2015年01月25日

ペヤング騒動 ちょっと行き過ぎ ファンは偉い

あのペヤングに異物混入が発覚してからしばらくたつが、まだ販売再開のめどが立っていないようだ。
数十万個に及ぶ商品の廃棄に悔しがる従業員、何とか従業員を解雇せず営業再開を目指す会社、販売再開を待ち望むファンの様子が報じられるとこちらも涙を禁じ得ない。
その報道は長いのでこの記事の末尾に読売と産経から引用する。

まず気になるのがこの営業停止を決めているのは誰なのかよくわからんということである。
文中に「全商品の自主回収と生産中止に追い込まれた」とあるが追い込んだのは誰かということだ。

というのも、相次ぐ各社の異物混入事件に比べ厳しすぎないのかという気がするからだ。
まるか食品自身が事態を重くとらえていてこの状況にあるのであればそれも経営戦略であるから外部からどうのこうのということではない。外部で決定しているというのであれば妥当性があるのかを問いたいのだが。

たとえばあのマクドナルドのチキンの騒動は明らかに悪意であり、おそらく有害であろう。賞味期限が切れているだけなら死ぬことはあるまいが、どうも完全に腐っていたという報道もあった。
それでも、高々業者を切り替えただけでチキンナゲットの販売を継続しているし、その後も異物混入が発覚しているのにまあいいかということで販売中止になっていない。
一方、ひねくれた言い方をさせてもらえば別に虫は有害でもなんでもない。熱も通っている。ただ気持ち悪いだけだ。腐った鶏肉よりよっぽどましだ(腐った肉を加熱しても菌が生成した毒素が残っている場合がある)。
しかも、混入事例は1件、それに対しまるか食品の工場は2か所あるという。両方止める理由があるのか。

ほかに売るものがあるかないかで安全を判断してはいかんが、マクドナルドのチキンナゲットは全体のほんの一部であるのに対しまるか食品のペヤングは主力商品である。その他に商品があるのかないのかWebページを見に行こうとしたらお詫びのページに差し替わっていて検索できなかった。おそらくすべてが停止しているのだろう。

ちょっと厳しすぎないか。
仮にまるか食品みずから決めているとしてもファンの声もある。そろそろ再開しても反発はないのではなかろうか。

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識者によれば異物混入は別に珍しくないという。ただ、昨今のさまざまな環境変化で大きく報じられるだけだと。
たしかに、私も何度も遭遇したことがある。私が食べたものにということもあったし、出す側に回ったこともある。残念ながら。若いころハンバーガーショップでアルバイトをしていて、一番上のアルバイトに昇進した(この話は以前に書いた)。で、私が店を回しているときに出したハンバーガーのレタスに、あのーそのーとここには書けないようなものが入っていたのである。厨房で仕込みをやったやつとかハンバーガーを作ったやつを恨んでも遅い。私が責任者であるから平謝りに謝って許してもらった。
とはいえそれが報道されることもなく、金品を脅し取られることもなかった。返金してサービス券を渡したくらいだ。

かつては異物混入といえばそんなものだったのである。
現在では原因もわからないのにいきなりネットで公開である。それが普通になってしまった。ひねくれた見方をすれば事件を捏造することも簡単になった。

今回の騒動もネットで公開するなとは言わんがそれなりの段階というものがあるのではないか。メーカーや店に通報し保健所立ち合いで原因を確認する。そこに悪意や怠慢があれば糾弾の意味で公開するのは構わないと思うが、単なるミスであるならネットに公開してあげつらうのは人間としてやりすぎだと思う。営業妨害と言われるかもしれない。

またこうして異物混入が話題になればそれこそ料理を解剖するかのように調べる人も出てくる。話題でなくとも食の安全に敏感な人は確実に増えている。

しかしそれを押しとどめることはできない。企業も防衛するほかはないのだろう。なにやら厳しい時代だ。

こういうことを言ってもいかんのかもしれんが、外食や加工食品に関して言えば気にしすぎたら食べられるものじゃないと思う。まあ虫が入っていたら取り替えてもらうくらいでいいのではないか。同じロットなら虫の形がなくとも一緒に揚げられていたとか想像をたくましくすればなんとでも文句はつけられる。しかし、虫が揚げ油に飛び込んだなんてのは珍しくもなんともない。
そんな神経ではお祭りの露店で売っているものなんて食べられまい。散々文句をつけておいても露店の焼きそばは風情があるなんて言うんだよね。

いや、衛生的と思われている缶入り飲料、ペットボトル入り飲料も神経質な人のめがねにかなう扱いかどうか。ワインだってトマトジュースだってね。私は充分衛生的だと思うし平気で飲むが、神経質な人にはどうかね。
見ぬ物清しである。

いや自分で材料を買って作ったとしてもどうだか。
気にする人は自分で作りなはれ。魚も自分で獲りなはれ。肉も自分で落としなはれ。
それでプロより衛生的に作れるかどうかもね。考えたらよろしい。
ちょっとその神経質傾向を改めたほうがいいように思う。

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それにしてもファンの熱意はすごい。まるか食品にも届いていることだろう。
ネットで値段を吊り上げている連中にはくみしないという矜持もよい。

何らかの形でエンドユーザーに届くものづくりに携わっている人であれば感動するのではなかろうか。うらやましいのではないだろうか。
こういうファンを育てることができるメーカーはごく一握りだと思う。ユーザの立ち場でいえば絶対に浮気しない、何があってもついていくと思えるブランドがあるという人もまたどれほどいるだろうか。
どちらも幸せなことだとおもう。

私にもそんなブランドがある。
外食では私は吉野家を信頼している。吉野家HDの関連ブランドも。昨年取締役を退任した安部修仁元会長のファン(?)なのである。アルバイトからたたき上げで、何度となく危機を乗り越えた経営者が率いた会社であれば信用できる。
また食と関係ないがクロネコヤマトも信頼している。これは会社がどうのこうのではない。今まで何か所も転居したけれど、いつでもクロネコが最高の宅配業者であったからだ。現場が作り上げた信頼。今までトラブルゼロとは言わないがこれまでの信頼があればそうそう見切ることはない。
あとは有名じゃない地元の店とかあるけれど、何があろうとついていける信頼できるブランドにはそうそう巡り合わないものだ。


読売新聞から引用====
ペヤング自主回収1か月、数十万個廃棄作業続く
2015年01月10日 17時21分

 食品への異物混入が相次いで明らかになる中、人気の即席麺「ペヤング」に虫が混入していた問題で、製造元の「まるか食品」(群馬県)が全商品の自主回収を始めてから11日で1か月。

 従業員らは今も、回収された膨大な商品の廃棄作業に追われている。同社は来年度から生産を再開したい考えだが、失われた信頼を取り戻すのは容易ではない。

 1月7日、群馬県伊勢崎市。まるか食品本社の工場で、従業員らが黙々と段ボールから容器を取り出し、麺とかやくを分別して廃棄していた。ある社員は「本当なら、お客様に食べていただいていたはずなのに……」と声を詰まらせた。

 問題発覚は昨年12月2日。ペヤングを購入した大学生が「虫が混入していた」としてツイッターに画像を掲載した。画像は瞬く間にネット上に拡散。翌日には保健所の立ち入り調査を受け、全商品の自主回収と生産中止に追い込まれた。これまでに約1万6000件の回収依頼があり、廃棄商品は数十万個に上るという。
2015年01月10日 17時21分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
読売新聞から引用ここまで====

2015.1.17 11:00産経ニュースから引用====
ペヤング騒動から1カ月、愛好家に広がる“禁断症状”… 同じ味求め袋麺乗り換え、ネットで高値売買

 ゴキブリの混入が指摘され、店頭から「ペヤングソースやきそば」のブランド全商品が姿を消してから1カ月が過ぎた。根強い人気を持つ商品で、愛好家にとっては我慢の日々が続いているという。一部では“禁断症状”もみられ、他社の商品で気を紛らわせる愛好家も出現。インターネット上では異常な高値で売買される混乱も出ており、愛好家からは「早く復活してほしい」と悲鳴が漏れている。

真の愛好家はひたすら我慢の日々

 発売元の「まるか食品」(群馬県伊勢崎市)によると、店頭からペヤングが消えて1カ月がたち、当初殺到した消費者からの批判はすっかり影を潜め、最近では販売再開を望む激励の電話が増えているという。

 「あの独特の味をみな渇望している」。甲府市の会社経営、奥山祐治さん(55)は話す。

 10代のころから独特のソースと縮れた麺のとりこになったという奥山さん。海外で約10年暮らしていた際も、日本での値段の3倍を超えるペヤングを日本食ストアで買い求めていたほど、生活に欠かせないものとなっているという。

 少なくとも週4個は食べ、ペヤング好きが高じて3年ほど前には「全日本ペヤング愛好会」という組織を立ち上げ、グラタンや軍艦巻きなどの調理法を仲間と披露するイベントを開くなど活動を続けてきた。

 ただ、騒動以降、店頭からペヤングが消え、奥山さんは好物を口にできない日々が続いている。ネットオークションサイトでは、希望小売価格約170円(税抜き)の何倍もの値段で出品されている。こうした異常事態にも、奥山さんは「混乱に乗じ利益を得ようとする出品者にくみするのは真の愛好家といえない」と手を出さず、ただひたすら我慢の日々を送っているという。

虎の子の1個を家族に食べられ悲嘆、撤去に憤慨… 愛好家に“禁断症状”

 全日本ペヤング愛好会の会員で、愛好家を指す「ペヤンガー」という言葉を考案・普及させた「夕刊フジ」の中本裕己報道部長も我慢を続けている。

 「問題を報道する立場上、『応援する』というような私情は挟めない。冷静に伝えることに徹しているし、安全が確認されるまでは食べない」と言い切るが、「内心は早く販売を再開してほしいと切望しているんですよ」と本音を漏らす。

 他の愛好家もおおむね同じ立場に置かれ、奥山さんによると、同愛好会の176人の会員の中には、“禁断症状”を呈する者も出ているという。

 買いだめしていた虎の子の1箱を子供にこっそり食べられて落ち込む愛好家や、騒動直後の混乱期に新聞の折り込み広告を見て急いで店に買いに行ったものの、すでに棚から撤去されていて店で暴れそうになった愛好家もいたという。

 奥山さんは「(日清食品のカップやきそば)UFOなど他社製品に乗り換えたり、なぜか似たような味がする袋ラーメンなどで気を紛らわしたりする愛好家が出ている」と説明する。

業界の勢力図に目立つ動きなし 根強いファンがペヤング支える

 ただ、カップ焼きそば業界の勢力図に目立った動きはない。日清食品(東京都新宿区)によると、昨年はペヤング騒動の前からUFOの売り上げが好調だったという。担当者は「どれだけ影響を受けているのかは正直分からない」と話す。

 「一平ちゃん」を販売する明星食品(東京都渋谷区)も、ペヤング騒動の前から袋麺の出荷数は前年比で1割以上の伸びだといい、担当者は「パッケージをリニューアルした影響で、ペヤングからのシフトではない」とみている。

 「昔ながらのソース焼きそば」を販売する東洋水産(東京都港区)も、ペヤング問題の影響はないとしている。

 奥山さんは「ペヤングは独特の味。一時、“浮気”をしても必ず戻る。1日も早く安全性が担保され、販売が再開されることを望んでいる」と話す。

ペヤングの製造・販売再開のメドは立たず

 ペヤングソースやきそばは昭和50年に発売が開始された。発売元のまるか食品によると、当時は、カップ麺は袋麺に比べかなり高価な時代で、若いカップルにも1つを仲良く食べてほしいという願いを込め「ペア」と「ヤング」を掛け合わせて命名されたという。

 カップ麺として初めて四角いパッケージを採用。さらに、粉末ソースが主流だった時代に、液体ソースを初めて登場させて脚光を浴びたという。「かなり斬新なカップ麺だった」。まるか食品の担当者は、こう説明する。

 ソースはあっさりとした味になるように工夫したといい、麺も縮れさせ、ソースを吸収しやすいようにした。担当者は「味付けは発売以来、変えていない」と胸を張る。

 騒動の前まで2工場で年間1億個を製造し、売り上げは約130億円を誇っていたという。まるか食品は、ゴキブリ混入の原因究明を進めているが、「特定は難しい」という。

 約150人の従業員は解雇せず、異物混入を防ぐ対策の検討を進めているが、製造・販売再開のメドは立たないという。まるか食品の担当者は「ファンの期待を裏切る結果となり、申し訳ない。早く安全な体制を構築したい」としている。
産経ニュースからの引用ここまで====
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イスラム国による日本人拘束事件にみる世界に対する脅威

テロ組織「イスラム国」による日本人拘束事件で、湯川氏が殺害されたらしいという報道があった。公開されているのは写真一枚らしく殺害と断定できるものではないが、状況は厳しいと言えよう。
むろんこの事件の前にも米国人などを多数殺害しており、すべてが許しがたい。
その悪辣で残虐な考え方を見ただけでイスラムを名乗っていても本来のイスラム教徒は全く違い狂信集団であることがわかる。
彼らは彼らにとっての異教徒を迫害し、危害を加えるだけではない。配下にいる民衆、とくに女性に対しても大変な迫害をしている。人権などという意識はみじんもない。
人権という観念が相対的なものでありイスラムの世界では通用しなくてもそれが正義だという考え方もあろう。北米のすべて、南米の多くの国、アフリカの多くの国、欧州のほぼすべて、ASEAN諸国のすべて、オセアニアのほぼすべて、南アジアの一部の国では人権は当然の正しい観念ことと国が認めている(現実が理想的であるとは言わないが)。日本も当然認めている。普遍的である。
もちろん、中国や北朝鮮、ロシアのように建前では人権尊重といいつつ全然違う国もあるし、人権より神様が決めた(正確には宗教団体が決めた)ルールが優先と堂々と主張する国もある。
人権を守るか守らないかはその国なり団体の勝手だ、という理屈はもう通らないのではないか。人権を脅かす国に介入しても内政干渉ではないということを国際ルールにしていい。

===
話を拘束事件にもどすと、日本政府は解放を求めるために交渉を試みたようだが、身代金の支払いには応じない姿勢だったようだ。
先日仏人が解放された事件があったようだが、仏国は裏で身代金支払いに応じたようだ。

日本ではおおむねテロリストの要求に応じない、身代金は払わないという考え方が広く支持されているようだ。一部には身代金を払え、イスラム国に都合の悪い人道援助をやめろと主張する阿呆の国会議員もいて、その発言がイスラム国にまた利用されているという無様ぶりだ。
もちろん被害者の関係者の心中を察すれば、内心身代金をはらってでも助けてほしいという考え方も理解できないではない。しかし、それをしてしまえばその金でイスラム国が武器をそろえ兵隊増やし、二匹目の泥鰌をねらってまた日本人が拘束される事態を呼ぶのは火を見るよりも明らかだ。
人命は大切だがテロリストに与してはならない。かつて日航機ハイジャック事件で「人命は地球より重い」と当時の福田首相は身代金を支払い、テロリストの釈放や逃亡を認めてしまった。人質は解放されてもテロリストを自由にし資金を与えたためどれだけの人が死んだか、ハイジャックが「うまい商売」と認識させ類似の事件がどれだけ起きたか。
「たとえ他人が100人死んでも自分が生き残ればいい」と考える人もいよう。人が死んだ生き残ったを人数の差し引きで計算してはいかんのかもしれない。そのとき解放された人にとって福田首相の決断が間違っていたというのは酷なことかもしれない。
それでも福田首相の決断は間違っていたと思う。

かつてイラクの人質事件では当時の小泉首相が自衛隊は撤退しない(それが武装勢力の要求)、テロリストとは交渉しないと発言したと記憶している。
これがテロリストを挑発することになったという批判も一部にはあったが、小泉首相に対する大きな反発は見られなかった。少なくともテロリストにとって日本人を誘拐しても何の実利も得られないという結果をもたらしたことは事実だ。

今回は首相の言い方が若干異なる。
スタートは日本の行動にあることは同じだ。イラクの人質事件では日本は自衛隊を出し、今回も中東歴訪時に「イスラム国の脅威を食い止める」ために200億ドルを拠出するとした。
当然連中には日本の行動は不愉快だし実質的に不利になる。
また、事件を受けても派兵なり資金提供なりをやめないとしたことも同じだ。
しかし、小泉首相は交渉しないと言ったが、安倍首相は金は出さないが話はするという姿勢だった。ここが弱腰と見える。
その弱腰を敏感に察知したのか、今回湯川氏を殺害して本気度を見せ、金が無理なら仲間の釈放をせよという路線変更をするのが効果的と考えたのであろう。

交渉をするのは正しいと思われるかもしれない。「話せばわかる」というのは観念的には美しい。だが、連中に道理もルールも通じない。通用するのは実利と力だけなのだ。
交渉をするということは様々な可能性を相手に与えることである。金は得られなくとも情報が得られるし、日本を通じてアメリカに影響を及ぼすことができるかもしれない。日本の世論に動揺を与えることができるかもしれない。
日本を交渉に引きずり出すだけでテロリストの事情によっては価値がある場合があるのだ。

かつての事件で小泉首相に対して「挑発しただけで何の行動もできない、していない」という批判が一部にあった。交渉しない、自衛隊も引かないと明言して挑発した割には救出につながる活動ができていないではないかと。
今回も友好国に「協力のお願い」をするだけでなにもできていないという点ではおなじようだ。

相手が実利と力しか理解できない連中であり、実利を与えて人質を解放させることは副作用が大きすぎるというならば、残るは力による解決である。
小泉首相のときにはまだ力による解決以外の方法があった。
武装グループは過激思想のテロリストではあるがまがりなりにもイスラム教徒ではあるという位置づけであった。ゆえにイラクのイスラム聖職者協会の仲介が有効だった。
今回は世界のイスラム教社会が彼らを否定しているし、自らが世界のイスラム教徒の最高指導者カリフだと言ってしまっている。もはやすべてを下に見てだれの話も聞く状態にない。
「挑発しただけで何の行動もできない、していない」と言われるのはある意味当然のことで、日本にできるのは他国に対して「お願いする」ことだけで、救出作戦をすることができないのだ。報復で空爆することもできんのだ。
独立した民主国家としてこれでいいのだろうか。

実利と力しか理解できない連中に対する抑止力はマイナスの実利と力による被害である。
日本人に手を出したらえらい目に合うという認識を持たせることが最終的に安全につながるのではなかろうか。
軍事力による攻撃もあるし、あらゆる経済的封鎖も有効だ。連中に資金が渡らないように経済封鎖をして、武器や資材、食料を提供する国・団体も叩く。人道支援であっても現地に食料や医療を提供するのは「国家樹立」を狙う連中を間接的に利することになるので、連中の勢力外に難民として逃亡できるように支援するのがいい。今やテロ集団とはいえ、支配地域では税金を徴収しているのである。こうした支配されている人を国外に脱出させるのである。

日本がテロリストにとって「怖い国」でなければこれからも日本人への被害が続く。また、それを恐れて報道や周辺国の支援で現地に赴く人が減るかもしれない。それは日本人の知る権利(正しく世界を理解すること)を損なうし、現地の人の生活にも影響する。回りまわって日本が平和や人権に協力しない国というイメージもつくだろう。

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イラクの人質事件でも今回でも「自己責任だ」と被害者本人や家族を責める人たちがいる。
また自己責任論に対する批判もあり、おそらくは陰謀論であろうが、政府側が矛先をかわすために自己責任論をあおっているという指摘もある。国民は国家運営に協力するし、国家は国民を守るものだ。だから、危険を承知で出向いたとしてもその人を守るのは国家の責務だという主張だ。
私はどちらの主張もどうかと思う。
まず、情緒的な判断として、危険を承知で出向いたとしてもその背景の違いがあると思う。報道や医療、現地支援で出向く人は最大限保護すべきだと思う。
だが、「就活でことごとく失敗したので憂さ晴らしで一旗揚げるためにイスラム兵士になるぜ」とか「自分探しで」とか「受け狙いでイスラムおちょくりに行く」とか、そこまで国家が保護せねばならんとは思わない。
仮に今後日本自ら人質救出作戦ができる法整備が叶ったとしても、そんなくだらない動機だったら日本の自衛隊員を危険にさらしてまで救助する必要があるとは思えない。
ただ、技術的な問題として、現地に出向いた動機がくだらないかどうかを判断することはできないので、一概にその動機に価値がないと責めることはできないとは思う。

今回、湯川氏は民間軍事会社を興そうとしていたらしく、実績作りに現地に向かったと報道されている。また、後藤氏は湯川氏を救出しようとしたらしい。
民間軍事会社の是非とか、後藤氏の判断の是非とか、後藤氏がなぜ個人で救出に向かうのかとか考えるべきことは多々ある。
だが、本人たちなりに真面目に考えていた結果であり、ご自身が危険を承知で出向いたということだろう。自己責任と言っていいとは思えないが、覚悟の上とは言えよう。

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さて話題を変えるが、イスラム国以外にも似たような事例があるとは思わないだろうか。
しかも国の体裁を整えてだ。

閉鎖的な国を作り、国民の人権など洟もひっかけず、他国人を誘拐し、軍事力で他国を恫喝する。北朝鮮であり誘拐されたのは拉致事件のことを言っている。

拉致した日本人を人質に外交的経済的実利を脅し取ろうとしているのである。イスラム国と同じ構図ではなかろうか。いや、イスラム国の事件では危険を覚悟して現地に行った人を拘束しているが、北朝鮮は日本に潜入して何の覚悟もない人を拉致したのである。より悪質だ。
ほかの人質事件への対応を考えれば、テロ国家である北朝鮮に屈してはいかんのではないか。
北朝鮮は人質の情報を小出しにして経済支援や国際的な制裁の緩和を狙っているが、独裁体制を利しては回りまわってさらなる害悪をもたらすのではないか。
むろん、日本に残された関係者は妥協しても救出してほしいという考えの人もいるかとは思う。だが相手に与えた利益が回りまわって世界のテロ組織を利したり、核兵器開発に使われたりするのである。そうでなくとも独裁体制が続き北朝鮮民間人(特権階級以外)を苦しめ続けることになるのである。
人道支援をするならば脱北者支援である。

そして敵の味方は敵である。北朝鮮を利する敵には同じく対抗措置をすべきだ。
かつて脱北して中国の日本公館に逃げ込んだ北朝鮮人が第三国に出国することを中国政府が妨害した。日本政府は中国政府に屈服したかに見える。
これで日本は脱北者に冷たいという印象を与えている。
韓国も同胞である割には脱北者に冷たい。そもそも韓国人拉致事件は日本人拉致に比べて数の上で膨大である割には問題にされていない。また、日本にいる在日韓国人にも冷たく、在人が韓国に行けば差別されるという。
これでは北朝鮮人民に逃げ場がない。
日本は北朝鮮政府を鋭く攻撃するが北朝鮮民間人には手を差し伸べるという姿勢を明確化したらどうかと思う。それは回りまわって拉致問題の解決を後押しするだろう。

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別の観点でイスラム国に似ている現実の国がある。
イスラム国はすでにシリアとイラクの一部を支配下に置いているが彼らの目指すところは別次元にある。
彼らの主張する「領土」は中東はもちろんのこと、北アフリカから中央アフリカ、南欧、中央アジア、中国やインドの一部も含む。彼らの「妄想」が実現すれば世界最大規模の国になるのは間違いない。

どうせ狂信集団なのだから全世界がイスラム国のものだと主張すればいいのに(バカっぽいから)と思うのだがそうしないのには理由があるらしい。
かつて「イスラム朝」が支配していた領土を復活する、という論理らしいのだ。したがって、イスラム教が支配したことのない日本や中国東部は含まれないし当然北米・南米も含まない。また、現在ではイスラム教が主流のマレーシアも含まない。
まぁ彼らなりの論理であって「失われた領土の復活」であり「侵略」ではないといいたいのであろう。

領土や国境などというものは、国家という概念が生まれて以来力の押し引きで常にうごいてきた。「本来は」などというものはない。近代になって国際法が意識されるようになり、条約やらなんやらで国境が固定されるべきという概念が生まれ、それを覆すのはよろしくないということになった。
一度でも自分たちの都合のいい状態があったらそれが「本来の姿」と言いたい気持ちはわからんではないがそんなものは通用するわけがないし、未来永劫(正確にはどちらかが絶滅するまで)続く戦争のもとだ。エルサレムを見よ。

一度支配したらそれは俺たちの「本来の領土」なんだからね。似た論理を振りかざす国がある。
お隣中国だ。
中国は大中華思想で「中華の夢」を実現せんとかつて「かつて中国の勢力範囲だったところは全部中国領土であるべき」と周辺諸国に圧力をかけている。
勢力範囲だったというのも大変身勝手な解釈である。
実際に支配したというわけでなく朝貢(皇帝に使者を送り貢物をして恭順を表明する)した国は全部中国の支配下にあるというのだ。朝貢した側に言わせれば近所に怖いやくざがいるから菓子折りもってあいさつに行って、どうかうちの店を壊さないでくれとあいさつに行ったに過ぎない。
しかも、中国は古代からあの地域にあった国家を都合よく自分たちの前身であると解釈している。
今の中華人民共和国は清でもないし漢でも唐でもない。今の中国の領土と言われている場所では様々な国が生まれつぶされ入れ替わり国境を動かし現在に至っているのである。民族もそれぞれ違う。
一度支配したら本来の領土と言っていいなら、元(げん)が支配していたのだから今の中国の多くは元、つまり今のモンゴルの本来の領土だといっても論理的に間違っていない。漢族出ていけといってもおかしくない。それをモンゴルが言わないのは「まともな国」だからだ。

今や中国の人口と経済力に欧米、日本も屈服してしまって何の文句も言わない。
現実に広い国土を支配し(そこにはチベットをはじめあきらかな侵略の結果もある)、さらに周辺の地域を侵略せんとするこの脅威はイスラム国の比ではない。やり方がうまいだけだ。
イスラム国はせっかちなのか5年で主張する領土を手に入れるという。攻撃されやすい。中国は100年、500年、千年の視点で物を考えている。攻撃されないようにじわじわと。
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2015年01月04日

うまいものの話:正月だけに餅の話

この時期お餠に飽きたら、なんてレシピが新聞やらWebページにのっている。
ばかばかしい。お餠に飽きるなんてことがあるはずがなかろうとおもうのだが世間はそんなものなのだろうか。
餠の話は以前にも書いたのだがまた書く。内容もたぶん同じようなもんになろう。

拙宅はお餠が好きである。
なぜ世間では正月一時期の食べ物とみなしているのかがわからん。年中うまい。
暑い夏とて炊き立てのご飯を食べるだろうに、つきたての餅ではいかんのか。
事実拙宅では年中パックのお餠を買う。餅つき機を買うこともかなり本気で考えたのだが、炊飯器からご飯を取り出すようにはお餅を簡単に扱えないと思ったので断念した。餠米と水を入れたら小さくなった餅がころころと出てくる機械が売り出されたら確実に買うと思う。

パックのお餅も充分に美味しいが、年末に予約を取って売る米屋のお餅や自宅の餅つきで作るお餅のようになにか「餠の繊維組織」を感じさせるようなぶりぶりと力強い餠が懐かしい。実際には餅にそんな繊維組織はないが。パックのお餅はなめらかすぎるのだな。特に材料に米粉を使った安いのはだめだ。国産杵つきに限ると思うがそれでもなめらかすぎだ。

さらに不満なのが外食で食べられないことである。
正月とて餅をメニュにのせる店は多くはないのではないか。
かつて、とある大きな飲食店で「全国のお雑煮フェア」と称して各種お雑煮を出していたので感涙しつつ腹がはちきれんばかりに食べた記憶があるが、お雑煮を外食で食べたのはそれきりである。
正月以外となれば、うどんを出す店のごく一部で力うどんとして出されるか、鍋を出す店のごく一部で締めのご飯やうどんの並びにひっそりとあるくらいである。磯辺焼きを出す店もなくはないがマイナーもいいところである。

同族のご飯をベースにする店は山ほどある。寿司屋は当然としてどんぶりもの全般、カレーライスなど洋食系もご飯がベースである。おにぎり専門店なんてのもある。外国料理の店でも日本風アレンジの店ではご飯を出す。ま、お米の国であるから当然。
しかし、他のでんぷん族を見てもそれぞれ活躍場所がある。
スパゲティ、ピザに専門店あり。うどんそばもしかり。サツマイモだって焼き芋屋があり、ジャガイモにもフライドポテトが幅を利かせているし専門店すらある。ベイクドポテトなんてものもある。
山芋ですら(?)麦とろだのとろろナントカだの主要メニュになりおおせ、専門店まであるというのに餠はそうはいかぬ。なぜだ。

専門店がないことについて、また季節営業であることについては、そうめんも同じようなものであるが、餅が「私たち似てるよね〜」と近づいたところ「僕らは季節営業とはいえ流しそうめんという檜舞台がありますしね。それに高級贈答品ですから」と冷たくあしらったという。
餅つきもイベントでは成立している。流しそうめんと比べて餅つきの魅力が劣るわけではないが商売としては流しそうめんが数段上だ。お金を出して流しそうめんを食べるのはあってもお金を出して餅をつくとか、餅つきを見るってない。ましてや贈答品としてはかなうはずもない。そうめんが言うことが正しい(言ってない)。

なぜこうなるのか。お餅に魅力がないというならわかる。お餅を好きなのなんて拙宅だけだというならわかるのであるが。
変な話ではあるのだが、毎年この時期にはお餅をのどに詰まらせる事故が報道される。気の毒ではあるが裏を返せばのどに詰まらせる危険を冒すほどうまいということなのである。
今や餅をのどに詰まらせる危険は誰しも知っている。ましてや老人が家庭にいれば常識と言ってよかろう。当人も注意もするだろうし家族も言って聞かせるだろう。
うまくもないのに風習だからといやいや食べているならここまで事故が起こるだろうか。うまいからだ。うまいがゆえにがっつき、のどに詰まらせる悲劇なのである。

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なぜ外食で食べられないのだろうか。

供しにくいという側面はあろう。
ご飯ならば温かいままジャーにストックし盛れば供することができる。
蕎麦やラーメンなど細い麺は数分茹でたら供することができる。
うどんのように太い麺はそうはいかぬがゆでおきも冷凍という手もある。ゆで時間が長いとはいえせいぜい20分。

餠の場合注文のたびに搗くのは当然無理として、固い餠に対して注文前にしておけることが少ない。
温めておくとでろんと溶けてしまったり、乾いてしまったりと始末に負えぬ。
注文を受けてから焼くにせよゆでるにせよ時間がかかる。電子レンジで温めれば早いが料理法が限られる。
屋台の磯辺焼きなんてのは注文を見越して焼いておくわけだが、経験と手間を要するしそれなりにロスがある(そうでなければとんでもないものを売っている)。

しかしそれを言ったらピザだって商売として成り立つまい。

うどん屋で温かい汁を張ったうどんを出すがごとく、雑煮を出す「餅屋」があっていいと思うのである。
餅屋という言葉自体が餅を外食で食べないことを表している。
餅屋というと餠をついて売る店であって、持ち帰り自宅で調理して食べるものである。さらにいえば年中営業の餅屋はほとんどない。越後製菓とか餠メーカーを別とすれば和菓子屋の一部が草もちを売っている程度である。また和菓子屋の草もちの多くは米粉を使った菓子としての餅であって、もち米をついて作る食事としての餅とは少々違う。

成り立つと思うのだが。外食としての餅屋。
うどん屋で温かいうどんにいろいろあるようにさまざまな具を合わせた雑煮を出す。雑煮の餅は角か丸か、焼くか焼かないかの議論があるが、裏を返せばバリエーションを増やせるということになる。具の種類×丸か角か×焼くか焼かないかであっという間にメニュは4倍。
ざるうどん、ぶっかけうどんがあるように焼いた餅をベースに大根おろしやとろろを添えたり天ぷらを添えたり(合わないか?)。鴨つけもいい。カレーと餠も合う。羊とほうれん草のカレーなんて本格的なのに焼いた餅。鉄板だ。

うーん自分でやりたくなってきた。誰か資本金を出してくれぬか。
ま、何の経験もない私がやるのは冗談としても、蕎麦屋やうどん屋、定食屋あたりの経験があれば差別化を考えてやってみたらいいと思うのだが、だれもやらないところを見ると受けないのか。

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餠を美味しいという人は多いと思う。私の周囲でも餅が好きという人はいる。
しかし、「太る」「胃にもたれる」ということで敬遠する向きもいるようだ。

結果としてそうなるのかもしれぬが、それは濡れ衣というものだ。
確かに餠は見た目よりもカロリーは高い。同じカロリーのご飯と比べると餠は小さく見える。
それは当たり前の話で餠は米を突き固めたものだからそうなる。冷静に重さと含水率を考慮して比べればいいのである。調理する前の餠は含水率が低いので相対的にカロリーは高くなるが要するに米だ。

胃にもたれると言っても特別に消化の悪い食品ではない。クリームやバターたっぷりの菓子や料理のほうがよっぽどたちがわるい。

結局は食べやすく美味しいから食べ過ぎるのである。食べ過ぎれば何でも太るし胃を悪くするのは当たり前のことである。
食べやすく美味しいからいかんと言われたら言い返せない(誰に?)のだが、食べにくく美味しくない食べ物を食べていて何が楽しいのか。それでないと健康が保てないのでは愚かなのではないかと思うのである。

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パックの餅は災害用の保存食料としても優れている。
災害時の食料といってもレベルがいろいろある。
災害直後の電気も燃料もなく、水も飲むための最低限の量しか手に入らないという段階がまずある。そこから、燃料はあるけど電気はないとか鍋はあるけど電子レンジがないとか、徐々に復旧していくものである。
電気も燃料もなければ固い餠は食べられない。せいぜい乾パンとかカロリーメイトのようなものだけになる。だからそれらが優れているといえばそうなのだが、これだけでは体の栄養はともかく心の栄養が足りない。毎食それでは参ってしまう。
だが電気が復旧して電子レンジが使えるとか、燃料があって鍋でもフライパンでもいいから使えれば餅が食べられる。調味料は最低醤油でもあればいい。
生の米ではそうはいかないし、パックのご飯(容器が食器になるタイプ)は電子レンジが必須である。袋タイプのレトルトならお湯で温めることもできるが時間がかかる。
ましてや乾麺あたりではどうにもならない。
汁ものを作れるようになれば、そこに入れるだけで雑煮になるし、いろいろ使い勝手がいいものである。
ストックしておくのも悪くないと思うがどうか。

拙宅でもストックしておくようにと思うのだが、欠点はいつの間にかなくなっていることである。

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日頃お餅を食べるという家庭でも多くはパックのお餅だろう。拙宅もそうだ。
日曜日になると臼を出してきて一週間分のお餅を搗きますなんて家庭があればそれは素敵なのだが。お父さんがねじり鉢巻きでね。上半身裸で杵をもってね。紅白の腹巻に猿股姿で。やっちまったなとか言うてね。それはクールポコや。

パックのお餅は見た目白い餠がパックに入っているだけで(当たり前じゃ)区別がつかない。その割に安いものと高いものの差がある。
食べてみればわかるが値段相応の、いや値段以上の差はあるのである。

ポイントは「国産もち米100%」「杵つき」である。そこに有機栽培などいろんなキーワードが乗っかっちゃうとさらに値段は上がるが、この二点は押えておきたい。。

「国産もち米100%」「杵つき」の餅を作る工場ではどのように作っているか。

まず米を選別する。むろん工場に搬入された時点できちんと選別されているのであるが工場ではもうひと磨きする。
光学センサーで色がおかしい米、異物を一粒ずつしらべ跳ね飛ばすのである。大量の米粒に対してそれをやるのであるから大したものである。
そのあと米は水につけ、蒸される。
蒸した米は回転する羽のついた機械でこねられる。その時点でぱっと見た目は餅である。昔ながらの餅つきでもいきなり杵を振り下ろしてぺったんぺったんと搗くわけではない。ぐりぐりと押し付けるようにこねる。これを機械でやるのである。
そのあとひと塊ごとに分けて移動するライン上にある臼に入れる。この臼とセットになっている杵が上から何度もつくのである。このへん、手でつくのと同じことを馬鹿正直に再現しているように思えて微笑ましい。製麺だと連続的に伸ばして押えて重ねてという工程で、見た目は手打ちとは似ても似つかないのだが手打ちと同じような腰を再現するのだ。そこが技術と言えばそうだし、味気ないと言えば味気ない。その点餠は本当に杵でついているのだからいい。あの機械の杵が上下しているのを一日中眺めていられるような気がする。

臼はラインを移動しつつ自ら回転する。それにより手で餅を返すのと同じ効果がある。手でやるのと違い手水をつけないので餅が緩まずよいともいう。これがまた、文字で表現することはできないのだがまるで見えない手が餅を返しているようでよいのである。これも一日見ていられる。
搗きあがった餠は平らな板に広げられ圧延冷却される。手作りの場合にのし板に広げるのと同じだ。ただもちとり粉を使わないので餅は粉っぽくならない。
冷やして固まった餠は切り分けてパックされる。

さて、「国産もち米100%」「杵つき」ではない餠はどのように作るのか。そしてそれはどうして安いのか。
「国産もち米100%ではない」としたら輸入米も入っているんですね、とたいていは思うだろう。違うのだ。
輸入品でももち米100%ならばまだよいのである。国産か輸入物かの区別はつきづらい。もち米ではないものが使われるから味が大きくちがうのだ。
安い品ではもち米ではなくもち米の粉が使われる。粉を使うと先に書いた製造工程で言うとこねるところでもう餅になってしまう。見た目は餅だがつくことで生まれる腰や食感がない。むろんもち米で作った餠でも杵でつくと(ちゃんとした和菓子の餅はそのようにする)食感がよくなるのだがわざわざコストをかけてそんな機械を入れるだろうか。
また、本来もち米の粉というものは伝統のある優れた食材である。
製法により白玉粉や道明寺粉などがあるが、これらは和菓子などに使われる優れた食材である。まっとうなものはきちんとしたもち米を加工するのであるからもち米よりも高価だ。
しかし、もち米の代わりに使って大幅なコストダウンになるのだから、どんなものかは推して知るべしだ。多くは輸入品だという。
また微細な粉になってしまえばさすがに光学センサーで異物や着色米をはねるわけにもいかない。果たして海外の製粉工場でそこまでの品質管理をしているかどうか。

さらにはもち粉ですらないでんぷんを入れたものもある。ある種のでんぷんを入れるとなめらかさや独特の腰が出るので重宝されるのである。なにか新しい食品として美味しいのかもしれぬが、餅としてはうまくない。

材料がいい加減で製法も手抜きでは美味しい餠になるはずがないのである。

1kg入りのパックで何百円という差がつくと思わず安いほうに目が向くが冷静に考えていただきたい。どんな高級品でも1kgで千円にはなるまい。お肉と比べてみていただきたい。けちるところではない。
ぜひ「国産もち米100%」「杵つき」を選んでいただきたい。
posted by Mozzo at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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