2015年05月18日

大阪都構想否定 だがこれで終わりなら大阪が終わりだ

大阪都構想は住民投票によりまさに僅差で否定された。
大変に残念である。
私は維新の会の案でも甘いと思っていた。それはこのブログに書いた。
大阪市の解体くらいでは甘い。大阪府下の市区を統合し市は廃止、すべて区にして20区くらいにすべきだと思うのである。10区台でもいい。東京23区ですら細かすぎると思うのだ。大阪府の人口・面積・経済規模からいって大阪府(都)ナントカ区にする。その際に起こる弊害は技術的な問題なので各論で対処だ。

ま、私の案はさておき、大阪都構想を否定したのも民意であるから仕方ない。
だが、それが未来を見据えた意見なのか、今後検証し見直していくべきなのではないかと思う。
振り返ってみれば「大阪都」というキャッチフレーズが裏目に出たと思う。
都の定義は何ぞやとか言い出すといろいろあいまいでそれに込める気持ちも人によってちがう。
一つは当然天皇陛下の御所がある自治体が都であるという考え方である。これは古来そういうものである。それに基づけば東京都以外は都ではないし、京都だけはその歴史を鑑みて府の名前に都の文字をいれてもよかろう、なんで大阪がと反発する人はいる。
だが、時代は移って都の意味が「特別区のあるところ」という意味を持ちだした。移動府県が市を介さずに特別区を持つのは東京都だけである。都と市、都と区の関係は異なりフラットな構造ではないが、府・市・区の三層になっている大阪府に比べてシンプルである。

当然橋下氏の大阪都構想は天皇陛下を大阪に迎えようとか、東京と対等だとか言いたいわけではない。特別区の仕組みをもって東京都と同じくシンプルな構造にしようと言う意味である。そこに大阪都と名付ける理由は弱いように思うのだが耳目を集めるのは事実だ。
だが裏目に出たと思う。大阪都ではなく大阪市を府直轄区にということであればインパクトは小さいが反発も小さく、この僅差を逆転できたかもしれない。今更言っても仕方ないのだが。

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そこは戦術ミスということが言えるかもしれない。

では大阪都構想反対派の主張はどうだったのだろう。
私には「ポストを失うのが嫌な人」「今まで通り公金をぶんどりたい(パイは小さくなっているのに)人」に見えて仕方がない。

大阪都構想が実現すればポストは減る。かえってコストが増えるという反対派もいたが、むしろそこが維新の甘いところで既存権益を慮った部分だと思う。ばさばさと切ればいいのである。
議員も職員もぐっと減らせばいい。失業させずとも介護など人手が足りないところは多々あるので配置転換転職してもらえばいい。そこに抵抗はあろうが、これまで選ばなければ職はあると求職者や生活保護を求める人に言い放っていたのだから、職種を変えるくらいで文句を言ってはいけない。適応する能力がなければ失業者としてセイフティネットに頼るほかはあるまい。

大阪都構想でサービス低下を言う人もいる。
まず組織の簡素化とサービス低下に強い相関はない。
たとえばこれまで大阪市直轄事業だったものを各区に分割すると非効率になるなら大阪府(都)直轄にすればいいわけであって、事業ごとに適正とは何ぞやと考えればいいのである。府・市・区がないとできないという理屈は屁理屈だ。
量的にサービスが減るというなら、その期待するサービスは時代の変化で分不相応になっていないかという検証も必要だ。人口が減ろうが自治体の規模が衰退しようが昔通りの施設・サービスを運営しろというのはおかしい。身の丈に合った量というものがあるし、身の丈に合わなくなれば縮小せねばなるまい。
極端に言えば「もう市営病院は無理です」と言えない政治家は失格なのである。
身の丈に合わせて施設の数を減らす、サービスの量を減らす。それで支障があるなら補う策を考えればよかろう。病院の数を維持するのではなく、病院を統合して通院用のバスを拡充する手だってあろう。

誰しも自分の住むところの近くにサービス拠点がほしいし、潤沢なサービスを受けたいものだ。だが、そこはバランスを考えねばならない。今まで通り金を使い放題ではなくとも実質的なサービスレベルを下げない方法を考えるという発想を持つべきだ。
病院が減って困るなら、病院を必要とする人は病院の近くに住めばいい。それは無理? 本当に無理? なぜ無理?議論したのか。考えたのか。

また事務作業に関してはITの発達によって昔よりもコストをを下げられるはずだ。一部書類の発行はコンビニに委託するノウハウもできたし、そもそもくだらない事務を減らす工夫はまだまだできる。なぜこの時代にわざわざ紙でやり取りする必要があるのか。

大阪都構想はいったん否定されてもこの身の丈に合わない行政組織を簡素化する改革は止めてはいかんはずだ。僅差で否定されたという重みは受け止めるべきだ。

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今回、賛成、反対を投じた人の傾向はきれいに分かれたそうだ。
老人世代は反対が優勢、30代以下は賛成が優勢。
これが世代の問題なのか年代の問題なのかはわからない。
つまり、(不謹慎な言い方だが)この先何十年かあとに現在の老人世代が死に絶えたとき大阪都構想を支持する意見が優勢となるのか、あるいは世代に関係なく老人の年代になると現状変更に反対するものなのか。
老人世代が反対する理由がほんの気分的なものなのか、近年言われる世代間格差、つまり老人世代は優遇されていて若者世代が搾取されているという指摘を当人が理解して、それが意見に反映されているのか。

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行政をスリム化してコストを下げようという当然の意見。なにも小さな政府論とか言いたいわけじゃない。現状がどうにも肥大化を感じるのだ。
どうしてもこれに抵抗する勢力のあざとさとして目に映る。

まず現実に肥大化していないかという疑問がある。役人は自らの組織の縮小を望まない生き物である。拡大、拡大である。時代が変わり、自らの努力でシステムが自然に回り、部署がいらなくなるのが本来のゴールのはずだが、人員を増やし予算を増やすことが目的になっていないか。
次にそもそも縮小化が可能ではないかという疑問がある。ITにより物が動く必要はない。人が移動するとか紙の書類が移動するという必要がない。書類の保管場所もほぼゼロ。待ち時間もほぼゼロ。
窓口の人数を減らし、オフィスを狭くすることができるはずだ。
また、IT以外にも無駄をなくすことができるはずだ。複雑な手続きを簡素化すればそれに携わる人も減らせる。作業を共通化できるからだ。

これができないというのはなにか守りたいことがあるからだろう

ずいぶん昔の話だが、とある役所に新しいパソコンが導入されることになった。使いにくい専用機のオフコンから使いやすいPCにかわり作業の効率化、経費節減が期待されたのである。
ところが労組がPCについていたキーボードにかみついた。使いやすいものがついているから労働強化ではないかと。
それで役所は経費をかけて使いやすいキーボードを昔のタイプの古いものに変えたとか。どこの役所かディテールは忘れてしまったが鮮明に覚えているニュースだ。
当然ながら民間ならどんどん効率を上げ、効率を上げた分サービスを上げるのが道理だ。

自分の抱える仕事を増やしたくないポストも減らしたくないでこんなことを言う人種なのである。
どうにも信用できないのだ。
大阪都かどうかは表層的な問題だ。既存権益を否定して本来あるべき効率に盛っていけるかどうか。大阪人の度量が試されている。

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ひどく嫌味な見方をするとギリシャがダブって見える。
ギリシャは自らのめちゃくちゃな財政規律、公の金に甘い体質をEUから突っ込まれて逆切れした。
借金は返さないとかドイツ金出せとか言い出している。
規律を取り戻して国を立て直そうという気概は見えない。

それが大阪と反対派にダブって見える。
希望は反対派と賛成派が拮抗したことだ。
反対派は賛成派を黙らせるくらいの改革を進めねばギリシャと同じという汚名を甘受することになるのではないか。
posted by Mozzo at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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