2015年08月08日

安倍政権 腰が引けている これでは支持を失うぞ

安倍首相が弱体化しているのか。

思想は違えども近年「反発も強いが支持も強い」という力のある首相はなかなか出ない。
旗幟鮮明であるがゆえに反対論者からは強い反発を受けるが支持者からは強い支持を受ける。実際問題議論をすればあらゆる問題について全員一致で決まることなんてないわけで(全員一致がありうるとしたらすごく観念的で理念的な決議とかそんなもん)。
支持者を強く引き付ける個性と政策を持った首相は政治を動かすことができるわけである。調整型の首相には求めるべくもない。野党にも「よしなに」と働きかけて法案をうまく通す首相もまた必要なんだろうが、その法案がぐずぐずではいかんのだ。

そうした力のある首相は歴史を経て「記憶に残る宰相」となる。
戦後で言えば吉田茂、田中角栄(私はこの人の’中国国交正常化が腹立たしくてならない。国交正常化はいいが台湾と断交することはない。台湾こそ真の戦勝国なのに)。
池田勇人、佐藤栄作(地味か?)。んーと、中曽根康弘、小泉純一郎。
そして第二次安倍内閣は間違いなく伝説になる。

当初、日本のサイレントマジョリティが声に出さないけれど納得できない思いを明確な形にした。彼の思想がそこにマッチしたのである。
日本の誇りとか日本は世界に冠たる優れた国だとか誤った国粋主義を広めたいわけじゃない。そういうことを言っている国ありますがね。

彼の言っていることは極めてまともだ。
防衛に絡んだことが話題になるが、日本が侵略することも侵略されることもなく国家と国民の安全を守りたい。結局そこに行きつく。極めてまともだ。
従軍慰安婦問題など、ありていに言えば「日本を貶める国際世論を盛り上げたい中韓(のみ)」との対決など、事実に基づいた反論を目指すということでも健全だ。「日本の良心」を自称する左の人々は、日本を貶めたい中韓の主張が正しいんでございますとなぞっているだけで(歴史認識に立場の違いがあること自体はいい)、自分の頭で事実(物理的証拠)と見比べて真実は何だったかを考える理性がない。
脱線するが、慰安婦に関する証言(吉田証言)は嘘だった、ということをあの朝日新聞ですら認めざるを得なかったのにだ。当の朝日新聞も含め、「それでも慰安婦は強制的に」と言い切れるその根拠は何だ。それって「私が信じていることが真実なんだもんもんもん」と言っているに過ぎない。
議論しろ。

安倍首相の基本的な考え方には賛同できる。
だが。

最近の安倍首相の態度はなんだ。
もちろん戦術的に引くべきは引いて法案を通すということも必要と言えば必要なのだろう。
安保法制の議論でも「こういう時には自衛隊は出しません」とか端的な議論で言質を取られるようなことを次々に言っている。
いつ兵を出しいつ兵を引くのかは国家戦略に基づく高度な戦術判断を要するのである。その時の総合的判断が必要なのである。そこを「こういう場合には」と言ってしまえばその言葉がいざというときに手を縛るのである。

70年談話や被爆者追悼式典だってそうだ。
侵略と謝罪がキーワードになっているが、どんどん中韓(だけ)の主張に沿うことを言い出している。
現時点でどこまで踏み込むかわからんが、彼自身が「侵略という言葉の定義ははっきりしない」と言っていたではないか。最近の彼はおかしい。

軍事力を中心とした国力を直接行使して、あるいはそれを背景に、領土・国民・施政権あるいはそれに伴う資源・利権をわがものにすることを侵略と定義したとしよう。
つまり、行動の動機を別にして考えるとしよう。あくまで行動をみて定義。
であるなら日本があの太平洋戦争でしたことの一部は侵略なんだろう。資源の面で締め上げられた日本が他国の領土や資源に目を向けそれを確保するということは、立場を変えたら侵略を受けていることになるというのは感覚的にわかる。「おめーの国が飢えようが滅びようが関係ない。俺たちに手を出すな」と思うだろう。
つまりその国に迷惑をかけたのは事実なんだろうが、では日本は残虐な国ということになるだろうか。またも立場を変えたら国の存立をかけて他国の資源を狙ったということは現代の価値観で容認されることではないのは事実だ。どうやっても国が存立できないなら、国際的援助に頼るべきなんだろう。
だが当時は実力で自国の居場所を確立するか、支配される側に回るかの二択であった。
当然好んで支配される側に回る国はない。

そうしたパラダイムの中で国の存立をかけて前述の「侵略」をしたとしても、それは当事国に大変な迷惑をかけたとしても、それで日本が残虐な国という判断になるのはおかしい。動機の面では必要に迫られて(それが他国にとって身勝手であっても)やっていることであって、他国を苦しめることが目的化しているわけではない。

事実、台湾やパラオをはじめとして西南太平洋地域においていくつかの国を日本はその定義によれば「侵略」した。施政権を奪い場合によっては日本式教育を導入したりもした。
しかし事情は千差万別だ。台湾もパラオも現在親日国である。
施政権を奪われたということは決してうれしいことではない。だがそれまで支配していた宗主国がいたとか、現政権が腐っていたとか、日本が来てかえってよかったという事情がそれぞれある。だからこそ親日国なんである。
パラオではBento(弁当)ChiChiBando(ブラジャー)なんて日本発の用語が定着しているそうな。
だからといって日本人は台湾やパラオに対して「日本が来てよかっただろ、感謝しろや」とは言わない。当たり前だ。
台湾については現在進行形の軋轢もある。尖閣とか。だが、日本人が残虐で強欲な民族だからとは言わない。
実態を見て是々非々。当たり前の態度だ。

これができないのが世界の中で中韓だけなのだが、彼らに示すべき論理的な主張が安倍政権の中で力を失っている。事実に基づいた反論。これだけがよりどころである。
すでにプロパガンダで世界中に「事実に基づかない事実」を世界に広めている。
広報活動があまりに弱い外務省はもう情けないのだが、安倍政権においてその辺の主張を抑えているように見えるのはいかがなものか。

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最近注目の安保法制もそうだ。
手続き論に拘泥する阿呆の野党に対峙するのでは無理もないのかもしれんが原則を貫いてほしい。

憲法にあっているかどうかなんてのは目的ではなく手段なんである。
なんとか「憲法に違反していないんだもん」という議論を続けるのは建設的なのか。
もちろん、「憲法9条があれば何でもできる、1,2,3ダー」みたいな阿呆と対峙していればそうなるのかもしれんが。憲法とて法律。目的ではなく手段である。「9条を守れたら日本が侵略されても構わん」という馬鹿と議論する価値はないと思うのだが。

ありていにいえば、今日本がやるべきことと憲法は乖離している。
なるほど形式論で言えば現在の安保法制の議論は憲法違反であろう。
憲法違反の法案を無理やり通すのは禍根を残す。
だが、憲法ありき神聖にして侵すべからずの思想でいいわけがない。
あくまで憲法は日本が進むべき道を指し示すためにある。言い方は悪いが道具だ。目的ではない。
憲法を入り口から無視ではいかんが、憲法が国益に合わないなら変えようじゃないかということを言い出すのは健全だ。「9条なんだもん、絶対なんだもん、バカバカ」と言っている連中はなにを考えているのか。9条が守れたら国が侵略されてもOKなのか。

戦術的に憲法改正が視野に入るといろいろ難しいのはわかる。
だがそれを避けて通るような態度は、そもそもの安倍政権支持派の離反を招かないか。
反対勢力が強くてなかなか通らないにしても目標を掲げるリーダーが真のリーダーではあるまいか。

日本の国益にそった憲法改正。必要だ。
近隣友好国、つまり中韓朝露を除いたすべての国と軍事的に協力できる法制。やられたら助けてもらえるし、仲間がやられたら助けに行く。協力して強大な悪者と対峙する。個々の力は弱くとも束ねればもはや規模では実質世界一の中国の軍事力にも対峙できるし、一国の覇権的野望も反映されない。これが平和的手段でなくてなんだ。

集団的自衛権が違憲だとか、集団的自衛権は米国との間だけでとかなにを腑抜けた限定的議論をしているのだ。
日本がやるべきことはなんだ。近隣友好国との協力関係だろうが。

安倍政権はどんどん腰が引けてきている。
言うべきを言う。主張を曲げない。
今彼が失いつつある、だが最も求められていること。この声が届くはずもないが
posted by Mozzo at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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