2015年04月09日

両親に無限の監督責任はない 当然の判決

以前もこのブログで触れた事件の最高裁判決が出た。

以前書いたブログはこちら。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/357166307.html

当然の判決だ。よかったと思う。

引用ここから====
小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし
2015年04月09日 22時20分

 子供が起こした事故が原因で死亡したお年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は9日、「通常は危険がない行為で偶然損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」との初判断を示した。

 そして1、2審の賠償命令を破棄し、遺族側の請求を棄却する判決を言い渡した。両親側の逆転勝訴が確定した。ほとんどの事故で親の監督責任を認めてきた司法判断の流れが変わることになる。

 裁判官4人全員一致の判断。認知症で徘徊(はいかい)する高齢者が起こした事故で、介護する家族が監督責任を問われる可能性があり、今回の判断は、高齢化社会で介護者の負担を一定程度軽くする影響もありそうだ。

 判決によると、2004年2月、愛媛県今治市の市立小学校の校庭で、放課後に子供たちがサッカーで遊んでいた際、小6男児(当時11歳)がフリーキックの練習で蹴ったボールがゴールと高さ1・3メートルの門扉を越えて道路に転がった。これをよけようとしたオートバイの男性(同85歳)が転倒し、足の骨折などで入院して約1年4か月後に肺炎で死亡した。

 1審・大阪地裁、2審・大阪高裁はともに、男児に過失があったと認める一方、11歳だったことから責任能力はないと判断。上告審ではこれを前提に、親の監督責任の有無が争点となった。

 判決はまず、男児の行為について「開放された校庭で、設置されたゴールに向けてボールを蹴ったのは、校庭の日常的な使用方法だ」と指摘。「門とフェンス、側溝があり、ボールが道路に出るのが常態だったとも言えない」とした。

 そして、親の責任について、「人身に危険が及ばないように注意して行動するよう、子供に日頃から指導監督する義務がある」と言及。ただ、今回の男児の行為について「通常は人身に危険を及ぼす行為ではなかった」とした上で、「両親は日頃から通常のしつけをしており、今回のような事故を具体的に予想できるような特別な事情もなかった」と監督責任を否定した。

 2審判決は、親の監督責任について「校庭ならどう遊んでもいいわけではなく、それを男児に理解させなかった点で両親は義務を尽くしていない」と判断、両親に約1180万円の賠償を命じていた。

 遺族側は、今治市には賠償を請求しておらず、訴訟では学校側の安全管理の当否は争点にならなかった。

 ◆親の監督責任=民法714条は、責任能力のない子供が事故などを起こした場合、「監督義務者」の親が賠償責任を負うと定めている。親がいない場合は、親代わりの親族や未成年後見人、児童福祉施設の施設長が責任を負う。監督義務を怠らなければ責任を免れるが、免責を認めた判決はほとんどなかった。

 ◆最高裁判決の骨子◆

▽親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある

▽通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない
2015年04月09日 22時20分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

裁判関係のことに触れるとき毎回書くのだが、裁判は単に責任の所在を明確にするためだけにあるのではない。
同じことが繰り返されないように今後どうあるべきかを示すものだ。

この両親に責任があるとしたら、事故を起こさないようにするのに何ができるというのか。小学校の高学年から中学あたりまでは判断力に欠けるところがあるが、騒動を起こす知恵や体力がついてきているし、大人の言うことを素直に聞くとは限らないというたちの悪い時期とは言える。
事故を起こさないようにするには四六時中監視するか、学校をフェンスでぐるりと囲うかである。紐をつけて縛っておくわけにもいくまい。
現実的には無理だ。

ではどうあるべきか。
死んだ人を責めるつもりはないが、バイクで道を走るからには身を守る能力と責任が求められるということなのだ。とっさに身をかわす体力や反応能力、多少のことでは倒れない足腰、危険を予知して行動する判断力。道路に飛び出してくるのは何もサッカーボールだけではない。風に飛ばされたビニール袋、猫や烏、鳩といった動物。物だけではない。不意に建物に反射した太陽で目がくらむかもしれないし、大型車が横を通って風にあおられるかもしれない。大型車なら見ればわかるが大きなビルの脇や橋に出るところで急な突風に驚くこともある。
言っちゃ悪いが当時85歳。その能力があったとは思えないのである。サッカーボールで転ぶくらいであるから。本人に自覚がないなら周囲の人間や公が運転をやめさせねばいけなかったのではないか。

記事では認知症患者の徘徊にも触れている。
線路に入り込んだり、道路を逆走したりで事故を起こし、民事で家族(保護責任者)に巨額の請求がされた裁判が相次いだのだが、「世の中そういうこともある」という前提で運転者や鉄道事業者、道路管理責任者にも注意・対策する責任があるということになろう。

世の中漫然と行動しても全くの安全な場所というのは幻想だ。危険があって当然、だからこそ対策する。
それがバランスの取れた考え方というものだろう。

それにしても事件から判決まで11年以上。あまりに長い。
この少年はもう23歳とのことだ。若い多感な時期というのに、重いものが常にのしかかっているような暮らしだっただろう。拙速はいかんのもわかるが、もうちょっとなんとかならんものかと思う。原告と死亡した男性の関係はわからぬが男性の子の世代として60代から70代というところか。これも重い。

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話は変わるが以前に書いたときも今回も裁判の大枠がわからなかった。
死んだ男性は事故から1年半後に亡くなったということだから、事故と死亡の因果関係について争点にならなかったのか? 寝たきりになり抵抗力が落ち肺炎になってなくなったとすれば、100%の因果関係が認められるとは思わないのだが。
次に、この事件は第一審で約1500万円、第二審で約1180万円の賠償という判決だったのだが、請求額はいくらだったのか(つまり原告の主張を裁判所はどこまで認めていたのか)が見えない。
いつも読売の記事は詰めが甘いように思う。

と、産経を当たったら原告の請求額は約5000万、事故と死亡の因果関係は第二審で認め弁護側が争点にしなかった模様。まあ引用しなおすのも面倒なのでまぁいいか。
posted by Mozzo at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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