牛丼が高くなってもいいのですかと。
牛丼200円台というのが奴隷労働を前提に成り立っているのであればそれは間違っていると消費者自身が気づかねばならない。200円台でないと困る食生活であるなら、当人の低収入こそが問題であり、自分自身が奴隷であると知らねばなるまい。

なぜか公は公共事業だのなんだのと税金を直接投入する経済介入は大好きである。
しかし、経済活動を正常な方向に仕向ける適切な規制には消極的である。
はたしてわれわれの政府や地方自治体は真に労働者を守り、いたずらに経済を圧迫しないような適正な規制をしてくれるのだろうか。

====
繰り返すが安ければいいというものではない。何事も妥当な値段というものがある。その商売がずっと続き、生産者・販売者が搾取されないような値段である。
消費者もそこを理解せねばなるまい。

私の世代だからだろうか。ながらく牛丼並盛400円、大盛500円という感覚を持っていた。当時と今とでは物価が若干違うとは思うが、たいした違いはない。あえていうなら昔の400円の方が今の400円よりも価値は若干高いだろう。当時としても商品価値とくらべて高価なものだとは思っていなかった。

狭いカウンターとはいえ、椅子に座ってお茶も出て、温かい食事ができて400円。しかもお肉も乗った食べごたえのある食事。
安いと言えば立ち食いウドン・ソバもある。素うどん・かけそばなど牛丼よりも安いメニュもあるものの、同じ食べごたえを追求すれば似たような値段になる。
安いと言えばほか弁ののり弁もある。当時290円だった。ご飯に食べごたえのあるおかずとしては牛丼に伍するが、店頭で食べられるわけでもなし。深夜に食べられるわけでもなし。
牛丼より安い食事はあったものの、トータルの満足度として便利さとして牛丼が割高という意識はなかった。

別に400円でなんの文句もなかったのだが、あるときファストフードの価格戦争が始まった。牛丼が200円台、ハンバーガーが100円台。狂乱である。
一部の人は大いに喜んだ。100円のハンバーガーをまとめ買い、満腹になるまで食べてうれしかっただの、冷凍庫にストックしているだの。一方で昼ご飯は牛丼に強制され、昼食代を削られた悲しいサラリーマンの話もあった。
若いころからの吉野家牛丼ファンである私は変わらず食べに行ったのであるが、場合によっては店がすごく荒れていて、客数に追い付いていないためげんなりしたこともある。深夜の一人勤務に似ているが、頭数の問題ではなく店のハードウェアが追い付いていないように見えた。

値下げ戦争も終わった今、低価格だけが残っている。牛丼200円台なかばが当たり前になってしまい、一時的に380円(昔より安い!)にした吉野家が業績を落とすほど。安くしたところで400円時代より客数がぐんと増えているとはいえまい。客席の混み具合も昔とさして変わらない。常に満席くらいの勢いで売れなければ値下げした意味がない。利益を圧縮して客数で勝負する戦略であるはずなのだがもはやつぶし合いといえよう。
コストダウンの原資は、納入業者に「たくさん買うから安くして」と交渉したり、従業員に「時給払っているんだから一瞬たりとも休まずに働け」と迫って成り立つ価格ではなかろうか。

「たくさん買うから安くして」が成り立たなくなればこれまたしわ寄せは従業員に行く。さもなくば中国産など怪しい危険な輸入食材に傾くかもしれぬ。
値下げ戦争で安い値段を刷り込んだのは牛丼業界の責任ともいえるが、消費者としてこの感覚のままでいいのだろうかと思う。持続可能で従業員を搾取せずとも成り立つ価格を。その価格を気にせず払えるわが身の待遇を。

====
われわれ一般消費者にはどうしようもない部分もあるが、できることもある。
まともな企業を応援して選ぶことである。
労働者の人権を軽視している会社の店は利用しない。どんな会社でも安くてうまいものを出せばいいのだという考え方もあろうが、そこは義憤というものを持とう。
暴論かもしれないが、ブラック企業という噂が出た時点で避けていいと思う。大企業ほどメディアへの影響力があり(すき家程度では影響力はない)、メジャーなメディアは扱わないこともある。だが、独立系の雑誌やネットメディアではきっちり扱っていることもある。
デマということもあろうが、それを含めてイメージ対策をするのが企業の責務だ。つねに緊張感を持つのは悪いことではない。

怪しい食材を仕入れている会社も避けたい。これは自らを守ることにつながる。この期におよんで中国産の食材を使っている店もあるが信じがたい。先日も中国産の玉ねぎから基準以上の農薬が検出された事件が報じられたばかりだ。例の期限切れ鶏肉の件も合わせ、中国の技術なら「きちんとやることができる」にも関わらず儲けや手抜きのためにやらない様子がうかがえる。
ここまできて中国産の食材はすべて怪しいと断じてなにが悪いだろうか。いくら検査をするといっても食材なのだから全ロット全数検査なんてできないのだ。安心は検査ではなくまともなものを作る土台を買うべきなのだ。

つい脱線してしまったが、今回注目されている深夜一人勤務一つだけみても消費行動を変える理由になる。
牛丼屋を対象にした強盗事件のうちすき家が対象の事件が全体の8割とも9割とも報道されていた。強盗に出くわしてたまるものか。
また、それが深夜一人勤務のせいだと聞けばなおさらである。
たとえ見知らぬ土地に泊まることになろうとも、
あれば吉野家、なければ松屋、すき家無視してコンビニ弁当、なのである。

====
大脱線して話を広げると安ければいいというのはいろんな分野に見られる。資本主義だから市場経済だから当たり前といえばそれまでなのだが、それで流通が崩れてしまえばわれわれの首を絞めることになる。

たとえば、魚。たいてい、漁師さんが魚を獲るところからスタートする。
養殖もあるが、その餌は海からとってくることが多い。
その魚を大卸が買い、仲卸が買い、小売店が買い、われわれの食卓にやってくる。
その間に運送業者だの燃料だの漁船を修理する会社だのいろんな業種がぶら下がっている。
その登場人物は買い叩く人、買い叩かれる人、買い叩かれない人、買い叩けない人が混在している。
漁師は大変である。魚が獲れようが獲れまいが燃料代はかかる。燃料屋は成功報酬(?)ではなく、値引きも効かず、燃料代は取られてしまう。
漁師自身は買い叩かれる立場だ。魚が足りない時だけはちやほやされるが、需給の見極めがついてしまえばぎりぎりまで買い叩かれる。安ければ売りませんと持っていることもできない。腐っちゃうから。
魚を運ぶ運送会社も買い叩かれ、燃料は買い叩けない。
無論卸も暴利をむさぼっているわけではなく、仕入れた魚が売れないリスクは負うが、ある魚が評価されない市場で安く買って、高く評価される地域で売りさばくこともできる。意外と地域差があるのだ。市況を読んで自らの才覚で商売を作れる人と買い叩かれる人の違いは大きい。

がちがちの統制経済を望むものではないが、適切に規制して、利益が分配できるようにしたほうが長く続くのではなかろうか。
漁師の人をレポートした記事をよく読むが、異口同音に自分の子供には継がせたくないという。また、新しい漁船を作るなんて余裕は到底ないともいう。壊れても中古の漁船を買ってだましだまし使っている。この先どうなるやら。

これもわれわれ消費者ができることは少ない。
正しいものを選ぶにも何を選んだらいいのか。
少なくとも鮪食べ放題とかカニ食べ放題とか、出所の怪しいものを食べ散らかすような店に近づかないことだと思う。国内産の産地のはっきりしたもの、しかも希少価値ではなく扱い方で付加価値を見出しているものを選んで大事に食べることではなかろうか。扱い方というのは主に魚の締め方と輸送時の氷の使い方である。
詳しいことは調べていただきたいが、野締めと活締めの違い、下氷と水氷の違いである。手間をかければ同じ魚の価値が上がる。無論、土地によって異なる旬についても目を向ける必要があろう(日本は東西南北に広いのだから、ナントカの旬は何月と覚えること自体が愚かだ)。

====
考えてみれば、食事に限らず、衣食住すべてにおいて安ければいいというものではないということは成り立つ。
だが、貧すれば鈍するのたとえ通り、自らの収入がおぼつかねば目先の安いものに流れるのは道理である。その行動が国内の優れた生産者を追いつめるとわかっていたとしても。

価値あるものを消費しようと、くだらないものを消費しようと、あるいは望まないものを消費しようと、GDPとくくってしまえば為政者には見えなくなってしまう。
消費の質を測る指標が必要なのかもと思う昨今である。
posted by Mozzo at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。