2015年02月12日

アジアカップから豪州を排斥しようというレベルの低い話

サッカー自体には興味がないから全然見ていないが、どうにも肝が小さいというかナントカの穴が小さいというか情けな報道があった。長いので末尾に引用する。産経新聞から2件だ。

どちらの記事も先に行われたサッカーアジアカップのことである。強豪国の誉れに相応しい戦いぶりで豪州が優勝したとのことだ。

ん、アジアカップなのに豪州? 豪州はオセアニアではないのかという疑問を持つ方もいよう。記事に説明されている通り強豪国との対戦を通じて高めあいたいとオセアニアサッカー連盟からアジアサッカー連盟に移籍したというわけだ。

オセアニアにその他の強豪国がいなければ豪州は毎回優勝できる。それに甘んじることなくより強い相手を求めて他リーグに移籍するというのは戦略としてもスポーツ精神として素晴らしいことだ。また、豪州が去ったオセアニアではサッカー熱が下がるのか、それとも残った国が切磋琢磨してサッカー熱が上がるのか、まだまだこれからの評価だろうが、毎年豪州が優勝では面白くなかろう。ぜひ、その中から少しでも強く人気のあるチームが育ってもらいたいものだと思う。
また、二番目の記事にもあるとおり、アジアにとっても強豪国の豪州の存在は全体のレベルを上げることになり、世界との力関係(出場枠)も強くなるわけで歓迎できることだろう。

ところが、非公式の発言とはいえ豪州をアジアから排除しようという発想があることに驚く、というより情けない。記事にある通り、最近活躍が目立たない中東諸国からそうした声があると言われるし、決勝戦で負けた韓国も豪州がいなかったら韓国が優勝で、韓国がアジアのナンバーワンなんだもんもんと言わんばかりの発言だ。
強豪チームがアジアから出て行って、「弱い者同士のナンバーワン」になれたほうがうれしいのか。発想が貧しい。

また記事にある「日本とサウジアラビアは私たちより多く優勝している。これは私たちにとって恥辱だ」という韓国側の発言もどうかと思う。どういう精神構造だと思う。
スポーツは勝って驕らず負けて腐らず、勝者を尊敬し、敗者をいたわるものだろう。自分たちが勝って相手を蔑むことしか考えてないように見える。
仮に今回韓国が優勝したとして、日本人の精神構造なら「今回優勝できたことは誇らしいが、これまで決勝進出もなかなかできなかった。今回が単なるまぐれではなかったと言えるよう今後も優勝に絡んでいけるチームにしたい。『私たちより多く優勝している日本やサウジアラビア』に追いつけるように頑張りたい」というだろう。

これらのことに感じるのは文化としての貧しさだ。
贔屓のチームが勝てばなんでもいい。贔屓のチームが勝てば自分自身が偉くなったように感じる。相手のチームに対する尊敬がない。貧しい。

又聞きの話なので正確性に欠けるのだが伊達公子さんの話(たぶん)を紹介したい。

彼女は当時日本での人気が高まって合わせてテニスもブームになったものの文化として定着してないと感じていたという。テニスを文化として定着させたいという思いが強かったというのだ。人気があることと文化として定着していないということの違いが最初ぴんとこなかった。
流行り廃りがあることがいかんのか?
それが腑に落ちたのが彼女の「自分が失点すると会場でため息が聞こえる」のが文化として定着していない証拠だという主張だ。なるほどとおもった。
テニスが文化として定着していれば、別に贔屓の選手でなくとも好カードがあれば観戦に行くだろう。どちらを応援しているわけでもないから、一方がいいプレイをしてもう一方が失点したとしても出るのはため息ではなく、いいプレイに対する賞賛の声のはずだ。
仮に贔屓の選手が出ているとしても、相手が素晴らしいプレイをすれば賞賛の声を上げるのがテニスが好きということなのではなかろうか。応援している選手がいるのだから、相手がいいプレイをしたからと言って「その調子で優勝だ!」と思う必要はないが、「あのショットじゃさすがの伊達も取れないねぇ」と称賛する気持ちが自然と出るかどうかだ。

もしため息やらブーイングが出るとしたら、贔屓の選手であろうがなかろうが、だめなプレイをみせたときだろう。贔屓の選手が苦し紛れの緩い球を返して相手にとってはチャンスだったのに、相手が凡ミスで贔屓の選手が得点。ここは贔屓の選手が得点したからと喜ぶ場面ではない。あー残念、である。相手に「次のショットはうまくやれよ」という気持ちになれたらいい。ラッキーで得点した選手に拍手を送ることはどちら側をも貶めることになると思う。

なにも競技の技術について「見る目」が高くなければダメだということでもなかろう。
思い出すのはかつての日本ワールドカップである。出場国ごとにキャンプ地を構えるのであるが、各地の自治体もそれを誘致する。それぞれの地域はその国を支援するだけではなくだんだんと心情的に応援するようにもなってくる。決して日本では知名度の高くない国もあったが積極的にその国のことを学ぼうとしたり、ワールドカップ後の交流もしようという動きもあった。
とある国を受け入れた地域では、その国が早々に日本と当たることになり、日本人としては日本も応援したいが、地域で支援しているその国も応援したいと狭間に立った苦悩があると言っておられた。
これもまた文化的姿勢であるのだろう。どちらも応援したい。ただただいい試合を、せめて怪我のないようにと祈る気持ちが素晴らしいではないか。
私も今後国際的なスポーツ大会を観戦する機会があれば、ぜひ両国の国旗を両の頬にペイントして応援に臨みたいものだ。

観客も選手も競技を楽しみ互いを尊敬する。その域に達するか否かが文化として定着したか、言い換えればスポーツとして高い精神性を持っているかを判断することになるのだろう。

その点、今回の豪州にまつわる報道は文化としてあまりに低いレベルにあると言わざるをえない。

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視点を変えるとアジアだなんだという発想がすでに古いのではなかろうか。
毎回ワールドカップでは大掛かり過ぎて現実的ではないから、国を絞ってブロックを作るのは現実的だ。だが、そこに地域という概念を入れるのはすでに時代遅れではなかろうか。

どこの国でも参加も脱退も自由。そのブロックの規模と競技力のレベルでワールドカップへの出場枠を割り振るようにすればよろしい。そうすれば戦略的に出場枠が多いブロックに参加する国もあれば競合する国がないブロックに参加する国もあろう。

大体なぜ地域に縛られなければならんのだ。
交通も通信も貧弱な昔なら意味がある。
あまりに開催国が遠ければ選手や観客の移動も大変だし、テレビ中継もむつかしい。
昔は海外に行くには船の時代もあったし、飛行機も航続距離が短く信頼性も低かったので海岸伝いに何度も乗換給油しながらの旅だった。今は世界のほとんどの場所に直行あるいはトランジット1回で到着できる。便があればだが。
テレビだって昔は中継なんてできない時代、できても大騒動の時代があった。今ではちょっとしたバラエティ番組でも中継できる。
地域でしぼることについてそうした実利が昔はあった。今は関係ない。

そもそも「アジア」なんて広げてしまった時点で地域性なんてことが薄れていないか。日本人からするとアジアというと東アジアから東南アジアあたりを思い浮かべるがトルコまではアジアなのだ(だから今回中東諸国が話題に上がっている)。日本から出かければトルコに行くのもブラジルに行くのもさしたる差はない。遠いと言えば遠いし近いと言えば近い。物理的な距離よりも飛行機の便がいいか、通信インフラが同課のほうが距離を決める。

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こういうことを考えているという時点で、なにかスポーツに対して建前的なきれいごとを求めているような気もする。実際には国威発揚、メンツと金のかかった武器を使わない戦争と思うのが現実に近いのかもしれない。
だがそれを忘れてしまってもな、と思うのである。


引用ここから====
「アジア枠から出て行け」中東諸国から高まるアジア杯王者・豪州への“圧力”

産経新聞 2月11日(水)11時24分配信

 1月31日まで約1カ月にわたって行われたサッカーのアジア・カップは、開催国の豪州が初優勝を果たして閉幕した。2006年にオセアニアサッカー連盟(OFC)からアジアサッカー連盟(AFC)に転籍。07年に初出場してから3度目で手にした戴冠だったが、思わぬ逆風にさらされている。

 31日にシドニーで行われたアジア杯決勝。55年ぶりのアジア制覇を目指した韓国を延長戦の末に下した豪州は、前回大会で日本に敗れて準優勝に終わった雪辱を、自国で晴らしてみせた。ポステコグルー監督は「とても誇らしいことだ」と胸を張って見せた。

 豪州にとって、アジア杯は3度目。もともとは地理的にOFCに所属していたが、各チームで戦力に大きな差があり、豪州が楽勝する場面もたびたび。同国内では「予選などで対戦しても代表強化が進まない」と懸念の声が広がっていた。そのため、日本や韓国、イランなどアジアの強豪国と切磋琢磨する方がいいとして転籍を決めた経緯がある。しかし、アジア杯では11年カタール大会で準優勝、W杯も10年、14年と連続出場を果たすなど、アジアでも強豪の地位を築いてきた。

 一方で今大会中、このところアジアで目立った成績を挙げられていない中東諸国などから、不満の声が上がっているという報道も出た。AFCの幹部が「豪州を排除しようという兆しがある」と発言したと報じた。幹部はすぐに釈明したが、実際W杯出場などで厳しい立場に追い込まれた国もあるだけに、見逃せない動きでもある。

 ただ、豪州がもしAFCを脱退することになれば、AFCのレベル低下は避けられないことになる。そうなれば、アジアに4・5枠振り分けられているW杯の出場枠について、削減論が加速する危険性もある。現在、欧州や南米の強豪国と親善試合が組みにくい体制になってきている中、強豪国と真剣勝負する貴重な機会が減ることになりかねないだけに、日本にとっても無視できない状況になっている。
引用ここまで====

引用ここから====
「汚い」「他国を不愉快にさせる」準優勝でも尊敬されぬ韓国…「豪州の選手からユニホーム交換を拒否されていた」

 豪州で開催されたサッカーのアジア・カップで、韓国は1月31日の決勝で豪州に延長戦の末に2−1で敗れ、55年ぶりの優勝を逃した。昨年9月に就任したウリ・シュティーリケ監督の守備重視の戦術が奏功した一方で、決勝ではその肝心な守備で集中力を欠いた印象だった。指揮官は「選手を誇りに思ってほしい」と労をねぎらったまでは良かったが、豪州が「アジア大陸ではない」として敗者がいないなどと発言。「相手をリスペクトしていない」と物議を醸している。また、日本のネットユーザーは韓国が試合後のユニホーム交換を拒否されたと書き込んでいた。

 韓国紙・中央日報によると、シュティーリケ監督は「攻撃が優れたチームは勝つが、守備が優れたチームは優勝する」という哲学を持っていると紹介としている。準決勝までの5試合は確かに失点0に抑えていた。

 しかし、豪州との決勝で前半45分、ゴール正面で縦パスを受けたMFルオンゴの周りには韓国守備陣がいたが、ボールウオッチャーとなって一瞬動き出しが遅れて失点。延長前半15分ではゴール右の深いゾーンで豪州FWジュリッチを囲い込んだがボールを奪取しきれずクロスを入れられ、トロイージに決勝点を許した。その際もトロイージを韓国DFカク・テヒがマークしていたが、パスコースをふさぐ位置に体を入れていなかった。

 内容的には不満が残るはずだが、それでも1次リーグで敗退した昨年のワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、空港に帰国した時、選手らは「韓国サッカーは死んだ」と書かれた横断幕を持ったファンに侮辱を意味する“飴”を投げつけられる洗礼を受けたのとは格段の違いで迎えられた。中央日報によると、空港には約1000人のファンが集まり、多くの少女ファンはアイドルグループに熱狂するよう歓声をあげていた。「よく頑張った孫興民(ソン・フンミン)」と書かれた横断幕を持ったファンもいた。

 韓国にとって準優勝も1988年大会以来のことなので、結果に浮かれるのも無理もない。だが、日本は1992年大会以降、4度の優勝を遂げている。決勝戦を翌日に控えた1月30日の記者会見で、韓国のキ・ソンヨンは「韓国代表はずっと強いチームだったが、アジア杯の優勝は少ない。日本とサウジアラビアは私たちより多く優勝している。これは私たちにとって恥辱だ」と述べた。

 甚だしく礼を欠いた発言だが、ウリ・シュティーリケ監督も試合後「豪州はアジア大陸ではないので、優勝というか、今日の試合だけを見れば敗者がいない素晴らしい試合だった」と発言した。

 日本のネットユーザーからは「せっかく健闘したのに最高に格好悪い」「マジで恥ずかしい発言だと思わないのかね。日本人なら絶対に公でこんな発言しないよね」「相手をリスペクトすることってないのかね」と指摘した。

 さらに決勝前に複数の豪州サポーターが「日本代表は豪州との対戦で勝っても負けても侮辱したり異議を唱える発言をしない。勝敗に関わらず、良い影響を与え合うライバルだが、韓国は汚いサッカーをするし、負けたら難癖をつける」と書き込んでいたのを受けて、「その通りになっちゃいましたね」と呆れるしかなかった。

 追い打ちをかけるように、日本のネットには「試合終了後、韓国がユニホームの交換を断られた」との書き込みが散見された。必ずしなければならないことはないが、互いの健闘を称えあって交換するのが慣習である。

 拒否される場合もあるが、原因は相手に対して嫌悪感を抱く場合がほとんど。過去にイングランド代表のベッカムが韓国代表とのユニホーム交換を拒否した。12年6月にはスペイン代表が韓国との親善試合の際、ユニホームを交換しなかっただけでなく、握手もせずにロッカーに引き揚げたという話もある。

引用ここまで====

posted by Mozzo at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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