2015年07月12日

新国立競技場騒動 マンコ スタジアムと言われる前に見直しを

東京オリンピックに伴う新国立競技場建設の問題が迷走状態にある。
「金が足りなきゃ国が出せ。東京都が何で負担すんじゃ。もちろん建設の利権もなにもかも東京でいただくけどな!」と言い張る舛添は心底阿呆だと思う。最近森喜朗に説教されたらしくみんな金出すいけいけどんどん路線になったようだが(芯のない)いずれにせよ都民国民の負担は大きい。
東京都知事は代を重ねるほどに阿呆の度が進んでいる。都市博の中止を実現したところだけ青島が優れているか。
大体、東京オリンピックを誘致する段階では猪瀬が知事をやっていて、彼は曲がりなりにも「エコで安上がりなオリンピックを」と言っていた。それが評価されてのオリンピック当選じゃないのかね。
衰えたとはいえ有数の経済大国である日本が外需につながらぬ巨大建築に金を使うということはその分海外に回らないということだ。エコなのね、安上がりなのねということは経済振興して外国からものを買ってくれるよねという判断がなかったとは言えまい。

今の見積もりでも2500億円台の見込みで最終的には3000億円になると言われている。しかも高額を指摘された故に猿に餌を与える朝令暮改よろしく、席を仮設にするなど節約案を出すものの、それはその後の改修に更なる費用がかかるという。しかも寿命を50年としているらしく、その間年間20億ともいわれる維持費用が掛かるそうな。年間20億円の利益を出せるとは到底思えぬ。下手をすれば売り上げが20億円で利益は100万円単位でも驚かない。
北京オリンピックのメインスタジアムってのは、あのぐしゃぐしゃにかきむしった頭のようなあれか? 鳥の巣というが徹夜した天パーだ。あれの建設費が500億円だそうだ。
ロンドンオリンピックのメインスタジアムは800億円とか。中国より高いが人件費など考えればレベルとしては似たようなものなんだろう。日本案とは桁が違う。
ロンドンオリンピックは高額な部類でああした巨大スタジアムは日本国内でも(コストが高いが)300億円〜600億円程度らしい。

ここまで費用が膨らむ理由は特徴的な二つのアーチだそうだ。無論日本の技術で作れないわけではないが、それなりの費用がいるのは当然のことだ。重量に耐える構造にするには基礎工事も別物だし、躯体自体も並の建物とは別物の強度が必要だ。日本は地震の国であり、他国より頑丈に作らねばならぬ。

比較の問題として適切かどうかはわからないが瀬戸大橋である。
立地としても難工事が続き瀬戸内海に広がる5つの島を6つの橋を架け、その橋をつなぐ道を作った。瀬戸内海と言えば穏やかな海という印象があろうが、潮汐に伴う早い潮流があるのだ。鳴門の渦潮はその潮流による。堆積物が厚く不安定かもしれないし、地盤が潮流で削られるかもしれない。
全長約10km、総工費1兆1000億円超。工期約10年。

ざっくり言って値段で言えば4倍。とはいえ工期も規模もけた違いだ。どう考えても国立競技場は割高だ。別に建設会社がぼっているとも言えぬ。工法もむつかしいし、周辺の問題もある。東京の都心に工事用車両をバンバン走らせるのか、周辺の施設を傷つけないようにできるか。東京は地下も高度に利用されていて狭いのだ。何にもない場所にどーんとつくるのとはわけが違う。それもコストなのである。

あまりに高価。故に反対という意見が目立つ。

この高額という批判のほかに景観を壊すという批判もあるが、後で考えよう。

デザインコンペでこのデザインを選んだ委員会のトップは高名な建築家の安藤忠雄であるそうだ。たいていの人はタモリさんの物まねでしか知らん(私もね)と思うが。
芸術家である以上コストは無視して優れた意匠かどうかに注目してしまうだろう。百万円でできる建築と3000億円でできる建築を同じ土俵で比較することはできまいが、芸術家としてそら3000億円の案を選ぶだろうよ。芸術家である以上コストに縛られたくないのである。

選定基準にコストも入れろという意見はなかったのか。いや建築家はコストなんて無視したい人たちなんだからそれを抑える人が必要だろうに。その仕組みを作ることを怠ったやつがいるのだ。
100万円でぐっとくる犬小屋を作るプロジェクトで3000億円のプランを提案してきたら止めるやつが必要なのは言うまでもない。高いだなんだという前にその仕組みを作れなかった馬鹿に責任を問うべきだ。どうせ無能な官僚あるいはその天下りなんだろうが。
だいたい安藤忠雄を招聘した時点で「いくらでもいい」という集団になることはわかっていたのではないか。発注者が個人ならともかく国がバックにいれば予算なんてどうにでもなるよねと考えるのだ。

この設計案を出したのはザハ・ハディドという人だという。特徴的な設計プランを数々のコンペに出しいい成績を収めるが、アンビルトの女王とも称されているのである。
魅力的な設計プランであるが予算的に無理とか技術的に無理とかで作られない(ビルドされない=アンビルト)という意味だ。
まずコンペの審査をするならこのあたりの事情を知っていなかったのかという批判は当然だ。アンビルトの女王なら建築家としてグッとくるプランを出してくるがそれを実現できるかはかなり怪しいぞという見識がなかったことが公費を預かり事業を進める資格がない連中だ。

そのデザインにも問題がある。あの形が優れているのかどうかの感性を私は持ち合わせていないが、あのデザインに実用性がないことは素人でもわかる。
今回のオリンピックは熱対策が求められるのである。
IOCが利権まみれで開催地の都合より放映権料を払う国の都合ばかり考えるようになった。前回は日本が蒸し暑い国だということを考慮して10月の開催になった。だから10月10日が体育の日だったのだ。
だが、今回は8月にやれと言っている。本当にスポーツを飯の種にしている連中としては腐りきっていると思う。選手と観客のことを一切考えていない。
今の東京は前回の東京とは都市環境が違う。通風が悪く、熱がこもり、そもそも地球温暖化である。このままでいけば観客と選手に熱中症患者が続出し、死人も出ると予告する。東京は暑くなったが同時に冷房も発達し暑さに弱い人間が増えている。他国も程度の差こそあれ冷房に頼るようになった。死人出るよ。死人が出る確率99%、死人10人以上出る確率75%てなところだぞ。すでに冷涼な土地に住みかつ日本の事情に通じている欧米人を中心に「現地での観戦は無理だ」という意見が見られた。

実用性を言うなら日差しを防ぐこと。そして全域を覆って冷房するか思い切り風が通る構造にするかである。あの包み込むようなそれでいて上部が開くデザインは最悪だと思う。もとの設計は開閉式の屋根がつくそうだが、そんなものが日中の日差しに対してどれだけ役に立つのか。空調が負けるよ。しかも予算うんぬんで開閉式の屋根は先送り。風が通らぬし空調も効かない。熱地獄だ。

コストの話題に戻れば、国か都かなんて表層的議論は本質を見誤らせると思うのである。
メインスタジアムに高価な建物をぶち上げようとしたのは元首相の森喜朗である。きれいごと言いながら利権などあるのだろう。こいつが節約路線の猪俣の主張を曲げ、舛添と意見が合致したのだな。腐りきっている。

コストが高いのはこの独特のデザインも一因だが、それが東京の中心地だからもあるのだ。周囲に建物多く交通も厳しく地下も狭い。それを縫うように建物を作るならコストは上がろう。
東京であることを条件にしなければ、それこそ東京が負担するのしないのとうだうだ言っている500億円くらいかるく節約できる。
それこそ、財政の厳しい夕張市あたりにメインスタジアムを建設しろよとおもう。夕張なら(言っちゃ悪いが)障害は少ない。しかも気候的に東京都は比べ物になるまい。秋にやってはいけないというならなるべく涼しいところでやるのが筋だ。
残った施設の活用ができない? 簡単だ。東京で開催するイベントを全部夕張にするのだ。国立競技場を取り壊した跡地はゆったりとした緑地にするのだ。憩いの場に、ヒートアイランド現象の緩和に。都市開発に伴い暗渠化された水源を地表に出し小川を作ればヒートアイランド現象はかなり緩和されるはずだ。

何なら夕張市と東京が合併して全部夕張(東京)でもいいのに。
森喜朗的には自分が推進したのに批判があるのは嫌なんだろう。日本の伝説にしようとか精神論で公費で実現しよう放言している。論理的に議論できない老人ということは現役時代からダメな議員だったのだ。大変に困った老人である。

ここまではたいていの報道で批判されていることである。
だが、ザハ・ハディド氏を選定するにあたってあまり報道されない問題がある。

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コスト以外の批判として景観の問題が論じられている。
近くに明治神宮があり景観上つり合いが取れるのかという批判がある。皇居だって遠くない。この問題はよく報じられている。
私はこれは無視すべき批判だと思う。都市は変革されるものであり新しいものに拒否感があるのは当然だ。あのエッフェル塔もパリの景観を壊すと大変な批判があったのだ。
新しいものが古い街並みになじんでいくのは意外と時間を要しないのである。
明治神宮との調和が前提条件なら、あの代々木公園の横にある代々木体育館(最初の東京オリンピックで作られた)との調和だっておかしいだろう。神社みたいな建築でなければおかしい。
明治神宮のおひざ元の原宿の街だってどうだか。しっとりとした門前町じゃなきゃいかんのではないか。あの軽薄な店やらビルは撤去せねばいかんのではないか。だが今やうまい具合に調和、というか慣れてしまったのであるな。今や観光名所だ。

だが、景観問題は別の観点がある。ほとんど報じられていないが。
二本のアーチが特徴的なデザイン。ザハ・ハディド氏の特徴なのだそうだ。新国立競技場の設計案以外のものも通底するテーマなのらしい。
彼女は「アンビルトの女王」と評されていることは報じられるがもう一つのあだ名「マンコ建築家」だ。二本のアーチが大陰唇。中央の穴が膣口でその脇がクリトリスなわけだ。これは東京以外でも同じだ。
はてさて「東京のレジェンドにしよう」と言った森喜朗老は「マンコ建築家のマンコ設計が現実に」とこの先言われても平気なのかね。
あのスタルク設計のビル、浅草は吾妻橋にあるアサヒビールのスーパードライホール(そういう名前なのね、知らんかった)、「うんこビル」って言われている。スーパードライホールと言われると??という人も浅草のうんこビルと言えばわかる。
マンコスタジアムって呼ばれてそれがレジェンド? TOKIOナントカスタジアムとかいくらかっこいい名前をつけてもマンコスタジアムが浸透する気がする。

私はザハ・ハディド氏の作品がいくらマンコに似ていようが別に構わないとは思う。言われてみれば確かにマンコわははと思う。だが、マンコを暗示すると思われるだけで不愉快な人もいるわけで才能を発揮する場は限られていてもいい。

このブログで書いたがろくでなし子さん(何度も言うがなんて名前だろうね)が自らのマンコを3Dスキャンし希望する人に配布したらわいせつ罪だという。あの程度のことにわいせつという発想ができる人こそ歪んだ性的妄想をしているのだからそっちを取り締まれと思う。絶対性犯罪に走るぞ。
そうは思うが、3Dデータを再現して列車や街角に掲げることは別の意味でNGだと思う。嫌な人もいるのだ。ろくでなし子さんは、マンコをテーマにした造形を互いにわかっている相手に受け渡した。これがわいせつ罪というなら、公衆の面前にマンコを連想させるものを出してはいかんのではないかね。ろくでなし子さんが起訴され、ザハ・ハディド氏が設計者として評価されるというのはどうかと思う。
無論あんな象徴的なものを見てなるほどマンコを連想するとはいえあれをわいせつというのは異常だ。だが、ほんのわずかでもマンコを連想させるものが目の前にあるのは嫌だという人がいるなら、そして設計した当人がマンコ建築家と言われていたとしたらそれに耐えられるのだろうか。

そう思ってみると新国立競技場はますますマンコに見えてくるな。

私が思うベストは以下の通りだ。

東京には建てない(夕張とは言わないがもうちょっと過密でないところへ)
デザイン見直し。実用性重視。人の動線を考えることと熱対策だ。完全に閉じた空調をした空間にしたらどうだ。
あらかじめ予算を提示し(500億円かな)それこみで提案させる。提案もデザインコンペとかじゃなくて、もう真四角なビルでいい。奇抜なデザインよりも動線や安全対策の検討に時間を割くことが日本の「質素に見えるが配慮が行き届いている」いろんな製品の精神を体現しうるようにも思う。
仮にスタジアムの中でテロがあっても、3分で全員脱出できるというプランだとしたら海外からの評価は最高になるのではないか。見た目だけの奇抜なデザインはいらんのだよと。

まあ関係者全員が反省しこの案で行こうと言ってもかなり時間は足りないか。
東京にオリンピックをと言った時点で負の遺産をしょい込むことが決定したのか。私は最初から反対していたがこの問題がきちんと収まることを期待したい。
最低限国民の負担を減らし、人が死なないオリンピックを。
posted by Mozzo at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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