2015年03月14日

韓国の米国大使襲撃事件 テロリスト安重根と同じだ

米国の駐韓大使リッパート氏が襲撃された事件についてである。

まさにテロ事件。犯人の金基宗は北朝鮮寄りの人物であり、米国が演習などで軍事的に北朝鮮を圧迫しているとして犯行に及んだ模様である。

韓国国内の反応も様々あるようで、米韓関係の悪化を憂う人が大半のようだが、米国と韓国右派政党の自作自演劇と陰謀説を主張する人もいるらしい。
陰謀説を否定しきるだけの材料が私にあるわけではないが、順当に考えればこの事件は韓国の望むものではなく、むしろ北朝鮮が望んだというものであろう。北朝鮮からの支援指示があってのことかもしれぬ。

いずれにせよ許されざる事件なのだが、時代は大きく違えども安重根による伊藤博文の殺害との類似性を感じる。

安重根は朝鮮民族の独立を主張した。そこだけを見ればまぁ妥当な主張なのだが、当時の世界のパラダイム(強い国が弱い国を分配し支配する)、当時の韓国の国力からして、「理想はともかくとしてではどうやって?」という疑問が沸くものである。
ま、本人は自らの理念が正しいと思っていたのだろう。
当然うまくいくわけはない。

で、100%理想な状態は無理としたら、たとえ半分でもいいから望ましい状態に持っていこうというのがまともな発想である。
併合する前の時点、日本が韓国への支配を強める中、当時の韓国の支配層は「どうせ支配されるなら日本よりロシアがいい」と考えたらしい。結局それはかなわなかったが、現実的な発想でもある。独立が保てる国力でなければ(国力がなければ独立が保てない時代だ)、その誰が支配するかは選びたいというのは現実的だ。

もちろん、今の視点で見ればロシアに併合されるという選択肢はどうかとおもうだろう。しかし当時の人たちが当時の視点で日本とロシアどちらか、ならばロシアだと考えたとしてもそれはそれでいいことだし、現実的だ。結果はどうあれ、自分の判断をすべてではなくとも実現していくという考え方が現実的なのである。
しかし、安重根はどうにも現実的でないことばかり考えていたようだ。断片的には正しいだろうがすべては「みんなが自分と同じ考えを持っていればうまくいく」というものに過ぎない。そんなことは起きないし、実現するならすべての人間の考えを変えるだけの方法が必要なのである。
そこをすっ飛ばして理想をぶち上げて実現しないからと言って不満を抱え込んだわけである。
そこまでは凡人が到達する普通の結果に過ぎない。理想と現実。

ところが安重根は鬱憤をテロ行為に転換した。
韓国を支配している象徴である伊藤博文を殺害しようとしたわけだ。
反感を持ち殺してやりたいと思う気持ち自体は否定するつもりはない。独立を維持する力のない祖国、一方で支配を強める日本、と思えば恨みに感じるのはある意味自然だ。
私憤をぶつけるだけなら単なる殺人事件である。
伊藤博文を殺すことで自らの目的を実現できると信じているならテロリストである。決して目的は達成できないのに、暴力を行使するところがテロリストなのである。
勝負は時の運、うまくいけば日本の支配を排除できるという可能性が万に一つでもあるプランならまだしもである。どう考えても無理だろう。
というより、韓国はうまい具合に支配して、併合まではやめとこうやと考えていた伊藤博文を殺したことで日本の併合派は動いた。併合に否定的な勢力が大きかった日本の背中を押したとも言える。結果、日本は韓国を併合した。
歴史に「もしも」を問うても意味はないが、もし安重根が伊藤博文を殺さねば、日本は支配をしつつ併合はせず、韓国は独立を保ったままでいられたかもしれない。状況に応じて外交権などを取り戻すこともできたかもしれない。
私が韓国人なら安重根を国賊と呼ぶんだが。

さて今回の事件、犯人の金基宗がやっていることは安重根がやっていることと同じだ。北朝鮮の観点からすれば米軍が近くで演習をしているなど腹が立つのだろう。世界の警察官なんて認めない、遠く太平洋を越えてくるなよという考え方もあるだろう。
米国の支配を排除したいというのはわからんではない。
だが、実現方法がこれではだめだろう。
安重根と同じく、これではかえって米国の背中を押すというものだ。
大使を一人殺したところで米国が軍を引くわけがない。むしろ、北朝鮮を締め上げろという国内世論を形成しかねない。
中東情勢に比べると太平洋をはさんだ極東情勢については米国人は遠い国のことと考えがちだ。彼らが使っている世界地図にある通り、極東は太平洋をはさんだ先にあるのではなく、大西洋を挟んで欧州アジアをずっと行った先にある、という認識なのだ。

しかし、大使が一命をとりとめたとはいえ大怪我。米国世論も変わる。米国が態度を硬化させることはあるとしても、軟化させることはあり得ない。
それをやったのが金基宗。

結局自分が理想と思っていること(その是非はこの際問わない)が実現できないから象徴的な人物を殺そうとしたわけでこの二人の発想は同じだ。
無力ゆえ殺そうがなんの影響も及ぼさないというならまだしもだ。結果自分たちの首を絞めるようなことになるということに思い及ばないことも同じだ。理想を実現するのが困難ならそれこそ周到な計画と信念と時間が必要なのに、それができないのも同じだ。

同盟すべき米国を攻撃したテロリストだから非難する世論が盛り上がる韓国。
安重根は嫌いな日本を攻撃したテロリストだから義士と持ち上げるわけか。
道理も何もない。好き嫌いで動くのだということがわかるのである。
posted by Mozzo at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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