2015年02月17日

そりゃ静岡から人は逃げ出すでしょ

静岡空港に関する施策といい、静岡の川勝知事というのはどうも納得いかんと思っていたのだが、この記事はひどい。

引用ここから====
人口流出「南海トラフの恐怖大きい」と川勝知事
2015年02月10日 11時46分

 静岡県が昨年1年間、転出者が転入者を上回る「転出超過」で、2013年に続き全国ワースト2位になったことを受け、川勝知事は9日の記者会見で「非常に深刻に受け止めている」と述べたうえで、「南海トラフ巨大地震の破壊力に対する(県民の)恐怖が大きい」ことが人口流出に拍車を掛けている一因だとの考えを示した。

 さらに川勝知事は、国の地震被害想定は「内閣府が出した一種の脅しだ」と持論を展開。「(最大級の地震を)想定しておくのは結構だが、起こったことのないことを言わないでいただきたい」と疑問符を付けた。

 その一方で、県もこれに基づいた独自の被害想定を策定していることに触れ、「想定に対する防災対策を正面からやっている、最も安全な県だ」と防災先進県であると強調。県内の沿岸部に立地する企業などに対し、安全性を訴える働きかけをさらに進めていくことで「V字回復しないわけがない」と自信を見せた。
2015年02月10日 11時46分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

この意識で知事をやっているから静岡から人が逃げ出しているんじゃないのか?

あの阪神淡路大震災の前、人々は関西には大地震はないと信じていた。
変な話だが面白い歌でも有名な嘉門達夫さんが昔うたっていた曲で「やってミソ」とかいうのがあった(昔よく聞いていたのだ)。記憶があやふやだが、「世紀末世紀末、大きな会社は関西に本社を移しているってリアリー?」みたいな歌詞だった。関東に地震が起こるから関西に本社を移しているという噂だよってなことである。
だが、大震災の後、地震があったという事実を前提に調べてみると人間の時間感覚を超えているが確かに地震が起こるメカニズムがあったというさまざまな証拠が明らかになっていった。

東日本大震災にも似たことがあった。
震災前は東海〜東南海〜南海トラフに注目が集まっていて、東北はノーマークであった。地震学者自身がそれを悔いている。
地震の記録を見ると震災前は東北沖は空白になっている。
これが「地震が起きない場所」なのか「エネルギーを放出せずため込んでいる場所」なのかを見破れずにいたというわけだ。
地震があったという事実を前提に調べてみれば、やはりさまざまな証拠が明らかになっていったのである。

こうして地震学はまだまだ完全には程遠いのであるが、一つ一つデータを集め、知見を高めつつあるのである。
その最新の知見から警告しているというのに、川勝知事は「そんなの起きたことがないじゃん」と言っているのである。たかだか人間の時間感覚ですべてわかったような気がしてはいかんということをこの二つの大震災で思い知ったはずなのに。
物事を矮小化して目先の経済的な利益だけを追求しているようにしか見えないのである。
知事というのは昔の殿様かなんかと勘違いしていないか。
彼のやるべきは最新の科学的知見を真摯に受け止めることである。受け止めて最大限の対策を練るのが上策、どうにも無理というならむしろ「できるだけ早く静岡から逃げてください。被害を最小化しましょう」と言うことだ。人口稠密な場所が減れば被害は小さくなる。静岡がつぶれても被害が小さいのが日本全体の利益だ。自分のところが(本当は危険なのに)目先の人口が増えて経済が上向くことがそんなに大事か。
「安全性を訴える」なんてことは後回しでいいのだ。危険性を充分に認識して対策しているなという姿勢を見せれば信頼は後からついてくる。口先で文句を言っている場合か。
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2015年02月16日

子連れでも安全な街に

怪我がなくてよかったとはいえ、という騒動。
読売新聞から引用する。

引用ここから====
妹抱きベビーカー運ぶ母に手を引かれた男児が…
2015年02月15日 11時27分

 14日午後3時35分頃、横浜市西区のJR横浜駅で、横須賀線下り普通電車(15両編成)に乗車しようとした男児(1)が、ホームから線路に転落した。

 男児にけがはなかった。

 戸部署によると、母親が男児の妹を抱き、ベビーカーを運びながら男児の手を引いていたという。男児の転落を目撃した乗客が駅員に知らせ、救助された。JR東日本横浜支社によると、電車は約30分後に運転を再開、7本に遅れが出て、約4500人に影響した。
引用ここまで====

記事タイトルを見たとき、ああまた悲惨な事件がと思ったが怪我がなかったとのこと。それだけはよかった。怪我はなかったとはいえ男児は恐怖を感じただろうし、母親は狼狽したことだろう。心の傷がいえることをお祈りしたい。

手を引いていたとはいえ1歳と言えば思いがけないことをする天才である。乳児を抱きかかえベビーカーを運んでいた母親がとっさの行動を制止することはむつかしかっただろう。子供を二人連れているということは荷物も多いということだ。
男児を離さないほど強く手を握り締めていればそれこそ怪我につながる。手がおかしくなってしまう。かといって紐でつないでおくわけにもいくまい。
どうすればよかったのか。何かが足りない、間違っている。

記事の字面を追うだけで詳細はわからないが、乳児を抱きかかえつつベビーカーを運ぶという状況は何だったのかと思う。乳児(妹)をベビーカーに乗せておけば、男児のとっさの行動に対応する余力がまだあったのではなかろうか。
思い浮かぶのが最近のベビーカーに対する嫌がらせともいうべきバッシングである。
電車に乗るベビーカーが邪魔だと執拗に叩く人がいる。電車に乗る時にはベビーカーをたためだのひどい人は子連れは乗るなとまで言う。こうした声に押されてベビーカーをたたんで持っていたということであれば座視できることではあるまい。

混雑した電車にベビーカーというのが不愉快だというのもわからないではない。決して小さいものではないからスペースを取る。
だが、冷静に考えてみたらその批判は妥当だろうか。
ベビーカーに乗っているのは小さいとはいえ一人の人間なのである。大人と同じ権利があってそこにいる。しかも物理的に弱い立場だ。人ひとり分のスペースと弱い人間を守るスペースを確保するのは当然のことではないか。
ベビーカーが邪魔というなら乗っているあんたも同じく邪魔なのである。

子供が乗るのは許すがベビーカーをたためという人もいる。弱い子供を守るガードとして必要なものだと思うが邪魔だという。
だが妥当な主張だろうか。
混雑した電車で子供を抱きかかえるとしてもほぼノーガードである。危ない。
しかも、親は子供を連れベビーカーを持ち、子供連れゆえに増える荷物(おむつもあればミルクもある)を持ち、本来の目的(たとえば出勤)のための荷物も持っている。その状況ですべてを抱えて電車で立てというのか。やれるものならやってみろと言いたい。屈強なマッチョ男性でも耐えられるものではあるまい。

ベビーカーを叩く人は実際には子供や子供を持つ親が嫌いなわけではないのだろう。会社や商売で抑圧され、こき使われ、その鬱憤が弱く目立つ存在に向いているのだろうなと思う。それに、子供を育てているということは結婚とかその後の生活にそれなりに成功している人ということになるわけで妬みもあるんだろう。
もうちょっと冷静かつ客観的に考えればいいのにと思う。

ただ、大人一人で子供、ことに弱い乳児を連れて混雑する電車に乗ることはお勧めできない。自家用車でのお出かけも同じことで保護者一人での外出はお勧めできない。危険だからだ。
何度も言うが子供は弱いうえに思いがけないことをする天才である。大人一人で守り統御することができるとは思えないのである。
電車の中はまだしもである。駅のプラットホームや階段、エスカレータなんて危険ではないか。
走る車の中は安全対策は進んでいるとはいえ、一つ間違えば事故につながるものが山ほどある。いじったら大事故につながる装備もたくさんあるし、運転する大人を阻害する方法も山ほどある。
荷物なり車の運転なりに煩わされない大人が一人子供につききりになれなければいけないのではなかろうか。荷物を運んだり運転をする人が一人、子供の相手が一人、最低大人が二人いる必要があるように思う。

それでは核家族の家庭、ましてやひとり親の家庭では外出もままならないではないかと思うだろう。当然だが家庭に閉じて解決するのは無理だ。助ける人が必要なんである。

日本は他の先進国に比べてメイドやベビーシッターを雇う習慣がほとんどない。住宅事情の問題なのか人件費の問題なのか単なる慣習なのかわからぬ。
メイドがいればお出かけの荷物持ちはメイドにさせて、親は子供を抱くなり手を引くなりしていればいいのである。ベビーシッターがいれば無理に子供を連れて出かける必要はない。
家計が苦しい中そんな出費はできないという向きもあろうが、ほんの数年のことだし公的な扶助はできないものだろうか。雇用も増える。

また、駅では支援する人を配置することを考えていい。
現在でも車いすに頼る人が電車に乗る時、駅員が手伝ってくれる。改札からプラットホームに案内し、スロープ板を出入り口にかけてくれる。降りる駅に連絡をしてそこでも駅員が待ち構えていて降りるのを手伝ってくれる。
大人一人の子供連れにも同じように手伝いがあっていい。それで仕事量が増えるなら専門の人を用意すればいい。駅員と違って専門知識はいらないわけで、清掃や客の案内や雑踏の整理もかねて人を配置すれば効率的だし、安全と利便にも役立つ。決して重労働ではないから定年後のアルバイトにもよい。

考えてみれば移動困難者はなにも車椅子に頼る人や子供連れの人だけではない。怪我や病気、加齢で足元が危ういとき、荷物が多いとき、妊婦さんだって移動は困難だ。そういうときにその場にいる人が助け合うのは美しいがそれを当てにできるかどうかは保証の限りではない。
手を上げれば助けてくれる人(暇なときは別の仕事をしている)がいれば随分暮らしやすくなると思うのである。無論、頼むのを躊躇しない程度に有料であっていいし、それで経済的に成り立つように公的な扶助があっていい。

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2015年02月12日

アジアカップから豪州を排斥しようというレベルの低い話

サッカー自体には興味がないから全然見ていないが、どうにも肝が小さいというかナントカの穴が小さいというか情けな報道があった。長いので末尾に引用する。産経新聞から2件だ。

どちらの記事も先に行われたサッカーアジアカップのことである。強豪国の誉れに相応しい戦いぶりで豪州が優勝したとのことだ。

ん、アジアカップなのに豪州? 豪州はオセアニアではないのかという疑問を持つ方もいよう。記事に説明されている通り強豪国との対戦を通じて高めあいたいとオセアニアサッカー連盟からアジアサッカー連盟に移籍したというわけだ。

オセアニアにその他の強豪国がいなければ豪州は毎回優勝できる。それに甘んじることなくより強い相手を求めて他リーグに移籍するというのは戦略としてもスポーツ精神として素晴らしいことだ。また、豪州が去ったオセアニアではサッカー熱が下がるのか、それとも残った国が切磋琢磨してサッカー熱が上がるのか、まだまだこれからの評価だろうが、毎年豪州が優勝では面白くなかろう。ぜひ、その中から少しでも強く人気のあるチームが育ってもらいたいものだと思う。
また、二番目の記事にもあるとおり、アジアにとっても強豪国の豪州の存在は全体のレベルを上げることになり、世界との力関係(出場枠)も強くなるわけで歓迎できることだろう。

ところが、非公式の発言とはいえ豪州をアジアから排除しようという発想があることに驚く、というより情けない。記事にある通り、最近活躍が目立たない中東諸国からそうした声があると言われるし、決勝戦で負けた韓国も豪州がいなかったら韓国が優勝で、韓国がアジアのナンバーワンなんだもんもんと言わんばかりの発言だ。
強豪チームがアジアから出て行って、「弱い者同士のナンバーワン」になれたほうがうれしいのか。発想が貧しい。

また記事にある「日本とサウジアラビアは私たちより多く優勝している。これは私たちにとって恥辱だ」という韓国側の発言もどうかと思う。どういう精神構造だと思う。
スポーツは勝って驕らず負けて腐らず、勝者を尊敬し、敗者をいたわるものだろう。自分たちが勝って相手を蔑むことしか考えてないように見える。
仮に今回韓国が優勝したとして、日本人の精神構造なら「今回優勝できたことは誇らしいが、これまで決勝進出もなかなかできなかった。今回が単なるまぐれではなかったと言えるよう今後も優勝に絡んでいけるチームにしたい。『私たちより多く優勝している日本やサウジアラビア』に追いつけるように頑張りたい」というだろう。

これらのことに感じるのは文化としての貧しさだ。
贔屓のチームが勝てばなんでもいい。贔屓のチームが勝てば自分自身が偉くなったように感じる。相手のチームに対する尊敬がない。貧しい。

又聞きの話なので正確性に欠けるのだが伊達公子さんの話(たぶん)を紹介したい。

彼女は当時日本での人気が高まって合わせてテニスもブームになったものの文化として定着してないと感じていたという。テニスを文化として定着させたいという思いが強かったというのだ。人気があることと文化として定着していないということの違いが最初ぴんとこなかった。
流行り廃りがあることがいかんのか?
それが腑に落ちたのが彼女の「自分が失点すると会場でため息が聞こえる」のが文化として定着していない証拠だという主張だ。なるほどとおもった。
テニスが文化として定着していれば、別に贔屓の選手でなくとも好カードがあれば観戦に行くだろう。どちらを応援しているわけでもないから、一方がいいプレイをしてもう一方が失点したとしても出るのはため息ではなく、いいプレイに対する賞賛の声のはずだ。
仮に贔屓の選手が出ているとしても、相手が素晴らしいプレイをすれば賞賛の声を上げるのがテニスが好きということなのではなかろうか。応援している選手がいるのだから、相手がいいプレイをしたからと言って「その調子で優勝だ!」と思う必要はないが、「あのショットじゃさすがの伊達も取れないねぇ」と称賛する気持ちが自然と出るかどうかだ。

もしため息やらブーイングが出るとしたら、贔屓の選手であろうがなかろうが、だめなプレイをみせたときだろう。贔屓の選手が苦し紛れの緩い球を返して相手にとってはチャンスだったのに、相手が凡ミスで贔屓の選手が得点。ここは贔屓の選手が得点したからと喜ぶ場面ではない。あー残念、である。相手に「次のショットはうまくやれよ」という気持ちになれたらいい。ラッキーで得点した選手に拍手を送ることはどちら側をも貶めることになると思う。

なにも競技の技術について「見る目」が高くなければダメだということでもなかろう。
思い出すのはかつての日本ワールドカップである。出場国ごとにキャンプ地を構えるのであるが、各地の自治体もそれを誘致する。それぞれの地域はその国を支援するだけではなくだんだんと心情的に応援するようにもなってくる。決して日本では知名度の高くない国もあったが積極的にその国のことを学ぼうとしたり、ワールドカップ後の交流もしようという動きもあった。
とある国を受け入れた地域では、その国が早々に日本と当たることになり、日本人としては日本も応援したいが、地域で支援しているその国も応援したいと狭間に立った苦悩があると言っておられた。
これもまた文化的姿勢であるのだろう。どちらも応援したい。ただただいい試合を、せめて怪我のないようにと祈る気持ちが素晴らしいではないか。
私も今後国際的なスポーツ大会を観戦する機会があれば、ぜひ両国の国旗を両の頬にペイントして応援に臨みたいものだ。

観客も選手も競技を楽しみ互いを尊敬する。その域に達するか否かが文化として定着したか、言い換えればスポーツとして高い精神性を持っているかを判断することになるのだろう。

その点、今回の豪州にまつわる報道は文化としてあまりに低いレベルにあると言わざるをえない。

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視点を変えるとアジアだなんだという発想がすでに古いのではなかろうか。
毎回ワールドカップでは大掛かり過ぎて現実的ではないから、国を絞ってブロックを作るのは現実的だ。だが、そこに地域という概念を入れるのはすでに時代遅れではなかろうか。

どこの国でも参加も脱退も自由。そのブロックの規模と競技力のレベルでワールドカップへの出場枠を割り振るようにすればよろしい。そうすれば戦略的に出場枠が多いブロックに参加する国もあれば競合する国がないブロックに参加する国もあろう。

大体なぜ地域に縛られなければならんのだ。
交通も通信も貧弱な昔なら意味がある。
あまりに開催国が遠ければ選手や観客の移動も大変だし、テレビ中継もむつかしい。
昔は海外に行くには船の時代もあったし、飛行機も航続距離が短く信頼性も低かったので海岸伝いに何度も乗換給油しながらの旅だった。今は世界のほとんどの場所に直行あるいはトランジット1回で到着できる。便があればだが。
テレビだって昔は中継なんてできない時代、できても大騒動の時代があった。今ではちょっとしたバラエティ番組でも中継できる。
地域でしぼることについてそうした実利が昔はあった。今は関係ない。

そもそも「アジア」なんて広げてしまった時点で地域性なんてことが薄れていないか。日本人からするとアジアというと東アジアから東南アジアあたりを思い浮かべるがトルコまではアジアなのだ(だから今回中東諸国が話題に上がっている)。日本から出かければトルコに行くのもブラジルに行くのもさしたる差はない。遠いと言えば遠いし近いと言えば近い。物理的な距離よりも飛行機の便がいいか、通信インフラが同課のほうが距離を決める。

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こういうことを考えているという時点で、なにかスポーツに対して建前的なきれいごとを求めているような気もする。実際には国威発揚、メンツと金のかかった武器を使わない戦争と思うのが現実に近いのかもしれない。
だがそれを忘れてしまってもな、と思うのである。


引用ここから====
「アジア枠から出て行け」中東諸国から高まるアジア杯王者・豪州への“圧力”

産経新聞 2月11日(水)11時24分配信

 1月31日まで約1カ月にわたって行われたサッカーのアジア・カップは、開催国の豪州が初優勝を果たして閉幕した。2006年にオセアニアサッカー連盟(OFC)からアジアサッカー連盟(AFC)に転籍。07年に初出場してから3度目で手にした戴冠だったが、思わぬ逆風にさらされている。

 31日にシドニーで行われたアジア杯決勝。55年ぶりのアジア制覇を目指した韓国を延長戦の末に下した豪州は、前回大会で日本に敗れて準優勝に終わった雪辱を、自国で晴らしてみせた。ポステコグルー監督は「とても誇らしいことだ」と胸を張って見せた。

 豪州にとって、アジア杯は3度目。もともとは地理的にOFCに所属していたが、各チームで戦力に大きな差があり、豪州が楽勝する場面もたびたび。同国内では「予選などで対戦しても代表強化が進まない」と懸念の声が広がっていた。そのため、日本や韓国、イランなどアジアの強豪国と切磋琢磨する方がいいとして転籍を決めた経緯がある。しかし、アジア杯では11年カタール大会で準優勝、W杯も10年、14年と連続出場を果たすなど、アジアでも強豪の地位を築いてきた。

 一方で今大会中、このところアジアで目立った成績を挙げられていない中東諸国などから、不満の声が上がっているという報道も出た。AFCの幹部が「豪州を排除しようという兆しがある」と発言したと報じた。幹部はすぐに釈明したが、実際W杯出場などで厳しい立場に追い込まれた国もあるだけに、見逃せない動きでもある。

 ただ、豪州がもしAFCを脱退することになれば、AFCのレベル低下は避けられないことになる。そうなれば、アジアに4・5枠振り分けられているW杯の出場枠について、削減論が加速する危険性もある。現在、欧州や南米の強豪国と親善試合が組みにくい体制になってきている中、強豪国と真剣勝負する貴重な機会が減ることになりかねないだけに、日本にとっても無視できない状況になっている。
引用ここまで====

引用ここから====
「汚い」「他国を不愉快にさせる」準優勝でも尊敬されぬ韓国…「豪州の選手からユニホーム交換を拒否されていた」

 豪州で開催されたサッカーのアジア・カップで、韓国は1月31日の決勝で豪州に延長戦の末に2−1で敗れ、55年ぶりの優勝を逃した。昨年9月に就任したウリ・シュティーリケ監督の守備重視の戦術が奏功した一方で、決勝ではその肝心な守備で集中力を欠いた印象だった。指揮官は「選手を誇りに思ってほしい」と労をねぎらったまでは良かったが、豪州が「アジア大陸ではない」として敗者がいないなどと発言。「相手をリスペクトしていない」と物議を醸している。また、日本のネットユーザーは韓国が試合後のユニホーム交換を拒否されたと書き込んでいた。

 韓国紙・中央日報によると、シュティーリケ監督は「攻撃が優れたチームは勝つが、守備が優れたチームは優勝する」という哲学を持っていると紹介としている。準決勝までの5試合は確かに失点0に抑えていた。

 しかし、豪州との決勝で前半45分、ゴール正面で縦パスを受けたMFルオンゴの周りには韓国守備陣がいたが、ボールウオッチャーとなって一瞬動き出しが遅れて失点。延長前半15分ではゴール右の深いゾーンで豪州FWジュリッチを囲い込んだがボールを奪取しきれずクロスを入れられ、トロイージに決勝点を許した。その際もトロイージを韓国DFカク・テヒがマークしていたが、パスコースをふさぐ位置に体を入れていなかった。

 内容的には不満が残るはずだが、それでも1次リーグで敗退した昨年のワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、空港に帰国した時、選手らは「韓国サッカーは死んだ」と書かれた横断幕を持ったファンに侮辱を意味する“飴”を投げつけられる洗礼を受けたのとは格段の違いで迎えられた。中央日報によると、空港には約1000人のファンが集まり、多くの少女ファンはアイドルグループに熱狂するよう歓声をあげていた。「よく頑張った孫興民(ソン・フンミン)」と書かれた横断幕を持ったファンもいた。

 韓国にとって準優勝も1988年大会以来のことなので、結果に浮かれるのも無理もない。だが、日本は1992年大会以降、4度の優勝を遂げている。決勝戦を翌日に控えた1月30日の記者会見で、韓国のキ・ソンヨンは「韓国代表はずっと強いチームだったが、アジア杯の優勝は少ない。日本とサウジアラビアは私たちより多く優勝している。これは私たちにとって恥辱だ」と述べた。

 甚だしく礼を欠いた発言だが、ウリ・シュティーリケ監督も試合後「豪州はアジア大陸ではないので、優勝というか、今日の試合だけを見れば敗者がいない素晴らしい試合だった」と発言した。

 日本のネットユーザーからは「せっかく健闘したのに最高に格好悪い」「マジで恥ずかしい発言だと思わないのかね。日本人なら絶対に公でこんな発言しないよね」「相手をリスペクトすることってないのかね」と指摘した。

 さらに決勝前に複数の豪州サポーターが「日本代表は豪州との対戦で勝っても負けても侮辱したり異議を唱える発言をしない。勝敗に関わらず、良い影響を与え合うライバルだが、韓国は汚いサッカーをするし、負けたら難癖をつける」と書き込んでいたのを受けて、「その通りになっちゃいましたね」と呆れるしかなかった。

 追い打ちをかけるように、日本のネットには「試合終了後、韓国がユニホームの交換を断られた」との書き込みが散見された。必ずしなければならないことはないが、互いの健闘を称えあって交換するのが慣習である。

 拒否される場合もあるが、原因は相手に対して嫌悪感を抱く場合がほとんど。過去にイングランド代表のベッカムが韓国代表とのユニホーム交換を拒否した。12年6月にはスペイン代表が韓国との親善試合の際、ユニホームを交換しなかっただけでなく、握手もせずにロッカーに引き揚げたという話もある。

引用ここまで====

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