2014年08月29日

広島の災害に寄せて 災害について考えた2

広島の土砂災害について先日書いた。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/404238170.html

その後も報道に注視している。そこから明日は我が身と備える気持ちで気づいたことを記したい。

初期の報道では真砂土と呼ばれる、水を含むともろく流れやすくなる土壌であるためとされていた。しかし、別の土壌であっても被害が発生しているとのことである。
また、これまで土石流が発生していない場所でも発生しているとのことだ。
「これまで発生しなかったから起こりにくい地形だ」ではなく「これまで発生していなかったから土砂はたまりにたまっている」であったのだ。

これらは、たとえ専門家の予測であってもそれが完全ではないかもしれないことを示している。
報道では自治体が発表するハザードマップを参照してなどとある意味「そういうしかない」ことしか言っていない。むろん、自治体が発表するものが最も信用できるのだが、それを疑う見識もまた必要なのである。

疑って安全側に倒して避難する。何度空振りしても避難する。これが大事なのだろう。
自治体がそれほど危険じゃないと思っているのに非難するというのであるから、自治体が避難所を開けないという事態も想定せねばなるまい。今回も受け入れ態勢の不足で避難勧告が抑えられた旨の報道もあった。人手が足りなくて避難所を開かないなんてあってはならんのだが。
自主避難として避難所や自治体の施設に逃げ込めるようにできるかできないか。あるいは端から自治体なんかを頼りにせず、商業施設などに頼るか。なんにせよいざというときに公が動かないことも想定すべきなのかもしれぬ。

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避難生活のことも様々報じられていた。

当たり前のことだが、避難所の生活も長時間となればつらいということだ。
「風雨をしのげるだけで幸せだと思わねば」
「避難させてもらっているのだから文句は言えない」
どうしたってそういう気持ちになるだろう。その謙虚さは大切だが、それで体調を崩してしまったらどうしようもない。それで周りに迷惑をかければ遠慮がかえって逆効果だ。

避難所というのは体育館とか公民館とか、たいていがらんとした建物だ。地べたにただ座るだけ。段ボールが手に入ればまだましで、レジャーシート程度で長時間過ごさねばならない。
クッションやら椅子やら持ち込めたらいいのだろうけど、そんなものを担いで避難する機動力があるとは限らない。

また、プライバシーが存在しないのもじわじわと効いてくる。
暑い時期など下着一丁(下手すりゃ真っ裸)で過ごしている人もいるだろう。単純に温度の調節だけじゃなくて、締め付けないから体が楽だというのもあろう(私だ)。
周囲の目もあるから、下着姿というわけにもいかない。避難途中は半そで短パンなんて危ないということになるが、それが避難所では仇になるかもしれない。
また、自宅でなら体を伸ばしてあられもない姿で寝っ転がることだってできるが、やはり避難所ではそうもいかない。

さらに避難所の面積が充分でなければその分人の密度が上がる。
かつての大災害では避難所がいっぱいでたらいまわしになったり、やむなく自家用車で寝泊まりした例も珍しくなかった。

食べ物だって制限される。
本来は温かいご飯におかずと汁物であってほしい。きちんとした食事でなければ体調を崩してしまう。そうそう煮炊きの準備が整うわけはなく、いわゆる非常食や仕出しのおにぎり程度が続くこともあろう。
災害も種類があって、今回のように大規模とはいえ局所的なものであればまだしもである。地震や豪雪など広域なものでは、食料の補給もままならない。どこかで作るにしても工場もまた被災、運ぼうにも道路も寸断、自給しようにも水も燃料も使えず。長らく状況が改善しないことも考えられる。
毎食乾パンではすぐに体調を崩すだろう。カロリーはあってもビタミンが繊維に欠けるなど栄養バランスが悪いだろう。仮にバランスOKの栄養補助食品があったとしても精神的に参ってしまうかもしれない。

さて、これらの問題点解決を地方自治体に求めることができるかといえば予算の面から難しかろう。どう考えても避難民全員がホテルに入って、食事もきちんとしたものが配給されるなんてことにはなるまい。

努力はされていて、防災物資の選定や備蓄に工夫がされている。プライバシーの問題についても、簡単に組み立てられるパーティションのようなものがあり、完全個室とは言わないが、覗き込まねば見られない程度にはなる。そうした装備を備蓄している自治体もある。場所によっては大きなオフィスを持つ大企業なども防災物資や避難場所の提供に協力している。
しかし、それでも完全な解決にはなるまい。

では、自力で何とかするかと言っても大きなキャンピングカーに食料と水を満載して常にスタンバイできる人でなければどうにもできまい。
機動力に欠けるキャンピングカーで避難できるのかも心配だが。

そうなると八方ふさがりではないか。
まず、個人の立場でできるのは、健康な人は自身を鍛えることだろうか。
避難所のような生活でどうなるのか自分を知っておけば少なくとも精神的に楽になる。
時に板の間で毛布一枚で寝てみるとか、数日間非常食で過ごしてみるとか。プライバシーの問題は公園で寝てみるくらいしかできないか。
登山やキャンプの趣味があるのもいいかもしれない。ただし、キャンプは車で安楽に出かけて最新装備でお手軽調理なんてのでは何の役にも立たないかもしれぬ。

公側も割り切った現実的な対応を考えるべきだろう。
たとえば、避難所はすべてホテルできちんとした食事を配給しようとなったらどうか。自治体によっては域内にホテルがないかもしれぬが、ナントカ会館に研修宿泊施設があるかもしれぬ。近隣の自治体と協力もできるだろう。
災害当日に満室ということもあろうが、台風やら豪雪ならキャンセルも多かろうし、地震が起こっても長期滞在する客もそうはいまい。
それができたら完璧ではあるのだが、何百何千という人たちにこのような対応をすることは経済的にできまい。いくらホテルがガラガラでもそれだけの容量があるのは限られた自治体だ。自治体で宿泊施設を作って赤字覚悟で経営するわけにもいくまい。

そこで、避難の必要が生じたら状況を素早く把握し、優先度を判断し、限られた人だけホテルなど環境の整った避難所を使ってもらうのはどうか。
介護を要する人、特殊な持病のある人、乳児のいる家庭、体調を崩しやすい高齢者・障碍者。そうした人には環境の整った場所に避難してもらい、体調を崩さないようにしてもらうのが全体に資する。
平等は美しいが、平等が全体の利益を損なうこともあろう。しかし、不平等だという攻撃を避けんがため安直に平等のみに目を向けがちだ。これを悪平等と言いたい。もし、こうした方針をとるのであれば自治体職員と住民の教育が必要でもあろう。

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避難のあとのことも報じられていた。

自宅から避難しても被害は幸い自宅を逸れそのまま帰れる人もいる。自宅は残ったが周囲の道路や隣家が大きな被害を受けた人もいる。そして、自宅が失われ帰るところがない人もいる。

被災者向けに公営住宅の抽選が行われた。当然数が足りず倍率が高かった。これまでのコミュニティから切り離されてしまう人もいるだろう。決して公営住宅の入居が生活の問題を解決するとは限らない。
公営住宅の家賃が無料化されるのはたった6か月という。
これは、それまで賃貸住宅に住んでいて、働くことで家賃が払えていて、その公営住宅から引き続き同じ仕事ができるという条件を満たせば問題はない。
6か月間の無償期間があれば、節約できる家賃で移転や最低限の家具を新調する資金のいくばくかを補うことができるし、6か月あれば生活を立て直すこともできよう。
しかし、そういう人ばかりではない。生活力のある若い人はむしろ被害のない平地の市街地に近い賃貸住宅に住んでいるのではないか。斜面が迫るような地区にはリタイアした人や地元で農業など自営の人が多いのではないか。日本全国どこを見てもだいたいそういうことになっている。そもそも、自宅が破壊されたという時点で賃貸ではない。

終の棲家を建て、ローンも払い終わり、リタイア生活をしている人だったらどうなるか。
この先、家賃を払って住むとか、ローンを借りて立て直すなんてことはたいてい人生設計に入ってはいまい。6か月たってどうなるというのか。

仕事はしていても、その地で自営の人はどうなるか。畑を流されたかもしれないし、地元を離れては成り立たない商売かもしれない。
離れた公営住宅に入れたとしてもそれで商売が再興できるわけではあるまいに。

無論公営住宅に応募して当選したのだからその部分は幸運だったと言えよう。だが、それで万事解決ではないのは明らかだ。

日本は資本主義社会であって、私有財産は自分で守るのが原則とされる。公的な支援はあくまで「死なない」ためのものだと。
はたしてそれでいいのか。

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話は思い切り脱線する。
私がごくたまにいく町の話である。
駅前の繁華街というほど華やかではないところなのだが、そこそこ店舗があるような場所である。その一角に古い木造の建物が並んでいて、飲食店が入っていた。
そこは有名チェーンでもなく、せいぜい支店が近所に3店舗くらいの(実際は知らんよ)店であった。従業員が何人もいるような大きな飲食店ではあった。まぁ夫婦二人で個人経営なんて店でない。

さて、不幸なことにこの店は火災にあってしまった。
木造の建屋が崩れ落ちるまでには至らなかったようだがほぼ全焼で、隣接の店舗も巻き込んだ。
焼跡をブルーシートでなんとか覆い、近隣に迷惑をかけたことを詫びる張り紙が痛々しかった。建物はずいぶんの間そのままだった。近くを通れば焼け焦げた臭いが漂っていたものであるが、ずっとそのままであった。
解体が始まったのは火事から数か月、その後更地になったが新しい建物が建つ気配がない。

想像するに、処理費用やら再建費用やらうまく段取りがついていないのだろうなと思う。その古い建屋が飲食店の持ち物なのか、家主がいたのかは知らぬ。だが、いずれにせよさっさと再建して営業をせねば何の利益も生み出さない土地になるのは明らかだ。
営業するならそのリスクに備えるべきだ、という言い方も外野からはできよう。
だが、そんなリスクに備えられるほど余裕のある店はどれほどあろう。ことに競争にさらされる飲食店なら。まだ、全国チェーンの店ならこのトラブルも吸収できる。百店あるなら負担は1/100であるからだ(火事になる確率も上がるが同時ではあるまい)。それが1/3とか1/1の店もあろう。そんなたくわえがあるわけがない。

ま、それも個人資産自己責任と言ってしまえばそれまでではある。
だが、繁華街の一角がそのような状況に陥れば全体がこうむる被害はいかばかりか。放置された火事の瓦礫の脇に客が集まるわけもなく。

もっと公が絡むべきではなかろうかと思うのである。
店舗の復旧に公費を使うという方向性もあろうし、復旧が難しい経営者なら土地を収用し経営できる人に渡すという方向性もあろう。何にしても瓦礫のまま放置してはいかん。積み重なれば多くの消費が失われることだろう。

いや、そこに店がある、家がある、それだけで支えられる街の構造というものがあるのだ。トータルでどれほどの経済効果があることか。

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さて、脱線から元に戻り災害の話である。
災害によって失われる建物や土地が営業用であろうが自家用であろうが、そこにあったもので地域が回っていたものが失われたら影響が大きいことは明らかだ。

そこを私有財産だと切り捨ててしまうのも原則的なんであろうが、それをきっかけにうまく回っているものが崩壊することもあろう。
場合によっては公の力で支えてもよいのではなかろうかと思わなくもない。

住宅があって店舗があってとか、店舗があって市場があって、と微妙な依存関係で成り立っている場所が全国に多々ある。人がうじゃうじゃ住んでいて、店舗の競争も激しい都会だけが日本じゃない。
そうしたバランスが災害で一時的に乱れたときに公が手を差し伸べることは決して無駄でもなく、恣意的でもないと思う。
だが、その判断が難しいのもよくわかる。これが公が支援することか、こっちよりうちがと、騒動は尽きることあるまい。

posted by Mozzo at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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