2015年02月24日

いい患者になろう

病院は混んでいて、待たされて、医者は話を聞いてくれなくて、看護師は忙しそうにこっちをほったらかしだ。という話はよく話題に上がる。
そういう一面はあるとは思う。だがすべてがそうではないし責めるべきは医療関係者なのだろうかと思うのである。

なるほど大病院はたいてい混んでいる。待たされる。
だが、街の開業医はそれほどでもない。
私の主治医(持病があるので定期的に通院している)は街の開業医である。
名医の誉れ高く、患者の話を親身に聞いてくれる。なんとか薬を減らそうとか、患者が楽になるような方法があろうと考えてくれる人だ。
故に待合室に数名しか待っていなくてもそれなりに待たされるがそれほどでもない。これほど素晴らしい医師、そして素晴らしい診察には大病院ではお目にかかれないというのに、患者が次から次へと押し寄せるほどではない。
丁寧な医師より手っ取り早く薬を出してくれる医師のほうがいいという向きもあるが、名医と評判でもこんなもの。開業医の個人医院なんてのはそんなもんである。

よく言われるように大病院信仰が過ぎるのではないかと思う。
大病院が特別レベルの高い医療を行っているわけでもない。
もちろん、珍しい難病とか最先端医療に関しては大病院に利がある。難病に関しては狭い分野で深く研究と経験を積んだ医師でなければ対応できないし、最先端医療には高価な機材や希少な薬剤を要することが多々ある。
だが、普通の病気に関して開業医が経営する小さな医院でも何の不足もない。
さらに言えば、自らの病気とその医師が得意とする分野がうまく合えば、遠くにある大病院にいる特別な専門医にかかるのと同じレベルの診察・治療が期待できる。
たとえば内科という大雑把な科目を標榜していても、アレルギーが得意とか、呼吸器が得意とか、消化器が得意とか、違いがあるのだ。それはその医師が開業する前に勤めていた病院の診療科に関係するのだろう。
無論一人の開業医で手が回らない部分もあるが、そこはうまく大病院と連携をとってくれる。
私の場合、主治医は内科とはいえアレルギーが得意分野なのだが、消化器系のことを相談したら大病院の専門医を紹介された。もちろん投げ出したわけではなく、大病院の専門医が診て治療方針が決まるとか症状が落ち着くようならあとは主治医が引き取ってくれるのである。主治医と大病院との掛け持ち受診は時間がかかって仕方ない。

別に大きいからいい、小さいからいいということではない。一番近くて通いやすいところが大きな病院であればそこが主治医になるのが理想だとは思う。
しかし、現状大病院志向が行き過ぎていて大病院の医師も看護師も疲弊している。忙しすぎて丁寧な診察を期待できない。一方で開業医は暇で経営的にも厳しい。
まず、自分にあった主治医を小さな医院で見つけることが正しい患者だと思う。
患者の行動が冒頭に挙げた病院が混んでいるだの待たされるだのという不満を生んでいるのではないかと思うのである。

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細かいことを言うのであるが、患者の細かい行動も病院の効率を落としていないだろうか。
医師が忙しいから患者の不満につながるのであるなら、医師の時間を無駄にしないような行動が患者にも求められるのではなかろうか。

待合室で呼び出しを待っていて、呼んでも患者がいないというのは言語道断だと思う。何度も呼ぶ間、医師は手持無沙汰なのである。呼ばれた当人は待たされているからと買い物に出たりしているわけだ。別にいなくても順番を飛ばしてくれたらいい、戻ったらすぐに診察してくれよと思っているのだろうが、その間に時間をロスしていることに神経が回っていない。
それはみんなの迷惑になる。呼んでいなかったらいったん受け付けはキャンセルになるくらいにすればいいのにと思う。
待ち時間を有効に使うのはかまわない。きちんと事務に伝えればいい。何時までに帰ってくると伝え、戻ったらその旨も伝える。そうすれば効率的だ。身勝手はいかん。

呼んだらいないというのは言語道断だが、いたとしても呼ばれてのんびりしているのもどうかと思う。
呼ばれてからのっそりと読んでいた雑誌を片付け、広げた荷物をえっちらおっちらとまとめて診察室へ向かう。小さな話だが時間の無駄だ。

大体、自分がもうすぐ呼ばれるのかどうかなんて周りを見ていればわかるだろうに。自分が来たときに座っていた人がいなくなったらもうすぐ自分の番なのだ。
もうすぐと思えば雑誌を戻し、荷物をまとめいつでも動けるようにしたらどうかと思う。
とろとろとしているだけで他人をいらいらとさせるものである。そう思う自分が狭量であるということは重々わかっているのだが、そう思われてしまうことは事実だ。しかも、そのとろとろとしているおかげでこちらの診察が遅くなると言えば他人ごとではない。たとえ面と向かって文句を言われずとも他人からとろとろしていると思われたくはないではないか。

さらに呼ばれたらきちんと返事をすることだ。
効率云々ではない。人間として呼ばれて返事もしないとはどういうことか。最低限の礼儀もないのか。病気で返事をするのも億劫なのかもしれぬが返事もしないようでは情けない。

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ここまでは要するに「とろとろしとったらあかんで」という話なんだが、もうちょっと積極的に効率的な患者になれないものだろうかということも考えたい。

私の場合持病があって、薬の種類が多いし長期間飲み続けている。
薬は飲み忘れもあるし、状態によって飲めないこともある。食事ができないときには飲めないとか。
そうなると薬によっては余ることがある。余ったら捨ててしまう人がいるそうだが医療費の無駄。当然今回はいりませんと断ればよい話である。在庫調整だ。
故に今回はこれがいらないとか、前回出さなかった薬を今回出してくれとか細かい話が多々ある。これが時間がかかる。間違いも起こる。

もう一つややこしいのが薬の話をしているときに医師は先行薬の名前しか覚えていなくて、こちらはジェネリック(一般名)しか覚えていないことである、
前にもこの話は書いたのだが、開発されてから長い薬は特許が切れてジェネリックが出ていることが多い。先行薬はその企業独自の商品名をつけるがジェネリックは一般名で売るというルールになっている。ルールができてまだそれほどたっていないので、ジェネリックにも企業独自の名前がついていることもある。ややこしい。
たとえば胃の薬であるランソプラゾールは先行薬としてタケプロンというものがある。武田薬品が出している。で、ジェネリックは一般名であるランソプラゾールで売ることになるわけで、これだけでもややこしいのであるが、新しいルールが適用されず「ラソプラン」とか「タピゾール」とか後発薬もある。
医師が「タケプロン」と処方しても患者が受け取る薬は「ランソプラゾール」だったり「タピゾール」だったりするわけでややこしいことこの上ない。

当然ながら患者の側は処方された薬の名前で憶えているが、医師は当初からの先行薬で憶えていることが多い。
故に話が通じない。
「今回ランソプラゾールはいりません」「えーと、タケプロンのことかなぁ」「そうでしたっけ」というような会話だ。

こんなことで時間をつぶしても仕方ない。私は出してほしい薬について表にまとめることにした。一般名と先行薬名も記載して、いつもはXX日分だが今回はいらないとかYY日分でよいというようなことを一覧にしたのである。
そうすれば話も早いし間違いもない。こういうものを作っていると自然と勉強することにもなる。なぜこの薬が出ているのが、どのように効く薬なのか。

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同じ理屈で、毎回説明に時間がかかっていると思うことがあれば文書にまとめておくことだ。
症状の説明、処方してほしい薬、出してほしい書類。なんでもまとめておけば医師も楽である。

医師の中には患者が勉強して文書にするなど「馬鹿にされた」と思う不届き者もいるという。そんなダメ医師は見切るに限る。
名医の誉れ高いわが主治医は最初に表にまとめて持って行ったら「これはじっくり見たいから紙をください」と言った。興味津々丸である。もちろん提出するつもりで持って行ったのだから差し上げた。
患者こうあるべしと医師仲間で参考にしてくれたらうれしいのだがそれは期待しすぎか。

まぁ医師の側から「あんた言ってることがまだるっこしいから、次から紙にまとめといてくれる?」とは言えない。患者の側から意識を高めて効率的に話が伝わるようにしたほうが互いのためだ。

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よく病院に行くので他の患者も観察するのだが、最初に挙げた「とろとろしとる患者」以外にもいろいろとどうかと思う人がいる。
自分のことを適切に説明することは必要なのだが、必要のないことまでしゃべり続ける人がいる。最近では患者の話をよく聞くことがよしとされているので無下に遮ることができないのだろうが、黙れと言いたいようなことを延々としゃべっている人がいる。
老人で話したい鬱憤がたまっているのだろうが、忙しく時給の高い医師に相手をさせることではあるまい。そこにニーズなり聞くことによる効果があるなら、別の人がまとめて聞くような効果的な仕組みが必要だろう。

さらにくどくどとクレームを入れる人もいる。
病院、医師とて人の子。間違いもある。なにがなんでも文句を言ってはいかんとまではいわん。言うべきは言うのが正しいが行き過ぎはいかん。病院の責任でもないことをぐちぐちねちねちと文句を言い続けてはいかん。
これまた患者の言うことは聞くべしという価値観があるため、こんなくだらない人の話をずっと聞かされる人がいる。その人も気の毒だし、忙しい病院スタッフが一人忙殺されるわけでほかの患者もいい迷惑である。なんとかならんか。

病院で待たされるのは仕方ないとしても、待合室で座ることもできないということもある。何時間もたちっぱなしでは難儀だ。
どうにもキャパシティが足りなくて椅子が足りないということもあるのだが、同伴者が多すぎるのではないかという人もいる。
患者が乳幼児や足元もおぼつかない高齢者なら付き添いも必要だろうが、そうでないのに何人も付き添って椅子を占領しているのはどうかと思う。普通の大人が患者なら病院近くまで付き添ったとしても待合室まで入ってくるべきではない。
さらにいえば、ほかの患者が立っているような状況であるなら付き添いは座るべきではない。病院なのだ。

単純に待合室が混むという問題もあるし、待合室には感染症の人も行き来するわけだ。無用に人を連れてくることもよろしくない。ことに子供はよろしくない。
兄弟姉妹が多い家庭では子供一人が通院するために全員連れていくなんてこともあるだろう。これがいかん。インフルエンザなど感染症であれば移す側にも移される側にもなる。「そんなこといったって」という親御さんもいるだろうが、子供を預けることすらできない生活環境の貧しさに気付くべきであろう。

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病院も町中にあるものもあればちょっと郊外にあるものもある。
その地域が車社会だと車で通院する人が多い理屈である。
車で通院するのが当然という場所なら充分に駐車場があるだろうし、車で来るなんて馬鹿じゃないのというほどの町中にあれば駐車場はないが車で来る人も少ない。
そこが中途半端な位置づけにある病院だと駐車場が足りないのにみんな車で通院するということがおこる。
通院するのが徒歩圏内の患者だけではなく、交通機関もあるにはあるが便利とも言い難いという状況だ。バスが30分に一本では車で行こうかとなるのもわからんではない。病気なんだし。
中途半端に駐車場があるのもいかん。数台分の駐車場があるだけなのに「当然自分は止められる」と思って出かけるのがドライバーというものなのだ。

そうなると付近に違法駐車があふれるわけである。「人が乗っていれば駐車じゃないんだもん」と付き添いで来ている人が車に陣取って止めているケースもあるが、迷惑度合いは違法駐車と変わらない。駐車と停車は違うとルール上ではなっているが、あんたの車が邪魔な状況になっても移動しないでしょうに。邪魔は邪魔なのだ。
ルール違反であろうがなかろうが邪魔だ。病院には救急車が来ることもある。一刻を争う。
「なんとか通れるから俺の車邪魔じゃないもん」と思っている時点でアウトだ。病院の周辺と導入路は駐停車禁止で止めるなり即刻検挙くらい厳しくてもいいと思う。救急車の中で不安な時間を過ごしたことがある人なら納得いくだろう。

これも正しい患者とはいいがたい(というか正しいドライバーですらないが)。

駐車している車両が邪魔というだけではない。
仮にエンジンかけっぱなしであるとすれば、病院には入院患者もいるのである。入院患者といえばことに住環境を悪化させてはいかん。

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ただでさえ調子の悪いときに行くのが病院である。気分が塞ぐ。
患者自身がさらに気分の悪くなるようなことをしないようにしたいものだ。
posted by Mozzo at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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