2015年07月15日

宿題代行って金をどぶに捨てる行為だ

はてさて面白ニュースとしていいのかどうか

引用ここから====
いいの?夏休みの宿題代行、十数業者に注文次々
2015年07月15日 19時05分

 学校の夏休みを前に、読書感想文や自由研究などの宿題を有料で丸ごと請け負う業者に注文が相次いでいる。

 塾通いで忙しい子供のために、学校の宿題の代行を依頼する保護者らが目立つという。宿題は学習指導要領などで位置づけられておらず、文部科学省は「代行は望ましくないが、業者にやめさせることは難しい」としている。

 「中学2年生の息子の理科の自由研究をお願いします」。7月上旬、首都圏で宿題代行をする元塾講師(31)の男性のもとに、関西の公立中学校の生徒の保護者から夏休みの宿題を依頼するメールが入った。昨年からホームページなどで受け付けており、昨夏は約50件、今夏もすでに約10件の依頼を受けた。

 料金は、自由研究1件で1万5000円、読書感想文1枚(400字)2500円など。感想文などは子供に清書してもらい、漢字のドリルでは子供の字体をまねて書くこともある。アルバイトへの再委託もするが、「夏休みに入ると注文が多くなって受けられない場合もある」。

 東京都内の大学在学中に代行業を始めた20歳代の男性も毎年、夏休みの宿題を引き受けている。読書感想文は1文字6〜7円で書き、自由研究で朝顔を育てることも。今夏はこれまでに約10件の依頼があった。「塾の夏期講習などを優先させ、学校の宿題ができない小中学生の保護者が多い。共働きの親が増えて宿題を手伝う時間がない事情もあるようだ」と言う。

 代行業者はインターネットなどで注文を受け付けており、少なくとも十数業者いるとみられる。小学6年生だった息子の宿題代行を頼んだことがある首都圏の男性は「中学受験を控え、塾では連日テストがあり、負担を減らしたかった」と振り返る。
2015年07月15日 19時05分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

タイトルをみて「勉強ができない子供が頼るのか」と思ったのだがさにあらず。受験対策の塾通いが負担だというではないか。
まぁよかれと思って宿題を出した教師をたばかる行為であって決してほめられたことではなかろう。
記事中にある「塾では連日テストがあり、負担を減らしたかった」ということは学校の宿題は受験の役に立たないと判断したわけだな。
親失格である。
なるほど読書感想文やら朝顔の栽培、自由研究なんてのは受験には直結しないだろう。しかし受験勉強なんてものは教育ではない。芸だ。受験というのはよりよい教育を受けるための切符みたいなもので目的でもなんでもない。
塾では鍛えられない子供の資質はなにか理解しやらせるのが優れた親だ。

真に優れている子であれば、塾なんかに行かなくとも答えのある受験勉強なんて軽くこなす。もっと広く深く物を考えるから受験勉強なぞ児戯に等しい。
むしろ日常でやらないことをやらせるのが経験を深め、その子を高めることになる。
宿題の中で、いや現代の宿題と我々の世代のとは違うのだろうが、反復練習的なものはどちらかというとダメな子向けである。漢字の書き取り計算ドリル。反復練習で憶えないとダメな子はいるのである。冷たい言い方であるのだが。
一番大事なのはまとまった文章を書く読書感想文だ。読む力を育て書く力を育てる。
次に論理性のある思考を求める自由研究だ。子供のやることとはいえ、たとえば「対照群を設ける」とか「仮説から実証へ」とか「因果関係」とか「必要条件と充分条件」という思考方法を求められる。

社会に出てみると実感するが、読めない書けないさらに話せない聞けない考えられない理解できない。そんな人が多々いる。ひどいのである。
何も論文を書けとか哲学議論をしろというのではないのだ。高々A4数枚に印字できる程度の文章が書けない。またその程度の量の文章を見せて論旨はなにか問うても答えられない。ましてや会議で発言するとか発言を理解して把握することなんぞ無理だ。そういう人が増えている実感がある。

そういう人に対する陰口はこうだ。「ナントカ大学を出ているのに文章も書けない」である。自分の子供をそのように育てたいのかね。
もちろん読み書きやら論理思考だけではだめだ。まっとうな人間としての判断を下す情緒と倫理。他人とよい環境を築くコミュニケーション能力。
ちなみにコミュニケーション能力は和気藹々能力とは違う。それは飲みにケーションと言われている。
立場の違う人間、利害で対立する人間ともうまくやっていく能力があってこそのコミュニケーションだ。

そんなこと言っても受験は大事なのであるキーキー!と言う人もいるだろう。
仮にああした宿題は受験に不要で子供にとって無益というのであれば、なぜ親はそれをなくせときちんと教師と対話できないのか。こんな姑息な手を使うのはなぜか。利害(か?)の対立があっても理性的に解決する親の姿を示すいい機会なのに。その能力がないのか、ないんだな。
その能力のなさが問題なのである。

親が優れていると子供も優れていることが多い。
よく格差社会だなんだと、金持ちだから子供がいい教育を受けて、故に頭がよくなっていい仕事についてまた金持ちになると言われている。
嘘だ。

優れた人間は優れているゆえに経済的に豊かになれるし、優れているゆえに優れた子供を教育できる。決して経済的に豊かなことと優れた子供を教育できることは直結していない。何らかの運とか、本人のポリシーで経済的に逼迫していても優れている人がいるし、そういう人の子供も配偶者も大変聡明だ。
単純な話、塾にやる金がないのなら親が自分で教育すればいいのだ。それができなくて塾通いというのは本末転倒というかなんというか。

与えられた教育がなんだろうが優れている人間は優れている。たかだかお勉強ができただけでは馬鹿にされるのが日本の社会の健全なところだ。
事実、有名大学のマスターだろうがドクターだろうが、聡明な高卒に馬鹿だ間抜けだと陰口をたたかれる例はいくらでもある。陰口をたたくのは上品ではないが事実だからしょうがない。まぁ陰口と言っても聡明な人だけに悪口ではなくて「あの使えない人をどうしたらよかろうか」という前向きな話ではあるのだが。

また気持ちが緩む長期の休みに、計画的に仕事をこなし(仕事って言いきっているけど)、きちんと納期を守る大人になることがどれほど大事か。その訓練と思えばすごく大事だと思わないか。
私の世代なのか、地域的なものなのかはわからぬが、夏休みの宿題の「納期」を遅らせることはご法度だった。とはいえ、この集中力がなくコツコツとしたことが苦手な私。読書感想文と自由研究はやる気を出して片付けてあるのだが、計算ドリルやら漢字の書き取りやら、あるいは理屈がわかりきっている問題集を片付けるだとか、どうしても「納期」が遅れがちであった。
それで8月末になるとヒーヒー言いながら片付けたものだ。中学生にもなると最終日は徹夜である。馬鹿中学生。
それでも「納期」は守ったし、親に手伝わせることもしなかった。

今では親が手伝うのも常識、「納期」が遅れても別に構わぬという状況だと聞いた。
こういうことから人間追い詰められることもあるということを学習することが大切だと思うのだが。コツコツやっておくか、最後に発奮して解決するか。どちらでもいいが課されたものはこなすという気持ちを育っておいたほうがいいと思うのだ。

それにしても読書感想文が負担だってのは理解できないね。
長文を書くのが好きな人間にとってみればもっと書かせろと思うし(なんだよ原稿用紙5枚って)、苦手ならそれこそ訓練せねばいかんだろうに。

まぁ私は文章を短くする訓練が足りていないかもしれないが。

=====
なんかこういう話を見聞きすると自分の問題でもないのにイラッとする。
なにか「わが子を幸せにするためできる限りよきことを」という親らしい動機ではないような感じがするのである。
「俺、優秀だからバンバン稼いでいい車持ってる。高級ブランド物も持っている。一軒家も建てた。美人の嫁さんもゲットだぜ。うらやましいか!」てな奴(ま、そこを目指しているだけのも含めて)が「俺の子供もいい大学行かせてるぜ」となにか賞品や戦利品のような視点で子供を見ているような気がしてならんのである。
posted by Mozzo at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新国立競技場騒動 安藤忠雄呼んでいる場合か

新国立競技場の件は前回指摘した。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/422232140.html

またもこんな報道が。愚かしい話だ。

引用ここから====
新国立競技場デザイン決めた安藤忠雄氏、会見へ
2015年07月15日 19時45分
特集 東京五輪

 2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の総工費が2520億円に膨らんだことを受け、新競技場建設の事業主体となる日本スポーツ振興センター(JSC)は15日、新競技場のデザインを決めた審査委員会の委員長を務めた安藤忠雄氏(73)が16日午前に東京都内で行われる記者会見に出席すると発表した。

 新競技場の総工費が問題になってから、安藤氏が公の場で発言するのは初めて。JSCによると、安藤氏からJSCに会見の要望があったという。

 安藤氏は、総工費が正式に示された7日の有識者会議を欠席し、下村文部科学相から「選んだ理由を堂々と発言してほしい」と指摘されていた。
2015年07月15日 19時45分 Copyright コピーライトマーク The Yomiuri Shimbun
引用ここまで====

安藤忠雄を呼んでる場合か。呼んで何を言わせるつもりか。
3000億円ともいわれる費用を正当化するためか。なんで選んだのだと責めるためか。
安藤忠雄自身がなぜこんなに増えたとあきれていたのだが、社会情勢は変わるのであってそういうこともあるだろう。
高いという批判にいくらデザインが優れているという話をしても意味がない。高いという批判と景観を壊すという批判について同じ人が言っているわけではない。
優れているのはわかるが高すぎるでしょうと思う人もいるし、オリンピックだからお金がかかるのは構わないけど景観に配慮しようとという人もいよう。
安藤忠雄を呼んだところで費用を正当化することはできない。

では選んだことを責めるためか。
あのマンコスタジアムのデザインを(いきなりマンコと言い出したのは前回の記事を)見せられて我々素人は「そうねぇ2900億円ってとこじゃないの」とか言えるか?
安藤忠雄は優れたデザインの建築を設計するプロ。だから優れた設計を評価できるはずだ。だが、それがいくらになるのかは我々素人にちょっと毛が生えた程度だ。
なにせ彼らは設計コンセプトを出すのが本業であって、それを実現してお金の段取りをすることのプロではない。安藤忠雄が「200億円かかりますねぇ。何?20億円予算が足りない。じゃぁこの柱を1本追加して屋根を薄くしますか」とかいうか。
自分のデザインした建物が完成して総工費なんぼという報道を見聞きすれば若干の勘はあろうから我々素人よりはすぐれていようが。

だからこそ見積もりのプロ(ゼネコン業界にも協力を仰いで)を呼んでコスト面からチェックせねばいかんのだし、それをやるのは安藤忠雄の仕事じゃなかろう。
それをやらせるのが公である。

チェックが甘い体制を作ったやつを呼んで説教せねばならんのではないか。

オリンピック招致は民主党が残した負の置き土産である。このデザインが採用されたのは政権末期。まさか自民党に嫌がらせをするためにやったのか。
本当に民主党は日本の病巣だった。ひどいものだ。

何度も言うが自民党の言うことには納得いかないことが多々ある。またカルト宗教創価学会の政党である公明党と組んでいることには憤りを感じる。政教分離はどうした。
だが、民主党の時代、自社さ連立時代、ともに日本の災厄の時代だ。
posted by Mozzo at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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