2014年12月07日

ハードディスクが壊れて怒っているのだ

私のパソコン歴は長い。あまり年齢のことは言いたくないのだが、パソコン黎明期からのお付き合いである。昔話から始めよう。

外部記憶装置ならまだフロッピーディスクが現役、どころか憧れの高級品だった時代からである。3.5inchのフロッピーディスクなんてなく、記録面がむき出しの5inchが主流。8inchなんてのもあった。フロッピーディスクドライブが当時でも何万円もして若者(当時は)に買える代物ではなく、ではどうしたといえばテープレコーダーを使っていたのである。
電話線でファクシミリが送れるのと同じく、デジタルデータをアナログの音声に変えて録音し、再生した音声でプログラムやデータを読み込んでいたのだ。ああ古い話ならいくらでもできる。

子供のころから趣味でパソコンに触れていたのであるが、最初にハードディスクに出会ったのは就職したてのころである。
当時超高級最先端パソコンに40Mbytesのハードディスクが搭載されていた。もちろんそんなものが一人一台割り当てられているわけもなく、職場に一台で時間ごとに共用する時代であったのだ。それにしても40M。。。二昔前の携帯音楽プレイヤーで、親指ほどの大きさのデバイスであっても1Gの容量があるのに。ごみのような容量であるが当時はくらくらするほどの大容量だったのだ。なにせフロッピーディスクでも何百Kの世界であったのだから(その後容量が増えて1Mを超えたときは驚いた)。

職場で使うパソコンは下手をすれば百万円を超える高級品。個人で買えるようなものではなかった。その後時代が進み値段は下がっていったが、それでも本体が数十万円。ハードディスクとプリンタとモニタをそろえれば50万円100万円という時代が続いた。
コストダウンができなかったわけでもない。当時はパソコン同士の互換性がなく、競争も成り立たずということでメーカー主導の値付けがされていたと考えていい。

それを突き崩したのはDOS/Vの登場である。IBM PC-AT互換機であればどのメーカーのPCでも同じOSが動きソフトが動く。画期的である。
当時、Windowsが登場しつつあるころだったが東芝用Windows/MS-DOSとかNEC用Windows/MS-DOSなんてのが普通に売られていたのである。
競争原理が導入され、パソコンもOSも安くなり、淘汰される企業は淘汰された。まあそれもよし。

個人でハードディスク付きのパソコンを買ったのはそのころである。個人とはいえ仕事で使うのが半分であり、普通の人が買うものではなかった。確か本体(ハードディスク込)で40万円を超え、モニターは当時破壊的な価格と言われたiiyamaの15inchが6万円を切ったからそれを買った記憶がある。合計で50万円を切る時代が来たかと思ったものである。
しかもハードディスクはびっくりの200Mbytes。メガバイトであってギガバイトではない。今では200Gbytesでもごみ扱いというのに。当時はびっくりなのである。

しかしさすがは高級品。日本製はいい。何年もたった時点で容量と性能が陳腐化しても使えることは使える。壊れずに使えて最後はファイルサーバーにしていたが、いくらなんでも性能が足りないと処分した。それでも最後まで完動品。大したものだ。

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その後仕事半分、個人の趣味半分で何台もパソコンを買ったし、ハードディスクをいくつも買った。
今、ざっと思い出してパソコンは15台。しかもその何台かは自作で基板を入れ替え入れ替えでどこからどこまでが一台かわからない代物で、普通に完成品を買っていたら軽く20台を超えているだろう。
ハードディスクとなれば何台買ったことやら。パソコンのハードディスクを取り替えたこともあったし、必要があって外付けハードディスクも買ったし、ケースとバルク品のハードディスクで外付けディスクを作ったりもした。間違いなく50台はくだらない。

しかし、ハードディスクというものも最初は高級精密機械であってそう簡単に壊れる代物ではなかった。むろんこちらも大事に扱ったからだろうが。
今は値段は下がったとはいえ、基本は丈夫にできているとは思う。

だがこの10年、ハードディスクの故障に見舞われることがめだってきた。
それまでは、あまりに容量が足りないとか、パソコンを買い替えてインタフェースが対応していないとか(SCSIのハードディスクなんてのがあったのだ)、そういう理由で処分してきた。壊れたなんてことはなかった。ところが今は壊れる。

もちろん、ハードディスクは壊れることが前提、CD-ROMやDVDだって同じ。そういう考えでバックアップは怠りなくやってきたので大きくデータを失うことはなかった。それでもシステムディスクが突然壊れたら、当座のデータを失う。さすがに毎日バックアップするとかディスクを二重化するとかシステム企業のようにはいかぬ。
さらに外付けデータディスクならバックアップディスクにメインに取り替えて、新しいディスクを買ってバックアップを取れば済むからいいのだが、システムディスクがやられると再インストールが半日仕事。そこから使い勝手のいいように落ち着かせる(たとえば画面の設定とか辞書のカスタマイズとか)のは数日かかる。大変に痛い。

これまでも容量が足りなくなったとか、OSが陳腐化して乗り換えたとかでプログラムの移行やら再インストールやらは何度となくやってきた。だが、それは計画的にできるからいい。ハードディスクが壊れるのは突然だから始末に負えない。
仕事にも使うのでバックアップはハードディスクにとどまらずバックアップのパソコンも用意してある。いざとなったら、パソコンごと取り替えれば何とかなるようにしてはいる。しかしホットスタンバイ(電源をいれて常に更新)ではないので乗り換えたときにそれなりの手間はかかる。

むろん、ものは壊れるものであり、それに備えるのは使う人間の責務である。
私は平均よりもきっちりやっているという自負もある。壊れたら対応する能力もある。
しかし、しょっちゅう壊れて手間がかかるのは勘弁してほしいのである。

ここからが本題なのである。昔話もバックアップも話の枕だ。
私は怒っている。またもハードディスクが壊れたからだ。馬鹿者!
しかも、拙宅で一番新しいのにだ。
先に書いた通り、私は50台とも60台ともわからぬ多数のハードディスクを使ってきたが、壊れて交換するのはここ10年のことである。
しかも、壊れたのは覚えている限りすべて中国製なのである。ハードディスクといえばアメリカや日本のブランドが多いが、生産したのは中国というケースが多々ある。たとえば東芝製といいつつ中身を見ると中国製。壊れたのは全部中国製だ。

中国製だけというと正確には間違いかもしれぬ。
初手から動かず交換してもらったこともあった。それはサムスン製だった。サムスンブランドでどの国で作ったかまでは覚えてないが。

一時期多数のディスクが必要で、同じブランドを10台ほどまとめ買いをしたことがある。全部マレーシア製だったが、それらは今でも完全動作している。インタフェースがE-IDEで今のパソコンには使えぬが、外付けケースに収めて外付けドライブとして活躍中である。

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もちろん私の体験は狭い個人の体験である。
私の体験だけをもってマレーシア製は品質が高い、中国製は品質が低い、ましてやサムスン製は使えもしない、ということを言いきれるものではない。
それはわかっているが、少なくとも50台を買ったうちの7〜8台が壊れてそれがすべて中国製となればどうか。またいい具合(?)に保証期間が切れた直後に壊れるのである。昔ソニータイマーなんてことを言ったものだが、チャイナタイマーがついている。
いや保証されたところで新品が中国製では話にならぬ。壊れないでほしいのであるから。

ハードディスクの生産国を見るとマレーシア、インドネシアなどが目立ち、ブランドを持つアメリカや日本の本国で作られた製品を見かけることはなくなった。
だがそれは国境をまたいだ分業であって、商売としてその国が適地であるならそれでいいのだ。
問題は本当にブランドにふさわしい品質であるのか、それが正しくモニターされているのかだ。
私自身、ハードディスクが壊れたからと言ってメーカーに通報したりしない。保証期間も過ぎてそんなことを連絡したらおかしな人と思われるかもしれない。
それではいかんのだろう。本来であれば保証を求めるわけではありませんがと通報すべきなのだろう。メーカーや消費者のためにだ。

しかし、そもそも経済発展著しく工業力を蓄えた中国や自らを先進国だと言い張る韓国製品がなぜここまで劣るのか。
マレーシアもインドネシアもついでにベトナム、フィリピンも経済規模、工業力で両国より劣るといってよかろう。また台湾は技術力において優れているが経済規模ではどうかというポジションにある(まぁ韓国には全然負けていないと思うが)。
それらの国の産物が品質よく満足できるのに、なぜ中国韓国の製品はだめなのだろうか。
私が日頃両国の言動に腹を立てているからそう見えるだけなのだろうか。
中国に腹を立てていると中国製のハードディスクは壊れるのだろうか。
中国に腹を立ていると、振動するからと蓋を開けてみたらねじが一本しか止まっていない電気製品をつかまされるのだろうか(これは自前のねじを締めたらちゃんと動くようになった)。
彼我のどちらに問題があるというのか。

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民族性になんらかの問題があるのだろうか。
しかし、同じ漢族であっても台湾は信用できる。
事実私が使うパソコンの多くは台湾ASUS製である。ノートパソコンも完成品のデスクトップもASUS製を何度も買ったし、自作でASUSのマザーボードを使ったこともある。すべてが満足であった。日本製に引けをとらない品質に加え、日本製では及ばない割り切ったというか振り切った製品コンセプトが魅力だ。軽いというなら極限まで軽く、高性能といえば極限まで高性能。あれもこれもと迷いがないのが魅力だ。

ところが信頼しているASUSでもだめなことがあったな。いま思い出した。
小型デスクトップを買ったのだが、おせっかいなことにワイヤレスのキーボードとマウスがついているという。私はキーボードとマウスにはこだわりがあるのでこうしたものはいらないのである。いらないから誰かにあげようと動作確認をしようとしたらこれが動かない。
同じ機種を2台買って一台はだめであった。
信頼していたのにASUSとマウスのラベルをみたら中国製。。。。。
中国嫌いだと台湾を経由してでも私を攻撃するのか。

中国嫌いだと攻撃されるという不条理な呪いがあるのでなければ、理由は「真面目にやっていない」だからなのだろう。
工業力もある国でこれではそう思うしかない。
きちんとものを作ろうという意思がかけているのではないか。給料をもらえればそれでよし。給料の額を超えてなぜ自分が気持ちを込めねばならないのかとおもっているのではないのか。

日本のみならず、多くの国で自分たちの持つ技術力を最大限発揮し、いいものを作りたいと努力している。いいものを作って消費者にこたえたいという気持ちと、それが認められて自分の国の評価が高まるという未来を考えているのだろう。
それが中国と韓国には感じられない。それを言いたい。

名指しでいうのはどうかと思うが、ベトナムやカンボジアはその不幸な歴史もあり、現時点においては工業力にまだまだ不足がある。それでも、製品を買ってみれば、その技術力なりではあろうとも誠意のある製品だと感じられる。それが未来の信頼につながるのである。

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話を思い切り広げてしまったが、ありていに言えば中国製ハードディスクはもうこりごりだ。
バルク品は当然として、パソコンの完成品やハードディスクを内蔵した電気製品を買うとき、中身の原産国まで表示されたらいいのにと思う。
posted by Mozzo at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平昌冬季五輪に協力なんて絶対にだめだ

そんな身勝手が許されるのかという記事。
共同信から引用する。

引用ここから====
平昌五輪、財政難のツケを日本に? 「そり競技は長野開催」国際団体と協議

 2018年に韓国で開かれる平昌冬季五輪の大会組織委員会が、ボブスレーとリュージュ、スケルトンのそり競技を1998年長野冬季五輪で実績のある日本開催を視野に入れて国際競技団体と協議していることが6日、分かった。会場は長野五輪で使用された長野市スパイラルが候補となっているとみられる。

 平昌五輪は財政難から準備の遅れが指摘されている。ロイター通信によると、関係者は「まだ結論は出ていないが、議論は進行中だ」と語った。

 8日と9日の国際オリンピック委員会(IOC)臨時総会で審議される中長期改革「五輪アジェンダ2020」には、コスト削減や持続可能性の観点から、一部競技の国外実施を容認する提案も盛り込まれている。 (共同)
引用ここまで====

F-1開催といいアジア大会といい、威勢よく手を挙げて誘致したものの、準備は遅れ運営はヨレヨレ。国力が足りないのか、考え方がテキトーなのかわからぬがひどいものだった。
なんでもF-1では次のレースが日本で、名だたるF-1パイロットが「次は日本だから楽しみだ」と韓国に嫌味を言ったり、逃げるように日本に移動したりということが報道されたものだった。
F-1とアジア大会の記憶も生々しいのにまたこれかという気がする。反省とか改善とかそうした気持ちはないのか。
さらに、そうした議論を始めるならまず仁義を通すものではないのか。準備の遅れを率直に認めて公にむけて謝罪し、どのように日本の力を借りたいのか基本方針を示すべきなのだ。
まさか、日本に競技開催を丸投げするつもりなのか。
記事からは「財政難だから準備遅れ」と読めるのだが、それは外部の見方であって当人が言ったことではないようだ。「財政難だから開催困難」だとしたら話が微妙に違う。
財政難だから準備が遅れているというならば、運営を日本に丸投げするという意味は含まれないとも読める。日本の施設を借りたらお金を節約できるから施設を貸してください、運営はこちらでやるか「正当なお金を払って」委託します、という読み方もできる。
しかし、財政難だから開催困難というならば、もう無理だから日本よ助けてくれというように読める。運営費は日本持ちだ。
どう考えているのか考えを表明しないのはいかん。
少なくとも、日本が一円でも負担するということは許しがたい。
もちろん、オリンピックは世界各国が予算をかけて誘致するものである。たとえ一部の競技でも誘致できたらうれしいという人もいよう。だが、韓国の尻拭いでは意味がなかろう。日本で競技をやっても韓国のオリンピックなのだ。それはオリンピックを一部でも誘致ができたこととは意味が違う。

さらに言えば、たとえ日本側の負担がなくとも協力すべきではないと思う。

日頃反日でやりたい放題なのに、こんな時だけ協力しろとは虫が良すぎるではないかと多くの人が思うだろう。
先日も世界企業であるIKEAに対して自分たちが気に食わない「日本海」の記述の入った商品を他国でも売るなと恫喝した。韓国人が気に入らないからと言って世界にそれが通用するものでもあるまいに。韓国人が気に入らないというなら、無理に韓国で売る必要はないけれど、他国で何をするのかに口出しできると思う神経が信じがたい。

ここで協力しても韓国人は日本に感謝などしないだろう。韓国から「競技を分けてもらった」というだろう。それを喜ぶ日本人ともいうだろう。本来ならば頭を下げて助けてくださいというのが常識である状況だが、それをしたら韓国国内からとんでもない非難が炸裂するのだろう。
協力などしてはならない。
こういうときこそ「日本に助けを求めるな」と運動したらどうなのか、反日の人々よ。

まぁ日頃韓国の傲慢かつ不条理な言動に腹を立てているからこういうことを言うのではあるが、これは韓国やオリンピックの未来のためでもある。
安易に協力してこの状況を「なんとか」したらかえってよくないからである。

日本が協力しなければロシアか? ソチはすでに廃墟のようだというが(そもそも開催後の利用計画はなかったらしい)。それもやるべきではない。
どの国も協力すべきではない。
一度きちんと破綻させるべきなのだ。

準備が間に合わず一部協議が開催できないとか(その競技にかけてきた関係者は怒るだろう)、無理に開催してとんでもない結果になるとか、目に見える形で結果を出すべきなのだ。そうでなければ関係者は思い知らないのである。
金と能力がなければ破綻する。その当たり前の事実を見せつけるべきなのだ。事実を見て反省すべきなのである。

私は夏冬通じてオリンピックを各国(正確には都市だが)持ち回りをやめるべきだと思っている。各国が出資してどこかの国に恒久的なオリンピック施設を作り毎回同じ場所でやるべきだ。その場所がオリンピックの代名詞となるように。

日本の高校野球の頂点を決める全国高校野球選手権大会の代名詞は甲子園である。どの都市もどの県も、次回はうちでとは言わない。甲子園で勝つことが目標であり名誉だと思っている。オリンピックもそれでいいではないか。
あだ花のようにどこかの国でぱっと盛り上がりそのあとは荒廃。その場で土建業者が喜ぶだけなんてもうこの先成り立たないのではなかろうか。

夏の大会は起源に敬意を表してギリシャにしたらいいだろう。冬の大会は発祥のフランスか。スキー発祥の地は古すぎてわからないらしいが、スカンジナビア半島でスキーをする人々の壁画が発見されたというからスカンジナビア半島のどこかの国にすべきか。
開催環境の良否とかいいだしたらそれこそオリンピック誘致どころの騒ぎでは収まらないほどの騒動がおこる。発祥の地とかなにか文句を言わせないような理由でばしっと決めたらいい。

なにはさておき、日本は協力してはいけない。
posted by Mozzo at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

軽減税率を言うカルト教団政党に騙されるな

愚かな、というか腹立たしい、というか、という記事。

引用ここから====
軽減税率「8%をベースに」…公明・山口代表
2014年12月05日 20時28分

 公明党の山口代表は5日、消費税率の10%への引き上げと同時に導入することを目指している軽減税率について、「8%をベースに、最終的に判断していく」と述べ、現行の8%を税率とする考えを示した。徳島市で記者団に語った。

 低所得者の負担感を和らげるため、生活必需品などの税率を低く抑える軽減税率について、自民、公明両党は、2017月4月に消費税率を10%に引き上げると同時に導入することを目指している。

 山口氏は「10%に17年4月に引き上げると決めている。(軽減税率を)実施出来るように逆算して制度設計を確定し、法案を国会で成立させる」と述べた。

 公明党は、来年春までに制度設計を終え、秋の臨時国会に関連法案を提出する方向で調整している。
2014年12月05日 20時28分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

消費税に軽減税率。ああ選挙目当てなんだなと思うしかない。

このブログでは常々公明党は自民党が飲んだ毒だと言ってきた。
毒を飲んだゆえ一時は政権を奪われ、あまりの民主党のだめぶりに政権を取り戻したとはいえ、政権奪取に公明党は何の役にも立っていない。
公明党を支持する人はカルト教団に洗脳されているからであって、その政策が正しいか否かなんて考えていない。それが恐ろしい。

消費税の軽減税率そのものの是非については議論はあろうと思う。他国では導入する国もあり、その弊害も伝えられている。生活必需品を優遇したからと言って諸手を挙げて肯定できるものでもない。
消費税というものは理念としては正しい。税には富の再分配という機能があり、金が入ってくる人にはそれなりに税をかける機能を果たしている。しかし、金を使う人、金を持っている人にも広く負担を求めねばいかんのではないか。端的な例を挙げれば宝くじが当たって数億の金を得て会社も辞めて悠悠自適。収入はゼロであり、税金や健康保険料は格安になるのではないか。そうした人に税負担がないのは不公平だと思わないだろうか。
暮らしていくこと自体が公のサービスの恩恵を受けているのである。金を使うことが暮らしていく活動のバロメータ。そこに税負担を求めるのは正しいと思う。

ただ、消費税反対派がいうように弊害もある。理念としては正しいが技術的問題があるという意味ではその批判は正しい。技術的弊害は技術的対策で対抗できるわけで、技術的弊害をもって理念を否定する反対派は間違いだと思うのでが。
大きな弊害と指摘されるのは逆進性である。
所得税などは収入が大きいほど税率が上がる。これを累進課税という。

一方消費税は誰もが定率で払う。これをもって逆進性があるというのである。
たくさん金を使う人ほど多額の(定率であっても)税金を払うのであるからいいのではないかという考えもあろう。しかし、たくさん金を使える人ならもっと多く負担してもらわねば富の再分配にはつながらぬという意見もあろう。

そこで生活必需品には低率の税をかけようというのが軽減税率の考え方である。
一見妥当なように見える。だがばかばかしい。
その生活必需品を買う人が豊かかどうか区別ができない。
たとえば大根一本を買ったとしよう。
大根を煮付けてそれが今晩の唯一のおかずですという人もいよう。
大根おろしにして焼きさんまの付け合わせにしますという人もいよう。
大根を細切りにしてグラム千円も超えようという高級な刺身に添えようという人もいよう。
大根は軽減税率の対象か?

すでに軽減税率を導入している国ではばかばかしい騒動があるという。
たとえばハンバーガーショップでハンバーガーを持ち帰りで買うとする。それは食料品で生活必需品だから軽減税率。同じものを店で食べると外食であって生活必需品ではない。だから税率は高い。ばかばかしい。

貧者に配慮する必要があるのであれば、本当に貧者かどうかを判定して有効な支援が届くような仕組みが必要なのであって、生活必需品になどという言葉は耳にして心地いいだけで意味がないと思うのである。ワタシ庶民の味方ですって言っているようなものだ。

もう一つ愚かなのは、軽減税率の弊害である。

公明党が愚かだとおもうのは、庶民受けすると思って簡単に言ってくれるではないかということである。
口で言うのは簡単だが実際に導入したらどうなるか。
税率が複数に分かれるということに対応するのにどれほどのコストと手間、混乱があるのかシミュレーションをしているとは到底思えない。
かつて消費税が導入されたとき(当時は税率3%)、消費税対応電卓なんてものが発売されたと記憶している。
どんな操作をするのかは知らぬが、消費税キーを押すと消費税込みの価格と消費税抜きの価格を変換できるものであったらしい。つまり103%で割ったりかけたりするものだったらしい。
まあ便利といえば便利なのだろう。しかしその電卓、将来に税率が5%、8%に上がることを想定して税率変更機能はついていたのだろうか。ましてや税率が複数あるなんてことに対応していただろうか。

ことは高々電卓だけではない。
消費税を扱うすべてのコンピュータシステムに影響があるのである。

税率を変えるのはまだ簡単な話である。
コンピュータシステムのどこか一か所に税率を記載してあり、それを書き換えればいいのである。書き換える機能がついている(つまりそれをつかう客が変えられる)か、ついていない(つまりプログラムを書き換える)かは製品によろうが、たった一か所を変えればいいのである。
それでも税率変更は大変な作業である。特に24時間営業の店は大変だし、そうでなくても仕入れと販売で税率変更日をまたぐようなものの処理は面倒なことであろう。それでもこれまで2回の税率変更を経験しており、まだどの程度のインパクトがあるのかは計算できるだけいい。

しかし、軽減税率となると話が変わる。「商品によって税率が違う」という概念をシステムに導入せねばならない。
プログラムのいろいろな個所に「この商品にかかる税率はどれをつかうのか」という判断を記述せねばならない。また、商品ごとにどの税率をつかうのかを記憶するためにデータベースの構造を変えねばならない。これらをユーザーに見えるように画面も作り直さねばならない。
当然プログラムの書き換えということになり、それは一か所を直すどころの騒ぎではない。
そのコストは膨大であり、コンピューターシステムを開発した会社が負担してくれるわけではない。とはいえ、コンピューターシステムを開発した会社も正当なコストを乗せた額を請求するのも苦しいところである。

そういえばサマータイムを導入しようと言い出す政治家もなかなかいなくならないが、これも同じこと。コンピューターシステムのことを考えれば大混乱は必至である。

政治家にそこまで考える知性はないのであろうがあまりにお粗末な話である。

どうせ、庶民に配慮したポーズを示せば選挙に有利だと思っているのだろう。本当に低い税率が必要なら税を免除するくらいのことを言えばいいのに8%のままというのが腰が引けているというか人を馬鹿にしているというか。

コンピューターシステムのことだけではない。税率を変更するということはまだ「税制の調整」にすぎない。しかし、軽減税率を導入するということは税制を変更することなのである。概念を変えることなのである。何をどのように軽減すべきなのかせざるべきなのか、議論が必要なのにそれをすっ飛ばしている。

民主党も公明党もやることは一緒だ。
ただただ政権をとりたい。権力を握りたい。そのためにはバラマキも道理のない大衆におもねる政策も何でもやる。

自民党の政策にすべて賛成するわけではないが、自民党は自分たちのやるべきとおもうことを進めるという姿勢がある。ときに大衆に背を向けてでもやる(まぁそれが財界によろこばれるという面もあるのだが)。ある意味政党としてまともだ。

選挙の時期を迎えて、政治家は調子のいいことしか言わない。それが政権欲しさのテキトー発言なのか、本当に日本に必要なことを考えてなのか、見極める目を必要とされている。
posted by Mozzo at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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