2014年10月27日

市街地住宅地の改良に強制力を

まぁ気持ちはわからんではないがという報道である。産経新聞から引用するが長いので末尾に引用する。記事は以下の場所。
http://www.sankei.com/west/news/141024/wst1410240004-n1.html

大阪十三にあった古い街が大火災で焼失し、その復興でもめているというのだ。
戦後に自然発生的に生まれた雑然とした街並みだったようだ。
古い街並みを再現したいという意見あり、これを機に(法律通りに)区画整理をすべきだという意見あり。どっちにしてももう元の場所に戻れないという商店主もいるようだ。

いきなり脱線するが、産経新聞は大手新聞の中で右寄りとされているが、割と少数意見対立意見をきちんと取り上げているところがよいと思う。もちろん方向性というものは持っていて不偏不党というつもりはないが、対立者の意見に対して冷静だ。気に入らない意見は少数派で取り上げるに足らず、口を極めてけなしていいという姿勢があからさまな中日東京朝日毎日あたりは見習うべきだ。
それはさておき。

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この問題、ノスタルジーに傾きたくなる気持ちもあるのだが、そこはきっちり切り捨てねばならないと思う。そもそも雑然として道路も狭い、防火性のない建築が所狭しと並んでいたからこそ丸ごと焼けたのではないか。同じような街を再建するのか、それで人が死んだらどうするのか。
終戦直後の混乱期に人々が生きていくために立ち上げた街という意味では必然的な姿だったのであろう。だが現代、そしてこの先何十年何百年と生き続ける街の姿としては望ましくない。
広い道路にコンクリート造りの建物が無機的だと批判する向きは多い。雑然とした場末趣味というのがある。広い道路にコンクリート造りだけが安全な街の解であるとは言わないが、ではどうしたら効率的で安全な街ができるのかの提言がない。昔が懐かしい、人情があったでは意味がない。また、広い道路にコンクリート造りの建物に人情は宿らないのであろうか。

土地の権利(借地権も含め)が絡むと調整は難しい。古い建物でこの際建て替えてもいい人がいて、建て替えたばかりの人もいて、土地が広い人狭い人、改造に伴う損得。みんなが満足する解は現実にはないのである。空間を4次元で分割してみんなに配分するくらいのことができねば無理なのである。
大火災が起きたことを福に転じるためにも、思い切った割り切りが必要なのではないか。
商業的に成り立つ高層ビル、商業ビルだけが解でもなかろう。売れるのか売れないのかわからんテナントビルができるくらいなら公共空地にして人を集める方がコストもかからず地域振興の面でもいいのかもしれない。屋台村的なものとかイベント会場として、ほぼ空き地で人が集まる仕組みはいろいろありうる。
土地の狭い大阪であるから、公共空地や緑地があることはわるいことではない。
この際小さく採算がまとまるような案に傾くのではなく、思い切った大阪の知恵を期待したいものだ。

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しかし、街の改造は大火災大災害がないとできないものなのだろうか。
建物の耐火性・耐震性が向上し、今回のように戦後すぐの雑然とした古い街でもなければ全滅するようなことはそうそうなかろう。
いや、雑然とした古い街であっても火災を機にではいかん。人が死ぬかもしれぬ。
もっと、先手を打って早く計画的に改造する必要があると思うのである。

しかし、実態はひどいものである。街ごと再開発なんてのはそう簡単にはできないどころか、とくに住宅街はどんどん悪くなっていく。

私がよく通る場所に古い一軒家が立っていた。小さく古く、それでも小さない庭がある家であった。そこが更地になったので建て替えるのかなと思っていたらなんと三軒の家が建った。庭があったとはいえ小さな家に小さな庭。それが一戸建て三軒に化けるのであるから魔法である。
当然土地はぎっちぎちに利用されており、ことに奥に配置された一軒は周囲をほぼ囲まれ玄関が外に見えるだけ。あれでは日当たりも風通しも悪かろう。
明らかに住環境としては悪化している。見た目新しい家が建っただけである。

これは日本中の住宅地で起きていることではなかろうか。たとえ郊外の土地の広い場所であっても地価が高く狭い土地しか買えない。周囲が空地の場所に庭も満足にない狭い一戸建てが立っているのは滑稽である。
建て替えをすれば広い土地を分割(分筆)するのが当たり前で決して狭い土地をまとめる(合筆)して大きな庭のあるゆったりした家を建てたなんて例は聞いたことがない。
田舎であっても日本は土地が高すぎるのではなかろうか。私は地価も家賃も軒並み3分の1でいいと思っている。

今後人口が減少していく。すでに古い住宅地では荒廃した空き家が問題になりつつある。古くて雑然とした住宅地も商業地も整理してゆったりと広く良質なものに変えていかねばならない時期だ。それができないのは法律や公の権限に欠陥があるからに他ならない。
狭くて古いうちが密集している場所は「10年以内に半数は出て行って残った人は広い家に建て替えなさい」ということが命令できないのでは、いつまでたってもよくならない。

生まれ育った土地が、家が、懐かしい街並みがという言葉は美しいが、雑然と古く危険な都市、低湿な住宅ストックを抱え込むことが健全とは思えないのだ。
同様に過疎・限界集落というものも廃止整理されていい。
強制力も時には必要なのではないか。

引用ここから====
十三「しょんべん横丁」にオシャレなビルは似合わない…復興めぐって意見真っ二つ

がれきが取り除かれ、ほぼ更地になった「しょんべん横丁」の火災現場。元の街並みへの再建をめぐって借地権者らの意見がまとまらず、難航している。昭和の風情は復活するのか=10月1日、大阪市淀川区

 赤ちょうちんが揺れる昭和の風情あふれる街並みは戻るのか。今年3月の火災で焼けた大阪市淀川区の阪急十三駅前の飲食店街で、焼失した約40店舗の復興が難航している。10月中にはがれきの撤去が完了し、更地になる見通しだが、その後の再建案をめぐって借地権者や土地所有者らの意見がまとまらないのだ。「しょんべん横丁」と呼ばれた細い通りに小さな木造の飲食店が並ぶ元の街並みの復活を望む声は強い一方、広い道幅を求める人もいる。細い通りを廃止し、現代的な商業ビルを建てる「うわさ」まで浮上する事態に陥っている。(中井美樹)

「こんな場所はほかにない」

 「はやく元の街並みに戻ってほしい」

 サラリーマン時代から40年近くしょんべん横丁に通っているという大阪府豊中市の男性(65)は、駅前にぽっかりと広がる焼け跡の暗い空間を見つめ、寂しそうに話した。

 午前中から開いている立ち飲み屋、ホルモンのうまい焼き肉店、串かつが人気の大衆酒場、60年近く続く老舗のバー…。火災前、一帯は小さな木造の飲食店が密集、独特の街の雰囲気を醸し出していた。

 阪急十三駅に隣接し、戦後の闇市からスタートした一画。当時は店にトイレのない店が多く、立ち小便する酔客が後を絶たなかったことからしょんべん横丁と呼ばれるようになったという。火災では、南北に走る2本の通りに囲まれた約1500平方メートルに密集する39店舗が焼失した。

 男性のなじみの店だった居酒屋「平八中店」は焼失を免れたこともあり、今月1日、約7カ月ぶりに営業を再開した。店は南北に走る2本の通りのうち西側の市道(幅4メートル)の西部分にあり、火災以降通行止めになっていた市道の開通とともに営業再開にこぎつけた。しかし、市道の東側を走る私道(幅2・5メートル)はまだ通行止めのままだ。

 男性はしょんべん横丁の魅力について「誰でも受け入れてくれるような深さがある。こんな場所はほかにない。復興を待ち望んでいる人はたくさんいる」と語った。

再建への高いハードル

 再建にあたっては、クリアすべき規制上のハードルがある。

 道幅が4メートルあった西側の市道は、昭和22年に決まった大阪市の土地区画整理事業で8メートルに拡幅されることになっている。道幅2・5メートルだった東側の私道も、建築基準法の防火上の規制に基づけば、建て替え時には4メートルに拡幅しなければならない。現行規制に沿って建て替えると敷地面積が減る店が続出する。

 しかし地元や市民から、元の街並み再現を望む声が多く寄せられたことから、市は5月、借地権者や土地所有権者の合意があれば、元の道幅でも再建できる案を地元に提示した。

 この案に基づき地元商店会では、まず市道の道幅を計画上の8メートルから4メートルに変更するため借地権者らの同意書を集め始めた。だが今のところ、対象の56人中、同意を得たのは約7割にとどまる。

 商店会関係者によると、同意していない約3割は、市道が拡幅されても敷地面積が変わらない西側の借地権者らが中心。火災前も道幅8メートルの容積率が適用されており、4メートルに変更されると容積率が小さくなり、延べ床面積がこれまでよりも制限されてしまうことが反対の理由と考えられるという。

 今後、合意形成に向けた話し合いの場が開かれる可能性はある。しかし、商店会関係者は「資産の価値が下がる内容に、そう簡単には合意してはもらえないだろう」と声を落とす。

 私道の道幅をそのまま残すハードルも高い。

 市は、平成14、15年の2度の火災で焼けた「法善寺横丁」(大阪市中央区)でも適用した建築基準法の特例を用いて現状の道幅のまま残す提案をしている。ただ、制度を適用するにしても、耐火の構造物にするといった建築協定の策定が必要で、関係する借地権者ら全員が同意するかは不透明なのだ。

 「越えなければならない高い壁がいくつもある。街全体の復興は、登山で言うと今はまだ1合目か2合目ぐらい。まったく先は見えない」。商店会会長の中田八朗さん(68)は苦しい表情で語る。

商業ビル案に意見真っ二つ

 再建の先行きの見えない中、テナントとして入っていた店は、次々と別の場所で店を借りて営業を再開している。店主の一人は「現状では再建の時期や再建後のテナント料もどうなるのか全く分からない。今、営業している場所でもお客さんが来てくれているので、再建されても戻らないと思う」と言い切る。

 厳しい現状に、しょんべん横丁のイメージとは異なる案が実現する可能性が浮上してきた。

 私道を廃止して店舗を十三駅側に集約し、市道を拡幅する案だ。市が提案している案の一つでもある。この案だと建物の高層化が可能。テナントを多く入居させられる現代的な商業ビルを建てることもできる。

 商業ビルの実現性について、中田さんは「ビルに赤ちょうちんが並んでいても、お客さんは来ないでしょう。やっぱり十三らしい元の街並みを目指したい」と語る。

 十三駅利用者の声はさまざまだ。しょんべん横丁で週に1度は飲んでいたという自営業の男性(62)は「まとまりがなくごちゃごちゃしているのが魅力だったのに、整ったビルになったらつまらない」。一方、近くに住むアルバイトの女性(26)は「しょんべん横丁という名前にいい印象がなかった。きれいになるなら良いと思う」と話していた。

 昔懐かしい昭和の街並みは復活できるのか、それとも−。
引用ここまで====
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ホンビノスガイってなかなかいい貝

海鮮を売りにしたお店で食事をしてきた。ありきたりの刺身や寿司に居酒屋メニューなんてのではなく、ちょっと変わったメニュが売りでなかなか楽しく美味しかった。
よかったのがホンビノスガイである。
大きなものは網焼きで、小さなもの(といっても大きなアサリくらい)は酒蒸しでたっぷりといただいた。
ホンビノスガイはマルスダレガイ科の二枚貝で大雑把に言えばアサリやハマグリの仲間である。アサリやハマグリと比べると薄いような気がするが、マルスダレガイ科に共通の清澄なうまみがある。大きくなると10cmを超える比較的大型の貝である。
火を通しすぎると固くなり旨みも失われるように思う。原産国のアメリカではクラムチャウダーにいれる典型的な貝であり、生でレモンを絞って食べることもあるという。火加減は控えめでよいのではなかろうか。

外来種であって、近年東京湾を中心に侵入してきたという。バラスト水に幼生が紛れ込んでいたらしい。大変に適応力があって、他の貝では耐えられない貧酸素状態にも耐え、青潮の発生に生き延びるという。
以前はオオアサリ、オオハマグリ、シロハマグリとも呼ばれることがあったらしいが、近年は紛らわしくないよう魚介類を標準和名で呼ぼうという動きであるため、ホンビノスガイという呼び方も浸透しつつある。

他の二枚貝同様濾過摂食であり、微小なプランクトンやデトリタスをこしとって食べる。その貝を獲って食べることは海中の過剰な栄養塩類と二酸化炭素を固定して地上に取り出すことになる。また、沿岸漁業でもあるから多くのエネルギーを必要としない。しかも外来種であるから環境面から考えてどしどし食べるべきだ。しかもおいしい。

市場での値段も決して高くない。重量当たりではアサリやハマグリよりもぐっと安いはずだ。ただ、殻が厚くて重く歩留まりが悪いので価格差は縮まるとは思う。
それでいてまだまだ珍しく関東以外では見かけないし、大きいので見栄えもする。ゆえに外食店ではわりといい値段である。
そのため原価率の面では外食店で使いやすい食材と言える。原価率が低いことをことさらにあげつらう向きもあるが、料理として価値があればそれなりの値段を払うのはおかしいことではない。そんな扱いやすい食材もなければ価格競争の激しい外食産業では息もつけないではないか。こんなものもあっていい。

資源量としては現状東京湾周辺に限られることから、日本中でバンバン食べるほど豊富とはいえないのかもしれない。ただ、外来種なので日本で絶滅することが悪いことでもないかもしれぬが。
また、劣悪な環境で育つものの硫化水素が発生するようなヘドロがあるような場所では貝殻が黒く着色するため市場価値が薄れるともいえる。清浄な水の中で泥抜きをすれば臭いも抜けるし有害物質もないと思うのだが。
それでもまだ漁業者の手が入っていない場所が多々あるようである。場所によってはまさにごろごろととれるそうである。また、ホンビノスガイに限らず東京湾に二枚貝が育つような場所をもっと増やすのが環境のためであろう。
重要な商品として認知されれば漁師も市場関係者も着目するので、飲食店も消費者ももっと注目してよい。少なくともアサリやハマグリを輸入して食べるよりずっといい。
本場アメリカと同様にクラムチャウダーで食べてよし、軽く酒蒸しにして切れ目を入れれば寿司種にもなるだろう。カレーやパスタの具にも有望だ。

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大きく厚い貝殻にも注目だ。ちょっとおいしい話とはずれてしまうのだが。
貝殻は炭酸カルシウムが主成分である。
海中のカルシウムと固定した炭酸ガスが元になっている。
土に混ぜ込めば土壌改良材になるし、細かく砕いて研磨剤にもなる。チョークの材料にもできる。モルタルに混ぜ込んで骨材としての利用ができるかもしれないし、プラスティックで固めたら建材になるかもしれない。
大量に確保できる牡蠣や帆立の殻は一部再利用化されているのだが、ホンビノスガイの殻も有望ではなかろうか。見たところ白く用途は広いようにも思う。用途によっては商品にならない黒く着色したものでもよかろう。
富栄養化しやすい東京湾の貝を使うことに意義があるし、大消費地・工業地帯が近い点でもよい。
そうは言っても外食店や家庭からちまちま集めるのでは商売にはなるまい。むき身がもっと流通して加工場から大量にまとまって出る必要があろうが。

東京湾に大きな貝がばんばん育っているかとおもうとなにか利用できないかと思ってしまうのである。
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オスプレイに幼稚な抗議をするバカどもとそれを応援する新聞のバカども

報道機関が不偏不党であるなんて戯言を信じているわけじゃないのだが。
東京新聞のサイトから引用する。

引用ここから====
横須賀にオスプレイ初飛来 「怖い」「常態化か」

2014年10月26日

 これからわが物顔で街の上を飛び回るのか−。不安と憤りをないまぜにした視線が上空の機体に突き刺さる。米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)所属の垂直離着陸輸送機オスプレイは二十五日、横須賀市の市街地上空や観光客でにぎわう猿島近くを通り、米海軍横須賀基地に着陸した。初の横須賀飛来に、住民は米軍や市への不信感を募らせた。

 「あれ、オスプレイじゃない?」。午前九時五十五分。海をはさんで基地と向き合う三笠公園(稲岡町)で監視していた市民グループの一人が、声を上げた。見張っていた海側とは逆の市街地方面。集まっていた二十人ほどで空を仰ぐと「ブーン」という音とともに薄灰色の機影が姿を現す。

 基地の上を過ぎ、東京湾に浮かぶ猿島沖のかなたへ。やがて「ドドドド」というプロペラ音を響かせながら舞い戻り、基地に着地した。オスプレイは一度離着陸してから午前十一時十一分、機体を見せつけるかのように基地や海の上を低空で旋回し、東京湾上空へ消えた。

 「OSPREY OUT」と書いたプラカードを持つ横浜市金沢区の無職樋口淳子さん(61)は「地ならしなのかな。これから頻繁に来るかもしれないと思うと、怖い」と硬い表情。横須賀市日の出町の団体職員小原慎一さん(62)は「多くの市民が見る中で低空飛行したのは、オスプレイが沖縄以外でも飛ぶ様子を印象付けるためでは」といぶかる。

 複数の市民グループのメンバーは午後、市中心部の京急線横須賀中央駅前で、オスプレイに反対するチラシを配った。参加した新倉裕史さん(66)は「空母の連絡機に使うことを想定した飛来かもしれない。日常的にやって来る意思表示だろうか」と危ぶむ。吉田雄人市長が「災害救援での重要性は認識している」とコメントしたことにも「厚木基地周辺自治体の首長に比べ、違和感のある内容。がっかりした」といら立ちを見せた。

 基地問題に取り組む呉東正彦弁護士(55)は「平和憲法下の日本の日常に、軍隊が入り込むのは良くない。オスプレイの飛行を常態化させてはならない」と語った。 (中沢佳子)
引用ここまで====

まぁよくもここまで「旗幟鮮明」な記事もあったもんだと。
写真まで引用していないのであるが、記事に掲載された写真がもう冗談の域である。
オスプレイに抗議する「市民ら」の写真なのだが、明確に反対のポスターなりうちわなり持っているのが3人、それ以外の人を含めても5人。どう見ても「オスプレイに抗議する珍しい人々」の写真ではないか。文面では市民の多くが反対しているかのようなトーンであるだけに冗談にしか見えない。
引用した通り中沢さんという記者の記名記事なのであるが、会社の方針でオスプレイ反対の記事を無理やり書かされていてこの人なりの反抗なのかもしれぬ。
仮にも不偏不党を掲げるのであれば、オスプレイに抗議する人がどの程度いるのかを客観的に示してはどうかと思う。

オスプレイに抗議するのも自由なのでいいのだが、その思考回路はなんとかならんものか。
特徴的なのは記事末尾の弁護士の意見だ。平和憲法と軍隊は相容れないみたいなことを言っているのであるがレベルが低い。
言うまでもなく戦争は望ましいものではない。軍人自身も戦争に至らないように目を光らせるのが本分と思っているのであって、戦争したくてしょうがないというわけじゃない。
軍隊を否定すれば戦争が世の中から消えてなくなるわけではない。
誰がやるのかが問題じゃない。何をやるべきかやらざるべきかが問題ではないのか。
たとえばオスプレイが離島の急病人を救いに行っても反対なのか。急病人に死ねというのか。あるいはオスプレイを使わず急病人を助けるための体制をどう作るのか提言できるのか。あの東日本大震災では自衛隊も米軍も救援のために働いた。そこまで否定なのか?
これはやるべきだ、これはやらざるべきだという議論をする気もなく、軍隊ダメダメバカバカと言っているのだ。仮にも知的職業と呼ばれる弁護士なり新聞記者がそのレベルでは話にならない。

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話は脱線するのだが、オスプレイがことさらに否定すべき存在だろうか。

以前にもこのブログで触れたがオスプレイはちょっと変わった航空機である。
世の中飛行船やら気球もあるが、およそ実用的な航空機といえば固定翼機か回転翼機(ヘリコプター)である。固定翼機はプロペラなりジェットなりで推進力を得て、その推進力で得た空気の流れで揚力を得る。回転翼機は翼を回転させて得た空気の流れで揚力を得る。
オスプレイはその中間的な存在で、状況によってモードが変わる。
通常の巡航時には固定翼的である。あの大きな回転翼をプロペラとして使い推進力を得る。ただし主翼が通常の固定翼機より小さいので揚力の一部は回転翼を若干上に向けることで得る。
特徴的な垂直離着陸では回転翼を上に向け揚力を得る。
通常の滑走を行う離着陸でも回転翼があまりに大きくて邪魔になる(前に向けると地面に当たる)のと固定翼が小さい(低速では揚力が足りない)ことから回転翼を斜め上に向ける。まさに中間的である。
まぁこう書いてしまうと簡単であるのだが、その回転翼機モードと固定翼機モードを遷移するときが危ない。たとえば回転翼機モードで浮いているときにぱっと固定翼機モードに切り替えてしまうと速度が出ていないのでどんと落ちてしまう。徐々に切り替えて速度を出さないといけない。

ま、こまごました話はネット上にもっと詳しい記事があるので興味があれば見てもらえたらいい。
まだまだ技術的に枯れているとは言えず、改良の余地があるのは確かだろう。
とはいえ、実績のある固定翼機や回転翼機に比べて事故率が高いかどうかといえば統計上は(少なくとも軍用機としては)少ないそうである。珍しい形式の飛行機が事故を起こすとニュースで取り上げるため危険だというイメージが先行するのだろう。
また、大きな回転翼を見ると騒音が気になるところだが大型の輸送ヘリに比べて騒音は少ないと言う。ことに、水平飛行にうつれば回転数も落ちるのでヘリとは比べ物になるまい。
無論危険や迷惑はゼロではない。その他の航空機と同様程度に。しかしちょっと危険だから迷惑だからといって全面否定では世の中進歩はない。軍隊が導入するからにはそれなりの利点があるのである。危険を管理して熟成するのが本道ではないのか。

上述の通りオスプレイは固定翼機と回転翼機の中間に位置する。ゆえに難しさもあるのだが、両者のいいとこどりという面もあるのだ。
固定翼機は速度が速い。ジェットであれば超音速も可能。プロペラ機でも600km/hを超えるものもある。
オスプレイは最高で500km/h超、450km/h程度で巡航できる。これは高速型のヘリコプターよりも早く、輸送機型のヘリコプターと比較すれば1.5倍から2倍程度の速度だ。
固定翼機としては高速とまでは言えないが、高速で比較的大型の輸送機は1500m〜2000mクラスの滑走路を必要とするし、数百mで離着陸できるレシプロの小型機は速度も積載量もオスプレイとは比べ物にならない。

航続距離も優れている。
荷物が軽い時の比較であるが3500kmを超える。一方ヘリコプターはせいぜい数百kmから1000km程度。大型の積載量に優れるヘリコプターでも2000km程度である。
無論、空中給油を受ければヘリコプターでも航続距離は伸ばせるが、そうした装置を装備せねばならないし、空中給油機や空中給油できる艦船を密に配置することになり、それこそ軍事作戦並みの体制を取らねばならない。緊急時には給油する側が間に合わないという事態にもなろう。

これらの性能は離島の救難に威力を発揮すると言えよう。
急病人の輸送なら荷物が軽いから1500kmの往復も可能だ。空港施設が貧弱な場所に対し往復で6時間の輸送を可能にする機体はほかにない。積載能力も室内空間もあるから救急設備を装備することも可能だ。
救援物資を積んでの飛行となると航続距離が減るが、離島にも給油施設を作るのは滑走路を造るよりは容易だ。

無論、懸念される離島の防衛にも有効だ。
現在の国際情勢、というよりは中国のやり口として、堂々と宣戦布告して艦船航空機がずらりと並んで開戦ということはあるまい。漁民や調査船に扮した連中を上陸させ徐々に米軍の出方もにらみつつ拠点を作るに違いない。ベトナムやフィリピンに対して行ってる侵略行動と同じだ。
そうした事態には初動が大切だ。「もうここは中国の拠点だ」と居座る前に排除せねばなるまい。ゆっくりとでかい艦船で向かう前に少人数でいいから即時に乗り込んで制圧せねばいかんのだ。戦闘機で制空権を確保しつつオスプレイで第一陣が上陸、その間に強襲艦を載せた艦船を向かわせるということになろう。もしそれが不可なら攻撃機で地上攻撃をするほかはなく、無人島ならともかく日本人が住んでいる島を襲われたらどうにもならない。

つい話がくどくなったが、オスプレイがいい悪いの問題ではない。優れたところもある道具なのだから何のためにどう使うかなのである。
問題があれば運用方法を工夫すればいいのであって、軍隊だからいやだもんいやだもんと駄々をこねているような連中にはどうにも共感できないのである。
要するに自衛隊や米軍に難癖つけられるならなんでもいいんでしょうに。利点なんてどうでもいいんでしょう。

どうしてもオスプレイが嫌だと言うなら、いやだいやだと駄々をこねる前に、どうしたら日本の安全を守れるのか、別の方法を提示すべきではないのか。離島すべてに大きな滑走路を作ります、そのために増税もやむなしとか、離島すべてに自衛隊の部隊と救急病院を配置します、そのために増税もやむなしとか、対案を出せといいたい。

少なくともこういう幼稚な連中を応援するような新聞社ってなんだと思う。
posted by Mozzo at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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