2015年07月19日

年末年始旅 その4

青春18きっぷで長距離移動なんて酔狂なことをする人なんてごく一部なんだと思っていたがなかなかメジャーな趣味らしい。

通常は混まない列車が青春18きっぷ趣味にあっているということがあるようだ。おそらく鈍行でも長距離を行くとか、長距離の旅の乗り継ぎのかなめになるとか意味がある列車だと特異的に混むことがあるらしいのだ。
エレベーターで乗り合わせた(私もスーツケースを転がしているのでエレベータだ)おばあちゃんが連れに「こんな混むなんてな、あの、なんや青春なんとかとかいうあれでな、みんな乗るんや」とあきれていた。まぁ私もその一員なので押し黙るほかはない。

まぁいつも空いている電車が混んでいるのも迷惑と言えば迷惑かもしれぬが経済効果もあるやもしれぬ。青春18きっぷにかぎらず、何かイベントがあれば混むことはある。単に混むのは仕方ないと容認してもらいたいと思うのは身勝手だろうか。まぁご容赦願いたい。
ただそれを超えてあきらかな騒動はいかん。ある程度集中したら避けるくらいの見識が必要だ。なにせ乗り放題切符ではないか。なにがなんでもこの列車に乗るんだと血相を変えてはいかん。

どうも、一日でどれほど移動したかを競う鉄道ファン心理があるのかなんなのか、タイトな乗換を前提に旅程を組む人が多いらしいのだ。
都会ならともかくローカル線では乗換は基本的にタイトだ。外すと恐ろしく待つ。
数少ない長距離の普通電車を降りると次の長距離の電車までほんの数分。おそらく良かれと思ってそういうダイヤを組んだのだろう。本数が少ない分乗換に考慮されているのが多い。
あるいは乗換待ちで2時間とかだ。都会のようにすぐに次が来るわけじゃない。

私が乗った電車もそうだった。長々と乗ったあと5分もなく乗り継ぎ。
でも効率よく移動するだけが旅じゃないしと私は一本やり過ごして乗り換えることにした。青春18きっぷは駅の出入りが自由だ。せめて駅前だけでも知らない街を見たいし、ゆっくり休憩したい。地元の商店で買い物もしたい。
それで二時間ほどある乗り継ぎ時間を持て余すこともなく、次の列車を余裕をもって待った。
さすがは本数のないローカル線。目当ての列車は30分近く前にホームに入線する。乗り込んでみたものの車両は閑散としていた。周囲の写真を撮りつつお茶を飲みつつゆったりと過ごした。名所でもなんでもないホームからの風景も旅人にとってはまた珍しい。これもまたよし。

ところが、待ったところでこの列車にも「タイトに接続する次の列車」がある。私が乗ってきた列車の次が到着して接続するのだ。
間もなく発車という閑散とした車両にどどどと走ってくる一団が。階段を走り下って駆け込んでくる。
別に発車間際ではない。まだ数分はある。また座れないほど混んでいるわけでもない。よりよい席を奪おうと走ってくるのである。どうやら進行方向に向かって座れて、好みの側の窓際に座りたいらしいのである。席の奪い合いに負けた若者が、別の席に突進していく。何やら昔のバーゲンセールの光景のようである。表情は必死、他人を押しのけようとするその姿は見苦しい。
こちらは2時間前の列車で到着し、ゆったり座っているわけである。
どちらが豊かな旅かは考えていただきたい。

別に走らないと乗り継げないほどタイトなダイヤでもない。どうしてそこまで。
・効率よく乗り換えたい
・都合のいい(たぶん景色がいい)場所を取りたい
・席に座りたい
これらすべてを満たすために走って人を押しのけて必死の形相。割に合わない。当人は満足しても他人からあさましいと思われてまですることとは思えない。そうは思わないのだろうか。

私のように一本見送ればゆったりといい席に座れる。
いい角度で景色を見たいならドア近くに立てばいい。ドア近くに行けないほどには混んでいない。見たところみんな10代から20代の若者。たかだか2,3時間、立っていられない年でもなかろう。

まぁあさましいものを見ただけで直接的な迷惑をこうむっているわけではないのでどうでもいいが、せっかく若い時間を使っているのだ。豊かな時間にしたほうがいいのではなかろうか。
その分別がないというのが若いということなのだろうか。
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年末年始旅 その3

ただ車窓を眺めているだけで気づくことがいろいろある。
土地が足りない、人口過密だなんて言っているのはほんの一部の地域なのだということがよくわかる。山間部やら崖の迫った海岸部は住みづらいから閑散としていても当然だが、たいして利用されていない平地が多々ある。農地でもなく住宅もまばら。そんなところが多々ある。

ま、それは当然のことであり、全国津々浦々ぎっちり利用されていたらそれこそ変なのである。
ただ、その中に妙な貧しさがある。

駅前にがらんとした住宅地が広がっていた。新駅を作って開発したのか、住宅地ができたから新駅ができたのかというところか。新しいせいか駅も住宅地もがらんとしている。
土地がゆったりしているのだし、これから開発するのだから良質の住宅を建てればいいのに、妙にせせこましい住宅が数軒身を寄せ合うように建っていた。周りはがらんとしている。
地価の高い大都会周辺によく見られる、狭い敷地にぎりぎりに建てられた住宅。内部がどうなっているのか想像もつかない3階建て。
ぱっと見た目新しいが、あれではいかん。
狭苦しいのは住宅として貧しいし、防災上もいかん。
本当に土地が足りないのならばむしろ中層の共同住宅にすればいいのである。
むろん、そんなぽつんとしたところに中層の共同住宅を建てるほどのニーズはない。
そうなる理由はいかにローカル線周辺の土地とはいえ高いからだ。高いから広い土地は買えない。だから狭い土地を買ってそこにぎりぎりの家を建てる。
そこに貧しさがある。家を建てた人が貧しいというのではない。土地政策を中心とした日本のあり方が貧しいのである。
そもそもピカピカの3階建ての住宅を建てられるお金があるのにあんな狭い土地しか買えないのがおかしい。周りに使っていない「なんでもない土地」があるというのに。バランスを欠いている。

また、駅近くの一等地に(駅が超ローカルで店の一つもないのだが)大きな墓地が広がっていて、その周辺に住宅がちまちまと建っているという駅もあった。日当たりのいい平地を墓地が占め、少々悪いところに住宅がある。
おそらくもともと有力な寺院があって、所有する土地のうち周辺の「あまりよくない」ところだけを住宅用に売り出したのであろう。

墓地に日当たりのいい最高級の土地を当てる必要はないのではないか。人の考えはそれぞれだが生きている人間が大事だ。

土地を持っている人が好き勝手に儲かるように、気持ちいいように土地を使うことがあまりにまかり通りすぎではないのか。
土地の用途と価格をもっと制限してもいいのではないか。居住用住宅なら税金は安いが墓地なら高いとか値段を高くすると累進的に取引税が高くなるとか狭い宅地は認めないとかやりようはいくらでもある。そうすれば住宅着工も進むし、優良な不動産ストックも進むし、付帯する産業も栄える。土地を持っている人に慮る政策がいかんのではなかろうか。

むろん、土地のバブル的価値、つまり実効的なあるべき価値よりも帳簿上の価格が高いことが企業の資産になっている側面があり、地価を下げる政策は経済的インパクトは大きかろう。当初失われるものも大きい。だが、どこかで抜本的な改革をしないと土地が高くて動けない、土地を売ろうと思っても高く売れないから売らないと経済が徐々に閉塞する気がする。
弊害は承知の上で一度これは壊したほうがいいと思う。土地を使う経済的な利益と土地の値段がバランスを欠いている。土地の値段は都会も地方も1/3から1/4にしていい。地主階級が反発するし固都税が入らないから政府は絶対に何もしないだろうけど。

車窓の光景からそんなことも考える。
posted by Mozzo at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年末年始旅 その2

前回席は狭いわスーツケースはおけないわ混んでいるわで駅弁が食べられなかったことを書いた。
まぁ駅弁はあきらめても、途中駅のレストランで食べることはできる。いや数日くらい食わずとも死なない(そんな我慢をするために旅に出るのでもないが)。
困るのはトイレだ。

スーツケースを引きずって個室に入れるものではない。
たいてい狭くてドアを閉められない。
しかも、古い駅に多いのだがトイレに入るのに階段を上らねばならないタイプがある。
配管の都合なのか古の慣わしなのかしらんが、数段の階段を上がったところにトイレの入り口があることが多い。そこで重いスーツケースを引きずりあげるのは苦難の業だ。
さらに、古い駅で改修されていないようなところでは便器は和式だ。
個人的な話だが私は現在膝が悪い。歩く分には問題はないがしゃがむのはつらい。
そういったわけでどうにも普通のトイレには入れず、身障者やおむつ交換に使う多目的トイレのお世話になった。ぱっと見た目歩けて子供も連れていないので奇異の目で見る人もいるかもしれぬが仕方ない。トイレの個室のドアを開け放ち立って用をするわけにはいかぬ。あまりに豪傑でファンが増えるかもしれぬが人間失格だ。

これは駅のトイレのことだが、車両のトイレはさらに深刻だ。数十分ならトイレがなくとも我慢できるが、青春18きっぷの旅、ときには乗車時間が3時間を超える。トイレがないと困る。
都市近郊を走る新型車両のトイレは改善されているようだが、地方を走る古い車両はひどいものだ。狭く、和式だ。そして臭い。

乗車中なので狭いとはいえスーツケースは席においておけばよい。貴重品だけ小さなバッグに入れていけばなんとかなる。それでも駅に停車中に用を足すのは心もとないが、スーツケースを置いて席を離れることができる日本の治安に感謝ではある。
しかし、和式の問題はどうにもならぬ。

駅弁を食わせろというのは個人のわがままとしても、トイレの問題は個人のわがままとは到底いえまい。
スーツケースがあって邪魔というのは一人旅だからかもしれぬが、一人旅は異常なことか。観光を一人でする人は少数派かもしれぬがビジネス旅行もあるだろうに。
ましてや足が痛いのはどうにもならない問題なのである。

ここで言っていることはほぼ車いすや松葉づえに頼る人の不便に通じる。曲がりなりにも自分の足で歩ける自分と同列に扱っては失礼というものだが、少なくとも私が不都合だと思うものは車いすや松葉づえに頼る人にとって不都合であるのは当然である。

大雑把な話として、古い駅や車両あるいは大都市から遠い地方にこうした問題が大きいと思う。

このままでいいのか?
これでお・も・て・な・しの国とはちゃんちゃらおかしい。日本のトイレは外国人旅行者には好評で清潔で使いやすいと言われている。だが日本が知られれば行き届いた都会以外にも目が向く。もう一頑張りだ。私ごときに突っ込まれるようなトイレではいかん。

何度も言うが人間一日や二日食わずとも生きていけるがトイレなしでは一日持たないのである。あるいはその辺に垂れ流し。
posted by Mozzo at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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