2015年05月15日

おばあちゃんが暮らしにくいなんてことがないように

「こんなのおばあちゃんにはむりや〜」が口癖になりつつある。
別に意味なくそういうことを呟いているわけでもなく呟きたいわけでもない。さらに私はおばあちゃんでもない。

おじいちゃんでもおばあちゃんでも同じことだが、例外は多々あれど年を取ると目が弱り指先の力も弱る。指先に力が入らないだけではなくこわばって細かいことができなくなる。
目が弱るといっても近視だ老眼だと屈折の問題だけではない。近視は屈折率を変えても(思い切り脱力しても)遠くにピントが合わないこと、老眼は屈折率を変える能力が衰えること。つまり、見たいものにピントが合わないことである。だが目をカメラに例えれば問題はピントだけではない。レンズが汚れることもあるしフィルム(いまは撮像素子というべきか)が傷むこともある。
白内障などを患えば眼鏡ではどうにもならない。年齢が進めばある程度の白内障はあることなのだ。

これは昔から当たり前のことなのだが、どうにも近年お年寄りに優しくないことが増えているような気がしてならない。

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たとえば瓶入りの飲料の封である。
昔は王冠が主流だった。栓抜きを要するしいったん抜栓すれば再度栓をすることができない。
ガラス瓶が完全に廃れたわけではない。ビールは昔ながらであるが、他の飲料はガラス瓶はアルミ製のスクリューキャップが使われている。
無論主流はペットボトルである。
また、加工技術が進んでアルミを瓶の形に成形できるようにもなり、缶入りでスクリューキャップがついているものもある。

やはりちびちび飲むには再度栓ができるほうが便利なのだろう。
だが開けにくいと言ったらない。

これらの商品では一度開栓したらわかるように封印が破れるようになっている。最初に開栓するとミリミリとかパキッと音がするだろう。あれだ。
アルミなりプラスティックなりを破るのでそれなりの力がいる。
しかも栓は小さいほうが材料を節約できるからと小さいものが使われている。昔の2リットルのペットボトルの栓は500円玉よりも径があったように思うが今は500ミリリットルのペットボトルと変わらない。今は大容量のお酒のボトルに残るのみである。
もともと力がいるもので径が小さいのだから握力を要する。滑らないように手指の肌もカサカサではだめだ。
これが指の弱った人に開けられるものではないのだ。

その点王冠であれば栓抜きをひっかけることができればそれほど力はいらない。昔は飲料水専用のケース(コーラとか冷やすもの)や列車のボックス席に据え付けの栓抜きがあったものだが、あれならもっと簡単だ。ひっかけてひょいとひねれば栓が抜ける。

いや、おばあちゃんには無理だというが私にも無理だ。
私は若くもないが老人という年齢でもない。だが指先の力が強いほうではない。
先日も瓶型の缶入りコーヒーを買ったが開けられず、若い人に開けてもらったくらいだ。どうやらロットによって妙に固いものがあるようだが、瓶入り飲料が開けられるかどうかぎりぎりの状態にあるようだ。

ではプルタブ式の飲料であればいいのかといえばこれもハードルは高い。
あの蓋にへばりついているかのごときプルタブを起こすのが難関だ。指が入らない。
何とか起こしてもこれを引き上げるのにも力がいる。ことに最近は口が大きく開くプルタブがある。缶の全面が開いて香りも味わえていいのであるがあれは力がいる。到底手に持ち上げたまま開けられるものではなく、机などしっかりしたものの上に固定してからでなければこぼしてしまう。

ガラス瓶と王冠でなんの文句もなかったのに、と思う。

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飲み物だけではない。おばあちゃんには無理やろというものが山ほどある。

たとえば電車の切符を買うときである。
私鉄の電車が一本だけ通っておしまいという地方ならまだいい。大都会の電車網は複雑極まりなく、会社をまたいでも乗り継ぎ切符が買えるなど対象の駅は恐ろしい数になる。複雑な図に多くの駅を乗せそれぞれに料金を書くから字は小さくなる。それを券売機の上に掲げるから遠い。路線を区別するために様々な色を使う必要があるが色覚に問題がある人はつらいし、コントラストが弱いと見づらい白内障(お年寄りにはある程度当たり前の症状)の人にもつらい。
あの図から目的地の料金を読み取れというのはかなり厳しい。

最近はタッチパネル式の券売機が主流なのだから、あの図から料金を読み取らずとも駅名を選んで買えればいいと思うのだが(そういうものもあるかもしれないが)、とんでもない数の駅から目的の駅を選ぶ操作は人にやさしくても時間がかかるというのもので、混雑を考えれば値段でボタンを並べるしかないのかもしれない。

複雑化が進む大都市の交通であるが、光明は交通系のプリペイドカードである。スイカとかイコカとかマナカとかいうあれである。お金さえチャージしておけば切符を買わずともピッと通れる。見たところ新しいものに飛びつかないと思われる高齢者も交通系カードをよく使っている。切符を買うのがしんどいのだろうとおもうのだがどうか。

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細かいところでは最近のピロー包装も気に入らない。
ピローとは枕のことで、インスタントラーメンとか個包装のキャンディーとか、一枚の帯状のプラスティックのシートで商品をくるみ、真ん中に合わせ目がくるように熱で閉じ、それを一つずつ熱で閉じながら切り離したものである。ポテトチップスなどの菓子類など様々な商品で使われている。

昔からあるものだが、最近は何か違う。
昔は閉じたところを左右に引っ張ると開くことができたものだが、今は材料が違うのか圧着の力が違うのか開かないことが多い。別のところから破ってくれと切り込みも入っているのだがそこから開くと使いかけを閉じるのに不便なのである。食べかけのせんべいの袋を洗濯ばさみで閉じたことはないだろうか。

このプラスティックの包装を破ることも確実にむつかしくなっている。

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ましてや最近のデジタル機器なんてのはおばあちゃんの敵かというほどである。
無論、そうした機器を使いこなしている年配の方もいるのだが、決して年配の人にやさしいものではない。

スマホなんてのは文字が細かすぎる。
あの小さな画面に極小の表示画素が詰め込まれていて1920×1080など大きなPCの画面に相当する解像度が実現されているそうな。
いくら解像度が高かろうと物理的に小さな文字では読めない人がいるのである。
きちんと書かれているからといって米粒に般若心経を書かれても読めまい。それと同じなのである。

あのタッチパネルが鬼門である。どこをどうしたらあの細かいものを押し分けられるのかが私にもわからない。隣り合った二つのボタンをどうやって区別したらいいのか。事実押し間違えるのである。あれで若い人はメールを素早く打ち込むのであるから恐れ入る。
また手がカサカサしているとある種のタッチパネルは反応してくれないように思うがこれは思い込みだろうか。

最悪なのはSDカードである。マイクロSDカードというのはもう塵埃のようなものであるがあれに動画も音楽も山ほど入るという。その技術は素晴らしいのだろうがあれをスマホに入れたり出したりするのがどれほどの苦行であるか。

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無論若い人はそれで問題なく使えているわけで、小さいからこそ便利だと思っているのであろう。すべてが老人に使いやすいようにすれば若い人にとってみればまだるっこしいことになりかねない。それを望むものではない。
ただ選択肢があってほしいと思うのである。

昔ながらの王冠の飲料を売り出せというのは経済的に成り立たないかもしれぬ。
だが、開けやすい補助器具を販売店や自動販売機に備え付けることはできないか。栓を開けてくれる力のある若い子がいるというのでもいいが(ダメか)。

スマホのSDカードも昔のフロッピーディスクくらいの大きさになってくれればやりやすいがそうはいくまい。周囲に頼める若い人がいるとは限らない。出し入れを販売店に気軽に頼めるようなサービスがあってほしい。

駅の券売機も駅名と値段を白地に黒でくっきりと印刷した紙を脇に用意してくれるだけでいいのだ。手に取って近くで見ないと見えない人もいるのだ。

だれしも生きていればいずれは老人になるのだ。老人いならずとも障害を持つ人も多々いるのである。想像力を働かせてほしいものだ。
posted by Mozzo at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

餃子の王将の業績が悪いという

どちらも応援したい企業なんだがという記事。この差は記事が言うことだけだろうかと思う経験をしたのだ。
産経新聞のサイトから引用する。

引用ここから====
王将フード、値上げ響いて営業益14%減 同業対決、軍配は8%増益の日高屋に

 「餃子の王将」を展開する王将フードサービスが15日発表した平成27年3月期連結決算は、営業利益が前期比14・0%減の60億円と2ケタ減益になった。昨年10月に国内全店でメニューの大半を5〜10%値上げし、価格に敏感な客離れが進んだのが響いた。

 これに対し関東基盤のラーメン店チェーン「日高屋」を展開するハイデイ日高の27年2月期は、仕事帰りのサラリーマンの「ちょい飲み」需要を取り込んで、営業利益が40億円と8・3%増となっており、この期の軍配は日高屋に上がった。

 王将フードの27年3月期の直営店の既存店売上高は3・6%減少。それを受け売上高は0・6%減の758億円となった。28年3月期は唯一の連結対象だった中国子会社の解散により、単体決算に移行する。

 売上高は前期比2・6%増の777億円、営業利益が8・0%増の65億円と増収増益と予想する。新規出店の効果などを見込んでいる。
引用ここまで====

どちらもいわゆる中華料理(正確には中華料理をルーツとする日本風アレンジ)の庶民的なチェイン店である。価格帯も品ぞろえも似ていると言えば似ている。
私の行動圏にどちらもあってどちらにも行っているのだが最近は日高屋ばかりだ。

企業としてはどちらかというと王将を応援したい気分がある。
日高屋がいい加減な材料を使っているというのではないが、いち早く原材料の国産化(日本では育たない胡椒などの調味料を除く)を決めた姿勢は評価したい。また残念にも凶弾に倒れた大東元社長の経営者としての姿勢も忘れてはいない。

ではなぜ王将に行かず日高屋に行くのかと言われれば、私の行動圏にあるとある王将がダメ店舗だからだ。王将というブランド自体が嫌なのではない。あの店舗がいやだ。

店員は若干体育会的粗さが感じられるがまぁ頑張ってやっているように見える。
だが、店長だかなんだか知らんがこの店の偉い人らしき人が失格である。
物腰がやくざである。
重役出勤なのかしらんが中途半端な時間に店にやってきた。そのとき私たちはちょうど食事をしていたのである。
店員が忙しく働いているさなかに登場して「お疲れ様です!」という挨拶をさせているさまがいやらしい。さらに新入りの店員がその偉そうなくそおやじの顔を覚えていなかったらしく「いらっしゃいませ」と言ってしまった。
これにカチンときた野郎は(言い方が下品になってしまっている)店員を怒鳴りつけた。俺の顔を覚えていないとは何事だというわけだ。
これを客の前で堂々とやるのだからこちらが気分を害しても無理はないというものだ。
この一件帰りしなに店員に苦情を伝えたのだが店員は苦笑するのみであった。もうどうにもならんのだろう。

直営かフランチャイズか知らんが、大東氏も草葉の陰で泣いていると思う。若い店員も気の毒だ。
こんな奴がいる店にはいかない。

そういうわけで肉野菜炒めとか食べたくなったら日高屋に行くわけだ。
私の行く日高屋も問題がないわけでもないが、あの王将のくそおやじのような人はいない。
外食は料理自体だけではなく気分も楽しみに行く場所なのである。

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世界の観光地にアンケートをすると、日本人は行儀はいいが、世界一サービスに厳しくしかも直接文句を言わないからむつかしいという。
にっこり笑ってごちそう様と去っていき、酷評するようなブログ記事を書かれたりするわけだ。なるほどわかる。
私も王将に直接文句は言っていない。その店に行かないだけで。

直接冷静に批判してくれたほうが店も楽だろう。まぁ批判を受け止められるだけの度量があるかどうかは知らんが。
だが甘えてはいかん。客目線に立ってシミュレーションをすれば何が不愉快かはわかるはずだ。店頭で店のえらいさんが従業員を怒鳴りつけているというのが客にどう見えるか考えたことがないなら飲食店を経営する資格はない。
客の視点がないからいずれとんでもないものを出すかもしれない。ばれないと思って。

一般消費者というのは無責任なもので、一事が万事と判断することが多い。
この王将の例もおそらくフランチャイズの中小企業のおっさんが悪いという話で王将自体が悪いわけではない。むろんそれを統御する責任はあるのだが。
しかし一例を見てすべての王将に足が向かなくなるというものだ。

私の狭い体験で物を言ってはいかんが、大東元社長の死後規律が緩み、こうした店がいくつか出ているなら、それが王将の経営に影響している可能性だってないわけじゃない。値上げだけが原因じゃあるまいと思うのだ。
チェイン店は「どこの店に行っても同じ」が強みであり弱みである。
改善してくれたらと思うのである。
posted by Mozzo at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人のふり見てわがふり直せ ギリシャ破綻を見てわが身を振り返ろう

ギリシャが常軌を逸している。
財政危機が叫ばれから久しく、EUからの支援もあったがさらなる支援をよこせと言い出している。借金を棒引きにせよとも。さらにはドイツに対してナチスドイツの行った所業に対する賠償金として約36兆円もの要求をするという暴挙に出た。

国家経済にも波はある。地政学的に恵まれないとか資源がないとかさまざまな理由で経済基盤が貧弱な国もある。そういった中で努力を重ねたが窮状如何ともしがたくということであれば周辺国つまりEUも手を差し伸べるだろうし、自立への道も見えてくるだろう。
しかし、ギリシャは比較的条件に恵まれた国である。気候穏やかで歴史もあり国中が観光資源のようなものである。農業も盛んでオリーブ生産が有名である。石炭をはじめ鉱物資源にも恵まれる。地道にやっていけば一時的に経済が落ち込むことがあっても自立できるはずの国である。というより、もっと条件に恵まれない国を財政的に助けねばならない立場であるはずだ。

ところが報道で見る限り内情が腐りきっていてなるほど財政危機に陥るのも仕方ないというものがある。
公務員天国であるそうな。高給を得ながらほとんど働かないというのは日本にもみられる現象であるが程度が半端ではないらしい。さらに親戚・知人に便宜を図るためにテキトーなポストを作って公務員に仕立て上げることもままあるそうな。そのため人口に占める公務員の割合が異常に高いとされる。
さらに、公務員を養う納税者もひどい。脱税するために税吏に賄賂を贈り税をまぬかれるという。財政規律もあったものではない。これで国家の屋台骨が傾かないわけがない。
とはいえ、EU加盟国。破綻すれば影響は他国に及ぶ。ギリシャの債権を持っている金融機関を持つ国も多々ある。強い経済力と厳しい財政規律を持つドイツを中心としてギリシャを救うことになった。私はこの時点でギリシャをEUから切り離し破綻させるべきだと考えていたがEUはそうしなかった(私の意見がEUに通るわけはないが)。

そこで一息ついたギリシャはある意味、味をしめたといえるのかもしれない。
支援とワンセットで財政規律の強化を課せられたのだが、これまでやりたい放題だった国民が近視眼的に反発した。
そして、パブロプロス大統領が誕生しとんでもない要求につながったわけだ。
言いたい放題。
彼らは「俺たちにやりたい放題させろ、その金を出せ。借金なんて言うな、金をよこせ」といっている。ドイツに対する言いがかりはさらにひどい。「ドイツちゃんよぉ。おめえずいぶん昔は悪だったらしいじゃねぇか。うちの親父も迷惑したって言ってるんだよ。なに!?もう落とし前はつけた!? 関係ねぇ。迷惑かけたやつはずっと金を払うんだよ、おら金よこせ」といっている。

こういう国がEUにいるということは国際的にはユーロの信用下落につながる。
追放すべきだ。

追放すればギリシャの債権は軒並み紙くずになろう。
それでも際限なく金を飲み込むギリシャに金を与えるくらいなら、その資金をギリシャの債権を持つ金融機関や国の支援に回したほうが建設的なのである。

まともな社会システムも経済基盤も財政規律もないままEUの一員になってなにか一流になったような錯覚をしたのだろうか。それとも昔からテキトー、ビンボー、借金は返さないでやってきた国がなにか間違ってEUに入ってしまったのか。

パブロプロス大統領がいくら駄々をこねようがEUは支援を渋るだろう。
中心となっているドイツとて金が余ってしょうがないっという状況にはない。厳しい財政規律を守るため、ドイツ国民はつましく暮らし高額の税に耐えている。それで健全財政にしたのに能天気なギリシャを支援するために金を使うではドイツの納税者は納得すまい。

EUからの支援を引き出せないパブロプロス大統領はいずれ国民の支持を失う。大体ドイツに対してナチスドイツの問題を吹っかけ36兆円と言い出した時点で破れかぶれだ。
すでにドイツは賠償を済ませているし、ドイツ国民の優秀性と勤勉さで経済を伸ばし、EU圏内の経済発展にどれほど寄与したか。ドイツフランスあたりが「俺たち豊かな国だけで経済圏作って豊かに暮らそう」という発想をしたら東欧も含めた欧州諸国はいまだもっと貧しいままのはずだ。
一部にはギリシャはいまだドイツに対する賠償の請求権を失っていないという説があるらしいが、表面的なロジックはともかくこれまでドイツが果たしてきた義務と貢献を無視して搾り取るようなことが許されるはずはない。国の品格というものを考えないのか。

パブロプロス大統領が支持を失ったところでまた甘言を弄してEUから支援を引き出すとうそぶく人物が大統領になるんだろう。その繰り返し。真に国を立て直すために改革する人物を支持するギリシャ国民の自覚が生まれるまで続く。

ギリシャといえば歴史が古いだけでなく文明先行の地として尊敬されてきたはずなのにね。残念だ。

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この様をみていろいろと思い浮かぶ。

ギリシャは経済規模から言ったら神奈川県より小さなくらいだそうだ。Wikipediaさんに書いてあった。
身もふたもない言い方になるが、物理的に遠い国で経済規模も小さいなら、破綻しようが日本に大した影響はないのだろう。EUに影響してそれがEU全体の問題になると大きいからEUから切り離したほうがいいと私は思うのかもしれない。これがEU域内の人だったら「主張はわがままでも友人を捨ててはいけない」と考えるのかもしれない。
ま、個人的立ち位置は別としてきっちり破綻したほうが「すっきりする」というのはあるが。

公務員を中心とした腐敗、公金に対する国民の異常な感覚、借金に対する感覚。日本人として理解しがたい部分があるが、遠い国のことと対岸の火事のように見ていていいのだろうか。

まず日本の中にそういう要素はないか。
一部公務員の非効率ぶりは非難していい。ホワイトカラーを中心に効率が低い。
民間のやり方にしたら人数を半分にして倍の仕事をこなせるのではないか。その日本の民間企業ですらホワイトカラーの生産性は低いと言われているのだ。
仕事っぷりがゆっくりだし、わざと仕事を複雑にして仕事を増やしているとしか思えない一面がある。当人たちは自分たちの作ったルールの中で一所懸命やっているつもりなんだろうがもうちょっとやりようがあると思う。それに気づかないのだろう。

橋下氏が大阪都構想で批判する通り、大都市は二重行政という三重行政というか、無駄なポストが山ほどある。国があって県があって市があって区があって。それぞれに組織があって代表やらなんやらいるのは明らかに無駄だ。技術がない昔ならいざしらず、ITの発達したこの時代にこんな組織がなくてもなりたつのである。

だが、現場の公務員は足りていない面があるとも思う。自衛官、警察官、消防士、医師、看護師、その他福祉関係などなど。医師、看護師、福祉関係は民間に任せっきりの部分があるが、本来公務員で賄うべき性質のものではないか。商売のラインに乗るものではないからだ。

あるべき姿を考えるとホワイトカラーの公務員は余っていて現場が足りない。プラマイゼロだからいいやというのは乱暴な考え方で、正さねばならない面が多々ある。ただ公務員にテキトーなポストを作って親類縁者を公務員にしてしまうほどのでたらめをしているわけでもない。市民オンブズマンの仕組みも浸透している。
人件費の使い方に問題はあるものの総量としてはギリシャのような問題には陥ってはいないとは思う。

だが、ギリシャを他山の石として規律を常に見直す必要はあろう。
なぜか大阪で多いのだが、公務員が病欠をしながら自分の商売をしていたとか、身内の企業に便宜を与えていたとか、いかがわしい団体が公金をかすめ取っていたとか、公に対する態度が甘い面がないわけではない。
許認可権限を持つ役人と利益を受ける業者とそれを支える政治家がそれぞれ協力し合って不透明な状況を許しているという例は枚挙にいとまがない。
これは「きれいごとじゃ経済うまくいかないし」とか「俺たちにも旨味があるし」などと改善をしない政治家に投票する選挙民にも責任があるのだ。目の前の餌を食べんがためにトータルで税金を無駄遣いされ吸い上げられているのにだ。

必要なら既存権益を否定することができる政治家を選べるのか。選挙民の見識が問われている。
posted by Mozzo at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクドナルドに見る 味が濃い志向は異常だと思う

最近あのマクドナルド、外食産業の巨人であるマクドナルドの経営が厳しいという。
中国産の鶏肉問題もあり、異物混入問題もありと大きな問題もあったし、そもそもの経営戦略にも問題があるとも指摘されている。
世界的に店舗閉鎖、フランチャイズへの売却が進んでいるとか。

マクドナルドがだめになったという声はそこかしこから聞こえる。
高価格帯商品を投入しつつ、客数を増やしつつ、ファミリーユーザーを取り入れつつ、客席の回転率を上げるなんてことができるわけがないのである。高価格のナントカバーガーは一定の支持を受けたらしいが、普通の食堂で定食が食べられる価格なのに狭くて居心地の悪い席で食べさせられるのでは客はそのうちそっぽをむく。
また、24時間営業店舗も評判が悪いようだ。かつては神経質なまでの清潔・清掃が売りだったのに荒れている店舗があるという。
私もファストフードでのアルバイト経験があるのでわかるのだが、衛生清潔を保つためには営業を止めて機械を分解洗浄するとか店内をブラシ掛けするとか大掛かりなことをせねばならんのである。メンテナンス要員という専門の人が夜間にやるのが通例だ。
年末大晦日にオールナイト営業をするのが恒例であったが、いくらモップをかけようが店が薄汚れてくるのがわかるのである。かの東京ディズニーランド(大みそかはオールナイト)ですら元日も時間が過ぎると薄汚れて見えるものである。

24時間営業がいかんとはいわん。24時間営業でも清潔な店もある。ただ、24時間営業をするだけのハードウェアと営業ノウハウがあってのことでなければだめだ。

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ひごろマクドナルドを利用しているわけではないが、不意に食べたくなることがある。天下の美味とは言わないが食べたくなるのである。夜明けまで続く健全な飲み会の後に食べるソーセージエッグマフィンの塩辛さとコーングリッツ(マフィンにまぶしてあるトウモロコシの粉)のざらざらとしたのど越しがたまらない。ビッグマックはむしろあのソースを抜いてもらうほうがうまいのだが、手と口がぐちゃぐちゃになるあのソースもまた一興。
そういうわけでモーニングの時間帯ならソーセージエッグマフィン、通常時間帯ならビッグマックかケチャップ抜きのダブルチーズと決めていたのである。よっぽどおなかがすいていればポテトをつけるかどうか(たいてい胸焼けで後悔するのだが)。

で、かなり久々にマクドナルドに行ってみた。苦境といわれると応援したくなるのもある。
で、かなり珍しいことにいつものメニュから浮気した。マクドナルドでビッグマックとダブルチーズ以外のものを買うのはもう何年振りか。覚えていないくらいのことだ。
照り焼き月見バーガーとか(名前はうろ覚え)というのがおすすめだったので選んだ。ポテトもシャカシャカポテトの梅ナントカ味とかいうのがさわやかそうなので選んだ。

大失敗。

照り焼き月見バーガー。パンに肉に焼いた卵。ここまではいい。だがこの照り焼きソースというのはなんだ。甘くてしょっぱくてくどくてぐちゃぐちゃして。
最悪である。
照り焼き月見バーガーの照り焼きソース抜きというオーダーは可能なのであろうか。肉と卵とパンである。まともな材料なら塩コショウだけで美味しいはずである。あのぐちゃぐちゃの呪われた沼のようなソースになんの意味があるのか。
もちろん、本来の照り焼きとは似ずして非なるものである(それは別物や)。
本来の照り焼きはみりんなどの糖分を含んだたれをつけては焼き、つけては焼きしたものである。糖分が照りを出すのである。
ところがこうした照り焼きソースは焼き上がりにどっぷりつけるだけである。醤油と糖分が使われているほか、粘度を出すために増粘多糖類が使用されている。

シャカシャカポテトの梅ナントカ味は食べる前の時点で、店員が用意ししているのをみて仰天した。
ポテト自体は通常のフライドポテトと共通なのは当然である。ナントカ味用に違う芋を使うはずがない。
で、通常のフライドポテトは揚げた芋に塩を中心とした調味料を振りかけたものである。ナントカ味は通常の調味料の「代わりに」ナントカ味の調味料を振りかけるものだと思うではないか。実態は通常の調味料に「プラスして」であった。すでにしょっぱいフライドポテトにしょっぱいナントカ味の調味料を振りかけてシャカシャカしろと言っている。
当然しょっぱくてくどいものになった。

マクドナルドにも商品開発部門があるはずだ。
日頃商品候補の甘くてしょっぱくてくどいものを試食しすぎておかしくなっているのか。
あんなものを美味しいと思う人が多数派だとは到底思えないのである。あれを美味しいと思って出しているならば経営も傾くのは道理と思うのだが、あれを美味しいと思う人が多いというならば恐ろしい事態だ。

マクドナルドはCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)戦略としてマクドナルドの味を子供に刷り込むことを公言してはばからない。
まぁ公言するかどうかは別として、味を覚えてもらって長らく人気を得たいということはなにもマクドナルドだけがやっていることではないのでそれ自体は責めることではない。
だが、それが味が濃く甘くしょっぱくくどいものであるなら警戒したほうがいいように思う。トマトケチャップなんてのも砂糖が大量に入っているのである。ケチャップが甘いものだという意識すら持たずに普通の物になっているとしたら恐ろしいことだと思う。
先に挙げたソーセージエッグマフィンもあまりにしょっぱいので一度「塩をかけないでもらえまいか」と頼んだことがある。ところが、もともと肉に味がついているのでできないという答えだった。あのしょっぱさだとおそらく一日の食塩の摂取量上限に達するのではないか。何かがおかしい。

あんなものを食べていたら健康にも悪いだろうが味覚を破壊してしまう。
マクドナルドのすべてがいかんとは言わない。また味覚がおかしいと思うのはマクドナルドだけではない。おかしな外食企業が山ほどある。
マクドナルドだけではないがあのケチャップやらソースの多用は問題だと思うのである。
ハンバーガーはケチャップを抜いてもらうくらいで満足できねば味覚が狂い始めていると思ったほうがいい。肉自体に濃い味がついているようだ。ピクルスも濃い味なのでそれで充分なはずだ。
濃い味で満足できなければ素材の微妙な味はわからない。それがとてもおいしいこともわからない。ケチャップやソースでぐちゃぐちゃにすることは誰でもできるので、どの店で食べようが関係なくなる。
食べることだけの人生の大事ではないので、そんなことはどうでもいいと思う人はいよう。それは否定しない。だがそれを提供する側は「どこで食べても同じこと」と思われているということに耐えられるのだろうか。
posted by Mozzo at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子ザルに王女の名をつける 是か非か

悩ましいなぁと思う報道。

引用ここから====
やっぱりシャーロット…「王女祝う気持ち尊重」
2015年05月09日 00時00分

 高崎山自然動物園(大分市)が雌の赤ちゃんザルに英王女と同じ「シャーロット」と名付けて批判が殺到した問題で、大分市と市高崎山管理公社は8日、市役所で記者会見し、名前は変更しないと発表した。

 英国大使館(東京)に見解を尋ねたところ、「コメントする立場にない」との回答だったことなどから、「王女の誕生を祝う多くの応募者の気持ちを尊重したい」として名前の変更を見送ったとしている。

 市と、園の管理を委託されている公社には、8日夕までに約1600件の意見が寄せられた。批判や苦情などが約970件、理解を示す内容が約600件、どちらでもない意見が約30件だったという。

 園では2年前から、その年の最初の赤ちゃんザルの名前を公募し、話題の出来事や人物にちなんだ名前を付けている。今年はウィリアム王子とキャサリン妃の間に生まれた王女と同じ「シャーロット」が最多の59通を集め、6日に命名を発表。しかし、「王室に失礼」などの批判が相次ぎ、撤回を含めて検討していた。
2015年05月09日 00時00分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

タイミングが合いすぎていてシャーロット王女と同じ名前が挙がってくるのは当然と言えば当然。応募した人を不見識と責めるようなことではない。やはりそれをどう考えるかは動物園側が責任を持たねばならないだろう。
どういう見識を持つべきか。

高貴な人の名前など関係するものは畏れ多いとする文化はある。
日本では皇室も戦中戦前に比べ開けてきたのでむしろ皇族の名にちなんでわが子に命名ということもある。今上天皇がご成婚の際には美智子という名前がはやったそうだ。
しかし以前は厳しい考え方が主流だった。皇太子と同じ名前を付けるなどもってのほか。男子皇族に「仁」の字を用いるから名前に仁をつかってはいかんとか、せめて「ひと」と読ませることはいかんと考える人もいた。
乱暴な独裁国家だと国家元首が変わるたびに同じ名前の人を強制的に改名させることまでする。文化といっていいのかどうかはわからんが独裁国家は感情でなんでもやる。

それでも現在の近代国家において、高貴な人の名前をもらって「わが子に命名」であればそれを非難する人はそうはいまい。まぁ日本人でルーツが欧米にないのにシャーロットと名づける人はそうそういないが。香港ではアジア系の人でも欧米系のミドルネームをつける習慣があって、英国とのつながりがあるからシャーロットと名付けられる子が多いかもしれない。

「わが子」以外だととらえ方は変わる。
商品名だとあざといという非難があるかもしれぬ。
さらに動物につけるというのはどうか。中には犬猫を「わが子」と呼ぶ人もいるが他人から見れば単なる獣である。
ここの感覚が意外とむつかしいのである。民族によって違うからである。

日本人は獣といえど見下げた見方はしない。愛するペットや動物園で飼育されている動物ならそれこそ愛をこめて命名する。祝福された名前を使うのも当然という感覚がある。すべてのものに神が宿っているという汎神論的な思考をするからだと思う。
家畜を含めて最終的に殺して利用する動物であっても愛をこめる。畜産農家が飼っているいる牛や豚に名前を付けていることが多い。ことに牛は肥育期間が長いから名前を付け愛着もわくことだろう。

ただこれが世界基準ではないということを忘れてはいかん。
欧米にもいろいろあるとは思うが、あれだけ動物保護だ動物の権利だと騒ぐ割に動物を人間から一段も二段も劣った存在と見下げていないかと思うのである。
進化論を唱えたダーウィン。たとえば人間は現生の猿類と同じ祖先から分化・進化したものだと説明すると人は「それはあなたの父方のこと? それとも母方のこと?」とからかい冷笑したという。人間が現世では唯一最高の存在で唯一神とつながることができると信じている文化だからカチンときたのかもしれぬ。
ことに猿というものは見た目が人間に似ている(同じ猿目だから当然)から侮蔑的な意味を込めてしまうのだろう。
日本でも猿まね、猿知恵など猿を愚かしいたとえとして使う例もあるが程度がちがう。たとえば人前で猿の真似をすることは中指を立てるのと同じくらいに侮辱を意味するようだ。モンキーダンスでも糾弾されるほど。
これがもしバラの新種にシャーロットと名付けたらなんの問題にもなるまい。事実バラの品種にプリンセスダイアナと名付けている。植物ならOKで動物ならNGというのは道理ではない。感情があるのみである。世の中理屈だけでは動かないものである。

はてさて猿に王女の名をつけて英国人はどう思うのだろうか。

多くの日本人の意識ではかわいい猿に祝福された王女の名をつけたということは肯定的な行為になる。バラに名づけるのと同じだ。畏れ多いと考える人もいるようだが少数派ではなかろうか。
引用した記事では批判的な意見が肯定的な意見を1.5倍ほど上回ったようだがここにはバイアスがかかっている。批判的に考える人は意見を書いて送るが、肯定的に考える人、問題とも思わない人は意見を書いて送らないのだ。
970件の批判的な意見の母数は1600件ではなく、大分県の人口とか日本の人口とかそういうところに求めなければならんのではないか。

王女の名をもらって命名しようと考えた人に悪気はない。だが、猿に王女の名をつけて嗤ってやろうとしているのだと誤解する人はいる。

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なにもすべての感覚を英国基準にせよとは思わない。日本人の感覚というものがある。それを封印しなければならない理由はない。その猿を英国に連れて行って展示するわけでもあるまいし。
ただこの時代、説明できる見識は持っていなければなるまい。
英国大使館も「コメントする立場にない」と言っているだけで「問題ない」とは言っていない。

事なかれ主義で王女の名を使わない手もあるし、きちんと論理立てて説明する準備をする手もある。
私の意見としてはむしろ話題を提起する意味も込めてシャーロットと名付け、説明できるようにすべきだと思う。「王女祝う気持ち尊重」では甘い。英国人が「我々は不愉快だ」と主張したらどう答えるのか。
汎神論あたりから始めて日本人の感覚を説明し、これが侮辱ではなく祝福であることを説明できれば災い転じて福となす、日本に対する理解を深める契機になると思うのだ。
posted by Mozzo at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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