2014年12月23日

うまいものの話:おにぎり専門店

年齢のことは言いたくないのだが、私が子供のころは田舎だったのもあり、コンビニなんてものはなかった。
ゆえにコンビニおにぎりというものもなかった。
コンビニおにぎりという言い方自体が面白いものである。それまでもおにぎりが自宅で作るだけでなく売られることはあったのに、あえてコンビニおにぎりという言い方が一般化したのは、それまでにない「企業化されたおにぎり」というものが初めて登場したからだろう。

それまでおにぎりは基本的に自宅で作るもの。買うとしたら個人商店の片手間であったり、当時は個人商店が多かった駅の立ち食いそばのサイドメニューだったりというものであった。決して大きな工場で作られるものではなかったのである。
とはいえコンビニおにぎりとてメインの商材ではない。おにぎりは常に脇役であった。

ところが最近ではおにぎり専門店というものがあるようだ。
大企業ではない。しかしチェイン店だ。
大きな工場で作るのではなく、店で手作りしているようである。しかし工場で生産できないというのではなく、むしろ店舗で手作りしているのを売りにしている模様である。

私の出先にも2種類の店があるのだが、これがなかなかのものである。どちらも繁盛しているようだ。
値段は一見高い。一個170円あたりが標準品で、もっと高いものもある。それだけ見たらコンビニおにぎりよりも高く感じるが、一回り大きい。私は顎関節症というのだろうか、口を大きく開けられないので食べるのに苦労する大きさだ。具も立派で上質だ。コンビニおにぎりでも少々お高めの高級品があるがそれよりも上だろう。ご飯も銘柄米の炊き立てのでむろんおいしい。それを考えれば割高とは言えぬ。

しかし、店ができてからずいぶん経つが、これを食べたのは最近のことだ。なんということはない、行列が絶えないので躊躇していたのである。どんだけ待つやら。行列ができるほどのことはある。おいしい。
店の奥を垣間見れば何人も店員さんがおにぎりを作っている。店頭では「おかかなくなりました〜」と声が上がる。ばんばん売れている店なのである。

おにぎりのおいしさというのはなにか格別のものがある。
どの国に生まれても、その国の産物がうまい、ああ我が国に生まれてよかったと思うものだろう。だから日本のものが他国のものと比べて優れているというのではないが、日本人としてああこのおいしさを理解することができて感謝するというしみじみした気持ちになる。

梅やたらこ、鮭なんて定番のものがあり、ツナなんて最近の(というにはすでに定番だが)ものありなのだが、ちょっと見ないものもある。
古いと言えば古いのだが米麹味噌のおにぎりてのがある。味噌を塗って焼いたおにぎりというのは昔からあるが、生のままの味噌が具になっているのはありそうでなかったように思う。麹味噌の風味がストレートにきて大変に美味しい。鮮烈といってよい。
このおいしさを文字で他国の人に伝えるのは困難であろう。
麹味噌とはなにか。米をコウジカビで発酵させてしょっぱくてあまくて、それをライスボールに詰めて。そこまで説明しても、それが何か?と言われそうだ。ツナやサーモンのおにぎりのほうがおいしそうじゃないかと言われてしまいそうだ。
なにせ米に米だからねぇ。原料米と塩とコウジカビ。ううむ。

たいへん美味しいのだが、まだまだマイナーな存在と言えよう。おにぎり専門店。
お手軽ファストフードとして定着してくれぬものか。ちょっと時間つぶしと小腹を満たしたいと思えばハンバーガー屋はどの町にもある。パン屋にちょっとしたイートインのコーナーがあるのも珍しくない。しかし、おにぎりに番茶で一服できる店なんてそうそうない。コンビニで買って店頭で食べるしかない。おにぎりに番茶、できれば味噌汁と漬物を出してくれるファストフードができぬものか。今回あげたおにぎり専門店も持ち帰り専門だ。

あのおにぎりに番茶と味噌汁があったらどんなにいいか。ほんのり温かいおにぎりに番茶、味噌汁。はやらないだろうか。希望をいえばそこに冷酒。きりきりに冷えた純米酒をぜひ。
まぁそういうニーズはあまりないのかもしれぬ。
posted by Mozzo at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

朝鮮半島 北も南も同じですな

アメリカでソニーピクチャーズが金正恩をおちょくるパロディ映画を作った。
金正恩を暗殺するとかそういう内容らしく、北朝鮮側が反発をしていた。
北朝鮮はソニーピクチャーズにハッカー攻撃を仕掛け、公開すればテロの危険もあると脅した。
結果公開は見送られた。暴力と恫喝に屈したとは言える。それは残念だが大企業とはいえ民間人が対抗できるものでもない。表現の自由に対して暴力で対抗する北朝鮮の卑劣さが際立った騒動であった。

阿呆だなとは思う。たかだかパロディ映画。受け流す度量がないことを世界に示してしまったのだ。これが公開されて指導者の権威が落ちる程度の国なのだと言っているようなものだ。
あのぎりぎりの瀬戸際外交を繰り広げる北朝鮮である。自ら置かれた状況を理解できぬわけがない。この映画に反応せずにはいられないほど国内の状況が切迫しているのだろう。

さてこの騒動で思い起こすのが韓国である。産経新聞前ソウル支局長が起訴された騒動である。同じく報道の自由を圧殺しようとする騒動である。

国家元首の威厳というものはあろうかとおもうのだが、一方で世の中いろんな考え方をする人がいて貶めたいと思う人もいる。それを背負うのは国家元首の宿命ともいえるだろう。
それを受け流すのも国家元首の度量というものだし、批判も揶揄も圧殺するのは圧政と言っていいだろう。アメリカも日本も大統領なり天皇なり首相なりは尊敬されつつも批判する人もいる。中には口汚くののしる人もいるにはいるのだが、それは受け流されている。それがあたりまえ。

国家元首を貶めてはいかんという法律を作る国もないではない。だが、それを他国人に押し付けていいとは思えない。幼稚だと思う。
さすが同族。礼賛されて当たり前、ちょっとでも批判的だとか揶揄されたらキーキーと怒る。おなじではないか。

個別の問題について、言いたい放題言わせてもいかんとは思う。そこに報道の自由や表現の自由に対する暴力が存在するなら否定されてしかるべしと思う。

だが、そうした行動原理を持っている国とのつきあいというのも考えねばならんのではないか。感情だけで動く国。北も南も同じである。
私は決して両国との友好を望まないわけではない。だが、現状をみて友好を考えるべき相手とは思えない。あいまいな態度で彼らの姿勢を暗に容認してもいかんと思う。きちんと拒否感をしめすべきではないのか。彼らのためにだ。自分たちのやっていることを理解させねばいかん。

posted by Mozzo at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

選挙はまあまあの結果

選挙が終わった。

結果はまあまあ予想通りで妥当だったと言えるのではなかろうか。
しかし細かいところでは意外な部分もある。

自民党が若干ながら議席を減らした。まぁそれは誤差の範囲。
公明党が議席を伸ばしている。そんな要素がどこにあるのか。
そして民主党が自民党とは比べるべくもなく、政権を取った時の勢いも失せているのだが、それでも議席を伸ばしている。どこにそんな要素があるのか。

公明党は政権に食い込みたいだけの権力志向にすぎない。
選挙期間末期には大きく「軽減税率」と書いたのぼりを挙げて絶叫していた。軽減税率をうたえば庶民は騙されて投票するだろうというのが見え見えだ。消費税が高いというならそもそも今回の8%を否定せねばいかんだろう。8%はいいけど、次回は軽減税率にするからというのは、消費税を上げたい側におもねりつつ庶民派のポーズをとったに過ぎない。8%は軽いんですと言ったのかね。

民主党は一時政権を取ってからの悪政の反省もせず、首相経験者が日本を貶めるような言動をしている。許しがたい。

こうした状況で議席を伸ばしているのであるから、支持する人間が理解できないし(まぁそれは個人の自由だが)、そもそも選挙活動がうまいのだろう(皮肉)。

公明党は自民党が飲んだ毒だと何度でもいうが、それでも衆議院の2/.3を占めたことは日本にとってプラスに働くだろう。
私は自民党の政策がいいとは思っていない。40点だ。しかし、他の政党がだめすぎる上に、他の政党の発言力が増せば「何も決まらない国」になる。今は40点の政策であろうが、だれのための政策であろうが、まずは前に進めることが大事だとおもうのである。
今の野党だけがだめなのではない。自民党も下野していた時は政局にうつつを抜かしていた。
批判し邪魔することばかりで、意見の相違があっても最終的に物事をきめて前に進むという原則を忘れている。気に食わなくても物事を決めることは議員の仕事だろうに。

まずは物事が決まる国にすることだ。
憲法改正発議だのと野党の気に食わないことが決まっていくのだろう。私はそれでいいと思っている。何でもいいからまずは「変えてはどうか」という議論がスタートするほうがいい。
憲法9条を守れというのも一理あるのかもしれぬが、「議論をするな」「9条は神聖にして侵すべからず」ではいかん。9条が国民の支持を受けているというならば毎年でも国民投票で「勝つ」のではないのか。負けるかもしれないと思うから改正論議を入り口で避けるのではないのか。

憲法は重要な法律ではあるのだが、たかが道具だ。国がこうあるべしという目的を実現するために三権を抑制する道具だ。議論を避けてはいかん。
posted by Mozzo at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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