2015年06月16日

自然エネルギー活用も結構だが考えが浅くないか

道理をもって言っているのかなにかイデオロギー的にやられてしまっているのか、どうにもわからない。ちょいと長いが産経新聞から引用する。

引用ここから====
「再稼働の発想はおかしい」小泉、細川両元首相が新潟市のメガソーラー視察 再生エネ推進訴え

 小泉純一郎、細川護煕両元首相は15日、新潟市東区の大規模太陽光発電所を視察し、「脱原発」に向けて再生可能エネルギーを推進する必要性を改めて訴えた。視察前、両元首相は新潟市内で泉田裕彦知事と会談し、東京電力福島第1原発事故の原因解明や放射性廃棄物の処分場選定が進まない状況下で再稼働の議論を急ぐのはおかしいとの認識で一致した。

 小泉氏は原発に頼らない社会への転換を目指す「自然エネルギー推進会議」発起人代表を、細川氏は同会議代表理事。視察したのは県と昭和シェル石油が共同運営する出力1メガワット規模国内初の商業用メガソーラー「新潟雪国型メガソーラー」で、年間発電量は一般家庭約180世帯分に相当する100万キロワット時以上。両元首相は隣接する防災・エネルギー研修センター屋上で説明を受けた。

 視察後、細川氏は国が2030年時点の電源構成比率「エネルギーミックス」の再生エネを「22〜24%」とする方針を示したことに触れ、「20、30、40%と高められる。国はしっかりしてほしい」と指摘。小泉氏も「自民党は原発の依存度をできる限り低減し自然エネルギーを拡大する選挙公約を忘れている」と疑問を呈した。

 小泉氏は放射性廃棄物の最終処分場が決まらないまま再稼働に突き進む国の姿勢について「福島事故の原因もまだわからない。処分場も見つからない。再稼働すれば核のごみは増える。安全対策も十分でない。再稼働の発想はおかしい」と批判した。

 また、両元首相は泉田知事との会談で、福島事故の検証と総括がない上、東電が情報開示や安全対策が不十分であると説明を受けたという。知事が再稼働を巡る態度を明確化していないことについて、小泉氏は「知事は再稼働の判断に必要な説明も相談もないと言っていた」と述べた。
引用ここまで====

太陽光のほうが気持ちいいからという軽い理由で考えているのか、きちんと成り立つのか、種々のメリットデメリットを総合的に検証したのか。

一押しなのかメガソーラーを絶賛しているのであるが、「年間発電量は一般家庭約180世帯分」? 180万世帯ならまだしも。
しかもこの180世帯というのは平均したものであって、お日様次第のソーラーとそれとは関係ない家庭の電気消費パターンの差を考えるとこの発電所で180世帯を賄えるわけではない。つまり、お日様がガンガン照らしても電気を使わねば余って捨てられるだけ、夜は電気使えない。
そうなると、日照に余裕がある時に電池か何かにためて、均等に供給するわけだ。当然ロスがあるわけで180世帯が100世帯とかになるわけだし、蓄電設備のコストも上乗せされる。

そもそもメガソーラーという言い方自体がごまかしだ。なにかすごく大きい感じがするではないか。
最大出力1メガワットということは1000キロワットだ。原発は原子炉1基で定格出力100万キロワットを超えるのである。たとえば柏崎刈谷の新しい原子炉は135.6万キロワットである。
もちろんこれは原子炉1基の数字で新旧7号機まであって821万キロワットという。
さらにソーラーは夜になったら全くダメだし、天気が悪くてもかなり落ちる。意外なことにいくら燦々と日が照っても温度が上がりすぎても効率が落ちる。
原発や火力は定格出力で何日も運転できる。

巨大施設でも高々100世帯。蓄電設備の面積もいる。果たしてこれで2割3割の電力を賄うとしたらどれだけの面積を必要とするか。その面積は地面なり海面なりに日光の届かぬ「暗黒の砂漠」になるのである。
むろん対策はあるだろう。すべての建造物の表面は公共物として太陽電池の設置を義務付け、蓄電装置を義務付けとすれば自然破壊は減らせる。また、影を作るようなビルは取り壊しくらいのことはやらねばなるまい。
そういうことまで見えたうえで自然エネルギーと言っているのか。
そうしたことストまですべて計算して、それでも日本を経済的にだめにしないという算段は立っているのか。

きれいごとだけ言って、日本が経済的に破綻しましたとか、CO2が増えて気候変動がどうしようもありませんとか、緑地が減ってさらに気候がおかしくなりましたとか。それでは困るのである。

その点原発推進派は「ある程度のリスクは受け入れよう。事故があっても大きくしなければいいのだ。経済推進も大事だ」と主張はすっきりしている。それが正しいかどうかは別だが。

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今回原発反対はダメとか言いたいわけじゃない。
あまりにイメージだけで物を言っていないかということを言いたい。
巨大施設でも微々たるもので、蓄電設備も考えねばならないのに。出力だけ言ってもほんのお試し試供品のような量ではないか。
以前にも書いたが発電設備は何らかの意味でかならず迷惑なものなのである。人間に苦痛を与えたり有害な排出物があったり自然を破壊したりする。

最終的に選ぶのは国民だ。具体的に信用できる説明により「こうなります」ということを提示されねば選びようがない。言いたいことだけ言ってあとは結論ありきの主張だけしてでは意味がないではないか。

これまた何度も書くが、反原発だろうが推進だろうが核廃棄物の処分場は決めねばならないのだ。どうやって決めるのか、どちらもぼんやりごまかしているようにしか見えない。
最終処分場をどのようにいつまでに決めるのか。それを言わない政治家は姑息とまで言う。
posted by Mozzo at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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