2014年12月12日

ランナーはそんなに偉いんかい!

なにかすっきりしない記事。
少々長いが産経新聞サイトから引用する。

引用ここから====
「投票者が横断します」…ランナー一時停止 奈良マラソン実行委、異例の対応検討

 投票に行く人を通すため、マラソンランナーを一時止めます−。衆院選投開票と同じ14日に奈良市などで行われる「奈良マラソン」で、コースに近い19の投票所が交通規制の影響を受けることが分かり、大会実行委員会がランナーを一時停止させて有権者を投票所に出入りさせる異例の対応を検討していることが11日、分かった。車両のコース横断を認める交差点もあるため混乱も予想され、関係者は「どこまで対応できるかは未知数」と気をもんでいる。(濱川太一、有川真理)

専門家「聞いたことがない」

 奈良マラソンは奈良市の鴻ノ池陸上競技場を発着点に、フルマラソンなどに約1万8千人の市民ランナーが参加を予定している。

 実行委によると、コースとなる奈良、天理両市の計19の投票所は、アクセス道路がマラソンのコースをまたぐ。このうち奈良市の5投票所は、往路と復路の道路に挟まれるなど、投票所への道が分断され、有権者約1万4千人が5〜3時間にわたって投票所への出入りに制約を受ける。

 このため、実行委はコース上の主要交差点108カ所に、ランナー到着予想時刻の約1時間半前から「投票者誘導」スタッフを配置。通行規制が行われる時間帯でも、コースの横断を希望する市民はランナーの間隔を見計らって誘導し、横断させる計画だ。

 投票所への一本道が規制されるなど影響が特に大きいと予想される25カ所では、車の通行も許可する方針で、大会のホームページにも「ランナーの皆様方には一時停止など係員の指示にしたがってください」との「お願い」を掲載した。

 ランニング専門誌「ランナーズ」を発行する「アールビーズ」によると、全国で約1500ある市民マラソンのほとんどで、救急車など緊急車両の通行時にランナーを停止させることはあるが、一般車両での一時停止は「聞いたことがない」(担当者)という。

 投票に関係ない人が、遠回りを避けるためにコースを横切ることも想定されるが、本当に投票所へ行くためかどうかをチェックする作業は「時間がかかるうえ、見極めは困難」なため実施せず、「現場の状況を見て柔軟な対応をする」(実行委)としている。

 実行委はチラシを数千枚配布し、広報車も走らせているが、奈良市選管は「実行委に一任している」として注意喚起などは行っておらず、14日の投開票日は混乱も懸念されている。
引用ここまで====

珍事であろうし混乱が生じるのもわからんではない。
だが関係者の発言が少々引っかかる。

緊急車両ならともかく、というのはどういう発想だ。
つまり、緊急車両>ランナー>一般市民の生活という価値観が「大前提」で、そこに「投票する人」をどう挟み込むかで悩んでいると堂々と認めているのだ。
それは傲慢なのではないか。

大会を開くために一般市民の生活も「ある程度」配慮していいとは思う。
かの全国的行事と化した正月の駅伝でも踏切で電車を止めるだのなんだの、タイミングが悪いとランナーが待たされるだのとあったような記憶がうっすらとある(見る習慣がないのでよくわからないのである)。
つまり好意で譲ってもらうというのはあって、そのすり合わせのために互いに工夫するというのが正しいのであって、絶対的にこちらが優先だというのはどうかとおもうのである。
そんなものなら開催しなさんなという声が出てもやむをえまい。

周辺住民も選挙に行く人も、ランナーに配慮して隙をみて横断するようにするけど、どうしようもないときはランナーも待てよと。待った時に不公平が生じないようにタイムに加減をするとか対策をしろよというのが妥当な切り分けではなかろうか。

ランナーは神聖にして侵すべからずとでもかんがえているならば一般社会から敬遠されるようになるのも時間の問題だ。

====
些細なことにかみつきなさんなという向きもあろう。

だが、最近はランニングブームマラソンブームなのか知らんがおかしくなっていないか。
そもそも人間がつらい思いをして長距離を自分の足で移動しなくて済むように鉄道とか自転車を発明したのだと思っているので長距離走には1ミリも興味はない。
だが世の中をみれば、有名マラソン大会には参加資格を得るためにエントリー料を払って、高倍率の抽選をかいくぐってだという。ワタシならお金をもらってもいやだ。

そのせいか、その辺を歩いていてもランナーが多くてその傍若無人ぶりに辟易とする。
私がえらいと言わんばかりの態度。

歩くのとさして変わらないジョギングという人も多いがそこそこの速度で走る人も最近は目立つようになってきた。走るのはいいがその速度は自転車並みということを理解しているのか。自分は自分の足で移動する歩行者と同じと思っていないか。自転車と同じく歩行者に対する保護や注意の義務を負うし、ライトの装備など安全義務もあると思う。
暗い色の恰好をして暗がりからあんな速度で現れてこちらは歩行者でございと言われても大迷惑だ。しかも、ぶつかりそうになると大変に無礼な態度をとる。こちらがもたもたしているからだと言わんばかりだ。

報道でみればランナーが集まる皇居周辺の道路は混乱が見られるともいう。

一般道は学校の廊下と同じく走るのは禁止になればいいと思うくらいだ。
一般道は足の弱った高齢者やベビーカーを押す育児中の人、けがや障碍で車いすや松葉づえに頼る人も利用する公共の場である。それを高々走る能力と意欲があるからといって運動場にしてもらっては迷惑だ。このままでは走りたければ金をだしてランニング場を借りるなり作るなりしろよという声まで上がろう。私はすでにそう思っている。迷惑だからだ。

今はその声が小さいから馬鹿にしているのかもしれぬが、その声がおおきくなれば状況を動かす力があるということは理解しておいたほうがいい。
posted by Mozzo at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙は馬鹿が仕切り馬鹿が出る馬鹿のイベントか!?

選挙である。
選挙のたびに同じことを考えわがブログに書くのであるが、選挙は民主主義のために大事な制度であるが、選挙活動というのはなんと馬鹿げた愚行であろうか。

有権者として知りたいのは誰が投票すべき優れた候補者であるかだ。
まずなにより優れた政策を持っているか否かである。当たり前だ。
そして実行力があるか否かである。政策が優れていても実行力がなければその辺の居酒屋でくだを巻いているおじさんと変わりない。
そして、その政策が通る状況にあるかどうかだ。
いくら政策が優れていて、実行力がある個人でも、状況がその個人を受け入れねば実現しない。100点満点の政策を持つ優れた人間でも、だれも受け入れないのであれば意味がない。40点の政策であっても流れに乗っていて40点の何かが実現するのであれば、0点の政策とかマイナス100点の政策を掲げる候補者を抑えることになる。そうやって微々たる影響力であっても政治を有権者として左右していきたい。それが選挙だ。

よりよい未来を選ぶために投票したい。これは当然のことではないか。選挙活動はその情報を与えるために存在するのではないのか。

しかし街角の風景は惨憺たるものだ。暗澹たる未来が我々の目の前にあるのだろうか。

何度も批判するがあの選挙カーとは何をやっているのか。
騒音をまき散らすだけで何も伝わらない。聞き取れないのである。
聞き取れたところで何も意味のあることは言っていない。何某でございます、明るい未来を作りますと連呼されてどうなる。明るい未来を作るために何をするのかが必要なのだよ。

街頭の活動もばかばかしい。最近はビラを配る人とスピーカーを持ち出して連呼する人がチームを組んで街頭で活動するのが流行らしいが馬鹿というしかない。
まず大きな駅の出入り口とか人通りの多いところで宣伝活動をしたいのはわからんではない。しかしそうしたところは屋根や壁がある半室内というべき環境で、音が反響してしゃべっていることは聞き取れない。
そこを通りかかれば、
「うぉぉんうぉぉんでうぶぶんのぐぬぬんでごらいまずずうん」
みたいにしか聞こえない。
あえて聞き取ろうとしても選挙カーと同じく意味のないことしか言っていない。

騒々しいだけで意味がない。
騒々しくとも民主主義のために候補者の意見を天下遍く広める効果があるのならがまんしないでもない。だが、聞き取れない内容が意味がないではまさに何の意味もない。

候補者は馬鹿なんではなかろうか。
現職なら直接間接に公の支援を受けて存在するわけで、その金でこんな馬鹿をやっていることを天下にさらしているのが馬鹿である。
また、自分がやっていることの効果をフィードバックして修正する能力がないことを天下にさらしていることにもなる。しゃべっている内容が聞こえない!?なら改善しようというのがまともな人間。気にせず気づかず愚行を続けるのが馬鹿なのである。
さらに、こうした活動で「うちは頑張っている」という姿を見せれば選挙民は騙されるよねと思っているとしたらさらに馬鹿である。秘書だか支援者だかわからないが街頭で声をつぶしてビラ配りをしている若い人がいるが、それが正しい政治関係の人なら政治家は馬鹿だと言っているに等しい。政策も論理もないではないが。

馬鹿という人が馬鹿なんですとは言うけれど、私が馬鹿ならあんたも馬鹿やろ。

政策らしい一言を言う人たちもいないではない。しかしそれもどうだか。

あえて政党名を挙げて批判したいが、民主党は何を考えているのか。
自民党を批判したいのはわかる。
だが、自民党の路線を批判して「日本の行く先を変えます」みたいなスローガンを掲げている候補者がいた。
いや、政権を一時的に奪ったときに日本の行く先を悪いほうに変えた張本人ではないか。当人たちは良かれと思っているかもしれぬが、中韓との関係を悪くした発端を作ったのも、東日本大震災の対応が悪かったのも、沖縄の基地問題を混乱させたのも、ばらまき政策を予算の裏付けなくぶち上げて中途半端に終わらせたのも、あれもこれも民主党のせいでしょうが。
少なくともそう突っ込まれるだろうという想像力に欠けている。
アベノミクスに批判すべき点は多々あるかもしれない。100点満点の政策ではないし、弊害もあるし、実現できなかったものもある。だが、40点の政策でも前に進めたことは評価できるのではないか。そうした客観的かつ冷静な判断の上に民主党なら「ここを改善できる」というプランを出すべきなのに突っ込みどころ満載のスローガンを掲げるところがどうかと思う。

共産党も最近おかしい。
政策に納得できない部分は多々あれど、かつては論理的整合性のとれた唯一の健全な野党だったのに、最近は感情的非論理的発言が目立つ。
最近も「自分の子供を戦場に行かせたいですか」という端的かつ情緒的なスローガンをのぼりにして掲げていた。そういうのは社民党の得意技だったのに。
防衛政策や憲法改正の動きに反論したいのだろうが、論理性の欠如を丸出しにするおかしなものだ。
「自分の子供を戦場に行かせたいですか」と問われたらそりゃ進んで戦場に出したいという親はいまい。だからこそ、防衛力を充実して抑止力を高めねばならないという考え方は論理的だ。軍事力を否定するのは結構だが、「我が国の領土を中国が踏みにじって満足ですか」という文言と並べて問うべきなのだ。
共産党が言うべきは自ら言う防衛政策が正しいのであればそれで中国が日本の領土領海を侵さないという蓋然性のある説明をするべきなのである。感情的な言葉はいらない。

選挙活動に話を戻すと、政策を前に押し出せと言っても自分たちの言いたいことを都合のいいように編集したチラシなんぞもらってもなんの意味もない。政見放送も選挙公報も意味はない。
実現性があるのか、弊害はないのか、予算の裏付けはあるのか、反対派との議論を経たものでなければ見る価値などない。
真に必要な選挙活動というか選挙に関しての広報活動は、客観的立場に立つ議長がリードする公開討論会である。それ以外は金をかけて騒音を作る愚行に過ぎない。法律で禁止したらいい。騒音をまき散らす日本の選挙カーなんぞ他の先進国であれば法律で禁止だそうだ。

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とはいえ、候補者の政策を広報することが全くの害毒とまでは言わない。やらないよりやるほうがいい。そのために政見放送も選挙公報もあり、公費をかけ、放送の枠を使ってやるわけである。

しかしここにも愚かな現象が見える。

NHKラジオがらじるらじるというインターネットサービスをしている。
各地の第一、第二、FMの放送をインターネット上のストリーム放送でサイマル配信しているのである。まぁこのブログでも批判したが、わざわざ後発のNHKが金をかけて独自のシステムを作るのは馬鹿らしくRadikoの仕組みに乗らないのはなぜなのか、傲慢な気持ちなのか利権でもかかわっているのかと勘繰りたくなるのだがそれはさえおき。

この時期、このらじるらじるで放送が聞けない時間帯がある。この時間は聞けませんとアナウンスが時折入り音楽が流れるのみである。電波のラジオを聞けというわけである。
その時間帯は政見放送をやっているからインターネットでの配信ができないというのであるな。
馬鹿ではなかろうか。

政見放送は候補者が発した音声を有権者が聞ければいいのであって、その媒体が電波であろうがインターネットであろうが、糸電話であろうが何でもいいのである。改竄されねばなんでもいい。
政見を音声で伝えるという概念の層と、音声を伝える技術はなにかという層は全く違う。途中の媒体にこだわるのが馬鹿の証拠である。

インターネットにアクセスできるのは「一部の人」だから不平等が生じる? なぜラジオのインターネット配信が広まっているのかわかっているのか。すでに電波雑音がひどすぎてラジオがまともに聞こえない場所や場面が多すぎるからだ。もはや電波でラジオにアクセスできるのは「一部の人」なのである。
事実拙宅の室内では電波のラジオはまともに聞こえない。ラジオを窓際に持ち出しても雑音だらけでひどいものだ。
聞く側にいろいろな状況の人がいるのだから、伝達手段もさまざま使って、一人でも多くの人に政見を広めるのが正しいのではないのか。本質を見失って形式論に堕する馬鹿が状況をコントロールしていると思うと絶望的な気分になる。

この文章でどれだけ馬鹿という言葉をつかったか。そのくらいこの状況に怒っているのである。
なんとかならんか。
posted by Mozzo at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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