2015年06月21日

このダメ役員を擁護しているとトヨタ 潰れるよ

迷走というかなんというか、末端の社員ならともかく役員がこれではという報道。
引用ここから====
私生活わからない…トヨタ役員、高級ホテル滞在
2015年06月19日 14時41分

 世界的なトップ企業が初めて登用した女性役員の逮捕。

 一夜明け、トヨタの幹部や社員からは、驚きとともに会社側に説明を求める声も上がっている。

 ハンプ容疑者は東京都内の高級ホテルに滞在していたが、私生活を知る関係者は少ないという。

 トヨタ広報は「健康診断などで病歴はチェックできるが、今回のようなことを知るのは難しい」と説明する。社員の一人は「米国の現地法人での活躍ぶりは聞こえていたが、私生活まではわからない」と戸惑い気味。本人をよく知っているというトヨタ本社の幹部の一人も「逮捕されるような人ではない。状況を見守るしかない」と言葉少なだった。

 一方、60代の男性社員は「不安に思っている社員もいる。会社側はきちんと説明責任を果たしてほしい」と不満げ。20代の女性社員も「会社が女性社員を活躍させる制度の整備に力を入れているさなかで残念」と落胆した様子だった。
2015年06月19日 14時41分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

現状では当人は法を犯した意識はないと公表されているが、それだけの精神作用があるものを宝石箱の下に入れて送ったということはまともな人間とは思えぬ。末端の労働者ならまだしも何万人もの従業員の雇用を左右する役員がやっていいことではない。違法であろうがあるまいが。
すでにヘビースモーカーは否定されていると同じく、違法であろうがなかろうが薬物に抗しきれない人は企業経営に不適であるのは言うまでもない。

ただこの報道で気になったのは全然違う部分である。
「ハンプ容疑者は東京都内の高級ホテルに滞在していたが」である。薬物所持と高級ホテルは関係ないので報道の中立性としては触れるべきではないのだろうが大衆受けということでその「事実」に触れたのだろう。いいとも悪いとも言わぬ。

だが、考えてほしい。
トヨタと言えば乾いたぞうきんを絞るというくらいにコストカットを追求した企業である。ジャストインタイムと称して、部品の納入が遅れてもいかんが「早すぎてもいかん」と在庫管理を下請けに押し付けた企業である。末端の企業がどれだけコスト削減に苦しんだか。
それで役員は高級ホテル住まいか?
高々一人の役員が高級ホテルに住んだところで月々数百万円のことかもしれぬ。その費用をカットしたところで下請けにいくらも回るわけではない。だが象徴的な意味があるのではないか。
コストカットのトヨタに就職した以上、役員でもアパート見つけて住めよというくらいでいいのではないか。短期ならウイークリーマンションでもなんでもと言うべきではなかろうか。高級ホテルは自費かもしれぬが、それが払える状況なもっと安く仕事してくれというべきではないのか。下請けには利益を最大限圧縮して値下げに応じろと圧力をかけているのである。この人がトヨタに必要な人だったとしても、「利益を最大限圧縮して」と言うべきであるのだ。

というか、この容疑者、トヨタに害をなしているだけだろうに。金返せということを言っていい。

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もうひとつわからんのは記事にある「私生活がわからない」である。
無論プライバシーというものがあって、何を食ってどんな性生活をしてなんてことが知れる必要はない。だが、大企業の役員を務めるにあたって身辺調査がないというのも常軌を逸している。秘密を重視する防衛関連などでは末端で働く人まで身辺調査があるのだ。国防でないが重要産業トヨタの役員でこれか。甘くないか。何があったのだ。

かつて、経営危機に合ったJALでは西松社長が称賛されたことがある。
パイロットよりも低い役員報酬(パイロットも下げろって話なんだが)。
社員食堂で一般労働者と同じく並んで昼食。
都バスで通勤。

JALには文句を言いたいことも多々あるが(パイロットが社長より給料高いってなんだよ)、こうした経営者が企業のイメージをよくすることがあることについてはいいことだと思う。

翻ってこの容疑者はどうだ。違法かどうかは決着がついていないがトヨタの評判を落としていることは間違いない。
会社は現状擁護姿勢である。女性の活躍という観点で見方があまくなっているのか。女性だろうが男性だろうができるやつはできるしダメな奴はダメだ。
女性の活躍する場をという視点がすでにだめだ。男性と女性の能力的な差があることが証明されていない以上、性差別を一つずつ除外していけば自然と差はなくなるはずである。入り口で女性をと言ってしまうから歪んでいるのかもしれないし、そういう連中はよく見るとたいてい女性の敵だ。
報道を見るに、早期に最高責任者が出てくるなど、イメージ確保に最大限の努力をしているのはわかる。
だが、違法かどうか決着がついていないにせよそんな薬物が身の回りにあることはどうなのか。明確に(医療目的だとか)説明がつかないのであればたいていクビでしょうに。この状況一般社員ならクビでしょうに。
躊躇しているように見えるのは容疑者が女性だからか。それは逆の意味で女性差別なんだが。
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ブラック スズキ自販北陸 極悪上司による殺人事件と呼んでいいのではないか

軽自動車を世に売るスズキはエクセレントカンパニーだと思うが、そう信じたいのだが、関係する会社は腐っていると思わせる報道。

引用ここから====
うつ病自殺、逆転で労災認定…「休憩中も叱責」
2015年06月21日 11時47分

 2012年7月に自殺した自動車販売会社「スズキ自販北陸」(本社・金沢市)の社員男性(当時24歳)について、厚生労働省の労働保険審査会は、「長時間労働などによるうつ病が原因」として、労災と認めなかった福井労働基準監督署の決定を取り消し、労災認定した。

 審査会は、男性が休憩時間中にも上司から指導・叱責されていた可能性があるとして、時間外労働時間を長く算定し直した。

 審査会の決定は17日付。男性の父親と代理人弁護士が20日、福井市内で記者会見を開き、明らかにした。労基署の決定が覆るのは異例。

 裁決書によると、男性は大学卒業後の10年4月に入社し、福井支店で自動車や部品などの販売を担当。12年4月にうつ病を発病し、7月に自殺した。

 審査会は、発病前の3か月間、男性は午後10時頃までの残業が常態化していたと判断。さらに、上司から日常的に指導・叱責を受けており、朝のミーティング後の休憩時間(10分間)も休憩していたとみることはできない――などとし、発病までの1か月間の時間外労働は128時間、その前の2か月も月100時間を超えていたとした。

 父親(56)は会見で「同じような悲劇が起こらないよう願っている」と話した。スズキ自販北陸は「担当者が不在でコメントできない」としている。
2015年06月21日 11時47分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

毎日22時までとか休憩時間にも叱責とか企業としてあるまじき行為だ。この上司とかいう馬鹿な奴がこの企業の指針に合わないことをしているなら光の速さでクビにして何らかの損害賠償をすべきだし、それをよしとする会社であるなら、世界的知名度を誇るスズキが光の速さでこの会社をつぶさねばいかん。それがブランド価値と言ううものではないか。直接の関係はないのかもしれぬがスズキ、考えよ。

この裁判で非常に残念なのは労働時間で物を考えていることだ。
誰しもわかることだが、やりがいのある仕事なら長時間であっても重労働であってもやっていける(限界があるので法律は守らないといかんよ)。問題はやりがいを失わせることだ。この叱責というのはなんだ。この被害者(あえてそういう)をいじめるためでしかあるまい。なにか、この加害者(あえてそういう)の気に食わないことがあったのだろう。販売会社であるから成績が上がらないとか、単純にものの言い方とか見た目が気に入らないとか。年齢や立間の差があれど成人同士だ。叱責し続けるというのは異常なのである。狂っている。人格異常だ。
問題点があればそれをばしっと指摘し、改善策を合意するのがまともな社会人だ。
この報道にあることが事実として正しければこの上司は少なくとも道義的に犯罪者だ。
それは労働時間の長短ではあるまいに。定時の間であれば道理のない叱責をしてもいいと言っていないか。
本来であれば裁判所は労働時間の前にこの内容、被害者が受けた圧迫を検証すべきではなかったのか。
そもそもこうして圧迫されて自殺するような人は真面目な人なんである。いい人なんである。環境さえあればいい仕事人になれる人なんである。それをナイーブにすぎると批判するか。心が弱かったと批判するのか。違うだろう。まずこういう圧迫をした犯罪者が悪い。そこを検証して責めるべきである。
裁判所は考え方が甘い。腰が引けている。

どうあればよかったのか。
まず被害者が自殺するという選択肢に至る風潮がいかん。
これは自殺という結果に至ったから事件になったがそこまでならなくともかなり異常な状況が民間企業にある。毎晩22時と報道にあるが、22時が定時と豪語する職場もあるのである。
日本は異常だ。まず定時が18時とか決まっているのにそこから残業するのが日常というのがだめだ。ビジネスに予期せぬトラブルはあり、それに対応するために残業はあっても仕方ない。だがそれが日常になるならそれに見合う人員を整備するのが企業の務めだ。18時どころか21時に帰ろうと思っても「すみませんお先に失礼」と言わねばならない職場とは何だ。当事者が異常と思っていないことが異常だ。
また休暇に対する態度もおかしい。
有休を使わないのが当然というのもまだ残っているらしい。
またどうしたって体調が悪いとか病院に行くということに有休を使うこと自体がおかしい。有休と病欠は別である国が多いそうだが日本では有休を使わねばならない。
それの何がおかしいという人もいようがすでに脳が侵されている。
病気があって定期的に病院に行く。平日に行く。だが仕事をする能力がある。この人を企業で活用しないわけはあるまい。きちんと仕事をしているのに有休をつかえ、足りなければ欠勤だというのはあまりにおかしい。
持病も体の障害も突然の病気も人生あることである。それを前提にいくらと給料を決めて雇用契約を結んだ以上がたがた言うことではないし、病気でも休むなという圧力は非人道的と言えるだろう。

もちろん近視眼的儲けに着目すれば病気で休むことがない会社に文句を言わないサイボーグのような労働者がベストなんだろう。そんな会社ってなんだ、そんな会社の商品を買おうと思うだろうか。

今回の騒動において、スズキは世界的ブランドであることを自覚しこの販売会社をきつく指導してほしい。
また「担当者が不在でコメントできない」というこのスズキ自販北陸は、いつこの担当者が戻るのか、いつコメントするのかはっきり言うべきではなかろうか。というか逃げたんだろうけどね。はっきり言え。

その当たり前のことを追求する報道をしないのか。メディアは考えられよ。
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柑橘類の酸っぱいやつ

甘いものは苦手で酸っぱいものが好きである。
本物の梅干、芳醇な味わいの本物の酢。梅干の使い道を広げるのは工夫がいるが酢は調味料だ。広がる。
餃子は酢だけで食べるとか。炒め物を食べるとき後半に酢をかけて雰囲気を変えるとか使い道は多々。卓上調味料だけではなく浅漬けに使ったり、酢飯に使ったりと、拙宅で一番消費量が多いと思う。

酸っぱいものと言えば柑橘類である。
柑橘類はフルーツとして生食するもの(酸味が弱く甘みが強い物)と汁を絞って味付けに使うもの(酸っぱい物)がある。
酸っぱい柑橘類はいわゆる酢、穀物から作った酢と置き換えることができる場合がある。これがまた料理の幅を広げる。酢酸とクエン酸の違いはあるのだが。

酸っぱい柑橘類といえばレモン。何かと幅を利かせているが輸入物が多い。長い船旅で傷まないように防黴剤が使われているというから気になる。
国産と言えばゆず、かぼす、すだち、だいだいの四天王ということになろうか。
それぞれの産地では地元の物が一番とこだわりがあるようだが、それぞれに良くておいしい。

無論生果を絞ったものが一番なのであろうがこれがなかなかむつかしい。
輸入レモンに防黴剤を使うというのを聞いて最初は不思議だった。あんなに酸っぱいものに黴が生えるのか!?と。生えるのである。冬に食べる蜜柑は甘いので黴が生えるのも仕方ないかと思えるのだがあのレモンが。
酸っぱい柑橘類も意外と傷みやすいし、黴が生えずともしなびてしまう。そうなると果汁も少ししか出ないし味も香りも酸味も今一つということになる。ストックしておくのはむつかしい。
当然出回る季節とそうでない季節がある。季節外れのものはハウス栽培なのだろうか。当然高価である。

ゆえに瓶詰品を買うことになる。
生果に比べると劣るようにも思うが年中使えるし、値段から考えてもたっぷり使えるのがよい。
とはいえ値段はまちまちである。小さな瓶の商品が意外なほど高かったりする。一方酎ハイ用のレモンの大瓶はそれほどの値段でもない。
当然材料の原価というものはあろう。やはり海外で大量に栽培されているレモンは原価の面では強いと思われる。日本の柑橘類は産地も限られるし生産量も少ない。
ただ、それ以上に値段と味を決めるのは「濃縮還元」か否かである。

濃縮還元とはその名の通りいったん果汁を濃縮し、売る時に還元、つまり水などで戻して元の果汁の濃度にするものだ。
濃縮する方法には様々あり、煮沸したり真空にしたり(低温で水が沸騰する)浸透膜を使ったりである。水分が抜けるのと同時に芳香成分も抜けてしまうのは避けられないので還元したときに香料で補うこともある。
水を抜いて容積を減らしているので運搬や保存に必要なスペースが削減できる。経済的にも効率的だ。
まぁこう書いてしまうとなにやらまずそうだが、産地が限られていて遠く、鮮度の落ちやすい果物であれば濃縮還元が最も優れているともいえる。濃縮しないと傷みやすいのである。空気にも触れるし雑菌も増えやすい。

とはいえ、濃縮還元せずストレートで瓶詰できればそれに越したことはない、。
瓶詰で保存できるように熱で滅菌されているとはいえ、生果のおいしさをなるべく損なわずに味わえるのである。

そういうわけで拙宅ではゆずなど国産柑橘類のストレート果汁の瓶詰を愛用している。小さな瓶でもなかなかのお値段だが基本は調味料であってぐびぐび飲むものではない。一食にかかる値段は微々たるものだ。

瓶詰にすることにより、果実が成るピークに一気に生産して保管しておくことができる。市場で買いたたかれる見栄えの悪い果実も原料にできる(日本は見栄えを気にしすぎだ)。生果がそのまま売れたら農家の収入も上がるのであろうが、安定した収入として加工用は見逃せまい。
日本の農家を応援するためにも(生果も買うが)こうした瓶詰を買って消費7ものだ。
キーワードは国産原料・ストレート果汁だ。

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さて、長らく日本の「酸っぱい」柑橘類といえばゆず・すだち・かぼす・だいだいと思っていたのだが、新たなスターが生まれている。
シークヮーサーである。和名で平見レモン。もちろん昔からあったものであるが、知名度が広まったのは近年である。
酸味は強いと言えば強いが比較的穏やか。レモンというより温州ミカンのような風味がある。
これがうまい。
シークヮーサー入りの缶チューハイとかそうしたものは以前からあったのだが、生果や瓶詰ではあまり出回っていないようにも思う。

しかし見つけたのである。瓶詰のシークヮーサー。しかもストレート果汁。
沖縄のメーカーである。材料は国産ではなく台湾産だが台湾なら信用できる。沖縄産ならうれしいのだが栽培量とかハードルがあるのだろう。
加工しているのが沖縄であり、近いから防黴剤をつかっていないかもしれない。
これがうまい。
瓶を立てて保管していると、瓶の首近くになにやら付着するものがある。柑橘類の川には油分(リモネン)が含まれるし、内側の部分にもいろいろな成分が含まれている。そうした成分を精製しすぎていないのであろう。

はてさて沖縄産のシークヮーサーでこういう商品は出ていないのか。ネットで探しえみるか。でも台湾産原料でも応援するぞ。

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レモンでもゆず・すだち・かぼす・だいだいでもシークヮーサーでも共通なのは、醤油との相性の良さである。
いわゆるポン酢醤油である。
ポン酢というのは本来柑橘類の汁そのものを指す言葉らしいのだが、醤油とあわせたポン酢醤油のことを指すのが一般的だ。
鍋物、刺身など「つけだれ」を必要とする料理ならなんにでも合う。
サラダのドレッシングとしても鉄板である。油を多用するいわゆるドレッシングよりさっぱりと食べられるのでお勧めである。

ただ市販のポン酢にはどうにも納得がいかない。
昆布や鰹節などの出汁を加えている場合がある。悪いものではないが時にはこれが邪魔になる。安直に化学調味料を使っている場合には肝心の風味がない。昆布なら昆布、鰹節なら鰹節という香りもなくてはなんの意味もない。くどいだけだ。
また、押しなべて甘い。砂糖を使っているからだ。
さらに柑橘類をケチるためか、酢酸やクエン酸を使っている場合もある。
まぁ柑橘類の瓶詰に比べて半額ぐらいで売るのだから無理はない。

きっぱりと柑橘類の果汁と醤油。これがいいのだ。

さまざまな応用がありうるが、今一番のおすすめはうどんである。冷やしぶっかけうどんのたれにポン酢を使うのである。
麺をシンプルに食べる料理である。麺がだめではいかん。自分で打つでもいいし、讃岐の製麺所の半生麺を取り寄せるでもよかろう。高級な乾麺でもよい。最低でも冷凍讃岐うどんのレベルは欲しい。ゆでめんはNGである。
きりっと締めた麺にポン酢のみ。こんなシンプルなものがうまいとはとびっくりである。

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なんでも男性は酸っぱいものが苦手とか子供は酸っぱいものが苦手とか言われているようだ。その真偽はわからぬが、酸味・苦味・渋味は大人にならないとわからないうまさだと言われる。生きるためにある程度は必須の塩味、カロリーがありますという証拠の甘味、脂味は本能的に感じるうまさなのであろう。男性のほうが幼稚なのかね。はてさて。

まぁ嫌いなものを無理に食えとは言わないが、酸味は味を広げるものだと思う。世界三大スープと言われる(後の2つはなんだっけ?)タイのトムヤムクンはうまいが、そこから酸味を抜いたらどうなるだろうか。「そのほうがうまいと思う」と言われたらそれまでなのだが。
甘くて酸っぱくないことを追求する最近の果物もどうかと思う。酸味と甘みが調和してこそと思うのだが。

酸っぱい物好きとしては世の中の流れとずれているような気もする。だが酸味も味わってこそ幅が出てくるというものだと声を大にして言いたいのだ。

日本の柑橘類、瓶詰でいいからもっと食生活に取り入れようではないかと思う。

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日本の柑橘類でなく世界のどこでもいいではないかという声もあろう。
だが意味があるのである。
むろん、素朴に国産を応援したい気持ちはある。
だがそれ以上の意味もあるのである。

果樹栽培というのはある意味「本来やりたいものではないが」という側面があった。昔はといっても江戸時代とかそういうすごい昔の話であるが、農業と言えば米を作りたかったのである。米は単なる農作物ではなく貨幣に近い意味があった。加賀百万石などというように昔は米の生産高で経済規模を測ったのである。
水田は平地がないと難しいのであるが、斜面に棚田を作っていわば無理やり稲作をしている場所もある。米を作りたいという古人の熱意と知恵を感じる。しかし棚田は斜面であってもある程度の水利がないと成り立たない。
水も引けない、斜面ばかりの山間地となれば果樹栽培なのだ。
また粘土質が足りない扇状地(川が運んできた砂礫でできている)でも水田が作れないので果樹栽培なのだ。
果樹栽培として蜜柑、林檎、梅、葡萄などが有名なところは近年の価値の高まりで平地での栽培もあろうが、多くは大変な傾斜地での栽培がおこなわれている。紀州梅の産地を見よと言いたい。私なら産地に行く手前で断念するね。

こうした厳しい場所で果樹栽培を否定してしまったら、つまり輸入品が安いからと否定しまったら、それに代わる産物はない。せいぜい自家用の野菜を細々と作るだけでどう考えても商売になるものはない。それなりの歴史があって評価があって現状定着している果樹栽培をおいてないのである。

ことに傾斜地の農業がすたれたら食料自給率の低下とかぼんやりした危機ではなく、物理的に斜面が崩壊するとか、山村の崩壊とかいろんな弊害がある。
その意味でも山村産の果実を消費する意味がある。

これを尊重したい。

無論、食料安保論じゃあるまいし、国内ということに限定する必要はない。友好国の農業にも目を向けていい。日本では作れないとか量が足らないものはあるのだ。
前述のシークヮーサーもそうだ。沖縄で賄いきれなければ友好国の台湾でもいい。日本でシークヮーサーを消費することにより台湾の果樹園が守られるなら悪いことじゃない。守りたいと思う場所の産品を優先すればいいのだろう。
地力や水を不可逆的に使い尽くす収奪的農業の国、あるいは奴隷的労働を容認する国からは輸入しないということである。
posted by Mozzo at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祝 ペヤング復活2 世の反応

あのペヤングが復活した。これは以前触れた。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/420528669.html?1434856292

その後実際に手に入れて食べてみたし、各所の反応も見た。

現在関東にいるのでコンビニで様子を見てみた。
再開初日は在庫がなかった。
またみると在庫が1個だけあった。これを買うのは忍びなかったので避けた。
様子を見ていたが、数日間は在庫があったりなかったり。あって1個2個という状況。かなり回転しているのだろう。
先日やっと6個の在庫を見たのでこれなら買ってよかろうと1個買い求めた。

なるほど、報道されていた通りあの特徴的な蓋はなくなり、外装フィルムに印刷されているのみとなった。外装フィルムを剥ぐと他社製と同じく容器に密着した蓋があり、これを半分ほどはがして加薬を入れお湯を注ぎ、のちに排湯口から湯を捨てる仕組みになっている。
これは、「加薬は麺の下に入れる」というペヤング初級編の技をしづらくさせるのである。半分だけはがした蓋の隙間から麺を持ち上げて加薬を入れるのはなかなかむつかしい。とはいえこの蓋になってしまえばこの技を使う必要もなくなるからいいのか。
蓋を押さえてお湯を捨てようと思い熱くて麺がでろんと出てしまうとか、加薬は麺の下に入れるとか、もはや通じないことになってしまうのだろう。平成キッズには通じない話題になるかもしれない。

ま、それはノスタルジーという意味であって、便利になったのは間違いない。

肝心の味は以前と同じと感じた。懐かしさも感じる。
考えてみればソース味の物は基本的に食べないのだがペヤングはあまり抵抗がない。この味付け、いわゆるソースとも違うような気もする。すでにソウルフードなんだろうなぁ。少なくとも関東人にとっては。

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世の反応も興味深かった。

ネット上ではおおむね復活を歓迎する方向だったという報道があった。このブログもそうだ。というか絶賛だし。
ことにファンは復活を祝うイベントまで開いたとか。集まって買い求めたペヤングを食べたという。久々の味は格別だったと思うが、集まってペヤングを食べることができる会場を見つけるのは難しいぞ。どこでやったのだろうか。お湯が沸かせて捨てられて食事ができる空間。理解ある飲食店を借り切ったのだろうか。それならいいが、コンビニ店頭でこれやったら迷惑だな。はてさて。

少数派ではあるが否定的な意見もあったという。

地方によってはペヤングになじみがないということもある。あまり関係ないニュースだというとらえ方も当然あろう。関東中心の展開で、北海道沖縄での発売予定はないという。
ま、それは当然。

「ゴキブリが混入していたのに信頼できますか」という意見があってこれには注目した。なんとなく気持ちはわからんではないが、世の中の状況がわかっているのかなとは思う。
無知なのかもしれないし超潔癖症で自分の作った食材で自分が料理してそれを食べている人なのかもしれない。後者であればお好きにすればいいことであるが、無知であるなら現実を見よと言いたい。

まず、すべての食品関係産業がゴキブリをはじめとする衛生害虫と戦っている。そして多くの企業が侵入を許している。多くの企業が幸い侵入を検知して排除することはできているのだが、それは日常茶飯事のことである。最終商品に入っていたかどうかの問題であるのだ。

まだ今回のように工場で加工しているような商品の場合は管理が可能である。空間ごと外界と遮蔽することができるからである。
外食店はそうはいかない。外に開かれている。入り口のドアを開け放たないと客が入ってこないと信じている店も多いし(冷暖房がダダ漏れなんですが。。。)、オープンキッチンも多い(これは悪いことではないけど)。外につながっていれば必ずゴキブリは入ってくる。そういうものだ。
外食ならもっと事故は起きていると断言する。客まで届いてしまったことは少なかろうがそういうこともあったかもしれない。表に出ていないだけで。フライヤーにゴキブリが飛び込んだくらいのことはいくらでもあろう。そのゴキブリをさっと捨てて営業続行ということは当然のように行われているはずだ。
私は飲食店勤務の経験があるのでよーーーくわかる。もっとえげつないことが起きている。ネズミの話とかしようか?

やはり自宅で手作りがいい、と思うかもしれないが、自宅とて安心できるかどうか。
あなたが主婦かなんかで台所を仕切っているなら実情はわかるだろうし、そうでなければ冷蔵庫を開いてぱつんぱつんに食材が入っていれば危ないとおもったらいい。大きな冷蔵庫を買おう。
厳密な潔癖症に実情は耐えられないだろうねぇ。

死なない程度の安全がキープできれば気にしないという肝の太さが必要なのではないか。

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この騒動を通じて食の安全・安心を再度考えさせられた。

安全と安心は違うとこのブログで何度も書いたが。
安全とは極端に言ってしまえば危険ではないことである。食品で言うなら食べて口や消化器を物理的に傷つけず(針が刺してあったとかね)、病原体が発症するほどのレベルで含まれず、害のある物質が発症するほどのレベルで含まれなければ安全なのである。発祥するほどのレベルという回りくどい言い方は、決してゼロにはできないからである。そういう食品を作れないわけじゃないがうまくもなんともない。

そういう意味で考えると今回の騒動の発端となった異物混入事件は安全であった。ゴキブリは甲殻類の一種であり、有毒物質を持つ種類でもない。さらに加熱されていた(おそらく麺と一緒に揚げられていた)と報道があるわけで有害な病原体が含まれていた可能性はない。
唯一問題があるとすれば、ゴキブリは悪食であり、環境によっては有害な重金属を含んでいる可能性であるが、そんな環境はめったにない。仮にまるか食品の工場に巣食っていたとしたらまともな(おいしい)食材を餌にしていたわけで重金属はあり得ない。とんでもないところから来たとしたら、これは人為的な食品テロであって別次元の問題だ。だとしても小さなゴキブリが死なない程度の重金属を蓄積し、それを大きな人間が一匹食べたところで何ということはない。許容量と言うものがある。
何にしてもゴキブリが混入していようと加熱してあれば安全上問題はないのである。

つまりゴキブリが混入していようと安全ではあるのだ。
では安心かといえばそうではない。実情は難しいのであるが「ゴキブリが入るような場所で作ってるのか」という感情は確かにあるだろう。これが意図的な混入事件なら「そんな奴が働いている工場なのか」と。

安全は科学的検査で証明できる。安心は気持ちの問題である。
半年もの間休業し、徹底した対策を行ったまるか食品は安心を取り戻すと思う。

人によって考え方もあるので何が正しいということは言えないのだが、先に書いた通りこの騒動、半年の営業停止は厳しすぎると思う。安全は安全なんだし、そんなことはよくあることだ。ごめんなさいと言ってすぐ再開しても私は別に何とも思わない。世の中気にし過ぎではなかろうかと思う。
半年の間休業するというのは経営戦略と関係しているので良否は言えないが、気にしない人もいるということは知っていてほしいとはおもう。
もちろんこの騒動でむしろブランド力を上げたと言えよう。今まで何となく空気のように当たり前のように存在するブランドだったと言ってもしかたあるまい。私もこの騒動がなければ注目しなかった。
より注目する。まるか食品。まるか食品。大事なことなので2回言いました。
posted by Mozzo at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安保論議があまりにも低レベルで情けなくなる。

憲法学者が違憲だと国会で意見陳述し反対派は鬼の首を取ったかのごとくである。

まず腹立たしいのは、憲法に合っているかどうかをグダグダ言っていることである。それは裁判所でやればよろしい。
憲法を字面通りに解釈すれば集団的自衛権どころか個別自衛権だって違憲だろう。戦力を持たないと言い切ってしまっているわけで、侵略されようが何があろうが戦力を保持しない。やられっぱなしでも戦力は保持しないということになってしまう。
そんなことが成り立つはずはない。社民党はそれを是としているらしいが光の速度で中国に侵略されるよ。民主党とか社民党は中韓に国を売りたいらしいから整合性は取れているが。
国会議員は何も考えずに憲法の枠内で粛々とやっていればいいというものではない。
日本は何をやるべきかやらざるべきかをすべての前提を排して考えるべきなのである。
無論、憲法は司法のよりどころとなり、立法府と行政府を縛る意味合いがある。
気に食わないからと言って勝手に変えてしまっては立憲君主制が泣くというものだ。
国会議員は日本のやるべきことをやらざるべきことを考え、それと憲法が合わなくなった、つまり時代や国際情勢が変わったと判断したら国民に信を問うことができる。というより信を問うべきなのである。

憲法学者というのはどういう存在なのか。
憲法学者はいわゆる護憲派が多いそうで改憲をいうと排斥されるという。現状の憲法が絶対で、現状の法律や社会が憲法に合っているかどうかを考えるだけなら学者はいらん。憲法というものは何なのかメタ構造を導きだし、日本をはじめ各国の憲法がどのような構造をもっているのか、どこに抜けがあるのか、時代とともに変化すべき部分とそうでない部分はなにかを考えねば存在の意味がない。

憲法が作られた当時、無論憲法は米国主導で作られたわけで欧米の意図が反映されているのは間違いない。当時の日本は異常な軍事政権に支配された野蛮な民族だと思われていて、牙を抜く意味でこうした憲法になったのもわからんではない。それは誤解であったことは歴史が証明していると信じたい。
だが時代は変わった。日本がなすべきこともなさざるべきことも変わったと思う。すくなくとも変わったのではないかと議論してみてはどうなのか。
憲法に合っているかどうかなんてことは入り口論に過ぎないのである。

日本はこの状況にあって、全く軍事力を持たずにやっていけるのか。中国が周辺諸国の侵略を始めた状況にあってそれでいいのか。すでに今まで中国が管理していなかった場所を中国本来の領土だと強弁して実力行使を開始している。相手が軍事的な対処に出たらそれを好機と戦争をする気満々なのは明らかだ。戦争をして勝てば堂々と自分の領土と言えるからだ。尖閣にもその魔の手が伸びている。
それでも絶対に戦争はダメ〜と能天気に言うことは美しいのかもしれないが、尖閣どころか沖縄もすべてとる気でいるというのに。尖閣諸島くらいは中国に差し上げようと考えているなら甘いし国賊である。

では、日本独自に単独で自衛するのか。中国に対抗するには防衛費の大幅な増額を必要とする。人員的にも不足だ。果たして志願制で維持できるものかどうか。
しかも、日本が防衛力を増強すればこれまた待ってましたと中国は軍事力を増強するだろう。日本が悪いんだと言って。

だからこそ、ご近所で手を組んで強大な中国に対抗するのがいま日本がやるべきことなのではないか。友好国への侵略を座視することや、単独で中国に対抗することはせざるべきことではないのか。
かつて集団的自衛権は東西冷戦に参戦する行為として否定されてきた。なるほど非同盟中立というあり方もあったわけでそれをすべて否定するものではない。
だが時代は変わって、集団的自衛権は1国が強大な軍事力を持たずとも普通の国が力を束ねて侵略的な大国に対抗する手段になった。

安倍政権はなぜか解釈改憲で乗り切ろうとしている。戦術的に改憲を前面に出せば野党や中韓の反発を招くと計算したのだろう。
しかし、改憲は自民党の党是であるし、それは安倍首相の本来の望みだろう。
戦術も大事だが本質をおろそかにすると本来の支持者が失望することもあろう。
また解釈改憲というものはある意味憲法を軽んじるものである。問題があったらきちんと改正する。これが正しい。無論、国民の信託を受けた与党がある程度の裁量をもつのは当然のことだ。しかしそれが改正の動きを鈍らせるとしたら問題は大きい。

まず集団的自衛権が間違っているのか憲法が間違っているのか堂々と国民の信を問うべきだろう。
また憲法には9条以外にも時代に合わないものがあるし、時代に合わせて書かなければならないことも多々ある。たとえば憲法25条である。「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。
間違ってはいないが甘い。もう一つ踏み込んでいかねばならんのではないか、この時代。個人の最低限の生活と国力のバランスがあろうというものだろう。そのバランスを見出すための指針を示すべきではなかろうか。これでは単なる努力目標というかなんというか。

各党が最上と思う憲法案を出したらどうだとおもう。
費用を別にしたらそれを毎年国民に問うてもいいと思うくらいだ。
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鳥取県伯耆町のコピー機騒動 小さな話かもしれんが

昔もこういうニュースがあったがずいぶんスケールの小さな話で、という記事。

引用ここから====
町がコピー複合機15台「1円」購入…競争入札
2015年06月20日 21時47分

 鳥取県伯耆町議会は19日、町がコピー複合機15台を米子市内の事務機販売会社から総額1円で購入する契約を原案通り可決した。

 町によると、指名競争入札で5月28日に4社が参加し、残りの3社は7万5000〜818万1501円を提示。町は1620万円を予想していたが、「企業側には、5年間分のメンテナンス費用の入札も実施すると示しており、戦略的な価格提示がなされたものと判断した。不当廉売には当たらない」としている。
2015年06月20日 21時47分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

昔には、一式数千万〜数億円するようなコンピュータの一円入札というのもあった。それに比べると小さな話である。
今はコンピュータと言えば数万円のPCでほとんどのことができるし、データを統合するサーバーにしてもせいぜい数十万円のものが使える。またサーバーはレンタルすることもできるしクラウドサービスにしてハードを買わない選択もある。

当時もコンピュータのハードを安く売って、ソフトウェアの開発や運用を請け負い、その金でハードの値段を賄うという戦術であった。
今回もメンテナンス費用で稼ごうという戦術であり(この程度のことで戦略などという言葉を使ってほしくないね)金額の大小は違うが考え方は同じだ。
しかし、メンテナンス費用というのは掛かるものなのだな。
なるほどオフィスにある複合機などサービス員が訪ねてきて手入れをしているからその手間賃だけ考えても大きいのはわからんではない。
だが、使う頻度が違うとはいえ、家庭で使っているプリンターやスキャナーなどはメンテナンスなしで何年も使えている上に、下手をすれば消耗品がすでに手に入らないから廃却なんてこともある。メンテナンスがあれほど必要なのか、メンテナンスフリーの製品をつくるべきではないかとも思う。

まそれはさておき、この報道にもどづいて、全く違う二つの批判をしたい。

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まずハードをほぼ無償で売っておいてメンテナンスで儲けるというビジネスモデルがどうにも、と思う。
専門家が仕掛ける戦術であるのだからビジネス的に成り立つのだろうとは思う。
だがどうにも健全でないように思うのだ。

「企業側には、5年間分のメンテナンス費用の入札も実施すると示しており」というが、別の企業がメンテナンスに手を上げるのだろうか。

携帯電話業界でも同じことが行われている。
端末、いまやスマホ全盛であれは小さなコンピュータで小さいが故に高度で、高度が故に高価なものである、これが実質ゼロ円とかで客を誘引し、通信料で回収しようという戦術である。
明確に割賦販売として最初の一年は通信料に上乗せしますよというならいい。通信料で回収するということになれば、ほかのユーザーも同じように払うのである。スマホも使わない、端末も買い替えないユーザー(私だ)が割高な通信料を払わされていることになる。
私の損得は別としてこれは歪んでいないか。

端末のメーカーとて、端末の機能品質価格の良さで選んでもらいたいと思うはずだ。回線の販促ツールのような使い方をされて悔しくないのか。

まぁ携帯電話は私的に使うものであるからまだしも、公的な機関がこれではいかん。
ハード(コピー機)納入の実績がソフト(メンテナンス)につながるという読みができるだけでも懐が甘い。「ナントカさんにはXXで頑張ってもらったから優先的に」という酌量が入る余地があるということだ。なんならハードを落札した企業はソフトに入札できないくらいの固いルールがあってもいいくらいだ。

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もう一つの問題は、鳥取県伯耆町なるものがコピー機15台ってどういうことだ。
調べてみた。鳥取県伯耆町のホームページによれば人口11,382人(男 5,448人 女 5,934人)だそうだ(コピペしたので男女比まで入った)。
人口千人当たり1台以上である。
町民全員が毎日役所を訪れて紙を十枚ずつコピーしたり印刷する手続きがあったとしても足りる。どう考えてもこの数は多い。

「町は1620万円を予想して」というが、町民赤ちゃんからお年寄りまで含めて一人当たり約1400円を負担することになる。たかがコピー機だ。しかもその後にメンテナンス費用。コピー機だけでこれか? ほかにお金を要することはあるだろうに。
残念ながら町役場のオフィスの規模やオフィスに勤める職員(現場は別)の数はわからなかったが、人口たかだか一万人少々の町に役場の職員が100人もいないだろう。いるならクビだ。そこにコピー機15台というのは間違っている。
おそらく「コピー機はうちの課で専用のを」という発想なんだろう。使用頻度も考えずに決めたのだろう。
人口一万人少々で本当に15台のコピー機がフル稼働しているのなら事務手続きが間違っている。何でも紙に出して、写しを取って、写しの写しを取ってとやっているからに違いない。

そんなもの1台で足りるだろうと言うのが政治家だ。1台でどうやりくりするか考えるのが行政の仕事だ。
ただより高いものはないというが1円でも同じだ。考えられよ。

読売も報道機関であるなら、淡々と事実を伝えるだけではなく批判を入れたらどうか。
posted by Mozzo at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェネリックって単に安いというわけじゃない

偉そうに初回の投稿をしたサブテーマ患者のプロである。
今回はジェネリックの話をしたい。

ポイント:
・ジェネリックは単に安いだけではなく特性がある
・患者の状況により使い分けるべき
・製薬会社も細かいニーズに合わせてさまざまに工夫してほしい

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ここ数年で病院に行って処方を受けたことがある人は薬局で「お薬をジェネリックにしてもよろしいでしょうか」と聞かれたことがあるかもしれない。
といわれても判断するだけの知識があるのか。

ジェネリック医薬品とはなんぞや。

薬と言われるものは、薬局で処方箋に基づいて処方される処方薬と、処方箋がなくとも買える一般薬に分かれる。

一般薬には「総合」と名のつくものが多い。総合感冒薬なら熱も下げ、咳も抑え、のどの炎症を抑えとさまざまな成分がいい具合に含まれている。一方で処方薬はそれぞれがピンポイント、つまり有効成分は1種類が多い。無論例外もあるのだが。
処方薬は医師が患者の症状に応じて必要な有効成分だけを組み合わせて投薬できるというわけだ。

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さて、この有効成分というものがキーワードである。
有効成分とされるものは、複雑な分子構造を持ち、複雑な製法を必要とし、特許を伴っている。単純な構造で簡単に作られるものは特許制度前からあったか、とっくに特許を失っているだろう。

新しい有効成分を開発した企業には特許が認められる。
そして成分の構造や製法を公開した見返りに一定期間市場の独占が認められる。
その見返りが妥当かどうかは程度の問題で議論はあろうが妥当な構造だろう。こうして発売された医薬品を先行薬という。

市場が独占されるため先行薬は高価だ。巨額の開発資金を回収するために必要なことかもしれぬが私見では高すぎるとは思う。

それでも特許は永遠ではない。特許が切れると同じ有効成分の薬を他社が売り出すことができる。これがジェネリックである。
ジェネリックとはいえ検査がないわけではないが、開発費用が上乗せになっていない分割安にできる理屈だ。競争も生まれるから先行薬も値下げするかもしれない。先行者も損をしない妥当な競争だ。どうせ開発費用はとうに回収しただろうし、開発費用すら回収できない薬には誰も参入しないだろうし。

それで医療費の膨張に苦しむ国がジェネリックの使用促進に動いているわけである。
まぁそれはそれでいい方向だと思うのだが国も患者も理解が甘いと思うのだ。

製薬会社が暴利をむさぼっているのではないかという批判は別の機会にしよう。ジェネリックそのものについてまずは考えよう。

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ジェネリックは先行薬と同じ有効成分を使っている。それは事実。
だから先行薬と同じなのである。しかも安い。故にジェネリックを使いましょう。それが推進派の論理である。
一方で反対派の一部の専門家はジェネリックは信用できないという。全く同じものではないし実績もない。先行薬限定で処方するという医師もいる。

どちらも裏に経済的な理由があるように見えて仕方ないのだがどちらの言い分も微妙におかしい。

まず先行薬とジェネリックは同じものかといえばそうではない。あくまで有効成分が同じと言っているだけだ。

ではどんな違いがあるのだろうか。

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処方箋をじっくり見たことがある人ならきづくかと思うが、たとえば錠剤の処方は有効成分の重量にしてみると1錠あたりmg単位であるのだ。中には0.1mgレベルのものもある。
一円玉が1gであるのでその千分の一。錠剤もかなり小さく軽いがさすがに1mgということはあるまい。15mgの薬も0.3mgの薬の大きさは対して変わらないし逆転していることだってある。
つまり一つの錠剤には有効成分以外のものが含まれているのである。それは製品によって違う、ということだ。
先行薬をつくるメーカーであっても1有効成分=1製品ではない。同じ有効成分の薬を使っていても、カプセルと錠剤を発売していることもある。どう見ても全く同じものではない。ましてやメーカーが違えば違いはある。

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有効成分以外のものが含まれているというと何か悪いものがという感じになるのだが誤解なきよう。
まずある程度増量せねばならないということだ。

私が飲んでいる薬は一錠あたりの有効成分が0.1mgオーダーのものがある。その重量で人間の体調を何時間かコントロールするというのだから化学の世界は不思議なものだ。
有効成分100%の薬を作ったとしたら到底扱えるものではない。重量にして一円玉を一万分の一にしたレベル。アルミより比重が軽いとしても容積にして千分の一になるだろうか。まったくもっていい加減な概算だが。
一円玉の直径は20mmだそうだ。
平たい円柱と考えて底面積は20×πで...約63mm^2(平方ミリメートル)であるな。
で、高さは1.5mm
つまり約94mm^3(立法ミリメートル)である。つまり1mm角の粒が約94個でできているということ。
その千分の一。えーと。計算が。
1mm角の94倍の1/1000だから、大雑把に1mm角の1/10の容積ということであるな。大体のオーダーがわかればいいのよ。0.1の三乗根はえーと。今、関数電卓がない。0.5mm角で1/8だからまあそんなもん。金属の中では比重が軽いアルミの10倍の容積という大雑把な見積りであるから、0.5mm角よりずっと小さい。砂粒のようなものだ。計算あってる?
こんなものを日常で扱えるはずがない。若い人でもピンセットとルーペがなければどこかに行ってしまう。ましてや目も指先も衰えた中高年では「ないのと同じ」だ。

えーとなんの話をしていたのか。そう、薬には増量剤がいるという話。
人間が扱える大きさということであれば小さくとも数ミリの大きさがないと無理だ。そこで澱粉とかなるべく人間にも有効成分にも害のない増量剤を使う。これは先行薬とジェネリックとで同じとは限らない。

また、濃度の問題で増量つまり薄めているということもある。濃すぎると弊害がある場合もある。
たとえば、関節の痛みなどに使うインドメタシン配合の塗り薬がある。
最初は処方薬だったと記憶しているが最近では一般薬になっているようだ。で、「インドメタシン1%配合!」とか有効成分の濃さを売りにしたCMが流されていた。
ちょっと抜けている知人は「ケチらんと100%にしたらいい」と言ったので大笑いした。そんなもの塗ったら体がどうななってしまうよと。
飲み薬だって濃すぎれば粘膜を傷めるものもあろう。

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前述のとおりカプセルと錠剤も違うし、錠剤でも増量剤の内容が違う。
ここに二つの意味がある。

一つは後ろ向きの話で、有効成分以外の成分が患者に害をなす可能性があるということである。医療用であれば高度に精製されたものを使うだろうが、アレルギーの危険は残る。ことにカプセルに使われているのはゼラチンである。蛋白質には必ずアレルギーを心配せねばならない。
脱線するがゼラチンと言えば動物原料から作るのではなかろうか。アレルギーはなくとも豚由来、牛由来など宗教的にこだわる人が問題にするかもしれない。

もう一つは前向きな話で、こうした有効成分以外の「デザイン」に差があるということである。
単に有効成分が入っていればいいというものではないのだ。有効成分が同じだから同じ薬というのは単純なのである。
まずDDS(Drug Delivery System)という観点がある。
即座に溶けて胃どころか食道粘膜にも働きかけるということもできるし、胃では溶けずに腸で溶けるということもできる。溶けてもじわじわ吸収されるということもできるし、即座に吸収されるということもできる。
早ければいいとか遅ければいいというものではなく、患者に合ったものを使うのが当然である。人によって病状も違えば消化器の働きも違う。

また、薬の飲みやすさという観点もある。
たとえば同じ有効成分でもカプセルもあれば丸い錠剤もあるし、長円形のカプセル錠(カプセルではないがカプセルと同じ形に成形されている)もある。
有効成分の量の関係で大きくなると丸い錠剤ではのみにくいからカプセルやカプセル錠がいいという場合もある。
また有効成分の量によっては一度に2錠飲まねばならぬところは、別の会社の薬なら1錠で済むこともある。
XX15mg錠を1回2錠と、XX30mg錠1回1錠は同じことだ。
あるいは嚥下力の衰えた人には、粉薬と投薬用のゼリーがあっていることもある。

私の経験でも、当初OD錠(口内崩壊錠)を処方されていたのであるがカプセルに変えてもらったことがある。
OD錠にはすぐ溶けるようにするためか味をごまかすためかアスパルテームが使われている。その甘さが嫌で(甘いものが嫌い)いーっとなるので。わがままにも聞こえるかもしれぬが、毎日飲む薬なので可能なら変えたいのだ。ちなみにアスパルテームはL-フェニルアラニン化合物であり一般に安全とされているが、危険性を指摘する声もあるし、一部の病気にはよくない。

そうした患者に合う合わないを選ぶためにもジェネリックの充実は望まれるし、場合によっては先行薬を選べばよろしい。
ジェネリックを作る会社も単純に特許が切れて儲かる薬だからというだけではなく、こうした患者の細かいニーズに応えるものを追求してほしいものだ。まずくない(味がしない)とか、水なしで飲めるとか、1錠だけで済むとか、食事に混ぜられるとか、飲み込まずともなめていればいいとか、飲まずとも肌に貼っておけばいいとか、イスラム教徒でも安心とか、いろいろ切り口はあると思う。

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幸いなことに有効成分が同じであれば、医師の処方と異なる薬を薬剤師が選ぶこともできる。
たとえば錠剤をカプセルにすることもできるし、メーカーを選ぶこともできる。在庫がない場合もあるけれど。
薬の飲みやすさとか値段については医師より薬剤師の方が詳しい。相談して薬を選べばより望ましい患者ライフになる。
無論、その希望と選択の結果を医師にフィードバックすれば処方箋に反映されて面倒もないし、医師にも情報が蓄積される。
知識を持ったうえで医師と薬剤師に接したらいかがだろうか。
posted by Mozzo at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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