2015年07月19日

年末年始旅 その7

先にスーツケースを転がしながらの旅は置き場所に困る、トイレも困るという話を書いた。
今回持って行ったのは短期で荷物が少ない旅行向きの小さなものである。2輪の小型で30リットル程度である。長期やビジネス・冠婚葬祭の旅だと衣装も増えてこんな小さなケースでは収まらない。4輪で100リットル超のものだってある。
そんなケースでは網棚に上げられない。いくら力があろうとも網棚が狭いから無理だ。クロスシートの通路に置くのも無理だ。
30リットルなら邪魔だと責められたら最悪膝の上に持つことができないでもないサイズである。100リットルではそうもいかない。

もし大きなスーツケースを持って移動するならどこに置けばいいだろうか。これは電車のタイプによる。
詳しい鉄道ファンなら事細かにタイプの違いを説明してくれるだろうけど、寝台車とか特別なものを除けば大雑把に二種類あると思う。一つは客室に出入り口がついているタイプ(わかりにくいな)、もう一つは出入り口から入るとデッキになっていてそこから客室に入るタイプ。
客室に出入り口がついているタイプとは、片側に3か所くらいドアがあって内部はロングシートだったり片側2列のクロスシートだったりする。ロングとクロスが混在しているのもある。近距離の電車に多いタイプ。
このタイプだと出入り口のわきのスペースならば大きなスーツケースを置いてもそれほど邪魔にはなるまい。ただ、そこは立つ人にとっても上等な席なので混雑時には競争率が高い。
ロングシートがある車両ならロングシートに座って自席の前にスーツケースを置く手もある。若干邪魔にはなるがロングシートは通路部分が広いので通れなくなるほどではない。

どちらにしてもスーツケースが転がっていかないように常に押さえておかねばならない。楽ではない。

問題は出入り口から入るとデッキになっているタイプである。
長距離の電車はこのタイプである。停車駅が少ないため乗り降りに時間がかかってもいいからである。新幹線はすべてこのタイプではなかろうか。
客室はすべてクロスシートである。脱線するけど帰省ラッシュで混雑する新幹線の自由席はロングシートにしてつり革をいっぱい用意しておけばいいのにとちょっとだけ思う。

話を戻すとクロスシートであるから通路にスーツケースを置くことはできない。
デッキも広ければいいが、そうでなければスーツケースを置くスペースはない。
スーツケースもある程度の大きさまでなら、車両最後部の席の後ろに若干のスペースがありそこに収まらないでもない。だが大きいものを置くとリクライニングできなくなる。自分の席が最後部ならいいが他人の席の後ろに置くのは迷惑であろうし、1両にたった二つしかスペースがない。
また座席を転回させて背中合わせにするとそこにも若干のスペースが生まれる。しかしこれもリクライニングの邪魔になるし、4人連れでないかぎり他人に迷惑というものである。後ろの席の人にしてみたら、前の席の背中を見ていると思ったらいきなり他人が向かい合わせになるわけだし、目の前にあった小さなテーブルが消えてなくなるわけだ。これは迷惑だ。

そうなると手は一つである。
デッキに置く。そして駅に停車するたびにドアが開くのと反対側に移動させるのである。しかし目の届かないところに置くのも不用心であるし、停車ごとにデッキに行くのも面倒である。仮に何駅も開くドアが変わらなかったとしても、反対側には開いたドア。ひょいと持ち出されやすい場所なのである。日本の現状を見るに荷物目当ての盗難よりもいたずらで外に放り出す阿呆が必ず出る。そしてそれを動画に収めて公開するのであるな。停車直前には荷物を確認しに行かねばならないだろう。

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大きなスーツケースに限定して考えてみたが、ちょっと大きめの鞄、あるいは買い物の包みをいくつも抱えた人にとっても難儀であるのが現状だ。

買い物の包みをいくつもぶら下げて歩くのはあまり品のよいものではない。あらかじめ大きな鞄を用意してまとめるとか、若い人の一人も連れてきて荷物持ちをさせるくらいのことは考えねばなるまい。無計画に衝動買いして荷物を持て余している人というのは見苦しいとは思う。
それはさておき。

小さな鞄や買い物の包み一つであれば膝の上に置いておけばよろしい。
だが、大きな鞄や包みがいくつもあれば膝の上に置いておくのも短時間だ。長時間その姿勢ではつらいものがある。
そんなときは網棚に上げれば済むのであるがそうもいかない場合があることに今回気づいた。

今回の旅は各所を転々とし、首都圏の普通グリーン車にも乗った。自由席なのでグリーン券を買えば青春18きっぷで乗れるのだ。
網棚がなかった。
グリーン車は二階建て車両であった。車両の高さが限られている中で二階を確保せねばならないのと、いまどきのグリーン車はICカードで管理するため席の上にセンサーがある(タッチすれば検札なし)ので網棚がないようなのだ。

グリーン車といえば昔の一等車ではないのか。スーツケースどころか大きな手荷物すら持ち込めない。

前にも書いたが以前東海道沿線の大船に住んでいたことがあって、ごくまれに東海道線の通勤電車に乗る機会があり、せっかくだからとグリーン車にしたこともあった。
当時グリーン車は定期券では乗れなかった(今は乗れる)。普通の乗車券を買った上に千円弱だと思うがグリーン券が必要だった。にも関わらず15両のうち2両あるグリーン車は満席であり、立っている人もいる(立っていてもグリーン券はいる。指定席ではないので)。みな会社員風であり、旅行者ではないようだ。
つまり普通車両があまりに混んでいるので、グリーン定期を買ったり、定期を使わず乗車する会社員が多々いるということである。おそろしい。
そのためニーズがかなりあり、一人でも多く着席できるようにぎりぎりまでスペース節約で設計されているようだ。

今回グリーン車に乗ってみれば荷物が置けないどころか狭く急な階段があったりと移動困難者にはつらいものということがよくわかった。移動困難者であるからこそお金を出してでもいい車両に乗りたいと思ってこれだ。

電車に乗るのは通勤用の小さな鞄を持った身軽な人ばかりではない。
荷物が多い人、ベビーカーを使う人、車いすや松葉づえに頼る人、足が悪い人、太った人、何らかの意味で移動に困難がある人が乗ることもある。
車いすの場合「事前に」申し入れてあれば駅員が帯同して乗り降り用のスロープを架設してくれるなどあるらしいが、到底「気ままな移動」はできない。乗る駅に申し入れて降りる駅に連絡を入れてもらうのである。どの列車の何号車の何番ドアだと連絡をするようなのだ。気ままにはならない。

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都会は過密で移動困難者に配慮するだけのスペースが不足しているし、郊外は逆に路線を維持するのにも青息吐息でこれまた移動困難者に配慮する設備がおいつかない。
郊外では大きめの駅にエレベータがなんとかいきわたったというところであろうか。それも近年のことである。少し前まではエレベーターがない駅も普通にあった。
たとえば車いすの人を階段を使って移動させるには人力に頼っていたのである。
かなり力があって慣れている人でも2人がかり、そうでなければ4人でなければ運べない。車いすには持って力をかけると壊れたり外れたりする部品もあるのでそれなりの知識が必要である。
ローカル駅に4人も駅員が常駐しているはずもなく、事前に手配するか周囲の人(いればね)の善意に頼るほかはない。

そんな状況で運ばれる側も心穏やかであるはずがなく、外出に消極的になるのもわかる。
それでも移動が可能ならまだしも、ローカル線の多くが無人駅でエレベーターどころか屋根すらない、単なる「台」みたいな駅も世に多数あるのである。

それでも車いすに頼る人の場合、問題が決定的であるため世に訴える力もまた大きい。その声がやっと届き現在各駅に辛うじてエレベータがいきわたったともいえよう。
だが移動困難者は車いすだけではない。

松葉づえに頼る人はもちろんのこと、ベビーカーの人、大きな荷物を持つ人、お年寄り、妊婦、怪我その他で(歩けるけれど)足が痛む人(私だ)などは物理的な移動困難者だ。
また視覚や聴覚に問題がある人も移動困難者と言えて、また別の配慮を要する。

そのうち障碍に関係することはそれなりに説得力があるのだが、大きな荷物を持っているとかベビーカーを持つ人、妊婦など「病気でも怪我でもない」人の場合理解が得られにくい。ことにベビーカーの場合昨今話題ともなり、執拗に批判する人もいるので厄介だ(この話は別途書きたい)。

こうした人が容易に移動できないようで豊かな社会といえようか。
過密すぎる都会もお金のない地方も異常だ。何かが間違っているとしか思えない。
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年末年始旅 その6

きままな旅といって思い出すのがタレントの松嶋尚美さんである。なんで、と思われてしまうかもしれない。
一般に旅のイメージがある人とは思えないのだが、彼女が人気番組の世界の果てまでイッテQでロケに出ていたのを思い出すのである。ずっと前にたまたまホテルで見た(拙宅にテレビはないので)。
あの番組はいろんなタレントを世界のいろんなところに送り込む番組である。彼女はあの奔放なキャラクターらしく愚痴を言いつつ、とはいえ企画を完遂しようと頑張る姿がよかった。ひたむきと奔放が同居するお人柄が人気の理由なんだと思う。マカオの世界遺産の広場を見て「こんなん恵比寿にもあんで」というところが秀逸である。そりゃそうなんだがそれを言っちゃ。。というこの面白さ。私はこの人が大好きである。

あれはインドのロケであった。
まだ薄暗い早朝から喧噪のインドの街頭でチャイの屋台の取材。チャイを買い求めて一服するシーンである。そこで彼女は「悪いけどゆっくりさせてもらうで」という。道のわきで座っていたかどうだったか。チャイを飲んで一息つく。もしかすると日程のつまったテレビのロケというものは、撮影で一口飲んだチャイを打ち捨てて次に向かうなんてことが常識なのかもしれぬ。それは知らんが。
いいシーンだった。
ホテルでも車中でも彼女はゆっくりすることを大事にする。それは怠惰だからではない。ゆっくりとすることがその非日常の空間を味わう最高の方法であることを知っているからだ。その土地の人にとっては日常で忙しく駆け抜けてしまうシーンを旅人だから見られるのかもしれない。
全編通じて時間に追われるロケだったらしいが彼女は言う。「(急ぐのも大事だが)それも旅じゃないやん」。
企画とはいえ貧乏旅。そこに喜びを見出す彼女の姿がよかった。名声を得た現在も、無名の時代も本質変わらずやってきたのだろうなとおもう一言であった。

これが今回の私のテーマでもあった。街眺めて一服しようや、電車の時間もあるけどそれも旅じゃないやん。と何度心の中で思ったか。最悪宿にたどり着きさえすればいいではないか。いやたどり着かなくてキャンセル料払う羽目になったところで殺されるわけでもあるまいし(寒いとおもうけど)。ゆっくりすればええやんと心の中の松嶋さんがささやくのである。
筋金入りの青春18きっぷユーザーなら始発から終電まで駆使して乗り継ぎを研究して距離を稼ぐのだろうが、朝はゆっくり、夕方には宿に入るスケジュール。しかも、4〜5時間で着く行程のはずが8時間くらいかけて移動している。途中のんびりしているからである。
これがいい。

で、日本の町中にはチャイの屋台はないのであるがコンビニがある。最近のコンビニは自動のコーヒーメーカーで淹れたてのコーヒーを安く買える。このコーヒーで松嶋尚美を気取るわけである。ま、ええやんと。
今回は出先にたまたまセブンイレブンとサークルKが多くあってこのコーヒーを何杯飲んだか。

セブンイレブンは昨今のコンビニコーヒーの嚆矢だと記憶している。これまでも淹れ置きのコーヒーを出す店はなくはなかったが淹れたてでこの手軽さは初めてではなかろうか。しかも安い。
最近ではさらに美味しくなったというCMをやっているがなるほどそう思う。この値段でこの味であれば文句は出まい。下手な喫茶店より美味しいし、コーヒー専門チェーンと比べても好みによってはセブンイレブンがいいという人も少なくはないと思う。
サークルKのは挽きたてではなく密封したカートリッジにコーヒーの粉が入っているのだと思う。そういうと悪いみたいだが豆をその場で挽くセブンイレブンとてその豆が完全密封されているわけではない。必ずしも挽きたてでなければ負けるというものでもなかろう。またカートリッジであるから有機栽培コーヒーとか種類が選べるのがいい(セブンイレブンはホットとアイスの二種類の豆しか機械に入らない)。有機栽培コーヒーは若干高め(とはいえ缶コーヒー並み)でありたいへん美味しかった。

このコーヒーを店先で飲みつつ、「まぁ電車は来たのに乗ればいいっか」とおもいつつ街を眺めるのである。これがいい。

これがきっちりと喫茶店に入って飲むのではハードルが高いし街も見えない。缶コーヒーではいくらなんでも悲しい。缶コーヒーも近年美味しくなったが冷たいのに限る。飲んでおいしいほど熱い缶コーヒーは手で持てないからだ。
値段は若干張る(それでも安いが)がコーヒー専門のチェーン店でも持ち帰りにすれば同じことができるしそれはそれで好きなのだが、コンビニほど数がない。到底スターバックスもドトールもなさそうなところでもコンビニはある。
美味しいレギュラーコーヒーを街角で飲める時代になったことに感謝である。これも旅の楽しみ。

旅の楽しみは食べることでもある。
なんだ、最初と言っていることが違うではないかと言われるかもしれぬ。確かに名所・名物を追い求める旅ではないのだが、その町で美味しいものは何だと聞いて訪ねていくこと自体は別に矛盾していないと思っている。移り住んだ街に美味しいものがあれば食べに行くだろう。

調べるでもなく安直にホテルのフロントで「この町で美味しいものって」と聞くだけなんであるが、今回とある街ではさらに安直にホテルの隣に名店があった。ホテルを出て15秒である。
この店が名店の誉れに恥じぬ素晴らしい店であって滞在中通うほどであった。昼食夕食と二回行った日もあった。
せっかくよその土地にいるのだからいろいろと食べないともったいないという考え方もあるのだが、この「せっかく」の思想がのんびり旅を破壊するのである。やりたいようにやればいい。せっかくだからとあれもこれもとおもうのがいかん。あとでほかの店があることを知ったならまたその町に行けばいいのである。

ただ、この店に何度も行ったのは美味しいからだけではない。
むろん味は最高ではあった。だが、通うかどうかはやっぱり人柄なんではなかろうか。

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今回の旅の訪問地のうち、一つは再訪した町である。以前所用で滞在し、ある店で食事をしたのだがそれが大変いい店だったのである。再度食べに行きたいというのが理由だ。ここだけは気ままでなく計画的。

この店はメインの料理もおいしいのだが、サイドのおつまみメニュがまたおいしかった。
牡蠣の燻製オイル漬けというのだが、燻製で水分が抜けて濃縮した牡蠣のうまみに燻製の香りがつき、オイルのコクが追いかける絶品であった。
ただ、うまいとはいえ小鉢に盛ったおつまみ。それだけで出かけていくのではない。

当時食べに行ったとき、これはどういうものかと店員さんに尋ねてみた。
学生アルバイトと思しき若い女性であったがこの回答がよかった。料理としては名前通りの説明だったのだが「これ美味しいんですよぉ。あ〜また食べたい」と明るく言うのである。そういわれたら食べたくなるし、そうした明るいやり取りというのはいいものである。
むろん、ずっとおしゃべりをしているわけではなく、適切に客とコミュニケーションをとりつつてきぱきと働く好ましい店員さんであった。
外食の満足の半分は有能で人柄のいい店員さんから生まれるものだと思う。いくら美味しくても無愛想な店では食べたくない。

今回再訪したところ店は健在であり、牡蠣の燻製オイル漬けも健在であった。メインの料理の味も落ちていないと感じた。
だが、フロアの店員がどうにも。気が利かない、愛想がない。会計時にこちらが「牡蠣の燻製オイル漬けを食べにはるばるやってきました」と話題を振っても「はぁ」という反応。面白くない。
まぁ話の相手をしてくれと言うのではないが、水をくれと言われても持ってこないとか、来店した客がいるのに客席を見ていない(ひまそうなのに)から注文するのに声をかけなければ気付かないとか、明らかに前述のアルバイト店員さんよりレベルが下がっていた。

こうなると料理がおいしくても満足は半分である。悲しい。
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年末年始旅 その5

拙宅はそこそこ都市圏で、とはいえ周辺の住宅地のそのまた周辺のはしっこに住んでいる。
微妙に田舎だが、電車に乗ればお作法は都会である。
ということも、他の地方に行ってみて気づいた。
日本という国は他国に比べて文化的に均質化が進んでいるといわれる。国土の広がりは東西南北に広いが、その距離に比べれば文化的な差が小さいというのだ。
なるほどそうだろうが、やはり違いはあるなと思った。方言のようにわかりやすく研究されやすいものではなく、ほんのちょっとした振る舞いが違うことに気付いた。

他人に対する距離感やお作法の差である。
あまり意識されないかもしれないが電車の混雑に対するお作法というものは歴然としてある。
要するに他人の邪魔にならずスペースを節約するお作法であるのだが、なにも立錐の余地がなくなるまでは構わなくていいものではない。その空間に複数の人がいれば守るべきお作法である。お作法は直接的に人に迷惑をかけずとも自らを律して、「私はこういう人間でござい」と表現するものであるからだ。
たとえば、電車やバスで空席が目立つほどであっても荷物で席を占有することは作法に反する。それは「よそ様より自分の荷物が優先の人間ですから」と宣言しているに等しいからだ。それが作法というものだ。無意味な形式主義ではない。そうして立ち居振る舞いを律する習慣をつけることでたとえ自分の気が抜けていても他人に迷惑をかけなくなるものなのだ。

自分の荷物で席を占有する。これは作法違反とされている。都会でも見かけないわけではないのだが、それをやるのは無神経なおじさんおばさんであると相場が決まっている。周囲も白眼視する。
ときに買い物袋がたくさんあって膝に乗せきれない場合もあるのだが、そもそもそんな買い物をすることも、そんな買い物をするなら対策をしないことも白眼視の対象である。みっともないからである。
まず荷物持ちに若い人を連れてくればすむことだし、それが無理でも大きな鞄なりなんなりを用意すればいいのである。自分の都合で荷物が多いから座席に置きましたと許されるはずがない。これが作法である。
それをあえてとがめだてする人もまたいないが、みっともないとおもわれているのは事実である。

ところが地方によっては当然のように荷物で座席を占領する。
席の座り方も緩い。電車の7人席に6人どころか、もっと緩い密度で座っても平気である。
むろん、周囲に立っている人がいないのであればそれもありなのかもしれない。そもそも立って乗る人が出るなんて珍しい路線であれば余裕をもって座るのが常識でもおかしくはない。
だが、立つ人がいてもお構いなしである。立つ側もそれが常識になっているのかなんなのか。

また、荷物の置き方というかなんというか、全体の振る舞いが「他人が近くに来るのは不愉快ですから」光線を発しすぎである。4人掛けのボックスシートに一人で座るのが当然。誰か来るなよ来たら不愉快だよという光線を発しているかのごとく感じる。
混雑に慣れていないからパーソナルスペースが広いのだろうか。

もっと混乱するのが乗り降りである。
降りるほうが先。常識である、と思っていた。降りる人が降りてくれねば乗る人も乗れず、電車は遅れ。回りまわって迷惑するのは自分である。
ところが今回、降りる人がいるのに押しのけて乗ってくる人をかなりの確率で見かけた。
混んでいるからこそ席を狙うのかもしれぬがあまりに不作法である。

一般的には地域による習慣の違いは違いであってそこに優劣を見出してはいかんとは思う。たいていの場合は。
だが、電車でのマナーなんてのは他人に不愉快を感じさせたり、実際に乗り降りに支障をきたしたりと決して習慣の違いで片付けてはいかんとおもうのだが。

考えてみれば、基本は車社会で混雑する電車バスも限定的な場面とすれば、混雑した場での振る舞いというものが洗練されないのも仕方あるまい。
しかしそのままでよいわけはなく、あえて明確に啓蒙し学習する必要があるのではなかろうかと思うのである。
いかに車社会の地方と言えど、この地方は作法がなっていないと思われたら悲しいではないか。今一度自分の地方の作法を見直してはどうか。それを自らの胸に収めるだけでなく、周囲の人との話題にしてみてはどうか。レベルが低いなんて思われたくないでしょう。
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