2015年07月19日

年末年始旅 その10

みそか元旦を含め旅先で過ごしたわけであるが、昔のように特別な時間だという雰囲気は薄れたなと感じた。JRで移動できるということはその地方でそれなりに中核の場所であるわけで、ビジネスホテルがあるくらいには都市であるから余計そう感じたのだろう。
和服の晴れ着も見かけないし(私もそうなんだが)、ほとんどの商業施設は通常営業だ。営業していないのは公的施設と商業性の低い施設(たとえば有名大企業が経営しているとはいえ、儲けがないナントカ博物館とか)だけだ。商業性がないからニーズと乖離したことができるわけだ。もったいない。年末年始こそ営業すべきなのに。落ち着いて博物館を見学できるのは年末年始の長い休みだけという人もいように。

コンビニもファミレスも普通に営業しているし、なによりコンビニATMで普通に現金が下ろせるのが大きく違う。昔は大みそか(いや29日からだったか)と正月3が日(そこに日曜がかかればさらに長く)を過ぎるまでに使うお金を予測し、余裕を持たせて下ろしておいたものだ。そもそもコンビニどころか銀行にもATMはない時代。
だから年末の銀行は信じられないくらい混雑していたものだ。なにより手元にそれなりの現金を持つのは物騒でいけない。

昔は最低でも正月三が日はお店も営業していないのが常識、店によっては松の内は営業しない(松の内が1月7日までという地域と15日までという地域があるらしいがさすがに15日までということはなかろう)ということもあった。
年末になると締め切った店頭に「新年は1月8日からの営業です」などと張り紙がされていたものだ。食料を確保していないと食事にも困ることになるほど。

とはいえ昔がよかったなんて言うつもりはない。
まぁどれもこれも風物詩と言ってしまえばなにやら懐かしい感じもするが、現代のほうが便利で安全だ。

働く人の都合もある。家族経営でいつもはゆったり休めないというならたっぷりと休んでもらったほうがいいが、パートタイマー・アルバイトで休業が長いと死活問題という人もいる。働く場所が確保できるなら年中無休万歳だ。貧しい話だが。

私はあまりイベント(誕生日とかクリスマスとか)に頓着しないので、正月にもあまり特別な気持ちはない。心新たにするのは別に正月でなくとも自分の気持ちの区切りですればいいことだ。特定の宗教は信じていないが、万物に宿る神に感謝する気持ちはあり、それは別に年末年始だからということはない。
そもそも元旦というのが、妙な理由で決まっているわけである。現代のグレゴリオ暦(正確には閏秒の運用まである改良版と言えるが)そのベースのユリウス暦なんてのは古代の人の政治的な理由で恣意的に決まっているだけで天文学的に何の意味もない。ユリウス暦というのはユリウスカエサルのこと。英語的発音ではジュリアス。ジュリアスシーザーのことである。「10」月であるOctoberの「Oct-」は「8」であるのも、「ユリウスカエサルにちなんで7月がJulyになった」とか「アウグストゥス帝にちなんで8月がAugustになった」とかマコトにもってテキトー。
日本としては全く関係ないし、欧米としても科学的‘な意味はない。
春分夏至秋分冬至とか意味のある日を元旦にするならわかるのだが。
かなり脱線。鉄道旅がテーマで脱線はいかんな。

無論年末年始に関係する伝統的行事が多々あり、それが日本の伝統だということは否定しない。初詣(これは明治以降の観光業界が作り出したということらしいが、近所の氏神様に手を合わせるということはあっただろう)、お屠蘇、若水、おせち料理、餅つき、etcetc。
だが、一年に一度形をなぞるだけの伝統行事なら、むしろ実質的に自然と神に感謝する機会が月に一度合ったほうが精神的にゆたかではないかと思う。

しかしだ。私が自然とかその背景に感じる神様的なものに感謝する気持ちも結局は子供のころからのそうした行事に影響されて育まれたものではないのかという思いもある。形式的な行事よりも感謝と振り返りを重視すること自体は間違っていないとはおもうのだが、果たして入り口からそれではいかんのではないかという気持ちもある。
幼い子供の視点で想像がつかないほど年上の大人が敬虔な気持ちで迎える何かがあるからこそという面があるのではないか。

大げさに言えば何の節目もなくすべてが日常風景ということは日本人のメンタリティーを変えるのかもしれない。一番じーんと来る行事はクリスマスですなんてことになっているのだ。

正月とて一族が集まるというのもむつかしいかもしれぬが、元旦には家族一同きちんとした身なりで食卓に着き、まずは家長が訓示を垂れ一人ずつに言及するくらいのことはあっていいのかもしれぬ。

まぁそういう面倒(お年玉渡すとか挨拶するとか)から逃れるために旅に出た私が言うことじゃないのかもしれないが幼少期の教育として考えるべきなのかもしれぬ。
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年末年始旅 その9

今回は旅行とは直接関係ない話である。

この旅、思いのほかテレビを見ることになった。拙宅にテレビはないので見ないのだ。
地方の普通の町の夜は早いし、ましてや年末年始。地元の美味しい店で一杯とおもいきや休みだったりと。そこで地元の名産銘酒を買い込みつつホテルで一杯というわけだ。
自宅ならラジオかビデオなのだがホテルではテレビしかない。それで自然とテレビを見たわけだがこれがなんとも。

年末年始のテレビはくだらないとよくいう。
わからんではない。年末年始で通常の番組ではなく特別な番組をやろうという意気込みはいいのであるがそれが空回りなんではないか。ことにバラエティ番組は見続けられないほどだ。出演者は頑張って盛り上げようとしているのだが見れば見るほど白けていく。
レベルが低いということもあるかもしれぬがそれは判断できない。ただ私が日常テレビを見ないからつまらないのではなかろうかと思う。連続ドラマは当然として、バラエティ番組であっても毎週やっているようなものはその番組を見続けてきたという蓄積があって初めて理解できる部分があるように思う。番組のスタイルやルールというものがあって毎回それを説明するわけではない。。
初見で最初から心をぐっとつかむような番組なんてのはそうそう作れるものではあるまい。奇跡のようなものであって、毎シーズン傑作が出るなんてことはあり得ない。それが当たり前。
だから、蓄積のある番組を普段通りにやればいいのだが特別企画ではそれがない。
そこはプロのテレビマンもわかっているらしく、特別企画といえども歴史のある番組をスペシャルでやることになる。毎週やらないけど折につけ昔からやっている番組だ。あえて名前は挙げないが。
しかしそれもそろそろ限界ではなかろうかという気がする。
一つだけ名前を挙げるが、あのダウンタウンがやっている「笑ってはいけない」シリーズも年末の恒例となったがすでに限界。本人らが既にやめたがっているが商売上そうはいかないという芸能報道もあった。今回も最初は見てみたが途中で飽きた。当人が飽きているものを見ても仕方あるまい。

チャンネルをあちらこちらと切り替えて、目立ったのは日本エレキテル連合のお二人である。昨年大ブレイクの芸人さんであるのだが、この年末年始に見てみるとひどかった。
いや、お二人は全然悪くない。お笑いにひたむきで研究熱心、才能のある人たちだと思うのである。
ブレイク初期に見たことがあるのだが、毒のある設定と言いその表現と言い、人気が出て当然とも思った。しかし、年末年始の番組では短い登場場面でとりあえず決め台詞を言わねばならないという演出。面白さが伝わるわけもないのだが、もはや聴衆は決め台詞だけで笑う状況ができている。
彼女らにとって甘い毒を飲まされているようなことだ。

安直に笑いが取れるからと安直に使いつぶされているなと思い、痛々しくて見ていられなかった。本当に新しいスターを作りたいと思うならもっと準備時間も放送枠も確保して、念の入った芸を披露してもらったほうがいいのに。
私がプロデューサなら彼女らのスケジュールを1か月押さえイベントをやらせる。一か月は準備期間。最後の一日が本番。全部新ネタ、会場の選定からイベントのコンセプト、ゲストを呼ぶのか呼ばないのか全部企画させ、プレッシャーをかけダメ出しをし、その過程はドキュメンタリーで放送する。本番は放送せずDVDで売るね。

どうなることやら。かわいそうに。

=====
バラエティ番組は見て悲しくなるし、レコード大賞も歌合戦も興味はゼロ。芸能人のかくし芸大会も見る気はない。というかかくし芸大会なくなったのだっけ? そんな報道があったようななかったような。知らん。

で、自然とチャンネルはドキュメンタリーになった。
年末年始にかけて戦争に関する歴史ドキュメンタリーを連続でやっていたので見入ってしまった。ナチス台頭前の第一次世界大戦の欧州。そしてナチスの台頭。第二次世界大戦と戦後の世界、日本。歴史以外のドキュメンタリーも見た。

おかげで断片的には知っていたナチス、ヒトラーのことを立体的に知ることができた。
残虐な独裁者が現れてドイツをあらぬ方向に導いたなどという単純なものではなかったことがよくわかる。ヒトラー一人でできたことではないし、ドイツを迷走させた時代背景があるということもよくわかった。仮に今後日本があらぬ方向に進むことがあれば、国民の一人としてそれをただすようにせねばならないが、それが決して「わかりやすい独裁者」の顔をして現れるわけではないことを知らねばならないと思った。

なぜ、ドイツ国民はヒトラーに熱狂したのか。なぜそんなことが可能だったのか。ナチスもヒトラーも国民の支持の上に立っている。選挙制度の上に立っている。そこに捏造やらなんやら選挙制度をゆがめるような行動もあったとはいうが、大筋でドイツ国民がヒトラーを支持していたのは事実だと思われる。
だが、ドイツ人が独裁者を望む、ユダヤ人迫害を望む野蛮な民族性を持っているわけでもない。ドイツ人を追い込んだ第一次世界大戦後の状況と言うものがある。フランス軍の振る舞いもその要因とみられる。
といってフランス人が悪いとか、要するに「誰が悪者」ということを言う気はないし、そこに答えはないだろう。
えてして人は善悪を二面に分けて考えがちだが、絶対悪も絶対善もないことがよくわかった。

思えばナチスの政策でユダヤ人が迫害され大量虐殺されたのは事実だろうが、かといってユダヤ人が一方的な善であり弱者あというわけでもない。ドキュメンタリー番組ではそのような演出がされていたように感じるのが残念だ。
当然ユダヤ人はイスラエルでパレスチナ人を迫害していることを忘れてはいかん。またアメリカをはじめ各国で政治的・経済的に重要なポジションを占めて、その陰で泣かされているひともいる。
だからといってユダヤ人は狡猾で残虐だということもない。
なにごとも状況により多面性があるのだ。

まぁテーマという意味ではいい番組ではあったのだが、テレビ番組としてはなんというか出来が悪いと思った。最近のドキュメンタリーはおしなべてそうだ。
順序立てて精密に説明すれば30分で済む内容を1時間に延ばしているなという感じがするのだ。いや4倍に薄めているかもしれぬ。

ゴルゴ13なら「用件を聞こう」と話を遮るくらい前口上が長い。
仰々しくテーマ音楽が流れなにやら凝った映像が流れる。歌謡曲でいえば「一番」が終わったところでばーんと番組タイトルが表示され、本日の話題が要約されて説明される。この後1時間かけて説明する内容はこの説明で言い切ってしまっている。
説明が終わると歌謡曲で言うところの二番が始まってひとしきりテーマ音楽を聞かされる。
番組本編に入ってもまどろこしい演出でなかなか本題に入らない。
「我々取材班は当時の状況を知る人がまだいるという情報を得て古都ナントカに車を走らせた」とかなんとか、どうでもいい話が延々と続く。その当人がやっと登場して話すのだが素人で話がまとまるはずがない。その爺さんに延々と話させた内容はきちんと絵を描いて説明すれば30秒で済む話。これを5分10分とやっている。
お前らロケを口実に海外旅行をしただけじゃないのか。テキトーな映像を撮って帰ってきたのではないか。受信料でそれをやっていいのか。あ、NHKだってまるわかりだが。

さらに、別の番組ではナントカナビゲーターとか言ってベテラン俳優とか知性派タレントあたりを据えて現地でロケをする番組もある。いらないシーン満載である。「ここにご先祖様が暮らしていたのか、ああ」とその姿はさすがベテラン俳優ではあるのだが何の情報性もない。

その点、私が理想と思う番組スタイルのドキュメンタリーがある。
JST科学技術振興機構がネット配信するThe Makingというシリーズである。
http://sciencechannel.jst.go.jp/B980601/

身近な製品の製造現場を見せるもので、人気シリーズらしくそのサイトの人気ランキングに常に登場している。現在公開されている最新は「313話電車ができるまで」である。
シリーズものなのでテーマ曲はあるのだが、ジャジャーンと始まってタイトルが表示されて本編に入るまで20秒。その後くだらない演出は一切なく、現場の映像と解説のテロップで見せるべきものをきっちり見せて説明する。ナレーションなしがかえっていい。

14分の短い番組であるが、同じ情報量を持たせたらNHKなら30分番組にするんじゃないのか。いや1時間か。
若い女の子の生徒役とパペットの「ハカセ」でくだらないトークをしたりしてね。「毎日電車にのるじゃろ」「うん」「電車をどうやって作っているのか知っているかな」「う〜ん見たことないなぁ」「みたいじゃろ」「うん」「よしメイキングの現場にワープじゃ 3,2,1 わーぷ!」「ワープ!」びょーん「わぁ大きな工場!」なんて小芝居を入れてくるわけである。情報性ゼロ。

このご時世、民放なら広告費が削られ番組予算が減らされ、従来なら30分番組の予算で1時間番組を作れとか言われているのかもしれぬが、「テレビ税」を徴収するNHKにそんな事情はあるまい。最近では受信料を払わぬ人を積極的に提訴するほどのやりたい放題。ちょっとした小国の予算に匹敵する経済力を持っているのにこの体たらく。
もし番組制作の現場で予算が絞られているならくだらないことに金を使っている奴がいるのである。
だから私はテレビを持たない。テレビ税なんか払うわけがない。まぁビジネスホテルの宿泊料として間接的には払ったわけだが。

こんなところから因縁をつけるのもいかんが、テレビに限らず新聞、ラジオを眺めてみるに、どうにも「イデオロギーバカ」「利権バカ」が目立つように思えてならない。
そんなテレビを眺めつつ、苦い酒を飲んだ大みそかであったのだ。
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年末年始旅 その8

青春18きっぷというのはなかなかいい商売であると言える。
価格は5日(人)分で一万二千円弱。新幹線で言うと東京から名古屋に行くくらいのお金である。額面で言うと交通費として大きいが、その金額で5日間も普通車といえど乗り放題である。ニーズに合致すれば魅力的である。

一日あたりで計算すると2400円弱ということになる。東京発の東海道線主要駅で見てみると、沼津まで2270円・2時間強、静岡まで3350円・3時間てなところで、その間にちょうど元が取れる点があるのだろう(←調べろや私)。
東海道線だから時間がこんなものではあるが、ローカル線でも始発から終電までがっつり乗らずとも充分に元が取れると言えよう。
きままな旅、移動することに楽しみを見いだせるなら大変お得とは言えよう。

対してこれを提供する側はほとんどコストを要していない。
特別列車を仕立てるわけでもない。特定の路線が混むわけでもないから臨時列車を出す必要もない。青春18きっぷユーザーが集中しやすいところはあるとは思うが大したことはない。全国に分散するのだ。
つまり余裕のある普通電車のリソースを使って高額の切符を売るわけである。コストゼロで売れた分だけ儲けである。
青春18きっぷがなければ家で寝ているかもしれないし、地元で遊んでいるかもしれないし、私鉄に乗るのかもしれない。そこをJRに引っ張ってくるわけだから商売としてうまい。

私としても、結果としてこの旅に満足で青春18きっぷがなかろうと出かけていいと今なら思えるが、やはりこの切符がなければ出かけなかっただろうと思う。背中を押す効果がある。買ったからには乗るぞと思わせるものがある。
また、この経験を通して旅とはいいものだと改めて思った。青春18きっぷが使えない時期でも出かけていくかもしれぬ。間接的にも売り上げ拡大につながっているのではないか。

全国の鉄道網を押さえているJRだからできる芸当かもしれぬが、この「遊休リソースを生かす」「ニーズを掘り起こす」という考え方は当たり前のようでなかなかできていないのではなかろうか。
なにもJRのような大企業でなくともなにかヒントになるような気がする。

ぱっと目先の割引率とかに目を奪われたら成立する商売ではあるまい。今回もどの路線を乗ったのかというアンケートがくっついてきた。その情報をJRがどう使うのかはわからない。だが、アンケートに答えるのは長距離を乗ったコアな鉄道ファン、表面的には高い割引率を得た人ではなかろうか。私は自慢するほどの区間を乗っていないので回答していない。

もしかしたら回答を見て「もっときっぷの値段を上げてもいける」とか「ニーズがあるのだから通常料金で乗ってもらう方策を」とか近視眼的な判断をするのかもしれない。

今後切符の値上げや制約の追加がなければいいのにとは思うのだが。

しかしだ。気に入らないこともあった。

直接面と向かって言われたわけではないが、末端のJR従業員は青春18きっぷを快く思っていないのではないか。
切符を買った大きな駅の担当は対応がよかったが(自動券売機でも買えるのを知らなかったのだが丁寧に教えてくれた)、行く先々の窓口の雰囲気が悪い。
私はこのブログの別の記事で書いたとおり、コンビニの店員さんをはじめ「その場で初めて会った客と従業員とはいえ、全くの他人とは言えまい」と考え、挨拶もするし愛想もよくする。偽善者と批判したければすればよいが、別に悪いことでもなんでもない。改札で切符を差し出すときも「こんにちわー これお願いします〜」と愛想100%である。
ところが、このスマイル攻撃もJRの窓口に通用しないことが多々あるのだ。顎で「いってよし」と無言で対応されたことすらある。彼らの業務の基本は接客だということがわかっていない。旅の始まりだろうが終わりだろうが対応がこれではへこむ。
青春18きっぷは自動改札に対応していない。有人窓口でスタンプを押し、乗り降りのたびに確認を要する。これが面倒だと思っているのか。ブースで暇そうにしているのに。
あるいは彼らから見て割引切符で貧乏旅をする奴らと映っているのか。新幹線でゴージャスに行けよと思っているのか。それならそもそもJRなんて使わないよという層を顧客に取り込んだ商品コンセプトを理解していないのか。
もしかしたら青春18きっぷのユーザがマナー違反ばかりしていてうんざりしているのかもしれぬ。だが、目の前に現れた愛想のいい人に対してそこまで不愉快な表情で対応する理由になるのか。

国鉄からJRになって平均的にはレベルが上がったように思ったが、まさに国鉄をほうふつとさせる従業員が目についた。無論いい人もいたのだが印象としてだ。それが仮に10人に一人でも悪い度合いが突出すれば印象に残るというものだ。

まぁ日頃は新幹線で遠出するだけとか、電車に乗る時は自動券売機と自動改札でとか、従業員と相対する機会が少ない。青春18きっぷだから従業員と相対する。新幹線関連だとエース級だが、普通の駅の普通の従業員はそれなりでこうなるのかもしれぬ。
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