2015年03月10日

キス騒動? 民主党の乱暴で阿呆な論理に乗るな

自民党の議員と政務官が路上でキスをしていて、それを週刊誌が撮影掲載したという。
まぁゴシップを追う雑誌なんてのはくだらないことを追うもので、有名人ともいえない程度の二人がそんなことで紙面に載るというのもまさにくだらない話だ。
この話には裏があるという説もあり、政治的な力関係でリークしただのなんだの。ま、そんな陰謀説もささやかれてはいる。

ここまではゴシップ好きの下品なメディアが乗っかってという話でどうでもいい。
厳密にいうと、果たして無名の議員と政務官が有名芸能人や有名政治家と同等に扱われゴシップの種になることは許されるのかどうか、いや有名人であってもキスをすることは犯罪でもなんでもない。こんなことを取り上げて雑誌を売らんかなという連中は阿呆だと思うのだがどうか。

しかし、そんなくだらない話を政治の場で取り上げるとなれば話は別だ。
自民党の揚げ足取りをすることだけが存在価値に成り果てた民主党は「巨大与党のおごり」だのと批判して見せるが、そんなの政治と何の関係もない。政治と関係ないイメージ作戦で攻撃する、しかもそれを公的な国会の場でやるというのはそれこそ「出来損ない野党のおごり」だ。クラブ活動みたいなものなのだから、バラエティ番組にでもでてやればいいことだ。

そもそも、こんなことを国会で攻撃できるという雰囲気を作っていいものだろうか。流れで押されて頭を下げることになってしまっている。
こういう話題、つまり犯罪ではないことを取り上げるとき「ほめられたことでもないが」というエクスキューズを入れるものだが、ことはキスでしょうに? ほめられたことではないどころか、そこに愛が生まれているならほめられたことだし、ちょっと悪ふざけかなんかだったとしても微笑ましいというものだ。
この二人のいずれかあるいは両方に配偶者なり付き合っているパートナーがいるかなんてことは知らんし調べる気にもならない。仮に独身同士ならめでたい微笑ましいことだし、配偶者やパートナーが別にいたとしても、キスをしたから不貞だとかんがえるかどうかは当事者の問題で世間がきめることではない。

細かいことをいえば結婚しているならばそこに貞操義務という法律上の義務が発生し、その夫婦のあり方によっては他人とキスするなら貞操義務違反ということが問えないわけではない。だがそれも当事者の話である。

そんなことに公が介入することをよしとするのか。不愉快なのかなんなのかしらんが、国会で頭を下げさせるほどのことなのか。そこまでさせる理屈はどこにあるのか。

それこそ身勝手な倫理で個人を縛る、法律もなにもあったものではない、圧迫的な社会を目指していると言われても仕方あるまい。

自民党を攻撃できれば倫理も法律もどうでもいい民主党。それに言い返せない自民党。情けない。
くだらない民主党に攻撃されたら「キスなんて微笑ましいことですね。それが何か」といいかえす度量が必要なのだ。
posted by Mozzo at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

震災の日を迎えて改めて点検すべし

間もなく今年も東日本大震災の3,11がやってくる。
たくましく復興を成し遂げた地域・人たちもいれば、いまだ仮住まいで復興に遠い人もいる
地道に被災地支援を続けている人もいるし、日常に埋没して震災のことを忘れかけている人もいる。
そこは人それぞれだ。仕方あるまい。
なにも日本人全員が被災地支援だと動くことがベストでもない。
現実的に無理だし、困っているのはなにも東日本大震災の被災地だけではないし、そこに関係なく経済活動を進める人が大半でなければ日本は回っていかないし。
大半の人は具体的に被災地支援に動かずとも日々稼いで経済を回し税金を納めるのがいいのである。

災害はこの後も必ずやってくる。
我々一般人としては大震災を教訓に次の災害にどうふるまうのかを考える節目とすべきであろう。
高所に立って災害対策を考える立場でもない一般人は今なにをすべきか、できるのかである。

災害時に救助活動に従事できる技術も体力もない。被災地支援にいくばくかの寄付はするとしても、自分たちが被災者になる可能性もある。避難所に移動せねばならないほどの被災者でなく、被害はあったけれどもなんとか自宅で生活できる、生活に影響はあるけれどもという程度の被害をこうむる可能性はもっと高い。
拙宅も東日本大震災では被災者というほどのことではなかったが被害はあった。固定の甘かった家具は倒れ(甘かった。。。)、電気やら物流やら生活に支障はあった。

なにも災害は地震だけではない。
台風、豪雨豪雪、地滑りあたりは日本で珍しくもない災害だ。
即座に被害は受けないが、少雨日照りというのもある。

=====
一般人の我々が誰かを助けようなんてのはおこがましいのである。できるに越したことはないが、まず自立できる、他人様に迷惑をかけないということを考えねばなるまい。
思えば東日本大震災は未曽有の大地震ではあったが、地震の直接的被害が大きかったのは南北海道から東北北関東。しかも太平洋岸に限定される。千葉や東京でも液状化や建物内装の破壊、小規模な津波はあったが限定的だった。

ところが震災は日本全国の物流を叩いた。
遠く四国や九州の物販店でも物資が不足した。
意外なところに影響が出た。
もはや喜劇(関係者にとっては悲劇だが)と思ったのが清涼飲料水である。
本質である水もありペットボトルもあるというのに、キャップを作る会社が東北で物流も途絶えたことからペットボトル入りの清涼飲料水が払底したのである。
我々の消費生活はなんとあやうい物流ラインに頼っていることか。

日本全体が軽いパニックに陥った。
パニックと言っても商店の略奪があったわけでもなく、諸外国から見れば恐ろしいほどに静穏だったのであるが、飲料水、乾電池、簡便な食品(パンや即席麺など)、マスクなどなど様々な商品が店頭から消えた。むろん、買占めしなさんな、供給能力は充分で買占めするから店頭から消えるのだという冷静な声がメディアに上がったし、人々が奪い合いをするわけでもなく、混乱はすぐに終息した。
だが混乱は混乱だ。困った人はいたのである。

我々一般人がすべきは、せいぜい1週間補給なしで自立できる準備だ。それがあれば、他人様に迷惑をかけることもないし、混乱に巻き込まれることもない。

災害の種類にもよるが、最大でも2日持ちこたえれば最低限の飲料水は手に入るようになる。避難所には遅くとも2〜3日で軽食が配給される。これは悪い想定で、自治体が機能を失っていなければ災害当日に最低限の飲食は可能になるはずだ。
1週間あれば本格的な食糧支援が受けられる。自衛隊や民間の支援で温かいまともな食事が(毎食は無理でも)得られるようになる。
この想定が崩れるほどの災害であればまさにん日本沈没でそれこそ個人でどうなるものでもない。

で、前置きは長くなったが(前置きなのか?)非常食の話をしたいんである。

2日分の非常食と水、さらに1週間分のまともな食事の準備があれば他人様に迷惑をかけずに自立できると思うのである。
災害は多様なので何が不足するかはわからない。
何もない、という想定が2日間だ。
当座は手持ちの飲料水と乾パンや高カロリーの保存食でしのげるようでありたい。調理用の水も燃料も電気もなくて生きていける。地域によってトイレはその辺でOKかもしれぬし非常用トイレがなければ成り立たないかもしれぬ。
一日やそこらは乾パンでもしのげるが、それ以上はもうちょっとまともな食事がとれないと体が持たなくなる。カロリー云々は満たしても精神的にまいってしまう。
肉に野菜にとバランスのとれた食事とまでは言わないが、温かいご飯とおかずにちょっとした汁物がないと精神的につらい。
なにもちゃんとした料理である必要はあるまい。レトルトのご飯に魚の煮物の缶詰、即席みそ汁があれば充分だと思う。それでも乾パンでは得られない心の栄養が得られるというものだ。
むろんここは日常の慣れた食生活が人によって違うので「パンがなきゃダメ」という人もいるだろうが。

災害直後であれば調理用の水も燃料も電気もないかもしれない。
しかし、1〜2日もあれば何かは改善するはずだ。
電気の復旧はたいがいはやい。電線が切れただの変圧器が壊れただのという事故に対応するスピードは本当に早い。電力会社の現場の人には感謝である。
電気が復旧できないとすると直下型地震などで家屋が多数倒壊し、電気を通すと火災の可能性が大きい時だ。
そういうときは電気は使えないが、「燃料」はいくらでもある。がれきから木材のきれっぱしだの紙だのいくらでも燃やせるものがある。

災害の種類によって、電気が復旧して「掘り起こした」電子レンジが使えるようになるかもしれないし、電気ポットや炊飯器でお湯が沸かせるようになるかもしれない。その辺にある容器と廃材と川の水でお湯を沸かせるかもしれない。
逆に電気は復旧しないとか、その辺の廃材は水につかって薪にならないとかそういうこともありうる。
飲める水がふんだんに使えるかどうかも場合によるだろう。

それをかんがえると、熱源や水がどうあれ温かい食事がとれるものが優れた備蓄食料だ。

水と生石灰を仕込んだ熱源と、レトルトのご飯がセットになった非常用食がある。
紐を引っ張ると発熱し数分でアツアツのご飯が食べられる。これは便利だ。
燃料も水もいらないし、保存容器がそのまま食器になる。商品によっては温める際に上に缶詰やレトルトのおかずを置いておけばほんのり温かくもなる。
これは便利だ。災害直後にはもっともすぐれているといえよう。
だが、若干割高でもあるし、保存スペースを食う。
最初の数食はこれでもいいが、保存食料すべてをこれで賄うのはどうかと思う。

缶詰のご飯というものもある。
これは自衛隊も採用しているくらいで保存性は抜群である。
数十分湯煎をする必要がある。一度温めれば冬でも丸一日くらいはやわらかい状態を保つ。
保存性では優れているのだが、使い勝手がどうかとおもう。
まず量が多い。なぜか二食分くらいの容量の物ばかりだ。食べ盛りの高校生男子あたりならちょうどいいだろうが。むろん二度に分けて食べればいいのであるが、夏場など食中毒の恐れもある。災害時には冷蔵庫が使えないかもしれないし食器や手を洗う水にも事欠くかもしれない。
また、特に保存性を強調した商品は引っ張って開く缶切り不要のものでなく、昔ながらの缶切りを要するものもある。
缶詰はあるのにがれきと化した我が家から缶切りを掘り出せないというのは悲劇か喜劇か。

アルファ化米というのもある。
乾燥していて水かお湯を加えるとご飯に戻るというものだ。
乾燥しているから保存性は抜群である。このブログで期限切れのアルファ化米を配ってしまった騒動のことを書いた。賞味期限を何倍も過ぎたものが指摘されるまで気づかない程度に品質を保っていたわけである。光や衝撃を考えると缶詰に劣るかもしれないが、保存状態が良ければ缶詰に勝るとも劣るまい。
しかし、これは清潔なお湯が使えることが前提である。水でも食べられるが戻す時間が一時間くらいかかるし、清潔な水が必要であることは変わりない。水で戻すと食味は今一つだ。

保存用のご飯と言えばレトルトである。
これには二種類あって、平たい袋に入ったものと食器にもなる容器に入ったものである。
これは推測だが、平たい袋に入ったものは炊飯・調理したものを袋詰めしており、食器になる容器に入ったものは生米を容器に詰めて容器ごと加熱調理したように見える。そうでなければ容器にあれほど平たく滑らかに盛ることはできまい。

平たい袋に入ったものはなんといっても保管スペースが少なくていい。缶詰よりも省スペースだ。そして湯煎でも電子レンジでも食べられることが優れている。
食器にもなる容器に入ったものも湯煎で食べられなくはなかろうが、空間が開いているので湯煎時間はかなりかかる。むろん保管スペースが余計に必要だ。
食べるときに食器になるという違いはあるが、非常時であれば平たい袋でもそのまま食べられなくはない。若干食べづらいがどうということはない。
平たい袋に入っていると圧迫されご飯が押しつぶされているため食感は悪い。ふんわりしたご飯を求めるなら容器型に軍配が上がろう。

と、この辺の特性をねちねちと考えて拙宅では平型の袋のレトルトご飯を非常食として備蓄している。
大事なのは日頃から徐々に消費して補充することである。
気付いたら期限切れもいかん。いざとなれば期限切れで食べられなくもなかろうが、平時に期限切れに気付いたらそれはゴミになるだろう。それはいかん。
また、日頃食べていないということはそれを食べたらどうなるということもわからんということだ。思いのほかまずいかもしれないし、味はともかく胸焼けするようなくどさかもしれぬ。アレルギー的に合わないかもしれない。
非常時にはそういうこともこたえるのである。
日頃食べてみて慣れておくことも大事な避難訓練なのである。

一週間持ちこたえるということは一日3食として一人21食である。たとえば土曜日の昼ご飯を避難訓練の日と決めておいて、非常食にすると決めておけば充分にローテーションできる。毎週は無理でも月に3食消費・補充していけば十分だ。
主食であるご飯とおかずになる缶詰など、できれば即席みそ汁。それを備蓄することも立派な防災貢献なんである。

しかし、疑問に思うのである。米食というものはレトルトに向くし生米から調理しても水と鍋さえあればどうとでもなる。パン食の人はどうしたらいいのだろうか。
パンの缶詰というものもあるようで食べてみたがケーキというか菓子パンというか、主食にはならないと感じた。からっとしたフランスパンはじっとりした握り飯よりも保存性はあろうが、その場の在庫がなくなればしまいだ。
「アタシ、パンかパスタしか食べない〜。ご飯なんて嫌い〜」という人もいるらしい。個人的には納得いかないが個人の好みとあらばしかたあるまい。そういう人は災害時には大丈夫なんだろうか。
小麦粉があればなんとか食べられるものが作れるというならよいのだが。パンやパスタが好きと言っても乾パンが好きというわけではあるまい。温かいご飯とサバ味噌缶でほっこり食事している人を横目になにを食べるというのだろうか。
そもそも欧米人の非常食ってなんだ? 何を備蓄しているのだろうか。地震がないから備蓄していないのか? わからぬ。
アメリカ人の備蓄食料というと米軍のMREみたいなものが想像されるが、あれでは精神的にまいってしまうのではなかろうか。それとも彼らは気にしないのだろうか。アメリカ人自身があれはまずいと言っているようのだが。

ま、それはさておき。

人間いきていくには衣食住である。
着るものは当座あるものを着ればよろしい。水につかってダメになるかもしれぬが、乾かせばいいし、備蓄したところで水につかってダメになることは同じだ。清潔なタオルや毛布を多少なりともおいておけばいいし、それ以上のことはできまい。
住まいに関しても災害に強い住宅は追求したら切りはないし、費用もかかる。できることは限られている。
工夫ができて当座の生活の質を大きく左右するのは食だ。
電気か何らかの燃料か、さまざまな状況でなんとか心の平静を保てるような食事ができる準備をするのがよろしい。それはものを備えておくことと同時に訓練することも含む。
なにも自分だけ安楽な避難生活をすることをめざすのではない。備蓄があれば隣人に分け与えることができるだろうし、なにより病気になれば他人様に迷惑をかける。健康は食事からだ。

震災の日を迎えて、私は非常食で数日過ごすこととしたい。避難訓練だ。優れた保存食品に恵まれ別に苦難でもない。想定することが大事なのだ。
問題があるとすればレトルト食はよくできていてつい食べつくしてしまうことだろうか。補充が必要だ。
posted by Mozzo at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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