2014年10月20日

日本にカジノ 作るべきか作らざるべきか

日本にカジノを作るの作ってはいかんのだの議論がある。

悩ましいなと思う。
ギャンブルと思うといかがわしいという気持ちにもなる。ギャンブル依存症というものもある。余分なものを日本にしょい込むことはないのではなかろうかと。
一方で観光資源として有効ではないかという考えもある。アメリカはラスベガス。カジノを中心とした観光都市を作り上げた。ラスベガスに続けとカジノで観光を盛り上げようという国は多々ある。

====
カジノが裏社会とつながるという心配は多々あろう。
ラスベガスもかつては裏社会が牛耳る都市だったという。それに伴い様々な不正行為も横行したとか。現在では浄化が進んでいるとはいう。かなり厳密に管理されている模様ではあり、アメリカでもっとも安全な都市とも言われているらしい。まぁそれでも裏社会が排除されているのかどうかは知らぬ。

その他の国ではそれなりらしい。
有名なマカオのカジノでは上のフロアに行くほどレートも上がり、客層の怖さも上がるとかなんとか。
マカオに限らずカジノが繁盛する理由の一つとしてマネーロンダリングがある。表に出せないお金があったとして、それをカジノで使って何割かを回収したとする。それはカジノで儲けたきれいな金になる。カジノも儲かる。客が使った金がきれいか汚いかなんて関係ない。
もちろん、いちいちマフィアの若い衆がちまちまスロットを回しに行くのではない。両者持ちつ持たれつで金を動かすわけである。

もちろん、日本にカジノを作るならそこがマネーロンダリングの温床になってもらっては困る。不正送金する地下銀行などが摘発され常々問題になっている。そうした連中に利用される可能性もあろう。
はたしてどのように防止するというのだろうか。カジノに対してほとんど知識のない日本人が世界を股にかけて悪事に利用する連中に対抗できるとでもいうのだろうか。

====
ギャンブル依存症の危険という指摘ももっともである。
ギャンブルで家計が破綻してしまったというひとは数知れない。一人暮らしなら自業自得ともいえようが、家族を抱えている人なら罪は深い。
ただ貧乏になるだけならいいが、そこに付け込んで犯罪の片棒を担がされることだってある。薬物の運び屋にされたり、オレオレ詐欺で金を受け取ったりする連中である。
さらに、パチンコの弊害は大きく、これほど警告されているのに子供を放置して死なせる事故が後を絶たない。
麻薬が違法ならパチンコも違法でいいのではなかろうか。

パチンコに代表される悲劇がカジノで拡大するというならこれは賛成することはできまい。

====
とはいえ、カジノのプラスの面も捨てがたいとは思うのである。
経済的な恩恵は横に置いておこう。金儲けの話をしても利点欠点が平行線をたどるだけだ。

まず、カジノが上質な社交場になる可能性である。
お金を持っている人がお金で遊ぶ。その原則を押さえておけば上品になるのではなかろうか。日本の賭博の場というと、なけなしの金をかける、やくざな人が鉄火場でというイメージになるのだが、世界を見れば競馬場など上品な場所が多々ある。
俗物のそしりを免れないかもしれないが、お金がある人が上品を追求し上品な場を作るなら肯定していいと思うのである。それでなければ守れない文化もある。高級なお茶もお菓子もお酒も上品な場で磨かれてきたのだ。
高い入場料を取り、内部ではギャンブルだけでなく演劇や音楽、会食を楽しめるような空間であればどうだろう。地元名士の紹介を要するとしてもいい。それならギャンブル依存症の心配もあるまい。入場料は5万円くらいが妥当ではなかろうか。

====
カジノの弊害を論じつつ先に進めていくならば、日本のギャンブルについて総合的に考え見直す必要があろうかと思う。
ギャンブル依存症を言うならまずカジノの是非の前にパチンコ屋の全廃である。換金禁止、入場料の設定は最低限議論されねばなるまい。
競馬、競艇、競輪についても考えねばなるまい。パチンコと違い、それぞれ文化的要素もある(パチンコ台にタレントをフィーチャーするのが文化ではないとはいわんがあまりに薄い)。
パチンコが商売として成り立っているのに、競馬、競艇、競輪は盛り上がらずそれで公的資金にしようという目論見がはずれ赤字を出す施設があるほど。かといっても儲からないギャンブルだからさくっと廃止とは言いづらい文化的背景。

私は競馬、競艇、競輪は規模を小さくして公営スポーツ(できれば民営に)として成り立たせるべきだと思う。ギャンブル抜きで。せいぜい宝くじ並みに確率も低く、かける対象を選べないようなものにしたらいいと思う。レースとしてみてみれば面白いのではなかろうか。観客が何の儲けもないF1やらオリンピックが商売になっているのだから。
posted by Mozzo at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松島法相、小渕経産相辞任問題は民主党が阿呆であるから

松島法相、小渕経産相が辞任だとか。
ばかばかしい騒動である。

小渕経産相の問題はなるほど追求されるべき違法性をはらんでいると言えなくもない。松島法相の問題だけなら追求すべき違法性はなく押し切れたかもしれぬが小渕経産相の問題が突っ込まれれば仕方ない一面もあろうかとは思う。
だが、これらの問題を追及して大臣を辞任に追い込み、これがなんの国益につながったのかどうにも納得がいかない。民主党はしてやったりと喜んでいるだろうが、国の政治を停滞させて喜んでいる連中が一番国益を損なっている。

松島法相の問題はまさに笑止千万。突っ込みを入れている蓮舫議員側も過去にうちわを配っていたが、そのうちわは厚紙を切っただけで骨がないからセーフ、松島法相は骨がついていたからアウトだとか。バカではないか。法の精神はどこに行ったのか。
小渕経産相の問題とてたかだか観劇料金がどうのこうの。脇の甘さは批判できるが、これで支援者の政治行動が左右される問題ではあるまい。人間は高々数千円、数万円で動くものかね。人間を動かすという意味ではその言葉や態度のほうがよっぽど大きい。
外形的な違法性よりも、何がなされたかの方が大事ではないか。

そういう意味では、外形的に違法性はなくとも地元に公共事業を誘導しますからと約束する国会議員の方がよっぽどたちが悪い。地元のために国政を曲げるな。

少なくともこの騒動で議論すべき議題が国会で議論されず、国費が無駄に消費された。
指摘するなとは言わないがこんな趣味みたいなことは国会議員のプライベートな時間でやればいいのである。

自民党は国会運営のため民主党をなだめようと辞任を決めたのだろう。それは目先の論理として正しいのかもしれない。だが、こんなくだらないことで政治を止めることができた、与党を困らせることができた(国益ゼロ)という誤った学習をさせてしまったのではないか。

われわれには選挙しか手がない。
posted by Mozzo at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阿呆の在特会 もう終わり

大阪市の橋下徹市長が在特会の桜井会長と面談したそうな。在特会は最近ではヘイトスピーチで知られる。
結果は面談とも呼べないレベルで、最終的に桜井会長が激昂し暴れだしたため10分で終わったとか。

私はヘイトスピーチ自体は下品な行動であると思うが、法律で外形的に押さえつけ取り締まるのはよくないとおもっている。押さえつければ怨念は陰にこもり先鋭化することだろう。議論によりその偏った主張あるいは戦術を否定することが建設的だと思う。
ヘイトスピーチに至るようなおかしな連中と議論すること自体大変なことである。国際的にヘイトスピーチを取り締まれという声が上がる中、対話しようということはハードルの高い話になる。それをあえて面談に臨んだ橋下市長はいわば火中の栗を拾う勇気ある行動だったといってよかろう。

仮に在特会に主張するに足る論理・道理があるとするなら、千載一遇のチャンスである。相手は知名度話題性のある橋下市長。これほどのチャンスがあろうか。対話をして主張を広める戦術をとるべきであった。ところが議論にも入らず罵倒の応酬で終わり。他人を納得させるような主義主張などなく、暴力的言辞を振りかざしたいバカどもだったということを自ら証明する形になってしまった。少なくとも目的と手段を取り違えている阿呆であることは100%間違いない。連中の言う在日特権を正すなんてのはいいわけであって暴力的言辞をまき散らしたいだけであるのだ。
もう、まともな日本人はだれも耳を傾けまい。
posted by Mozzo at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。