2014年09月06日

マグロ規制で韓国がついた嘘 事実を無視する国

納得いかないというかなんというか。

引用ここから====
日本のクロマグロ漁半減案、抵抗韓国を押し切る
2014年09月05日 11時33分

 太平洋クロマグロの漁獲制限を話し合う「中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)」の小委員会は4日、参加する9か国・地域がそれぞれ2015年以降の未成魚の漁獲量を02〜04年の平均より半分に減らすことで正式に合意し、閉幕した。

 科学的な根拠に基づく日本の提案が、半減に抵抗する韓国を押し切った格好だ。さらなるマグロ資源の回復には、東太平洋でも合意できるかが焦点となる。

 会議の議長を務めた農林水産省の宮原正典顧問は終了後の記者会見で、合意した半減目標について、「他の選択肢はなく、韓国も受け入れざるを得なかった」と強調した。

 関係者によると、韓国の出席者は、「サバの巻き網漁でもマグロがとれてしまうので、目標達成は難しい」と主張。「マグロ漁は昼、サバ漁は夜の操業が一般的なので混じることはない」と日本側に矛盾点を指摘されると、答えに窮したという。
2014年09月05日 11時33分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

まぁ、日本の主張が通ってよかったとはいえよう。
日本の漁業者も痛みを負うのである。韓国にやりたい放題されてはたまらない。

さて問題は末尾の部分である。このやり取りが正しいのであれば韓国は嘘をついたことになる。「サバの巻き網漁でもマグロがとれてしまう」という事実があってこその主張であろうに。言い返せないということはそういう事実はないのだろう。思いついただけだ。
事実がなくとも都合のいいように主張するという行動原理が端的に表れている。これが個人の論争でついつい行き過ぎてしまったならいいが、国家間の交渉においてこれではまったくもって信用できない。
仮に「サバの巻き網漁でもマグロがとれてしまう」という事実があったとしても、サバの巻き網漁でマグロの漁獲枠を満たしたらマグロ漁はしなければいいのだ。真にマグロ資源を守りたいと思っているならそういう発想になろうだろう。資源なんかどうでもよくて今儲かることだけが大事なんだろう。

厳然たる事実などどうでもいい、自らが気持ちいいことが正しいという姿勢である。

さて、これを韓国メディアはどう報じているのか。

引用ここから====
韓日、マグロ未成魚漁獲限度量の50%共同削減に合意
2014年09月05日12時03分
[ⓒ 中央日報日本語版]

韓国政府は4日、日本と共に太平洋クロマグロ未成魚の漁獲限度量を50%に削減することに合意したと明らかにした。

韓国海洋水産部によると、今月1日から4日まで日本福岡で開催された中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)の小委員会で「太平洋クロマグロ未成魚の漁獲限度量を50%に削減する」処置への採択に合意をした。合意内容によると、2002年〜2004年の年間平均マグロ漁獲量を基準として韓国は1434トンから718トンに、日本は8015トンから4008トンに規模を縮小する。

また、現在の太平洋クロマグロの産卵資源状態は漁業を行わなかった時期を基準に4%水準(2万4000トン)とし、今回合意した勧告案の目標が達成できた場合、10年後の資源状態は約7%(4万3000トン)水準に回復することになると海洋水産部は伝えた。
引用ここまで====

漁獲枠半減を日本が提案したことも、韓国側が虚言を弄して反対したことも報じていない。あたかも韓国側も理性的に交渉のテーブルにつき合意したとでも言わんばかりだ。
これで日本語版であるのだから国内向けはどれほど自分たちが気もちいい記事を配信していることだろうか。

この事実を捻じ曲げる態度、事実を大事にしない態度は歴史認識問題にもつながることだと思う。
ま、それは別の機会として、この問題で言えば漁獲枠削減合意といえど、現場はそれに従うのか、監視はうまく働くのか、大変に信用できない状況ではなかろうか。
漁獲量なんてごまかしたらしまいだと。
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2014年09月03日

過激派・テロリスト・独裁国家に対峙する

バカどもとしか言いようがない。
産経新聞から引用する。

引用ここから====
米朝対話が狙いか 北拘束の米国人3人インタビュー「唯一の望みは米から誰か来てくれること」
2014.9.2 16:31
 【ワシントン=加納宏幸】北朝鮮に拘束されている米国人男性3人を米メディアが個別にインタビュー取材したことについて、米政府は北朝鮮が米朝対話の再開を求める常套(じょうとう)手段を使っているとみて、その意図を慎重に分析している。米CNNテレビによると、3人は米政府に特使の派遣を要請。米国務省のサキ報道官は1日、3人の拘束に「人道上の懸念」を表明し、早期解放を求めた。

 インタビューは1日、CNNとAP通信が北朝鮮側の申し出に応じ、平壌で行った。複数の北朝鮮当局者が取材活動を監視し、録音していたという。

 AP通信によると、2012年11月から拘束されている韓国系米国人のペ・ジュンホ氏は15年の労働教化刑を言い渡され、収容所での労働を強いられている。体調不良のため体重が約7キロ減少し、「唯一の望みは米国から誰かが来てくれることだ」と述べ、特使の派遣を求めた。

 4月にそれぞれ観光のため入国して拘束されたマシュー・ミラー、ジェフリー・ファウル両氏も個別にインタビューの場に表れた。

 ミラー氏はCNNに「米政府は国民を守る政策で知られているのに、まだ動きがない」と米政府の取り組みに対して不満を漏らした。ファウル氏はAP通信に、1カ月以内に投獄される可能性があると述べ、おびえた様子を見せたという。

 今年6月に北朝鮮が拘束を発表したのを受け、米政府は解放交渉のためキング北朝鮮人権問題担当特使を派遣する用意があると伝えてきた。しかし、北朝鮮側の都合により直前に中止になったとされ、受け入れはまだ実現していない。

 オバマ政権下では09年8月、拘束されていた米国人女性記者2人の解放交渉のためクリントン元大統領が訪朝し、ともに帰国した。その際、クリントン氏は金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)と会談した。

 今回のインタビューも、米政府が北朝鮮の核・ミサイル開発に強い懸念を示す中、米政府高官を解放交渉の場に引き出し、直接対話に持ち込む狙いがあるとみられる。
引用ここまで====

無論、米国から誰か来てくれとか救助のために動いてくれというのは北朝鮮当局から言わされているのであろう。本心なら「死ぬ覚悟で来たので気にするな」と言いたいのかもしれない。わからんが。
問題はそこではない。現に外交の脅迫カードに使われているところが問題だ。

以前の報道ではペ・ジュンホ氏は商売がらみで入国、残りのマシュー・ミラー氏、ジェフリー・ファウル氏はこの記事によれば観光だという。
何をやっておるのか。
北朝鮮はこの馬鹿どもの母国である米国がテロ支援国家と名指しし、同盟国である日本人を拉致し国際問題になっている。同じく同盟国である韓国人も拉致している。なぜか韓国人は韓国人の拉致を重視しないので国際問題になっていないが。
さらに独裁国家であり、核保有で世界を恫喝しようとしている。

このくらいのことは分かって北朝鮮に行ったのだろうに。捕まって利用されるに決まっておろう。そしてそれは祖国米国にマイナスになろう。その程度の判断力すらなかったのか。

先に中東で過激派イスラム国に捕まった米国人に対して、米国は妥協をしなかった。その見せしめかイスラム国は米国人を殺害した。
一方で裏取引をしたと噂される国もあり、人質が解放されたケースもある。日本もまた交渉中で、交渉が破綻していないところを見ると、また裏取引メニュを用意しているのかもしれぬ。

北朝鮮の件とイスラム国の件は同等には扱えないとは思う。方や仮にも停戦中、肩や実質戦争中。戦争捕虜で捕まる人、報道で捕まる人もいよう。
その立場の違いにより対応に差はあっていい。ただし、譲歩で差をつけよというのではない。譲歩は相手を甘やかし次の被害者を出す。

優先順位が低ければもめるのも弊害があるので「無視」である。
優先順位が高ければ「うちの国民に手を出したら徹底攻撃だ」である。「人質を解放すれば停戦交渉に応じてもいいが、そうでなければ壊滅するまで攻撃だ」である。物騒だがこれが次の被害を防ぐ。相手が恐怖と暴力しか信用していないのであるから、平和的外交手段があるとは思えぬ。
実際に空爆ともなれば過激派は無実の市民を盾にして抵抗するだろう。もちろん、市民の犠牲は避けられるに越したことはない。
だが、国家の原則は「他国の国民の生命より自国の国民の生命が優先」だ。なにも突飛な考えでなく、過去の歴史を振り返っても自国民に対する報復で戦争は始まっているのである。美しいことではないし、現代の主流から遠い気もするが、そこにテロ組織が付け込んでいるなら断固とした姿勢を示すべきであろう。それが結果的に自国民も敵も死なずに済む。

実際にこうしたとき米英仏は軍事行動に出ることもある。その能力も覚悟も持っている。
翻って我が国はどうか。後方地域にですら自衛隊を出せず、ましてや対地攻撃能力はかなり限定されている。
みな、自国の利益が最優先である。当たり前のことである。日本人のために空爆はしてくれない。みだりに攻撃せよというのではない。それが必要なとき実現する能力があるのかないのかだ。日本には選択肢がない。

思えば現在ロシアも中国も宣戦布告のない侵略戦争を行っている。ベトナムは若干落ち着いたがフィリピンは厳しい。これからの時代は新しい形の侵略が一般化するのだろう。
日本の持つべき選択肢はなにか考えるとともに、いざというときの覚悟は何かを議論する必要があろうかと思う。
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2014年09月02日

味が濃いのは苦手なのである

大阪は食い倒れの街というが、単に住んでいる人が食べることに情熱と金を使うため倒れてしまうと言っているだけで、別に他の地域と比べて特においしいわけではないのではなかろうか。私はそう思っている。
実際の話、京の着倒れ大阪の食い倒れという言葉は、傾倒し金を使いすぎて破綻するという意味で、京都のファッションが優れているとか大阪の食べ物が優れているという直接の意味はない。ただ、情熱とお金をかければ洗練されていくのが道理ではある。
私など到底いけないような高級店なら違うのだろうが、たこ焼きいか焼きお好み焼き餃子などなど、庶民的で名物とされているものが押しなべて口に合わない。

あくまで私の好みに合わないと言っているだけで大阪のものがおいしいという人をけなす意図はない。だが、大阪が食都だグルメだと持ち上げるばかりで、なかにはこういう人もいるのだと知ってほしいだけなのだ。

問題は味が濃すぎるのである。いわゆる粉ものにはソースとマヨネーズたっぷりである。さらに粉ものの粉(生地)は単に小麦粉を水で溶いたものではない。出汁やらなんやら入っている。
餃子も揚げ物も事情は同じだ。餃子の餡や揚げ物の衣には濃い味が付き、そこにソースなりたれなりをだばだばとつける。

小麦粉と肉や魚、野菜を焼いたものであるから、うまく味付けすれば美味しいはずだ。根本的にダメだというわけじゃない。
少なくとも私はここで例に挙げた料理には何もつけないで食べる(大阪では)。本体だけで味が濃いからだ。ある時など何もつけないたこ焼きですら濃くてくどい。幸い刻み葱をたっぷりとトッピングしてくれる(有料だけど)店だったので追加して薄めて食べた。

細かく言うとなにがいかんのか。

まず塩分が多すぎる。塩辛い。お好み焼きで白飯を食べるというからそれならまだしもだが、たこ焼きではご飯を食べないというではないか。なのに同じくソースたっぷりだ。あり得ない。

次に油が強すぎる。マヨネーズがいかん。
もともと揚げたりたっぷり油を敷いて調理するものにマヨネーズはアウトだ。マヨネーズが決して悪いものとは思わないが、材料の油も卵の黄身も脂肪分が強い。適度な油はコクを出すがやりすぎはいかん。

また、旨みが強すぎる。これはソースやマヨネーズを使わなくても解決しない。
旨みが強いならいいではないかと思われるかもしれないが、物事には限度というものがある。化学調味料なら当然過剰になりやすいし、天然の調味料(昆布や鰹節)も使いすぎればくどい。素材である野菜や魚、肉にも旨みはあるのだから、それを補う適量でなければならんと思う。

こうした濃い味に慣れているからなのか、大阪では名物ではない普通の料理も味が濃いし、食べる側もソースやしょうゆをどばどばとかけているように見える。私が観察した範囲のことではあるが、カレーライスにソースやしょうゆをどばどばと賭ける。信じられないし、作った人に失礼だ。

とはいえ、これは大阪だけに限ったことでもない。

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外出時はもちろん、自宅できちんと料理できないときには外食や出来合いの弁当、総菜、加工食品に頼ることは多々ある。
やはり味が濃い。年々濃くなっているように感じる。

先日はちょっとさっぱりしたものも付けたいと思って、パック入りの胡瓜と茄子の浅漬けなるものを買った。つけ汁に浸かって大葉も添えられていい感じだった。
ところが食べてびっくり。
ひどく塩辛いし、化学調味料の使い過ぎは明らかである。よく言うように口の中がびりびりとしびれるようだ。砂糖類も使っている。
到底漬物として直接食べるものではない。細かく刻んでチャーハンの味付けにつかうとかそういうものなのではなかろうか。

スーパーやコンビニで売られている甘辛味の惣菜や弁当などはもう端から諦めているのでここでは取り上げない。

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ま、平均よりも薄味だと自覚のある私が言うことなので割り引いて読んでもらっていいのだが、世間全般が味の濃い方向に向かっているのではないかということを今回言いたい。よって今回はうまいものというよりまずいものの話。

塩、旨み、砂糖、油脂、これらが行き過ぎていないか。
一方で、酸味、渋味、苦味はどんどん減っている。適切ならば味を整え個性を出すものなのに。

たとえばしゃぶしゃぶである。
そもそも肉の脂をさっぱり落として食べる料理のはずだ。
ところが、昨今ではしゃぶしゃぶで使うのはポン酢よりもゴマダレらしい。もう一度油を足してどうする。またこのゴマダレなるものが塩辛く甘ったるい。たいてい化学調味料も入っているようだ。肉の旨みで食べるものなのだから化学調味料はいらんだろうと思うのだが。

調味料だけでなく素材もそうだ。
特に脂にこだわる。
高級なしゃぶしゃぶを食べに行けばさしの入った高級肉を売りにする。逆に安い店に行けば脂の多いバラ肉が出されることが多い。脂だ。赤身じゃダメなのか。
というか、脂を落としたいからしゃぶしゃぶなんでしょうに。筋があるような固い赤身も筋に逆らって薄く切れば柔らかく食べられる。そういう料理ではないのか。

魚だってそうだ。とにかく脂がのっているかどうかを気にする。寿司屋に行けばトロだ大トロだとうるさい。サーモンも脂ギトギトだ。あんなものは脂の塊であってなぜと思うのだが人気なのである。私がゆがんでいるのか。鮪なら赤身、それよりさっぱりとした白身の魚が食べたい。

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持ち帰り料理や宅配料理を含めた外食産業は過当競争に感じる。売り上げも利益も達成するのは厳しい。客数が増えねばならず、かといって際限もなくいいものを出せるわけでもない。
客の側も安く安くより安く、しかしがっつりと食べたいという動きに見える。
最近は景気の上向き期待もあって、高額商品もよく動いているようだが、それも「この値段を出せばより美味しくがっつり」となっているだけで、外食産業への圧力は変わらないようにもみえる。

限られた食材で満足感を与えるにはどうしたらいいか。それが濃い味である。
甘く、塩辛く、油が濃くて、旨みも濃い。酸味も苦味も理解できないから控える。
例えていうなら白飯を大量のバターで炒めて砂糖醤油を絡め化学調味料をぱっと振ればなんとなく食べた気になるチャーハンになっているのではないか。
安直ではない方法で調理するなら、複数の材料を用意し、丁寧な下ごしらえをし、絶妙の味付けをせねばなるまい。砂糖や油を使うとテキトーでもなんとなくできてしまう、とは著名なパティシエ弓田氏のご意見(砂糖もみりんも使わない料理を提案されている。砂糖はお菓子でねということか)。

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「そりゃ、正しく味付けされたまっとうな料理がいいに決まっているけれど、お金のことを考えれば仕方ない。お金があるときにはいいものたべるよ」と思うかもしれない。
だが、それで大きなものを失っているかもしれない。
味覚は慣れてしまう面がある。濃い味に慣れれば薄い味で満足できなくなる。薄い味に慣れれば濃い味は苦痛になる。

濃い味に慣れたら濃い味生活をすればいいのか。ちがうと思う。

濃い味付けということは相対的に薄いかすかな味を感じなくなるということだ。
白飯だけ食べれば淡い。だが、そこにおいしさを感じることができるか、単なる無味の塊なのか。
焼いた茄子、ゆでたジャガイモ、うどん、そば、豆腐、何も味をつけなくともそこには味があるのだが、濃い味に慣れてしまえば感じなくなる。それは不幸なことではなかろうか。この微妙な味わいを捨てる代償にソースびたびた、マヨネーズでろでろ、脂こてこて、砂糖ねっちょり(←わざと悪く言っているが。。。)の快感を得るのか。
もちろん味覚は個人の自由でありああしろこうしろと言えるものではない。ただもったいないなと思うだけである。

ただ、個人の自由と言っていると社会全体がどんどんそっちへ行ってしまうことは危惧している。みんなが好むから先に挙げた大阪の例でも味が濃くなってしまうわけだ。
しかも、そうした環境で育った子供は濃い味を好むだろう。それはいいのか。好みの問題はともかくとして高血圧や肥満を招くような食生活ならば虐待である。

かのマクドナルドは「子供にマクドナルドの味を刷り込む」ことがCRM戦略だと公言してはばからない。顧客を囲い込むために子供にアプローチさせ味を覚えさせるという。
倫理的にそれがいいのかどうかは別として、子供のころからの習慣が影響を及ぼすのは明らかである。

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「では濃い味で育った私はもうだめなのか」と悲観する必要はない。
自分に意識があれば食習慣はリセットすることができると思う。

私は現在薄味志向であるが、子供のころは濃い味の環境で育った。
だが、独立してから薄味志向に転換した。

まず、自分で料理を始めたことがいいのだと思う。
しかも、レシピ本に頼るのではなくテキトー。自分で素材を決め、自分で味付けを決める。レシピ本通りだと恐るべき量の砂糖を使うことにびっくりできる。これは違うのではないか、と味付けしては味見するというサイクルで味覚をリセットできたと思う。

もう一つは思い込み。薄味で素材の味が分かる人間になりたいではないか。それを気取りたいではないか(←俗物)。
自分で料理するときはこの味付けでもいけるよなぁとだんだん絞る。外食でも何もつけずに豚カツやらお好み焼きやら食べてみて、この方が味がわかるなと納得する。最初は思い込みでもそのうちそれが習慣になる。

その結果、天婦羅たこ焼きいか焼きお好み焼きフライ物全般はなにもつけずに食べるのが習慣になってしまった。ハンバーガーを食べる時だってケチャップは抜いてもらう。肉にもバンズにも濃い味がついている。
さすがに刺身や蕎麦、うどんあたりは全く味をつけないということはないが、かなり少量である。寿司であれば刺身の一角にちょいと醤油をつければ十分である。

食べ物のおいしさの幅が広がり健康にもいい。薄味ライフ考えてみてはいかがかな。
posted by Mozzo at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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