2014年12月12日

選挙は馬鹿が仕切り馬鹿が出る馬鹿のイベントか!?

選挙である。
選挙のたびに同じことを考えわがブログに書くのであるが、選挙は民主主義のために大事な制度であるが、選挙活動というのはなんと馬鹿げた愚行であろうか。

有権者として知りたいのは誰が投票すべき優れた候補者であるかだ。
まずなにより優れた政策を持っているか否かである。当たり前だ。
そして実行力があるか否かである。政策が優れていても実行力がなければその辺の居酒屋でくだを巻いているおじさんと変わりない。
そして、その政策が通る状況にあるかどうかだ。
いくら政策が優れていて、実行力がある個人でも、状況がその個人を受け入れねば実現しない。100点満点の政策を持つ優れた人間でも、だれも受け入れないのであれば意味がない。40点の政策であっても流れに乗っていて40点の何かが実現するのであれば、0点の政策とかマイナス100点の政策を掲げる候補者を抑えることになる。そうやって微々たる影響力であっても政治を有権者として左右していきたい。それが選挙だ。

よりよい未来を選ぶために投票したい。これは当然のことではないか。選挙活動はその情報を与えるために存在するのではないのか。

しかし街角の風景は惨憺たるものだ。暗澹たる未来が我々の目の前にあるのだろうか。

何度も批判するがあの選挙カーとは何をやっているのか。
騒音をまき散らすだけで何も伝わらない。聞き取れないのである。
聞き取れたところで何も意味のあることは言っていない。何某でございます、明るい未来を作りますと連呼されてどうなる。明るい未来を作るために何をするのかが必要なのだよ。

街頭の活動もばかばかしい。最近はビラを配る人とスピーカーを持ち出して連呼する人がチームを組んで街頭で活動するのが流行らしいが馬鹿というしかない。
まず大きな駅の出入り口とか人通りの多いところで宣伝活動をしたいのはわからんではない。しかしそうしたところは屋根や壁がある半室内というべき環境で、音が反響してしゃべっていることは聞き取れない。
そこを通りかかれば、
「うぉぉんうぉぉんでうぶぶんのぐぬぬんでごらいまずずうん」
みたいにしか聞こえない。
あえて聞き取ろうとしても選挙カーと同じく意味のないことしか言っていない。

騒々しいだけで意味がない。
騒々しくとも民主主義のために候補者の意見を天下遍く広める効果があるのならがまんしないでもない。だが、聞き取れない内容が意味がないではまさに何の意味もない。

候補者は馬鹿なんではなかろうか。
現職なら直接間接に公の支援を受けて存在するわけで、その金でこんな馬鹿をやっていることを天下にさらしているのが馬鹿である。
また、自分がやっていることの効果をフィードバックして修正する能力がないことを天下にさらしていることにもなる。しゃべっている内容が聞こえない!?なら改善しようというのがまともな人間。気にせず気づかず愚行を続けるのが馬鹿なのである。
さらに、こうした活動で「うちは頑張っている」という姿を見せれば選挙民は騙されるよねと思っているとしたらさらに馬鹿である。秘書だか支援者だかわからないが街頭で声をつぶしてビラ配りをしている若い人がいるが、それが正しい政治関係の人なら政治家は馬鹿だと言っているに等しい。政策も論理もないではないが。

馬鹿という人が馬鹿なんですとは言うけれど、私が馬鹿ならあんたも馬鹿やろ。

政策らしい一言を言う人たちもいないではない。しかしそれもどうだか。

あえて政党名を挙げて批判したいが、民主党は何を考えているのか。
自民党を批判したいのはわかる。
だが、自民党の路線を批判して「日本の行く先を変えます」みたいなスローガンを掲げている候補者がいた。
いや、政権を一時的に奪ったときに日本の行く先を悪いほうに変えた張本人ではないか。当人たちは良かれと思っているかもしれぬが、中韓との関係を悪くした発端を作ったのも、東日本大震災の対応が悪かったのも、沖縄の基地問題を混乱させたのも、ばらまき政策を予算の裏付けなくぶち上げて中途半端に終わらせたのも、あれもこれも民主党のせいでしょうが。
少なくともそう突っ込まれるだろうという想像力に欠けている。
アベノミクスに批判すべき点は多々あるかもしれない。100点満点の政策ではないし、弊害もあるし、実現できなかったものもある。だが、40点の政策でも前に進めたことは評価できるのではないか。そうした客観的かつ冷静な判断の上に民主党なら「ここを改善できる」というプランを出すべきなのに突っ込みどころ満載のスローガンを掲げるところがどうかと思う。

共産党も最近おかしい。
政策に納得できない部分は多々あれど、かつては論理的整合性のとれた唯一の健全な野党だったのに、最近は感情的非論理的発言が目立つ。
最近も「自分の子供を戦場に行かせたいですか」という端的かつ情緒的なスローガンをのぼりにして掲げていた。そういうのは社民党の得意技だったのに。
防衛政策や憲法改正の動きに反論したいのだろうが、論理性の欠如を丸出しにするおかしなものだ。
「自分の子供を戦場に行かせたいですか」と問われたらそりゃ進んで戦場に出したいという親はいまい。だからこそ、防衛力を充実して抑止力を高めねばならないという考え方は論理的だ。軍事力を否定するのは結構だが、「我が国の領土を中国が踏みにじって満足ですか」という文言と並べて問うべきなのだ。
共産党が言うべきは自ら言う防衛政策が正しいのであればそれで中国が日本の領土領海を侵さないという蓋然性のある説明をするべきなのである。感情的な言葉はいらない。

選挙活動に話を戻すと、政策を前に押し出せと言っても自分たちの言いたいことを都合のいいように編集したチラシなんぞもらってもなんの意味もない。政見放送も選挙公報も意味はない。
実現性があるのか、弊害はないのか、予算の裏付けはあるのか、反対派との議論を経たものでなければ見る価値などない。
真に必要な選挙活動というか選挙に関しての広報活動は、客観的立場に立つ議長がリードする公開討論会である。それ以外は金をかけて騒音を作る愚行に過ぎない。法律で禁止したらいい。騒音をまき散らす日本の選挙カーなんぞ他の先進国であれば法律で禁止だそうだ。

====
とはいえ、候補者の政策を広報することが全くの害毒とまでは言わない。やらないよりやるほうがいい。そのために政見放送も選挙公報もあり、公費をかけ、放送の枠を使ってやるわけである。

しかしここにも愚かな現象が見える。

NHKラジオがらじるらじるというインターネットサービスをしている。
各地の第一、第二、FMの放送をインターネット上のストリーム放送でサイマル配信しているのである。まぁこのブログでも批判したが、わざわざ後発のNHKが金をかけて独自のシステムを作るのは馬鹿らしくRadikoの仕組みに乗らないのはなぜなのか、傲慢な気持ちなのか利権でもかかわっているのかと勘繰りたくなるのだがそれはさえおき。

この時期、このらじるらじるで放送が聞けない時間帯がある。この時間は聞けませんとアナウンスが時折入り音楽が流れるのみである。電波のラジオを聞けというわけである。
その時間帯は政見放送をやっているからインターネットでの配信ができないというのであるな。
馬鹿ではなかろうか。

政見放送は候補者が発した音声を有権者が聞ければいいのであって、その媒体が電波であろうがインターネットであろうが、糸電話であろうが何でもいいのである。改竄されねばなんでもいい。
政見を音声で伝えるという概念の層と、音声を伝える技術はなにかという層は全く違う。途中の媒体にこだわるのが馬鹿の証拠である。

インターネットにアクセスできるのは「一部の人」だから不平等が生じる? なぜラジオのインターネット配信が広まっているのかわかっているのか。すでに電波雑音がひどすぎてラジオがまともに聞こえない場所や場面が多すぎるからだ。もはや電波でラジオにアクセスできるのは「一部の人」なのである。
事実拙宅の室内では電波のラジオはまともに聞こえない。ラジオを窓際に持ち出しても雑音だらけでひどいものだ。
聞く側にいろいろな状況の人がいるのだから、伝達手段もさまざま使って、一人でも多くの人に政見を広めるのが正しいのではないのか。本質を見失って形式論に堕する馬鹿が状況をコントロールしていると思うと絶望的な気分になる。

この文章でどれだけ馬鹿という言葉をつかったか。そのくらいこの状況に怒っているのである。
なんとかならんか。
posted by Mozzo at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

民主党 維新の党が言葉じりをとらえたくだらない攻撃を

選挙が近くなり民主党の揚げ足取りも醜く盛んになっているようだ。
読売新聞から引用する。

引用ここから====
子ども産まないのが問題…麻生氏発言、また物議
2014年12月08日 22時32分

 麻生副総理兼財務相が衆院選の演説で「失言」と受け止められる発言を重ね、野党が批判を強めている。

 新たに矛先が向けられているのは、少子高齢化に関する7日の発言だ。麻生氏は札幌市内での演説で「高齢者が悪いというイメージを作っている人はいっぱいいるけれども、子どもを産まないのが問題だ」と述べた。麻生氏は6日に経済政策に関し、「(利益を出せないのは)よほど運が悪いか、経営者に能力がないから」と発言して物議を醸したばかりだ。

 民主党の海江田代表は8日、滋賀県草津市で記者団に、「厳重に抗議する。子どもを産まないから悪い、という政権の本音が出た。自民党が300議席を占める情勢で、気が緩んでいる」と指摘した。維新の党の江田共同代表は福岡市内で記者団に「産みたくても産めない人もいるのに、おごり、慢心の極みだ」と批判した。

 これに対し、麻生氏は8日、岐阜県笠松町での応援演説で「申し上げているのは、子どもを産みたくても産めない、子どもが育つ段階で保育してくれるところがないから(という現状があることだ)」と釈明した。経済政策の発言については「インフレがデフレに、デフレがインフレにということになれば、経営のやり方を変えないとしようがない。(変えるのは)経営者として当然で、それに合わせて法律を随分やりやすくした」と説明した。
2014年12月08日 22時32分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

麻生氏は若干脇が甘いというか突っ込まれやすいものの言い方をするのが欠点といえば欠点。だが、いつも言っていることは決して間違っていない。

今回も、子供を産まない女性に責任を押し付けているとは到底思えない。産みたい女性もいれば産みたくない女性もいることは彼も理解していて、ただ産みたい女性が産めないという現実を批判しているのだ。
そもそも、産みたくないひとに無理やり産ませる政策なんて一言も言っていない。

経営者云々についても当たり前のことを言っている。
経営に成果が出ないのは最終的に経営者の責任であるのは常識だし、他の報道によれば「能力がないか運が悪い」と一方的に経営者が悪いとは言っていない。能力がないか運が悪い。全くその通りだ。それ以外に何がある。祟りかなんかか?

それなのに言葉じりをとらえて攻撃する民主党の醜さよ。
「産まないから悪い」というのは言ってもいないことを決めつけている。これはうそを根拠に人を貶めているのではないか。
維新の会の江田という人もひどいもんだ。「産みたくても産めない人がいる」というのは完全に論理のすり替えだし、それをあからさまに言葉にしてしまうこと自体が他人を傷つけるのではないか。
産まないから悪いとか、産みたくても産めない人とか、そういう言葉を突き付けているのは麻生氏ではなくこの海江田とか江田という人なのである。まことにもってあさましい。

また、この騒動を物議と言って放り投げている読売新聞の見識もいかがなものかと思う。事実に間違いはないのだろうが、もうちょっと筋の通った立場でものを書くべきではなかろうか。物議と言ってしまえば批判的な色がついてしまう。そうではなかろうに。
posted by Mozzo at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平昌冬季五輪競技の日本開催論 早くも論理のすり替えが

どうにもねじまがった報道がされているようだ。
先にもこのブログで触れた韓国の平昌冬季五輪の一部を日本で開催するかという話題である。
私は日本の国内感情からも、韓国とオリンピックの未来のためにも大反対であるとした。

ところが妙な方向の報道がされているようなのだ。

まず、朝鮮日報日本語版から引用する。

引用ここから====
【社説】平昌と東京の五輪種目交換開催は検討に値する

 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ委員長が「2018年の平昌五輪と20年の東京五輪の種目の一部を、韓国と日本に分散して開催することは可能」と発言した。その理由についてはバッハ委員長は「費用を削減でき、互いに(大会後の)活用可能性が小さい競技場の建設を避けることができるからだ」と述べた。

 このようにIOCがこれまで守ってきた「1国1都市開催」の原則を自ら破ることまで考えている理由は、開催希望都市の減少という深刻な危機を打開するためだ。22年大会もすでに有力都市の多くが誘致を検討しながら次々と放棄し、今名乗りを上げているのは中国・北京とカザフスタン・アルマトイだけだ。実際に競技場や周辺施設の建設には巨額の資金が必要で、これは開催を目前に控えた都市にとってさえ大きな問題となっている。平昌も江原道と韓国政府が費用負担の割合をめぐって今なお激しく対立している。東京も財政難の影響で、新競技場の建設を当初の10カ所から3カ所へと計画を見直した。

 日本オリンピック委員会(JOC)は、韓国が一部種目の分散開催を提案してくれば前向きに検討するとの立場だ。日本メディアはボブスレーなど一部種目が長野で開催される可能性があると報じている。ただし、平昌五輪組織委は競技会場の見直しには原則として賛成してはいるものの、平昌大会でこれを行うにはすでに手遅れと考えている。紆余(うよ)曲折の末に6カ所の新競技場を今年下半期に着工しているからだ。ただし、それでも平昌と東京が一部種目を互いに分散して開催し、費用を削減する現実的な方策がないかあらためて検討する価値はあるだろう。そのためには可能な限り多くの国民から意見を聞くべきだ。オリンピックは最終的に国民全体に税負担を求めるもの、という事実を忘れてはならない。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
引用ここまで====

この記事ではあたかも、日本と韓国が対等の立場で夏冬の五輪を共同開催するような書き方である。本当にバッハ委員長はそんな発言をしたのだろうか。

そもそも論理的整合性がない。なにも、バッハ委員長は複数の都市で分散開催するのが望ましいと言っているわけではない。既存の施設が利用できるなら一都市開催にこだわらないといっているのだ。
故に、長野五輪から維持されているそり競技の施設を韓国が使うという案が出てくるわけだ。国際競技レベルのそり競技施設は世界に十数か所しかなく、アジアでは長野だけだという。

しかし、東京五輪も予算が厳しいのは事実であろうが、別に施設の建設が遅れているわけではない。しかも、韓国に代わりのすぐ使える施設(日本が持っていない)があるとは思えない。確かに最近韓国はアジア大会を開催したが、施設はヨレヨレで大会までにまともに間に合わなかったわけであるし、その後の維持がされているとも思えない。
いつの間にか、「韓国が日本に競技を『分けて』やるんだから、日本も夏の競技を韓国に分けるべきだ」という論理にすり替わっている。

他の報道を検索しても、バッハ委員長は予算削減になるなら東京五輪でも複数都市での開催の選択肢はあると言っただけで、平昌のバーターで韓国との共同開催をやれとは言っていない。開催適地があるならば、福島や長崎という選択肢があるという話題は出ているが韓国という選択肢があるとはされていないし、韓国で開催してもコストもリスクも上がるだけではないか。改革に情熱を燃やすバッハ委員長がこんな政治的な妥協案を推すとは思えない。
お得意の「脳内変換」をやったのではなかろうか。都合のいい思い込み。

その辺はさっそく他の報道機関に批判されている。
共同信から引用する。

引用ここから====
「そり競技」日本開催検討…なぜか韓国メディア「代わりに東京五輪を韓国で」勝手な憶測広がる

 2018年平昌冬季五輪で、そり競技の日本開催が検討されていることに対し、韓国メディアは8日、平昌の地元議員が「開催返上」に言及するなど、地元で反発の声が上がっていることを伝えた。一方、東京五輪の一部競技が韓国で開催される可能性に触れた推測報道も広がっている。

 聯合ニュースによると平昌を抱える江原道知事は8日「競技場は着工しており(開催地変更は)あり得ない」と反対を表明。平昌郡の議員は「(日本開催案が)進められるなら開催返上はもちろん、政府と闘争する」などと強く反発した。

 韓国メディアは、日本開催案は五輪のコスト削減が主眼だとして「そり競技を日本で行う代わりに、東京五輪の一部競技を韓国で行う」との受け止め方を伝えている。さらに「日本側は東京五輪の分散開催に触れていない」と不満感を示す報道もある。(共同)
引用ここまで====

この見方のほうが蓋然性がある。
そりゃ勝手な憶測だ。

日本の力を借りるということが心底いやなのはわかるが事実を曲げてはいかん。それが彼らの得意技なのだが。

JOCの竹田会長は平昌冬季五輪の一部競技の日本開催について、要請があれば前向きに検討すると発言したらしい。まぁそう言うしかないのだろうが(頼まれたって断るもんねとは言えんわな)、要請があったとしてもなんとか断ってほしいものだ。時間がないとか、費用の折り合いがつかないとかなんでもいい。
彼らの思考回路ではどうなることやらわからない。力を貸したはずが恩着せがましく「競技を分けてやっただろう」と言われるという予想がより固くなったように思う。

記事にあるように韓国国内での反発もあるようだ。両国とも不幸になるプランだ。きちんと破綻させて反省を求めるのがベストだ。
posted by Mozzo at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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