2014年08月24日

環境省は環境の敵 水底の放射性物質を回収せよ

バカ者どもと断じてよかろう。環境省は環境の敵だ。

引用ここから====
水が放射線を遮断…河川・湖沼の底は除染せず
2014年08月22日 20時31分

 環境省は22日、東京電力福島第一原発事故に伴う河川・湖沼底部の汚染土について、水による放射線の遮蔽効果が高く、周辺の放射線量を上昇させる可能性は低いとして、原則として除染を実施しない方針を決めた。

 新たな方針は、22日に開かれた同省の有識者検討会で示された。同省によると、原発事故後の国の調査などから、河川や湖沼の水に含まれる放射性物質の濃度は減少傾向にあり、水深1メートルの場合、放射線の遮蔽効果は99%以上に上った。そのため同省は、湖沼や河川の底部の汚染土を除染する必要はないと判断した。

 ただ例外的に、〈1〉生活圏に近い河川や湖沼で、放射線を遮る水が干上がって底が露出している〈2〉公園やグラウンドなどがある河川敷で、周辺の生活圏と比べて線量が高い――場合などには必要に応じて除染を行うとしている。
2014年08月22日 20時31分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

物事を都合よく矮小化する役人の悪いところが全面に出た記事といえよう。

水を1mの深さに張って、底面に放射性物質を置いたとしよう。水面上方で放射線を測っても放射線は少ないし、ゆるゆると流れ出てくる水にも放射性物質があまり含まれていないからいいじゃんと言ってる。
バカではないか。

彼らが測定したその結果もにわかに信じがたいが(これまでどんな隠蔽矮小化をしてきたことか)、仮にこれが真実だとしてもそれは「平時」の話だ。
水底までかき回すような水害が発生しないと誰が言えるのか。
そもそも東日本大震災では津波が港湾部をも襲い水底のヘドロを巻き上げた。ヘドロは沿岸部中心に広く残り、悪臭や虫の発生に悩まされた。それを忘れたか。
ヘドロなら臭くて虫が発生する程度で収まると言ってよかろう。放射性物質を含んだ汚泥が巻き上がって安全なのか。それを一切言っていない。
おそらく、水害が発生して放射性物質がまき散らされたとしても、「水害だから測定できませんでした」と数値が収まるまで放置するのだろう。そこまで見込んでいるに違いない。

さらにいえば、湖沼や流れの穏やかな河川の水底に放射性物質がたまるのは道理であり、これは自然の与えた浄化能力である。
自然の力が山野にまき散らされた放射性物質を一か所にまとめてくれたのだから、あとは人間の力で回収、濃縮、隔離しないでどうする。

背後にお金やら東電の利益やらいろいろ渦巻いているのであろうが、環境省と名乗るからにはこんな判断でいいのか。国民は何を信じたらいいのか。
posted by Mozzo at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広島の災害に寄せて 災害について考えた

広島市の土砂災害の被害が近年まれに見る規模・悲惨さだ。
これを書いている現時点でも被害は進行中で新たに土砂崩れの危険が指摘され、救難活動も難航しているという。被害にあった方々と救難にあたる消防関連の方々のことを思うと大変に重い気持ちになる。

今回災害を免れ、報道で災害の様子を見ているわれわれに直接できる支援はそれほどない。一段落したら復旧復興のための募金があることだろう。正しい団体に正しく募金することだ。

ただ、われわれにもやるべきことはある。
災害はどこでも襲ってくる。地震か津波か洪水か土砂災害か火山噴火か豪雪か台風か。種類は違えど災害に無縁な土地などない。
よその災害を教訓に明日に備えることだ。それはわが身を守るだけではなく、周囲に負担をかけず、なにより救難に危険を冒す覚悟の消防・警察や自衛隊、海上保安庁の人々のためにもなる。

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こうした災害では公の対応が批判されることも多いが、個人の認識・行動にも考える余地はあるのではなかろうか。
今回避難先が間違っていたケースが散見されるという。高潮・津波用の避難場所に避難し、そこを土石流や土砂崩れが襲ったという。
なぜすべてに共通の避難場所がないのかと思う人も地方によってはいるだろう。しかし、すべての災害に安全な土地が広がっている場所なんて限られている。地形によって避難の用途が限られてしまうのは仕方ない。山が崩れるときには海に逃げ、海が荒れるときには山に逃げるのである。

避難先の用途はあらかじめ決められ広報されていたという。しかし、避難した当人はなんとなく災害があったらどこそこへ、というぼんやりとした認識で、災害の種類によって行き先が違うなんてことは理解していなかったようなのだ。
当然公の広報の巧拙が問われるであろうが、個人の理解力、判断力というものも問われねばなるまいと思う。

住民の生命と財産を守るために公が危険を調査し、防災・避難を計画し、広報するのは当然の使命であるが、最終的に身を守るのは住民個人だ。公の言うままに右を向き左を向くようではいけない。盲信では正しく公が住民をリードしているか否かを判断することができないだろうに。
自分の住居、行動範囲の地形や気候、過去の災害は分かっているのだし、それによりどんな災害が起こりうるかは想像できる。素人ゆえ精度に問題はあろうが、そうそう外れるものではない。山奥で津波の心配をしても意味はない。
土砂崩れが警戒されているのにあの避難所じゃダメだろうと判断する能力が欲しい。災害時にはどうしたって想定外のことは起きる。その場のとっさの判断が運命を左右することだってある。

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ちょっと妙な例であるが韓国の貨客船事故の話である。関係者の無責任かつ自己中心的な態度が被害を生んだ人災と断じてよかろう。
最後まで乗客の命を救うために頑張らねばならない船長と乗員の一部が真っ先に逃げ出しただけではなく、状況判断を誤って沈みゆく船の内部に残れとアナウンスしたという。乗客の多くが犠牲になった中で生き残ったのはアナウンスを無視して脱出した人たちだった。まさにとっさの判断力が明暗を分けたと言えよう。

乗員と乗客の関係は地上の災害に置き換えれば公と住民である。
当然、乗員だろうが公だろうが正しく判断し、リードせねばならない。だが、人間誤りもあるし、韓国の事件のように誤り以前の問題がないとも限らない。
後で責任を追及するのはいくらでもやればよいが自分が死んでしまってはどうにもならない。

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とはいえ個人の理解力、判断力と言っても、前提となる知識が必要である。

人間としての自然な感覚だけに基づいた判断は誤りをもたらす可能性がある。
特に私が問題だと思うのは、人間は自らと比較にならないほど巨大で堅固なものは無制限に信頼してしまうのではないかということである。

大地や山のように大きいものは永久不滅に動かないものだという安心感を持ってしまう。いや人間の作ったものとはいえ巨大な堤防、防潮堤などどっしりとしたコンクリート製で「たかだか水でどうやって壊れるのか」と信頼してしまう。

もちろんこれが誤りであったことは災害が証明している。
たとえば、大地は堅固と思っていたが、地球的時間で見れば実際は薄い板がゆらゆらうごめいているにすぎなかった。ぶつかってはせり上がり、また沈み込む、煮込んだ鍋に浮く灰汁のような存在にすぎなかった。
事実、東日本大震災ではひずみを解放した沿岸の土地がぐっと低くなった。農地へ海水が浸食するなど問題になっている。しかし、これが本来の高さ。つまり、人間視点でみていた土地の標高は「最近(ここ数千年?)押されて持ち上がってるわ」という一時的なものだったのだ。
土砂災害も人間視点では堅固な山が突如崩れたと思うかもしれないが、山は地表という板に盛り上げてしまった砂の塊のようなもので、常にゆすったり水をかけたりして「均そう」としているのだ。明日か100万年後かは別としてそのうち崩れるのである。
ましてや人間が作った堤防や防波堤なんてものは、地球規模で見れば砂の上をカタツムリが這った跡くらいのはかなさであり、それもまた震災で見せつけられた。

なんとなく立派だから、で安心してはいかん。

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中途半端な知識も時には危険だ。
津波に対する世間一般の知識は中途半端だと思っている。いや、私がエキスパートというのではないのだが、平均よりは危機感を持っているとは自負しているのだ。

原発推進の背景もあって、津波の脅威の矮小化がすすめられているように思えてならない。
とくに津波の脅威を高さで表現することは大変に誤解を招く。
「XX原発に想定される津波は最大XXメートル。防潮堤をさらに2m高くしたので安全です」
津波の高さなんぞ、津波の強さを表現するあいまいなごく一面に過ぎない。
津波の本質は運動エネルギーを持った水の塊だということではなかろうか。

子供向けの科学記事でも書いてある。津波は沖では高くなく、沿岸に近づくと高くなる。それは水深が浅くなり、エネルギーが海上に表出するからである。
運動エネルギーが集中するかしないかによって高さなど変わってしまう。
過去に20mの津波で町が飲み込まれたからといって、22mの防潮堤を設けたところで抑え込めるものではあるまい。同じ規模の津波が発生すれば行き場を失った津波は防潮堤を超えるだろう。そしてそれは想定外と言われるのだろうが。

津波を完全に抑え込むような建造物を人間は作れない。作れたとしても、そんなものを作ったら海岸線は破壊され自然も漁業も人の暮らしもあったものではない。
津波はそらすものであって、抑え込むものではないと考えている。
絶対に水をかぶってはいけないごく一部の地区と、あえて津波を呼び込み水没やむなしという地区を分けて作らねばなるまい。砂浜海岸の周辺、水田や湖沼の沿岸を遊水地として犠牲にする覚悟も必要だろう。被害はあろうとも人命が失われずお金で補償ができる範囲に収めれば全体としていいことだ。

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そんなことを言ったらどうしようもないではないかと悲観する向きもあろう。
確かに人間には荒ぶる山を固定する技術も押し寄せる津波を抑え込む技術も持っていない。
しかし、人間は逃げることができる。
地震はごく直前にしかわからぬが、津波は数分〜数十分とはいえ時間がある。豪雨や豪雪は予測ができるし、豪雨に伴う土砂災害も予測できる、地滑りも監視体制さえしっかりしていれば予測できる。
逃げる時間はあるものの無限ではない。財産すべてまとめてよっこらしょと逃げる時間はない。
与えられる時間は10秒かもしれぬし2日かもしれぬ。それに応じて、何を準備して、というより「なにを捨てて」逃げるのかをよくシミュレーションしておかねばならないだろう。

と、口で言うのは簡単だが、場面を想定するのもなかなかむつかしい。
もし自分が大人一人幼児を連れて海岸地区を歩いていたとしよう。そのとき携帯に緊急地震速報。確認する間もなくすぐに強い揺れ。
はたして、ベビーカーを押して歩いて逃げるべきか、走るべきか。荷物もベビーカーも打ち捨てて子供を抱いて走るべきか。
限られた情報と周囲の状況(ベビーカー押して走ると群衆の中では危険だとか)で即座に判断することは難しいだろう。

無論、最悪を想定して行動するのが一つの解ではある。
でも、私なら荷物の中にあるお昼ご飯のおにぎりがすごく心に引っかかるだろう。この荷物を担ぐと死ぬのか死なないのかお昼ご飯はどうなるのか。最悪を想定すれば外れることがたいていになり、その都度失うものもある。毎回ベビーカーとおにぎりはどこかへ行ってしまうのだ。ま、おにぎり云々はともかくとしてそのあと混乱があるのなら当座の食料を打ち捨てるべきか否かは真面目な話である。
そんなことを繰り返せばそのうち安全第一のポリシーも揺らぐだろう。
脱線はさておき、災害の際に避難が遅れる原因として、現状を理由なく強く肯定する心理的な力が働くためだと言われる。家が流されるかもしれないと言われても、今は電気がついていて水も入ってこなくて居間の畳は乾いていて。まさかまさか。今大丈夫なのに、快適なのに、雨の中合羽を着て逃げるなんてまさかまさか。と。

そうした人間の心理についても過去の災害に学ぶべきだろう。

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直接的な災害への備えも重要であるのだが、背景といえばいいのだろうか、基礎的な、災害に備える準備についても考える余地がある。

前述のとおり、その地域・地形によってどんな災害がどの程度の規模で襲うのかはある程度予想ができる。
土砂崩れが起きやすいのはどこか、津波が来たらどこが流されるか、直下型地震で火災が起きやすいのはどこか。
こうした条件を勘案し調査しハザードマップとして公開する動きはある。ところがこの動きが効果的に動いていないことがあるようだ。
事実今回の広島の災害においても、公が調査を命じたが調査が白紙に戻ったのなんだの、それが数年かかっているだの、どうにも「科学的でない」なにかがあったような報道がある。なんでも、今年初めから調査を始め調査結果が間もなく公表されるという地区もあったという。

ハザードマップの作成には当の住人からの反発があるという。
無論自分が長年住んでいるところが名指しで危険だと言われたら不愉快なのはわからんではない。だが、大きな動機は地価の低下だという。資産価値が下がれば大損だと。
多くの住民はたとえ土地を所有していたとしても自らが住むためであって、すでに所有しているなら(売るつもりはないから)地価が下がることに敏感ではない。固都税が下がることを考えれば歓迎する考え方もあろう。地価が下がることに敏感なのは売買が視野にある地主階級ではなかろうか。

そうした損得勘定が正しい情報の公開を妨げているとしたらどうか。
大都市目線で考えるとたかが一地主が地方公共団体に影響を及ぼせるかと思うかもしれないが、規模の小さい地方公共団体において地主は地元の名士であることも多々あるし、地主階級が連携して抵抗する事態も多々あろう。
こうした事態はまだまだ報道が足りない。
一部の報道では「地価が下がるから抵抗が。。」くらいのことは言うがその背景については細かく報じない。
地元の地主階級の勢力図を詳細に描いて報じる必要があるのではないか。また、ハザードマップ作成公開に反対した人を名指して批判できる仕組みがあってもいい。
極論にすぎるかもしれないがそれで人が死ぬと思ったらどうだろうか。

地価を守るために危険を隠せば不信は募るばかりである。
どうせ危険のない土地はないのである。どういう対策をとっているのかとれるのか、それを明確にすれば信用は増し土地も売れるに違いない。

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たとえ小規模なレジャーの事故であっても、自らあるいは家族が被害にあい、救難する人を危険にさらす。
台風シーズンでもある。今一度自らの行動と周囲の環境を点検されることをお勧めする。

posted by Mozzo at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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