2015年05月15日

人のふり見てわがふり直せ ギリシャ破綻を見てわが身を振り返ろう

ギリシャが常軌を逸している。
財政危機が叫ばれから久しく、EUからの支援もあったがさらなる支援をよこせと言い出している。借金を棒引きにせよとも。さらにはドイツに対してナチスドイツの行った所業に対する賠償金として約36兆円もの要求をするという暴挙に出た。

国家経済にも波はある。地政学的に恵まれないとか資源がないとかさまざまな理由で経済基盤が貧弱な国もある。そういった中で努力を重ねたが窮状如何ともしがたくということであれば周辺国つまりEUも手を差し伸べるだろうし、自立への道も見えてくるだろう。
しかし、ギリシャは比較的条件に恵まれた国である。気候穏やかで歴史もあり国中が観光資源のようなものである。農業も盛んでオリーブ生産が有名である。石炭をはじめ鉱物資源にも恵まれる。地道にやっていけば一時的に経済が落ち込むことがあっても自立できるはずの国である。というより、もっと条件に恵まれない国を財政的に助けねばならない立場であるはずだ。

ところが報道で見る限り内情が腐りきっていてなるほど財政危機に陥るのも仕方ないというものがある。
公務員天国であるそうな。高給を得ながらほとんど働かないというのは日本にもみられる現象であるが程度が半端ではないらしい。さらに親戚・知人に便宜を図るためにテキトーなポストを作って公務員に仕立て上げることもままあるそうな。そのため人口に占める公務員の割合が異常に高いとされる。
さらに、公務員を養う納税者もひどい。脱税するために税吏に賄賂を贈り税をまぬかれるという。財政規律もあったものではない。これで国家の屋台骨が傾かないわけがない。
とはいえ、EU加盟国。破綻すれば影響は他国に及ぶ。ギリシャの債権を持っている金融機関を持つ国も多々ある。強い経済力と厳しい財政規律を持つドイツを中心としてギリシャを救うことになった。私はこの時点でギリシャをEUから切り離し破綻させるべきだと考えていたがEUはそうしなかった(私の意見がEUに通るわけはないが)。

そこで一息ついたギリシャはある意味、味をしめたといえるのかもしれない。
支援とワンセットで財政規律の強化を課せられたのだが、これまでやりたい放題だった国民が近視眼的に反発した。
そして、パブロプロス大統領が誕生しとんでもない要求につながったわけだ。
言いたい放題。
彼らは「俺たちにやりたい放題させろ、その金を出せ。借金なんて言うな、金をよこせ」といっている。ドイツに対する言いがかりはさらにひどい。「ドイツちゃんよぉ。おめえずいぶん昔は悪だったらしいじゃねぇか。うちの親父も迷惑したって言ってるんだよ。なに!?もう落とし前はつけた!? 関係ねぇ。迷惑かけたやつはずっと金を払うんだよ、おら金よこせ」といっている。

こういう国がEUにいるということは国際的にはユーロの信用下落につながる。
追放すべきだ。

追放すればギリシャの債権は軒並み紙くずになろう。
それでも際限なく金を飲み込むギリシャに金を与えるくらいなら、その資金をギリシャの債権を持つ金融機関や国の支援に回したほうが建設的なのである。

まともな社会システムも経済基盤も財政規律もないままEUの一員になってなにか一流になったような錯覚をしたのだろうか。それとも昔からテキトー、ビンボー、借金は返さないでやってきた国がなにか間違ってEUに入ってしまったのか。

パブロプロス大統領がいくら駄々をこねようがEUは支援を渋るだろう。
中心となっているドイツとて金が余ってしょうがないっという状況にはない。厳しい財政規律を守るため、ドイツ国民はつましく暮らし高額の税に耐えている。それで健全財政にしたのに能天気なギリシャを支援するために金を使うではドイツの納税者は納得すまい。

EUからの支援を引き出せないパブロプロス大統領はいずれ国民の支持を失う。大体ドイツに対してナチスドイツの問題を吹っかけ36兆円と言い出した時点で破れかぶれだ。
すでにドイツは賠償を済ませているし、ドイツ国民の優秀性と勤勉さで経済を伸ばし、EU圏内の経済発展にどれほど寄与したか。ドイツフランスあたりが「俺たち豊かな国だけで経済圏作って豊かに暮らそう」という発想をしたら東欧も含めた欧州諸国はいまだもっと貧しいままのはずだ。
一部にはギリシャはいまだドイツに対する賠償の請求権を失っていないという説があるらしいが、表面的なロジックはともかくこれまでドイツが果たしてきた義務と貢献を無視して搾り取るようなことが許されるはずはない。国の品格というものを考えないのか。

パブロプロス大統領が支持を失ったところでまた甘言を弄してEUから支援を引き出すとうそぶく人物が大統領になるんだろう。その繰り返し。真に国を立て直すために改革する人物を支持するギリシャ国民の自覚が生まれるまで続く。

ギリシャといえば歴史が古いだけでなく文明先行の地として尊敬されてきたはずなのにね。残念だ。

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この様をみていろいろと思い浮かぶ。

ギリシャは経済規模から言ったら神奈川県より小さなくらいだそうだ。Wikipediaさんに書いてあった。
身もふたもない言い方になるが、物理的に遠い国で経済規模も小さいなら、破綻しようが日本に大した影響はないのだろう。EUに影響してそれがEU全体の問題になると大きいからEUから切り離したほうがいいと私は思うのかもしれない。これがEU域内の人だったら「主張はわがままでも友人を捨ててはいけない」と考えるのかもしれない。
ま、個人的立ち位置は別としてきっちり破綻したほうが「すっきりする」というのはあるが。

公務員を中心とした腐敗、公金に対する国民の異常な感覚、借金に対する感覚。日本人として理解しがたい部分があるが、遠い国のことと対岸の火事のように見ていていいのだろうか。

まず日本の中にそういう要素はないか。
一部公務員の非効率ぶりは非難していい。ホワイトカラーを中心に効率が低い。
民間のやり方にしたら人数を半分にして倍の仕事をこなせるのではないか。その日本の民間企業ですらホワイトカラーの生産性は低いと言われているのだ。
仕事っぷりがゆっくりだし、わざと仕事を複雑にして仕事を増やしているとしか思えない一面がある。当人たちは自分たちの作ったルールの中で一所懸命やっているつもりなんだろうがもうちょっとやりようがあると思う。それに気づかないのだろう。

橋下氏が大阪都構想で批判する通り、大都市は二重行政という三重行政というか、無駄なポストが山ほどある。国があって県があって市があって区があって。それぞれに組織があって代表やらなんやらいるのは明らかに無駄だ。技術がない昔ならいざしらず、ITの発達したこの時代にこんな組織がなくてもなりたつのである。

だが、現場の公務員は足りていない面があるとも思う。自衛官、警察官、消防士、医師、看護師、その他福祉関係などなど。医師、看護師、福祉関係は民間に任せっきりの部分があるが、本来公務員で賄うべき性質のものではないか。商売のラインに乗るものではないからだ。

あるべき姿を考えるとホワイトカラーの公務員は余っていて現場が足りない。プラマイゼロだからいいやというのは乱暴な考え方で、正さねばならない面が多々ある。ただ公務員にテキトーなポストを作って親類縁者を公務員にしてしまうほどのでたらめをしているわけでもない。市民オンブズマンの仕組みも浸透している。
人件費の使い方に問題はあるものの総量としてはギリシャのような問題には陥ってはいないとは思う。

だが、ギリシャを他山の石として規律を常に見直す必要はあろう。
なぜか大阪で多いのだが、公務員が病欠をしながら自分の商売をしていたとか、身内の企業に便宜を与えていたとか、いかがわしい団体が公金をかすめ取っていたとか、公に対する態度が甘い面がないわけではない。
許認可権限を持つ役人と利益を受ける業者とそれを支える政治家がそれぞれ協力し合って不透明な状況を許しているという例は枚挙にいとまがない。
これは「きれいごとじゃ経済うまくいかないし」とか「俺たちにも旨味があるし」などと改善をしない政治家に投票する選挙民にも責任があるのだ。目の前の餌を食べんがためにトータルで税金を無駄遣いされ吸い上げられているのにだ。

必要なら既存権益を否定することができる政治家を選べるのか。選挙民の見識が問われている。
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マクドナルドに見る 味が濃い志向は異常だと思う

最近あのマクドナルド、外食産業の巨人であるマクドナルドの経営が厳しいという。
中国産の鶏肉問題もあり、異物混入問題もありと大きな問題もあったし、そもそもの経営戦略にも問題があるとも指摘されている。
世界的に店舗閉鎖、フランチャイズへの売却が進んでいるとか。

マクドナルドがだめになったという声はそこかしこから聞こえる。
高価格帯商品を投入しつつ、客数を増やしつつ、ファミリーユーザーを取り入れつつ、客席の回転率を上げるなんてことができるわけがないのである。高価格のナントカバーガーは一定の支持を受けたらしいが、普通の食堂で定食が食べられる価格なのに狭くて居心地の悪い席で食べさせられるのでは客はそのうちそっぽをむく。
また、24時間営業店舗も評判が悪いようだ。かつては神経質なまでの清潔・清掃が売りだったのに荒れている店舗があるという。
私もファストフードでのアルバイト経験があるのでわかるのだが、衛生清潔を保つためには営業を止めて機械を分解洗浄するとか店内をブラシ掛けするとか大掛かりなことをせねばならんのである。メンテナンス要員という専門の人が夜間にやるのが通例だ。
年末大晦日にオールナイト営業をするのが恒例であったが、いくらモップをかけようが店が薄汚れてくるのがわかるのである。かの東京ディズニーランド(大みそかはオールナイト)ですら元日も時間が過ぎると薄汚れて見えるものである。

24時間営業がいかんとはいわん。24時間営業でも清潔な店もある。ただ、24時間営業をするだけのハードウェアと営業ノウハウがあってのことでなければだめだ。

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ひごろマクドナルドを利用しているわけではないが、不意に食べたくなることがある。天下の美味とは言わないが食べたくなるのである。夜明けまで続く健全な飲み会の後に食べるソーセージエッグマフィンの塩辛さとコーングリッツ(マフィンにまぶしてあるトウモロコシの粉)のざらざらとしたのど越しがたまらない。ビッグマックはむしろあのソースを抜いてもらうほうがうまいのだが、手と口がぐちゃぐちゃになるあのソースもまた一興。
そういうわけでモーニングの時間帯ならソーセージエッグマフィン、通常時間帯ならビッグマックかケチャップ抜きのダブルチーズと決めていたのである。よっぽどおなかがすいていればポテトをつけるかどうか(たいてい胸焼けで後悔するのだが)。

で、かなり久々にマクドナルドに行ってみた。苦境といわれると応援したくなるのもある。
で、かなり珍しいことにいつものメニュから浮気した。マクドナルドでビッグマックとダブルチーズ以外のものを買うのはもう何年振りか。覚えていないくらいのことだ。
照り焼き月見バーガーとか(名前はうろ覚え)というのがおすすめだったので選んだ。ポテトもシャカシャカポテトの梅ナントカ味とかいうのがさわやかそうなので選んだ。

大失敗。

照り焼き月見バーガー。パンに肉に焼いた卵。ここまではいい。だがこの照り焼きソースというのはなんだ。甘くてしょっぱくてくどくてぐちゃぐちゃして。
最悪である。
照り焼き月見バーガーの照り焼きソース抜きというオーダーは可能なのであろうか。肉と卵とパンである。まともな材料なら塩コショウだけで美味しいはずである。あのぐちゃぐちゃの呪われた沼のようなソースになんの意味があるのか。
もちろん、本来の照り焼きとは似ずして非なるものである(それは別物や)。
本来の照り焼きはみりんなどの糖分を含んだたれをつけては焼き、つけては焼きしたものである。糖分が照りを出すのである。
ところがこうした照り焼きソースは焼き上がりにどっぷりつけるだけである。醤油と糖分が使われているほか、粘度を出すために増粘多糖類が使用されている。

シャカシャカポテトの梅ナントカ味は食べる前の時点で、店員が用意ししているのをみて仰天した。
ポテト自体は通常のフライドポテトと共通なのは当然である。ナントカ味用に違う芋を使うはずがない。
で、通常のフライドポテトは揚げた芋に塩を中心とした調味料を振りかけたものである。ナントカ味は通常の調味料の「代わりに」ナントカ味の調味料を振りかけるものだと思うではないか。実態は通常の調味料に「プラスして」であった。すでにしょっぱいフライドポテトにしょっぱいナントカ味の調味料を振りかけてシャカシャカしろと言っている。
当然しょっぱくてくどいものになった。

マクドナルドにも商品開発部門があるはずだ。
日頃商品候補の甘くてしょっぱくてくどいものを試食しすぎておかしくなっているのか。
あんなものを美味しいと思う人が多数派だとは到底思えないのである。あれを美味しいと思って出しているならば経営も傾くのは道理と思うのだが、あれを美味しいと思う人が多いというならば恐ろしい事態だ。

マクドナルドはCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)戦略としてマクドナルドの味を子供に刷り込むことを公言してはばからない。
まぁ公言するかどうかは別として、味を覚えてもらって長らく人気を得たいということはなにもマクドナルドだけがやっていることではないのでそれ自体は責めることではない。
だが、それが味が濃く甘くしょっぱくくどいものであるなら警戒したほうがいいように思う。トマトケチャップなんてのも砂糖が大量に入っているのである。ケチャップが甘いものだという意識すら持たずに普通の物になっているとしたら恐ろしいことだと思う。
先に挙げたソーセージエッグマフィンもあまりにしょっぱいので一度「塩をかけないでもらえまいか」と頼んだことがある。ところが、もともと肉に味がついているのでできないという答えだった。あのしょっぱさだとおそらく一日の食塩の摂取量上限に達するのではないか。何かがおかしい。

あんなものを食べていたら健康にも悪いだろうが味覚を破壊してしまう。
マクドナルドのすべてがいかんとは言わない。また味覚がおかしいと思うのはマクドナルドだけではない。おかしな外食企業が山ほどある。
マクドナルドだけではないがあのケチャップやらソースの多用は問題だと思うのである。
ハンバーガーはケチャップを抜いてもらうくらいで満足できねば味覚が狂い始めていると思ったほうがいい。肉自体に濃い味がついているようだ。ピクルスも濃い味なのでそれで充分なはずだ。
濃い味で満足できなければ素材の微妙な味はわからない。それがとてもおいしいこともわからない。ケチャップやソースでぐちゃぐちゃにすることは誰でもできるので、どの店で食べようが関係なくなる。
食べることだけの人生の大事ではないので、そんなことはどうでもいいと思う人はいよう。それは否定しない。だがそれを提供する側は「どこで食べても同じこと」と思われているということに耐えられるのだろうか。
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子ザルに王女の名をつける 是か非か

悩ましいなぁと思う報道。

引用ここから====
やっぱりシャーロット…「王女祝う気持ち尊重」
2015年05月09日 00時00分

 高崎山自然動物園(大分市)が雌の赤ちゃんザルに英王女と同じ「シャーロット」と名付けて批判が殺到した問題で、大分市と市高崎山管理公社は8日、市役所で記者会見し、名前は変更しないと発表した。

 英国大使館(東京)に見解を尋ねたところ、「コメントする立場にない」との回答だったことなどから、「王女の誕生を祝う多くの応募者の気持ちを尊重したい」として名前の変更を見送ったとしている。

 市と、園の管理を委託されている公社には、8日夕までに約1600件の意見が寄せられた。批判や苦情などが約970件、理解を示す内容が約600件、どちらでもない意見が約30件だったという。

 園では2年前から、その年の最初の赤ちゃんザルの名前を公募し、話題の出来事や人物にちなんだ名前を付けている。今年はウィリアム王子とキャサリン妃の間に生まれた王女と同じ「シャーロット」が最多の59通を集め、6日に命名を発表。しかし、「王室に失礼」などの批判が相次ぎ、撤回を含めて検討していた。
2015年05月09日 00時00分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

タイミングが合いすぎていてシャーロット王女と同じ名前が挙がってくるのは当然と言えば当然。応募した人を不見識と責めるようなことではない。やはりそれをどう考えるかは動物園側が責任を持たねばならないだろう。
どういう見識を持つべきか。

高貴な人の名前など関係するものは畏れ多いとする文化はある。
日本では皇室も戦中戦前に比べ開けてきたのでむしろ皇族の名にちなんでわが子に命名ということもある。今上天皇がご成婚の際には美智子という名前がはやったそうだ。
しかし以前は厳しい考え方が主流だった。皇太子と同じ名前を付けるなどもってのほか。男子皇族に「仁」の字を用いるから名前に仁をつかってはいかんとか、せめて「ひと」と読ませることはいかんと考える人もいた。
乱暴な独裁国家だと国家元首が変わるたびに同じ名前の人を強制的に改名させることまでする。文化といっていいのかどうかはわからんが独裁国家は感情でなんでもやる。

それでも現在の近代国家において、高貴な人の名前をもらって「わが子に命名」であればそれを非難する人はそうはいまい。まぁ日本人でルーツが欧米にないのにシャーロットと名づける人はそうそういないが。香港ではアジア系の人でも欧米系のミドルネームをつける習慣があって、英国とのつながりがあるからシャーロットと名付けられる子が多いかもしれない。

「わが子」以外だととらえ方は変わる。
商品名だとあざといという非難があるかもしれぬ。
さらに動物につけるというのはどうか。中には犬猫を「わが子」と呼ぶ人もいるが他人から見れば単なる獣である。
ここの感覚が意外とむつかしいのである。民族によって違うからである。

日本人は獣といえど見下げた見方はしない。愛するペットや動物園で飼育されている動物ならそれこそ愛をこめて命名する。祝福された名前を使うのも当然という感覚がある。すべてのものに神が宿っているという汎神論的な思考をするからだと思う。
家畜を含めて最終的に殺して利用する動物であっても愛をこめる。畜産農家が飼っているいる牛や豚に名前を付けていることが多い。ことに牛は肥育期間が長いから名前を付け愛着もわくことだろう。

ただこれが世界基準ではないということを忘れてはいかん。
欧米にもいろいろあるとは思うが、あれだけ動物保護だ動物の権利だと騒ぐ割に動物を人間から一段も二段も劣った存在と見下げていないかと思うのである。
進化論を唱えたダーウィン。たとえば人間は現生の猿類と同じ祖先から分化・進化したものだと説明すると人は「それはあなたの父方のこと? それとも母方のこと?」とからかい冷笑したという。人間が現世では唯一最高の存在で唯一神とつながることができると信じている文化だからカチンときたのかもしれぬ。
ことに猿というものは見た目が人間に似ている(同じ猿目だから当然)から侮蔑的な意味を込めてしまうのだろう。
日本でも猿まね、猿知恵など猿を愚かしいたとえとして使う例もあるが程度がちがう。たとえば人前で猿の真似をすることは中指を立てるのと同じくらいに侮辱を意味するようだ。モンキーダンスでも糾弾されるほど。
これがもしバラの新種にシャーロットと名付けたらなんの問題にもなるまい。事実バラの品種にプリンセスダイアナと名付けている。植物ならOKで動物ならNGというのは道理ではない。感情があるのみである。世の中理屈だけでは動かないものである。

はてさて猿に王女の名をつけて英国人はどう思うのだろうか。

多くの日本人の意識ではかわいい猿に祝福された王女の名をつけたということは肯定的な行為になる。バラに名づけるのと同じだ。畏れ多いと考える人もいるようだが少数派ではなかろうか。
引用した記事では批判的な意見が肯定的な意見を1.5倍ほど上回ったようだがここにはバイアスがかかっている。批判的に考える人は意見を書いて送るが、肯定的に考える人、問題とも思わない人は意見を書いて送らないのだ。
970件の批判的な意見の母数は1600件ではなく、大分県の人口とか日本の人口とかそういうところに求めなければならんのではないか。

王女の名をもらって命名しようと考えた人に悪気はない。だが、猿に王女の名をつけて嗤ってやろうとしているのだと誤解する人はいる。

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なにもすべての感覚を英国基準にせよとは思わない。日本人の感覚というものがある。それを封印しなければならない理由はない。その猿を英国に連れて行って展示するわけでもあるまいし。
ただこの時代、説明できる見識は持っていなければなるまい。
英国大使館も「コメントする立場にない」と言っているだけで「問題ない」とは言っていない。

事なかれ主義で王女の名を使わない手もあるし、きちんと論理立てて説明する準備をする手もある。
私の意見としてはむしろ話題を提起する意味も込めてシャーロットと名付け、説明できるようにすべきだと思う。「王女祝う気持ち尊重」では甘い。英国人が「我々は不愉快だ」と主張したらどう答えるのか。
汎神論あたりから始めて日本人の感覚を説明し、これが侮辱ではなく祝福であることを説明できれば災い転じて福となす、日本に対する理解を深める契機になると思うのだ。
posted by Mozzo at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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