2015年07月05日

子供を守るために親はまともな知性と知識を

先日薬局でおや?と思う光景を見かけた。

私は持病があって定期的に病院薬局に行く。その話は何回も書いている。
しかも薬の種類が多くて時間がかかる。私の後に受け付けた人が先に薬を受け取って帰っていくのだがそれは当然のことである。待つのはなんとも思わないし、薬局に長く滞在することで人間観察が楽しめる。願ってもないことだ。

薬局は子供連れが多い。乳幼児から小学校低学年あたり。
この世代は病院に行く機会も多いだろうし、親が患者であっても一人にしておけるわけはない。小学生も高学年になれば放っておけるのだな。
他人の子供とはいえ、この世代の子供は見ているだけで和むというものだ。

で、薬局には子供向けの玩具や絵本が常備されている。
その中で人気なのが専用のペンで絵が描けて、本体のバーをスライドさせるだけで一気に消えるというお絵かき玩具である。これならごみも出ないし、手や服も汚れないので親御さん的にも好評であろう。他人の視点では絵具やインクが手や服どころか顔にまでついてしまってけらけらと笑っている子供を見てみたいと思うが、親にとってみればとんでもない話であるな。でも見たい。

さて、そのお絵かき玩具は人気があるのであるが、小さな女の子を連れた父親が笑えた。
この玩具は専用ペンでしか絵が描けないのである。ところがこの父親は指先で描いてみて描けないから「これ壊れている」と言った。その後その娘さんがペンで書いて壊れていないことを証明したのだがことさら訂正も謝罪もなく。まぁ謝罪するほどのことはないか。

たいていの人はその類の玩具を知っているとは思うが、知らない人のために説明する。
専用ペンの先端には磁石が仕込まれている。
専用ペンで画面をなぞると、半透明の膜の先にある磁性体の粉を引き寄せるのである。それが画面にくっついて色がついたように見える。磁石を離しても落ちないようになっているが、本体のバーをスライドさせるとその粉を拭い取るようになっているので絵が消える仕組みだ。
ちなみにペンが赤青二色の色鉛筆のように両端に磁石が仕込んであり、二色が使える玩具もある。これは磁石のS極とN極を使い分け、磁性体のどちらがの面が画面に吸着するかを決めているのである。磁性体の両面に違う色を付けておけば二色が使えるのであるな。故にバージョンアップしても三色は使えないのである。

そりゃ指先で描いてもダメだろうに。仮にここまで知らなくとも、インクも付いていない専用ペンが必要という時点で指先ではだめだろうという推測ができなければいかん。

だがこれを単なる間の抜けた男性の大ボケ発言としていいのだろうかと思う。
科学的知識も観点も全く持って欠如している。論理性がない。
仮にこの玩具が圧力に反応するものだと誤解していたら指先で描けると思ってしまうのはいい。だが、ならば専用ペンがある理由はなんだ。そこに思い当たらない知性が(知性と呼ぶほどのことでもないが)ないのはいただけない。

いや、これが個人のことであればいちいち指摘することではない。仮に生活上なにか支障があっても自己責任。あまりの無知に小火でも出されたら迷惑ではあるが。
ただ、子供を育てているのである。最低限の科学的知識、論理的思考は必要なのではないか。これでは子供を守ることもできないし教えることもできない。

身の回りにあるもの、ことに子供に使わせるものの動作機序が理解できていないというのはあり得ないと思う。
無論本職ではないので理屈は知っていても作れるほどの知識はなくていい。私も電子レンジはマグネトロンという部品が電磁波を発生して食品の水分子を動かし熱を発生するところまでは知っているが、マグネトロンがどのような仕組みで電磁波を発生するのかまでは理解していない。だが生活の上では電磁波を出す、熱が出るということを知っておけば足りる。「なんか知らないけど入れるとあったかくなる」ではいかん。都市伝説と言われる電子レンジに猫を入れた話が実話になる日も来る。

自分の身を守るためにも大事なことであるのだが、わが子を守る立場になればそれこそ基礎的な知識がいるのだ。訳の分からん健康食品やら有機栽培の特別栽培のナントカより大事なのである。

こういうことを書くと子供を育てている親に高いハードルを設けているようにも読めるかもしれぬ。だがちょっと違うことをご理解いただきたい。

玩具で絵を描けるかどうかなんてのはまぁどうでもいい話だが、私が求めているのは子供が怪我せず死なない程度のことだ。その視点で言っている。決して、情操教育がとか将来の健全な体がとか頭のいい子にとかそのレベルのことは考えていない。死ななければ親孝行なのである。
子供が怪我せず死なないためにはそれなりの科学的知識と論理的思考が必要。それだけのことである。そうでないと怪しい占い師に頼ったりするのである。

むしろ現代の育児業界(?)は様々な情報が錯綜していて親が混乱しているともいえよう。あれがいいこれがいいとあやふやで断片的な情報が乱れ飛んでいる。
子供にいいと言ってある種の食べ物だったり物の言い方だったりを勧めるなんてことはいくらでもある。カルシウムだの、ブドウ糖だの、タンパク質だのが子供にいい、いやかえって悪いなどなど。
極論かもしれぬがその情報のほとんどは嘘だ。嘘が言い過ぎであれば確証はないと言えばいいか。

ナントカを多く食べれば記憶力がアップする、なんてことをしれっという人がいる。
記憶力も脳内の化学物質が深く関係しているわけだから食品によって左右される可能性がないわけではない。
だが、それをどのように証明したのか。まことにあやふやである。
血糖値とか血圧とか数値できっちり測れるものならまだしも記憶力とか情緒とか数値で測れないものは評価がしづらい。故に商品にクレームを入れることもできないのだ。
こうしたものは「どのような仕組みで効果が出るか」「実際にどのような効果が出ているか」の二本立てで宣伝される。つまり演繹法と帰納法で説明される。たいていこれが眉唾物なのだ。
「ナントカカルシウムがナントカを刺激して」という説明から入っているがそもそもそれ自体が事実なのかどうか。効果があったという利用者の声も、効果を期待して買って、効果があると信じた人だけを取材している。効果を期待しない人や効果がなかった人に取材していない。
実際に調べて効果があると言ってもまともな調査法だったのか。最低限二重盲検法に沿った調査でそれが継続的に行われていなければ(それをやるのは科学者として当然の態度だ)私は嘘だと断ずる。
「満足度99%!」とか「リピート率90%」という宣伝文句が躍ると信じてしまう人もいるかもしれない。丸ごと嘘ということも多々あろうがそれは横においても数字の嘘がある。満足すれば企業に伝えるが「クレーム入れるほどではないけど効果はなかったな」という人は企業に連絡を入れないだろう。リピート率だってその商品を気に入ったから名前をさらして注文するわけで、そうでない人もいる。つまりファンだけを調べて「支持100%」と言っているようなものである。
「お試し価格で30日分」に乗っからなかった人がどれだけいるのかを無視しているのである。

かなり脱線した。
子供の命を守るということと、優れた子供に育てることの両面において、親の知性が求められるのである。そこを強調しておきたい。
知性とは学業の成績をいうのではない。まぁ知性のある人は学業なんてものは軽くこなすとは思うが両者はイコールではない。
物事を道理に沿って理解できるか、理解したことを蓄積できるかということである。
それが子供を守る。
posted by Mozzo at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

残薬が出るなんて 医師と対話できる人になろう

患者のプロというこのサブテーマを立ち上げて、すでに言うべきことは書ききってしまったような気もするのだが。
繰り返しになるが賢い患者でありたい。それは自己満足だけではなく公的な利益につながるのである。

たとえば残薬の問題。 
医者と無縁という健康な人には想像もつかないとは思うが、世に慢性病と言うものがあり、薬を飲み続けなければならない人がいる。私もそうだ。おそらく一生飲み続けなければならない薬がある。

薬が残る。
たとえば毎食後に飲めとなっていたとしても、一日3食で28日分84錠が処方されているからといってきっちり28日で飲み切るものではない。
当然うっかりの飲み忘れというものもある。さらに、食事ができないということもある。薬には「食事ができなければ飲む必要はない」というものと「食事ができなくとも飲むべき」というものがある。食事ができないときには多めに水を飲めともいわれる(胃を傷めたりするのだな)。
私の場合、一日3食食べられる日のほうが少ない。7時に朝食を食べたらその後12時に食事をする気にはなれないのだ。消化しておなかが空いて(おそらく血糖値とか関係するのだろう)食事をする気になるのは18時以降だ。若いころはこうじゃなかったのだが中高年になればこんなものなんだろう。若いころは牛丼の大盛りをぺろりと平らげたものだが、いまじゃ並でご飯軽めでそれがもたれて半日以上食べる気にならないという体たらく。それでも痩せないのはなぜだ〜〜〜。なぜだ〜〜〜。大事なことなので二回言いました。

だいぶ脱線したが、食事とワンセットになっている薬なら当然余る。もちろん飲み忘れだってある。人間だもの(いいのかそれで)。
日常的に飲む薬であれば処方と実際の消費がずれても仕方ないのだ。そこを厳密にやろうという圧迫はかえって病気を悪くすると私は思う。

在庫調整をすればいいのである。今回はいらないとか前回は止めたけど今回は出してくれとか。

ところが世の中この辺に甘いという報道があった。
薬が残っていようがお構いなしで処方を受け、残った薬は死蔵したり捨てる人もいるという。あり得ない。薬にも有効期限はあるとはいえ生鮮食品ではない。1か月単位で在庫調整をすれば捨てることはありえない。

で、この残薬で公費が日本全体で数十億円というオーダーで無駄になっているというのだ。在庫があるからいらないと言えば済む話である。というよりいらないと言えば自己負担だって減るのだ。なぜしない。その回に全く処方箋がないとしたら医師が投薬料を請求できないが、一つでも処方箋を出すなら医師の収入は減らない。どちらにしてもたいしたことではない。まぁ薬局と製薬会社はうれしくないかもしれぬが「正しくない消費」を期待するのは間違っているのであるから問題ない。まぁ誰もそんなことは気にしないか。
日本全体で数十億円が大きいのか小さいのかは判断できぬが、あらゆる場面で予算に圧迫のあるご時世、たとえ1円でも公費を節約することは悪いことではない。何十億円と特定業界に支援するということはなかなかあるまいに。

どうも患者の側に医師にものを言ってはいかんという意識があるようなのだ。
無論法外な要求はいかんのだが、医療的判断に反しない範囲で要求するのは全然かまわない。薬の意味が分からなければ説明を求めても間違っていないのだ。さらに言えば医療的判断に基づく処置についても成人であれば反論・拒否することもできるのではあるが、その根拠(セカンドオピニオンを得るとか)が固くなければ健康のことを考えれば医師の処置に従ったほうがいいけれども。
薬が余っているから今回はいらないとすらいえない人が医師との良好な関係を築けるとは思えない。従属するだけだ。神社にお参りして「病気を治してください」と言っているのと結果は違うだろうが態度としては同じだ。医師と対話したうえで神社にお参りするのが人間として正しい。

医師には患者の病気を治す(正確には直ることを支援する)という役割はあるが、それ以外にもQOL(Quality of life)を上げるという役割がある。たとえ投薬だけとはいえそこにはQOLがある。
大きな錠剤は飲みにくいとか甘いシロップが嫌だとか人によって好みがあるのである。一時の急病ならまだしも一生飲み続けるのなら服薬とてQOLだと私は思う。

私はOD錠(口内崩壊錠)が嫌いだ。アスパルテームが入って甘いから。
だから私はOD錠ではなくカプセルにしてくれと要求してすんなりそうなった。医師が処方箋に書くことは絶対と思うかもしれないが「ナントカだったらOD錠が主流かな」くらいで決めている部分もあるのだ。カプセルではいかんという理由がなければ変更できるのである。
もしこの辺を要求していい顔しない医師がいたら藪だと思っていい。
無論、患者が知らない理由でその処方と言うことはあるだろうがそれを理解させることができなければ藪なんだろう。患者側に理解する知性は必要だけれども。

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何の問題を論じても結論は毎回同じような気がする。
医師と対話して意思疎通して、経済的で病気に良くてQOLが上がる道を探ることである。

しかし医師の前に出ると緊張するという人もいる。ワタシなんぞ患者のプロなので医師看護師の前で毎回冗談の一つも披露してくるのである。この前は検査で体重を測るというので「3トンあります」と言ったら検査技師が笑っていた。やった!
病気になれば精神的に追い詰められるかもしれず、患者に緊張を強いる医師がいるとすれば問題だが、多くは患者の側が構えすぎだと思う。横柄な医師もいるにはいるが多くは、特に開業医はその辺に最大限配慮している。物腰柔らかく丁寧な物言い。くつろげる待合室診察室。まぁわが主治医は若干顔が怖いのだが関係ないな。

医師と対話するにあたってはその投薬やら治療について患者の側が理解せねばいかん。とはいえごく基本的なところから医師が説明するというのでは現実的ではない。
たとえば高血圧で「塩分を控えて」と言われた患者がいて、どういう判断なのか「肉や魚をやめて佃煮だけにしているのだが」と薬剤師にこぼしていた光景をみたことがある。前にも書いた。三大栄養素とか食物繊維とかビタミン・ミネラルとかそういうレベルから毎回医師が説明せねばならんとしたら病院は破綻してしまう。

学ぶ気もない人たちには啓蒙活動も必要なのだろう。しかしそれ以前に知的興味として学ぶ気持ちを持ちたいものである。

そういう意味で「一病息災」という言葉が意味を持ってくるなと思うのである。
「生まれてこのかた、病院に行ってませんねぇ。生まれた産院が最後で。ま、健康だけが取り柄ですよ。わははは」という人は幸せだしうらやましくもある。
だが、病気はふと訪れるものである。病気のことを考えない人はショックも大きいだろうし基礎知識がない。
持病があるのは憂鬱なことだがその分勉強をする。自分の病気に関係なくとも興味がある。病院の事情にも通じることができる。勤務医と開業医の違いなんてのは自分の病気には関係ないのだがだんだん見えてくる。
現状では持病とはいえ日常生活を脅かすものではないのだが、この先大きな病気に襲われることもあるだろう。
大きな病気で倒れることは誰にでもありうる。そのとき落ち着いていられるかどうかが違うと思う。

だからといって積極的に持病を持つことはできない(そんな人はいないだろうし)。健康であることはそれはそれは素晴らしいことであるのだ。だからこそ学習とシミュレーションが有効であるのだ。自分が病気になったらとか、病気の隣人はどのような生活なのか、考えてみてはどうだろうか。
posted by Mozzo at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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