2015年03月17日

洲本の事件に思う もっと踏み込んだ体制が必要なのではないか

淡路島洲本の5人刺殺事件である。腹立たしい残忍な事件だ。

平野達彦容疑者は根拠のない意味不明な反感を募らせ、殺害に及んだらしい。
被害者への攻撃は長期、執拗なもので5年前には被害者をネット上で中傷したとして逮捕され、その後言動がおかしいと釈放・強制入院となった過去もある。
こうした経緯もあったため、被害者らから相談を受けた警察は「事件化はむつかしい」と答えたという。

なにかがおかしい。

「容疑者」とはなっているが犯行は明らからしく、裁判になれば罪に問えるか量刑はどうなるかが焦点となろう。
まず間違いなく弁護側は「責任能力なしゆえに無罪」を主張するだろう。
確かに「かなりイッっちゃっている」人なわけで、責任能力がないと言われてしまえばその通りなんだろう。現行法上あるいは過去の判例からいってそうなる可能性は高い。どう考えてもまともな判断力があるとは思えない。
だが、一方でインターネットを使って被害者を中傷したり、凶器を注文したりということはできたわけで、全く知能がないわけではない。
つまり、異常な思い込み(自分が全部正しく、他人が間違っていて、殺してもいいと思う)という点では異常であるが、論理的な思考ができないわけではない。それを責任能力なしと言ってしまうのはどうにも行き過ぎのように思う。

次に責任能力がないとして、それを無罪にするというロジックについてもそろそろ見直したほうがいいのではないかと思う。責任能力という言葉が悪いのである。つまり責任がないという発想になってしまう。社会に対して責任ある行動ができない異常者というべきである。
異常者を放置してはいかんのではないか。
死刑判決を出すとき「更生が望めない」というロジックを使う。まさにこの容疑者は「更生が望めない」のではないか。犯罪者に罰を課す理由として、罪に対する代償という意味、更生を図る意味と併せて、「危険な犯罪者を社会から隔離する」という意味がある。無罪で社会に放逐していいとは到底思えぬ。罪に問えぬなら厳重な監視のもと監禁すべきだし、本質的には「更生不可能」として死刑にすべきだと思う。

異常な言動から強制入院になったのに、その後退院して、それでもまた警察に相談が持ち込まれてという状況がどうにもおかしい。
まず、なぜ退院させたのか。その判断は正しかったのか。検証されねばなるまい。
さらに、強制入院させられるような人物に対して警察に相談が寄せられたらそれこそ「事件化」できなければおかしいだろう。その時点で即逮捕、せめて病院に逆戻りにすべきではないか。

さらにいえば、異常者がよっぽどの事件を起こしても警察が動かず、社会に放逐されているという現状をもう少し何とかならないかと誰しも考えるのではないか。何ともない人が異常者と名指しされレッテルを貼られるという弊害も考えられるわけでむつかしいのだが現状のままでいいとも思えない。
周囲からの訴えを機械的に処理するのではなく、人知をもって判断する必要があるのだろうと思う。警察やカウンセラーが動いているということだけでも抑止力になるし、何ともない人(いうなれば冤罪)というケースがあるとしても(むしろ警察に訴える側が異常というケース)、人間が時間をかけて取り組めば見抜けるだろう。
無論そこには大変な手間がかかるわけで予算的裏付けも必要だし、地域の協力も必要だろう。

何にしても、この事件もそうだし、数あるストーカー殺人事件など、異常な思い込みの果てに起こる惨劇を繰り返してはならない。
posted by Mozzo at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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