2014年12月14日

投票行きましたか!?

まもなく選挙の投票時間も終わる。

私は当然投票は済ませてきた。
だが今回は初めて期日前投票をした。昨日すでに済ませている。本日どうしても外せない仕事があって間に合うかどうかはっきりしなかったので。結果間に合う時間でこうして文章を書いているのであるが。

これまで不在者投票というのか、遠隔地にいるからというのはしたことがある。故あって遠くに滞在する用事があったのに選挙。で、当地の選管に赴いてみれば期日前の人はちらほらと見かけたが遠隔地の人はほとんどおらず(そりゃそうだ)、なにやら選管のオフィスの片隅で丁重に迎えられ投票した。何やら重要人物のようだった。

さて今回の期日前投票。まさか盛況ということはあるまいと思ったのだが、そのまさかであった。並ぶこと約一時間。ロビーに人があふれている。さすがに毎回のこどではない珍事らしく行列を想定した床のテープを大幅にはみ出していた。職員の方に聞いてこれまでもこんなことはなかったとか。

おそらく急な解散に加えて年末。日曜に都合がつかなかった人が多いのだろう。
それでも「師走に選挙なんて行っていられるか」なんてこともなくこうして期日前投票に出向くのであるから、投票にかける気持ちは熱い。報道では低投票率、ことに若年層の投票率が低いと言われているが、それでも若い人も列に並んでいた。
政治に真面目に向かわない人も多々いるのだろうがみんながみんなそうでもない。それが感じられただけでもいい。

列にはさまざまな人が並んでいた。年齢もさまざま。小さな子供を連れた人、老夫婦と思しき人若夫婦と思しき人。みんな未来を誰に託すか考えてこの場にいると思うと感慨深い。

とはいえ、中には「活動員」に騙され?来ている人もいるだろうし自らの意志で投票しているとしても政党の甘言に惑わされている人もいるのだろう。
聞くところでは創価学会の信徒が選挙活動に動くのは毎回のことで、独居老人宅に入り込み甘言を弄して公明党の候補に投票させようとするとか。投票所まで車で連れて行ってというのだからね。ほかの人との接点が減る高齢者としてはあらがいようもない。
まぁそれが選挙活動と信じて疑わないのだろうが、それをしたところで自民党の腰ぎんちゃくとしてしか存在価値を見いだせないということに、当の創価学会の信徒はどう思っているのだろうか。到底社会に理解されない存在であることを理解しているのだろうか。
まぁ洗脳されていればこんなものなのだろう。

おっと脱線した。多くは投票の権利を行使すること、民主主義を支える義務を果たすためにこの行列に並んでいたのだろうと思う。

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とはいえ、期日前投票は個人的に避けたいなとは思っていた。
くだらない理由なのだが、タイムラグがあるのだから投票日直前に投票した人の悪事が表に出るかもしれない。縁起でもないけれど死んでしまうかもしれない。政党も同じことだ。ぎりぎりまで遅らせたらそうしたことも避けられる。

ま、そんなことはめったにあることではなく、投票率が高まるなら期日前投票はどんどんやるべきだと思った。私の行った投票所は今回キャパシティが足りなかったようで、「そんなことなら投票なんかいくもんか」と思った人がいたかもしれない。能力を高め、投票所も増やしたらいいと思う。それで経費が掛かるからというなら、ついでになにかやればいいのである。選挙の啓蒙活動でもいいし、全く別のイベントでもいい。物産展でも開いてその片手間に期日前投票所を運営するのはどうか。

そもそも投票日が一日ということ自体がおかしいのであって、日曜日は仕事という人だって多々いる。離島で投票箱を選管に集めるのが大変な場所もある。一週間くらい期間を設けてもいいのではないか。
おそらく出口調査など動きがあってそれが選挙結果に影響を及ぼしたりとか弊害もあるのだろうがそれは技術的な問題だ。出口調査がいかんのなら取り締まればいいし我々選挙民も出口調査にはうそをつくのが常識にしたらいい。私は出口調査に本当のことを言ったことはない。

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なんにせよ、選挙に対する熱意が見えた。
この熱意をうけて政治家も真面目にやってもらいたいものだ。
私の意に反する政党の存在を認めないというのではないが、選挙民を陣地取りの材料としか見ていない政党には辟易とする。
posted by Mozzo at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

LED LED電球を初めて買ったのだ

LED電球を初めて買った。世間の波から恐ろしく遅れているのだがその感想を。

LED電球が一般化してから時間が開いたが、別に避けていたわけではない。
単に拙宅で電球が切れてなかったからだ。
リビングの電球など長時間点灯し点滅が少ないものは電球型蛍光灯に置き換わり(そのときはまだLEDは普及期前だった)、それなりに寿命が長い。これまでLEDを買う機会がなかった。
トイレや玄関など、点滅は多いが使用時間が短いものは白熱電球がまだ切れずに現役だ。
白熱電球は生産中止とかで、点滅が多いところに蛍光灯はいかがなものかと思っていたので、LED電球の能力はどんなものかと楽しみでもあった。

LED電球は光の指向性が強い(広がらない)し光量も足りないと言われてきたのだがさてどうだったか。

電球を取り替えた照明器具はクラシカルなつりさげ式の照明である。電球丸出しで円錐型の笠がついているあれである。なんと電球の根元に回転式のスイッチまでついている。レトロを狙ったデザインというより、レトロそのまんまだというところが気に入ったのである。あえて昔の貧乏アパート風にと。
電球丸出しだから電球の性質がストレートに出る。

取り替えて点灯。
冗談はよせというくらいに明るいし光もきれいに広がっている。大したものだ。進歩しているのであろうな。
なんでも寿命は公称40000時間とか。
LEDというのは半永久的に使えるものだから、おそらくその周辺の回路とか素材が先にやられてしまうのかもしれない。
40000時間といわれても。。。一年に一時間ずつ使うと4万年使える。わけはないな。
1年は24時間×365日で8760時間。40000時間は4年と206日少々。つけっぱなしで4年と206日。つけっぱなしじゃないから、今回買った電球がだめになるところを見ずに私は死ぬのではなかろうか。

白熱電球が寿命1000時間程度、蛍光灯がタイプにより幅があるものの10000時間程度というからかなり違う。
蛍光灯は寿命では健闘しているが点滅に弱い。白熱電球は点滅に強いが、短命で振動に弱い。振動でフィラメントが切れるのであるな。

その点LEDという素子だけに着目すれば点滅にも強いし振動にも強いし寿命も長い。

LEDは点滅させてデータ通信に使えるくらいであるから、点滅させることには強い。身の回りでもハードディスクのアクセスランプなど激しく点滅するものにも使われている。
LEDの発光部分は繊細なものであるが、樹脂に固められているので振動にも強い。

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LEDの歴史はそれなりに長い。何十年も前から普及している。
古い電気製品にもLEDが使われていて安直なところでは電源のOnOffを表示するなんてのに使われていた。

たとえば電池式の小型ラジオで電源が入ると赤いLEDが点灯するというのがある(すごく普通の製品だ)。
安価な部品で全く持って普通のことなのだが、白熱電球(豆電球)では代用できない。

豆電球でもムギ球という麦粒ほどに小さいものもあるが、この大きさになると特殊で価格はLEDと変わらないかLEDより高いようだ。
しかもムギ球の大きさ程度ではLEDとしては普及品の「大きな」ものであり、もっと小さいものがある。LEDディスプレイなんぞ微細なLED素子を画面にびっしりと並べたものである。
さらに、小型ラジオの電源ランプにムギ球を使えば、ラジオ本体の消費電力とどちらが大きいんだという話になる。
それに寿命が短い。
いまだかつて電源表示のLEDが「切れて」しまったなんてことがあっただろうか。

小型・安価・低電力。優れた素子なのである。

しかし、照明としては製品化も普及も遅れた。値段も下がってきたとはいえまだまだ高価だ。

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LEDが照明として使えなかったのは二つの理由があるのだろうと思う。

一つは光量が足りないこと。
暗くても照明とは言えるだろうが、製品としては売れない。
素子の数を増やせば光量は稼げるが大きくなってしまう。LED照明の黎明期には設置面積を大きく取れる直管の蛍光灯の形状をした製品があった。これを丸い白熱電球型にするのはむつかしい。素子の数を増やしても小さくまとめたら互いに干渉して光は出てこないし、発熱が少ないとはいえ発熱するわけで、多くの素子を束ねたら熱がたまり壊れてしまう。LEDは熱には弱い。
これを解決したのは様々な小さな工夫の積み重ねもあったろう。青色LEDで黄色を発色する蛍光体を光らせる方法が大変効率がいいという発明もあった。

もう一つの問題は照明は普通の照明に使うには色の制限が大きかったことだ。ここが大きい。
LEDは簡単に言うと電流を直接光に変える。熱を発して間接的に光が出る白熱電球より効率がいい。
ただ、どんな波長の光が出るかは素材次第であるし、波長の幅が少ない単一波長の光になる。これはコヒーレントな光といい、照明以外の用途には便利なのであるが、照明には向かない。白熱電球であれば熱の高低によって赤っぽい光から黄色、白に見える光がでる。白く見えるということは様々な波長の光が出ているという証左だ。
思い出していただきたい。虹の七色に「白色」はない。つまり白という波長はないのである。人間の目は光の三原色と言われる赤・緑・青をそれぞれ強く感じる視細胞をもっており、3種が均等に刺激されたときに白と感じるようにできている。白とは波長が均等に混ざっている状態を指すのである。

明るければ赤だけ緑だけでもいい、という用途は限られている。温かみを感じさせる電球色から自然な白さの昼白色、青白さを感じさせる昼光色あたりが照明として一般的だ(色温度の違い)。

そうなると従来のLEDでは出せる色が偏っているのである。
白色というものはあらゆる波長の光の混合でありLEDは一つの波長しか出さない。
であるならば、赤・緑・青のLEDを混ぜて使えばいいではないかということになる。
ところが赤・緑のLEDは比較的早期に実用化されたが、青がなかなか実用化されなかった。
そう、今回ノーベル賞にもつながった青色LEDが関係しているのである。

赤・緑に加えて青が出ることでLEDディスプレイであらゆる色(人間がそう感じる)を表現することができるようになった。
正確にいうとLEDディスプレイが出している白と自然界の白は別物ではある。
自然界の白はあらゆる波長の光が混合されている。人間が赤・緑・青を光の三原色だと
していることを太陽が知っているわけではない。高温な太陽は紫外線から可視光線赤外線とあらゆる波長の光を出しているのである。
LEDは赤・緑・青のそれぞれ狭い波長帯の光を出しているだけだ。たとえば赤と緑を均等に光らせれば黄色だ。

別の方法としては青色LEDの光を黄色の蛍光体にあてると擬似的に白色に見えるというのもあるという。これは先に書いた通り効率もよくLED照明を進歩させる手法となったようだ。

さまざま利点のあるLED照明は画期的な発明に支えられていた。雲の上の人に感じるノーベル賞受賞者の実績はLED照明として家電量販店でも手に入るとおもうとなにか格別な感慨を覚えるのである。

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LED照明は白熱電球比べて単価が高いとはいえその長寿命と省エネ性能でトータルでは安くつくのではないかとされる。しかし単価は高いのでハードルがあるわけで、逆にそこが競争のポイントだ。普及期を迎え価格競争も始まっているようだ。

今回店頭で見比べるとそのほとんどが中国製である。
先にもこのブログで書いたのだが中国製はこりごりである。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/410231717.html

これ以外にもなんども書いたが中国製はすぐに壊れる、丁寧さに欠ける。
それは工業力が足りないからじゃない。ネジを止めるべき穴が8個あったら8個のネジで止める。教えれば小学生にもできる。8個もあったので1個忘れたというミスも時にはあるだろう(それを見逃して出荷しては失格)。
ところが1個だけネジ止めして止まっていればそれでいいと手を抜くのが中国製なのである。それで検査よしとして出荷するのが中国製なのである。
これは比喩ではなく本当にそういうことがあった。やたらに振動して音が出るので蓋を開けたらネジが止まっていない。自前のネジを使って全部閉めたら解決といううそのような本当の話である。恐るべし中国製。

店員を捕まえ聞いてみた。中国製以外はないのかと。
シャープがマレーシア製やインドネシア製をだしていたというので、マレーシア製やインドネシア製なら大歓迎だと答えた。ところが確認してもらったら撤退したという。
日本製を第一に信用しているがこれまでの経験でマレーシア製やインドネシア製は信用できる。電子機器でも伝統工芸品でも仕事が丁寧だ。あれば買ったのに。

それでも探してもらったら日立の日本製の商品があった。お目当ての電球色は品切れであったが買ってみた。中国製に比べてなるほど値段は若干高かったがそれほどでもない。性能の差、寿命の差はいかほどであるのかはわからぬがこれも安心料だ。
Web上でみる製品レビュを見ると、安価な製品は光量や光の広がりに問題があるようだ。まだまだ「どこが作っても同じ」というわけにはいかないようだ。もちろん今回買ったものは白熱電球でもびっくりの光量や光の広がりだ。いい買い物だったようだ。

寿命の判断はこれから何年か先なんだろう。安物で寿命が短くても数年は持つだろう。
40000時間というのは理想的な状況での理論値(まさか本当に実験してから出荷できんだろう)だから実際にはわからない。今後LED照明が定番化して本当に40000時間持つのかを検証する実験の結果もそろってくるだろう。
まあ話半分で20000時間としてもつけっぱなしで2年3か月か。
電球が切れたとき私が生きているのか、生きていてもこの電球をこの時期取り替えたことなど覚えていまい。そのためのこの記事なのだ?。


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環境の観点からLED照明を使うことは正しいのかどうか。
むろん寿命と電力消費だけみれば圧倒的に有利だ。端的な検証はできるだろうけど、総合的な評価はまだまだこれからなんだろう。
エネルギーの使用量一つとっても、電気代だけではない。
生産にかかるエネルギーもある。白熱電球もガラスを熱して作るからかなりのエネルギーを使うようだ。製品の寿命も考慮せねばならないからむつかしいだろう。
その他運搬、リサイクルにかかるエネルギーもある。

かつては白熱電球に変わり蛍光灯がエコだとされた。
しかし、蛍光灯はリサイクルがむつかしい。
ガラスや電極のリサイクルはそれほど困難ではないのだが、充填されている蛍光体がむつかしい。水銀も含んでいる。
割らずに専用のリサイクル施設に持ち込むことができれば専用の機械でかなり高度にリサイクルできる。直管であれば両端を慎重に切り、蛍光体をブラシでかきだすのである。
粉々に割ってごみ袋に入れて出す人もいるし、そうしろという自治体もある。こうなると蛍光体が飛散するしガラスとしてもリサイクルはむつかしい。

LED電球はどうなるのであろうか。LED素子や電子回路に貴重な元素が使われているのかもしれぬ。そこにかかわるリサイクルはどうなのだろうか。まだ、リサイクル対象の廃棄物が少ないだろうからリサイクルのルートが確立しているとは思えない。
評価はこれからだ。

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しかし、LED電球は基本的にこういうもので未来永劫続くのかと思うと疑問もある。

疑問はあの口金である。丸ネジになっていてE26とか大きさの規格がある。いかにも電球でございというあの口金。
さてあのE26とかE20という規格のEの文字は何を意味しているか。

チッチッチ。。。シンキングタイム〜〜〜〜(←馬鹿)

EはかのエジソンのEだというのだ。
電球を実用化したエジソン。エジソンが電球を世にだし、そのとき採用された口金の規格なのである。
構造が単純で脱着が容易。堅牢であるからそれなりの重量物をぶら下げることもできる。優れたものではあるのだが、あれを前提に商品が作られているから厄介ではある。

LED電球は従来の白熱電球(一部は蛍光灯)を置き換えする形で普及期に入った。
口金部分のインタフェース(?)は変えられないということだ。
日本であれば交流100Vが来るだけというもの。

LEDを発光させるためには電圧を下げ、直流にするなど電気をいじらねばならない(いくつか方式がある)。ダイオードというからには片方向にしか電流が流れないし、逆方向に電圧を流すことにはLEDは弱いのである。通常のダイオードはそれなりに強く、交流の電気から片方向の電圧だけ通すような回路を作れるのだが。
つまり、口金よりも電球側にそうした回路を押し込まねばならないということだ。
回路を小さな空間に押し込めると熱もこもる。そもそも小型化もむつかしい。

寿命が来たときLEDの素子と電子回路のどちらが先にだめになるのかは知らぬが、いずれにせよどちらも捨てることになる。もったいない。

理想をいえば(つまりゼロから設計できるなら)、電子回路とLED素子は別にするだろう。
さらに照明というのは現代では部屋に1個ということはまれだ。部屋の中央にペンダントひとつという貧相な部屋は珍しくなった。部屋に電子回路は一つで、整えられた直流の電気を室内の複数の照明に回すほうがいいのではないか。そのほうが熱の放散も電流の効率もいいのではなかろうか。おそらくさらに一段進んだ省エネが可能になると思うのだが。

しかし、物事は理屈通りには行かぬもので、理想的だとしても新築やリフォームの時にやらざるを得ないから普及しない。普及しないから新築やリフォームでも旧式の照明装置をつける。これではいつまでたってもLED照明はエジソン規格のままである。

なんとかならぬか。

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なにはともあれ今回大変にいい感触を得た。
性能には満足だし、値段も安くはないとはいえ気にせず買える値段である。少なくとも白熱電球はこの先手に入らなくなるのだし、蛍光灯よりも使い勝手はよさそうだ。

もちろん、急いでまだ使える蛍光灯や白熱電球を捨ててまで替えるのはばかばかしいことだと思うのでそれはしない。さすがに電気代の節約でペイするものではなかろう。わからんが、ごみを増やすことはよくなかろう。使えるものは使い倒すのだ。

そして、信用できる日本製やマレーシア製、インドネシア製を買う。決して値段に騙されて中国製は買わない。日本ブランドであってもだ。

それが今回の結論。
posted by Mozzo at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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