2015年02月16日

子連れでも安全な街に

怪我がなくてよかったとはいえ、という騒動。
読売新聞から引用する。

引用ここから====
妹抱きベビーカー運ぶ母に手を引かれた男児が…
2015年02月15日 11時27分

 14日午後3時35分頃、横浜市西区のJR横浜駅で、横須賀線下り普通電車(15両編成)に乗車しようとした男児(1)が、ホームから線路に転落した。

 男児にけがはなかった。

 戸部署によると、母親が男児の妹を抱き、ベビーカーを運びながら男児の手を引いていたという。男児の転落を目撃した乗客が駅員に知らせ、救助された。JR東日本横浜支社によると、電車は約30分後に運転を再開、7本に遅れが出て、約4500人に影響した。
引用ここまで====

記事タイトルを見たとき、ああまた悲惨な事件がと思ったが怪我がなかったとのこと。それだけはよかった。怪我はなかったとはいえ男児は恐怖を感じただろうし、母親は狼狽したことだろう。心の傷がいえることをお祈りしたい。

手を引いていたとはいえ1歳と言えば思いがけないことをする天才である。乳児を抱きかかえベビーカーを運んでいた母親がとっさの行動を制止することはむつかしかっただろう。子供を二人連れているということは荷物も多いということだ。
男児を離さないほど強く手を握り締めていればそれこそ怪我につながる。手がおかしくなってしまう。かといって紐でつないでおくわけにもいくまい。
どうすればよかったのか。何かが足りない、間違っている。

記事の字面を追うだけで詳細はわからないが、乳児を抱きかかえつつベビーカーを運ぶという状況は何だったのかと思う。乳児(妹)をベビーカーに乗せておけば、男児のとっさの行動に対応する余力がまだあったのではなかろうか。
思い浮かぶのが最近のベビーカーに対する嫌がらせともいうべきバッシングである。
電車に乗るベビーカーが邪魔だと執拗に叩く人がいる。電車に乗る時にはベビーカーをたためだのひどい人は子連れは乗るなとまで言う。こうした声に押されてベビーカーをたたんで持っていたということであれば座視できることではあるまい。

混雑した電車にベビーカーというのが不愉快だというのもわからないではない。決して小さいものではないからスペースを取る。
だが、冷静に考えてみたらその批判は妥当だろうか。
ベビーカーに乗っているのは小さいとはいえ一人の人間なのである。大人と同じ権利があってそこにいる。しかも物理的に弱い立場だ。人ひとり分のスペースと弱い人間を守るスペースを確保するのは当然のことではないか。
ベビーカーが邪魔というなら乗っているあんたも同じく邪魔なのである。

子供が乗るのは許すがベビーカーをたためという人もいる。弱い子供を守るガードとして必要なものだと思うが邪魔だという。
だが妥当な主張だろうか。
混雑した電車で子供を抱きかかえるとしてもほぼノーガードである。危ない。
しかも、親は子供を連れベビーカーを持ち、子供連れゆえに増える荷物(おむつもあればミルクもある)を持ち、本来の目的(たとえば出勤)のための荷物も持っている。その状況ですべてを抱えて電車で立てというのか。やれるものならやってみろと言いたい。屈強なマッチョ男性でも耐えられるものではあるまい。

ベビーカーを叩く人は実際には子供や子供を持つ親が嫌いなわけではないのだろう。会社や商売で抑圧され、こき使われ、その鬱憤が弱く目立つ存在に向いているのだろうなと思う。それに、子供を育てているということは結婚とかその後の生活にそれなりに成功している人ということになるわけで妬みもあるんだろう。
もうちょっと冷静かつ客観的に考えればいいのにと思う。

ただ、大人一人で子供、ことに弱い乳児を連れて混雑する電車に乗ることはお勧めできない。自家用車でのお出かけも同じことで保護者一人での外出はお勧めできない。危険だからだ。
何度も言うが子供は弱いうえに思いがけないことをする天才である。大人一人で守り統御することができるとは思えないのである。
電車の中はまだしもである。駅のプラットホームや階段、エスカレータなんて危険ではないか。
走る車の中は安全対策は進んでいるとはいえ、一つ間違えば事故につながるものが山ほどある。いじったら大事故につながる装備もたくさんあるし、運転する大人を阻害する方法も山ほどある。
荷物なり車の運転なりに煩わされない大人が一人子供につききりになれなければいけないのではなかろうか。荷物を運んだり運転をする人が一人、子供の相手が一人、最低大人が二人いる必要があるように思う。

それでは核家族の家庭、ましてやひとり親の家庭では外出もままならないではないかと思うだろう。当然だが家庭に閉じて解決するのは無理だ。助ける人が必要なんである。

日本は他の先進国に比べてメイドやベビーシッターを雇う習慣がほとんどない。住宅事情の問題なのか人件費の問題なのか単なる慣習なのかわからぬ。
メイドがいればお出かけの荷物持ちはメイドにさせて、親は子供を抱くなり手を引くなりしていればいいのである。ベビーシッターがいれば無理に子供を連れて出かける必要はない。
家計が苦しい中そんな出費はできないという向きもあろうが、ほんの数年のことだし公的な扶助はできないものだろうか。雇用も増える。

また、駅では支援する人を配置することを考えていい。
現在でも車いすに頼る人が電車に乗る時、駅員が手伝ってくれる。改札からプラットホームに案内し、スロープ板を出入り口にかけてくれる。降りる駅に連絡をしてそこでも駅員が待ち構えていて降りるのを手伝ってくれる。
大人一人の子供連れにも同じように手伝いがあっていい。それで仕事量が増えるなら専門の人を用意すればいい。駅員と違って専門知識はいらないわけで、清掃や客の案内や雑踏の整理もかねて人を配置すれば効率的だし、安全と利便にも役立つ。決して重労働ではないから定年後のアルバイトにもよい。

考えてみれば移動困難者はなにも車椅子に頼る人や子供連れの人だけではない。怪我や病気、加齢で足元が危ういとき、荷物が多いとき、妊婦さんだって移動は困難だ。そういうときにその場にいる人が助け合うのは美しいがそれを当てにできるかどうかは保証の限りではない。
手を上げれば助けてくれる人(暇なときは別の仕事をしている)がいれば随分暮らしやすくなると思うのである。無論、頼むのを躊躇しない程度に有料であっていいし、それで経済的に成り立つように公的な扶助があっていい。

posted by Mozzo at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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