2014年11月30日

わがまま言うのは見苦しい

用事のついでに早めのランチと、開店直後の居酒屋に入った。居酒屋といってもランチもやっている店だ。まあ、自分へのご褒美として水気のおおいランチになったのだが。
このときは一人であったためカウンター席に座った。本日一番乗りである。最初は閑散としていたが、昼が近づくにつれ席がうまってきた。
カウンター席は私ともう一人だけで気づかなかったのだが、振り向くとテーブル席は割とうまっていたのである。

次から次へと客は来るのだがそのやり取りにちょっと興味を引かれた。
カウンター席は嫌われているのである。
まぁ、見知らぬ他人が近くに座るかもしれないカウンター席より、狭いなりに独立したテーブル席がいいというのがわからんではない。だが、あまりに状況を見ず、要求があからさまな人が多いなという気がしたのである。

とあるおばさん二人連れ。店の側としては昼のラッシュを控え、テーブル席が埋まりつつありカウンター席が空いている状況からはカウンターに座ってほしい。だがおばさん二人は強硬に四人席のテーブルが空いているからそこに座らせろと主張した。
とある若いカップル。やはりカウンター席を拒否し宴会スペースが空いているではないかと言い出した。事前の店員のやり取りから判断するにその宴会スペースはまもなく始まる宴会(ランチの宴会なんてやるんですな)の予約席だ。何が何でもカウンターはいやだということでそのカップルは帰っていった。

まぁ当人たちの好みであり、それが店側と折り合わないなら客は帰ればいいし、店も断ればすむ話ではある。
だが、客として「うまいものを食わせろ。安く。広いスペースで」となにも考えずに主張して世の中成り立つのかを考えてはどうかと思うのである。
飲食店、しかも繁華街に店を構えるとしたらその場所代は相当なものになる。また飲食店の特性として時間帯が問われるという事情もある。たとえば通販の注文であれば納期に間に合いさえすれば発送時間が昼間になろうが真夜中になろうがかまわない。手が空いた一番効率的な時刻にやればいい。飲食店は昼が混み14時を過ぎれば空く。しかし「今混んでいるから15時に来てください」とは行かぬ。
無制限に客席を広くはできぬから、混雑時には効率的にまわしたいのは当然だ。

「それは店側の一方的な都合だ、客は関係ない、広い席に座らせろ」と思うかもしれない。
だが、店は客席がうまく回転することを前提に単価を決めるのである。一人客二人客が4人席に座りたがれば回転率は半減だし、三人四人の客をとりのがす。そのリスクを単価に反映されたら困るのは客だ。
大体千円もしないランチで広い席を一時間も占有されて商売が成り立つか考えたことがあるのだろうか。安くて居心地がよくておいしい店は客も協力してこそ成り立つのではなかろうか。
時間が自由な人は時分をはずして行くとか、混雑しているときは狭い席でもかまわず、さっさと出てくるとか、そうした協力をすべきではないのかと思うのである。
無論、談話室的な喫茶店のように、飲食物の提供よりは場所と時間を売るような店はまた別であるのだ。その店が何を売ろうとしているのか、それを汲み取る必要があると思うのである。

もっと単純なことを言うならば、広い席じゃなきゃいやだとダダをこねる姿は見苦しい。
自らパーソナルスペースが広くて他人が怖いといっている弱い人間に見えるからだ。
他人が近くにいてうれしいとは言わぬがそんなことで心が乱れるような人間に見えたらどうだろうか。考えていただきたいものだ。
そもそも飲食店でわがままをいう客は見苦しい。

さて私の水気が多いランチは、水気のおかげで客単価も上がり、昼早々に退散したのでいい客だったに違いない。自己満足。
posted by Mozzo at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月24日

事務連絡 文字化けコメント

11月24日13時ごろにコメントを下さったらしき方、文字化けでぜんぜん判読できず。
あるいはなにか海外のボットなのか。
posted by Mozzo at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大相撲のダメなところがまたも

日本の伝統ってこれか? てな記事。

引用ここから====
白鵬32度Vも 北の湖理事長、「日本国籍未取得」理由に一代年寄授与を否定

 日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱)は23日、大相撲九州場所で大鵬に並ぶ史上最多32度目の優勝を果たしたモンゴル出身の横綱白鵬について、日本国籍を取得していないことから、顕著な功績をたたえて力士名のまま親方になれる「一代年寄」を授与しないとする以前からの見解を、あらためて示した。

 相撲協会は年寄名跡の襲名者を「日本国籍を有する者に限る」と規定している。同理事長は「昔から決まっている。日本の伝統でもあり、大事にしないといけない」と話した。白鵬を特別に表彰することもないとした。

 白鵬の師匠、宮城野親方(元幕内竹葉山)は横綱の引退後について「親方として(協会に)残りたいと思っているようだ」と話した。協会はこれまで優勝32度の大鵬、31度の千代の富士(辞退=現九重親方)、24度の北の湖、22度の貴乃花の元横綱4人に一代年寄を贈った。
引用ここまで====

巨人大鵬卵焼き。
大鵬の記録に並んだ、しかも力士生命ぎりぎり落ち目の段階でなんとか成し遂げたなんてものではなく、充実のきわみといっていい状況での達成。まさに大横綱。さらに記録を伸ばすのは間違いのないところだろう。強く美しい横綱だと思う。

けちをつけるわけではないが、今朝青龍が現役だったらどうなっただろうかと思う。
当然、この優勝記録の前に立ちはだかっただろうというより、優勝を互いに争い互いに記録は伸びなかったのかも知れぬ。
もちろん、白鳳が「たまたま強いライバルがいなかったから楽勝で取れた」といいたいのではない。朝青龍は強く荒々しい力士であった。短命ではあったが記憶に残る名横綱といってもいいのではなかろうか。両者とも十年二十年に一度という逸材であって、それが同時期にいたほうが不運なのである。記録の面ではつぶしあいになったことだろう。それと同時に記録ではなく記憶に残る名勝負も生まれただろうにとも思う。

この二人が方向性は違うとはいえ、強い力士しての気品と気迫を備えた優れた人であったことは否定できないと思うのである。
だからこそ心技体を求められる横綱に上り詰め、下から追い上げてくる後進を退けてきたのである。

で、この記事だ。許しがたい。
所詮外人という冷笑的態度が見える。なにが日本国籍だと思う。
心技体でその「外人」にかなう「日本人」がいないからこその今の状況があるのではないのか。「排他的なルールで守らないと日本人の尊厳が守れないんですぅ」と言っている。それこそ日本人を馬鹿にした考え方だということに気づいていない。ルールがあるというなら、ルールを変えるためにがんばるというのが理事長たるものの責務ではなかろうか。その辺の居酒屋でくだをまきながら、「ルールがあるんじゃしかたねぇ」と言っているのとはわけがちがう。

「外人」がいやならそもそも入門させなければいいのである。日本人だけでやる伝統行事だと。
ルールの下に強さを競うスポーツであり、外国人にも門戸を開くのであるならば、その名誉もまた区別されるべきではない。
思えば朝青龍のときも、彼の行動に問題があったにせよ、角界から追放された一員は「外人」だったからではなかろうか。
相撲関係者のみならず、相撲に言及する人の多くが「生粋の日本人で」という言い方をする。その狭量さがなさけない。

相撲はいったい何なのか。
狭い世界で狭い伝統をちまちま守る世界なら、日本人だけで儀式としてやればいい。そもそもテレビ中継などするな。テレビ中継は日本の伝統なのか。
スポーツでありエンターテインメントであるというなら、強い力士を育てその強さを愛でるものであるなら外国人にも門戸を開き、さらには他の格闘技とも交流すべきだ。
モンゴルには世界的に有名なモンゴル相撲がある。異種格闘技戦などというと品がないが、共通ルールで戦うとか、戦わないまでも技の比較などを交えて披露する興行があってもいい。

この旧弊で無知蒙昧たる相撲界の偉い人にはこの際引退してもらっていいのではなかろうか。貴乃花より古い世代はもういらないとまで思う。
posted by Mozzo at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。