2015年09月13日

左翼は軍事拡大と徴兵制を狙っているんではないか

災害やらなんやらで安保法制への世間の興味は薄れているが。

安保論議で左翼の言いっぷりが気に入らない。阿呆ではなかろうか。
なにか報道は民意の盛り上がりみたいなことを言っているが、言っていることは「安倍は人間じゃない」とか罵倒の連続で、なぜ安保法制がいけないのかということを論理的に言ってない。
とにかく論理的じゃないのだ。

「戦争ができる国にしようとしている」というのもある。「安倍のバカー」というよりはましかもしれぬが論理的でないことにおいて大した差はない。
まず、現時点でも日本は戦争ができる国だ。どの国も戦争はできる。軍事力さえあれば。
なぜなら防衛も戦争の一形態であるからだ。国を守ることのやり方は多々あるが、軍事力をもって国を守るのは基本である。その観点で何が変わるというのだ。
いや防衛であっても戦争はいかんという阿呆の連中もいる。軍事力で侵略・恫喝する国がある以上防衛が不要なはずがない。無論、みんなが軍事力を放棄すれば美しい世界だが、それは「みんな私のように考えれば世界はうまくいくのに〜」というお花畑な人のたわごとに過ぎない。
日本が防衛力を高める方法の一助として米軍への協力をすることが戦争への道になるというのはあまりに短絡的だ。

戦争は侵略という形で攻めることもあるが、防衛という守ることでも起こるのだ。そして侵略と防衛はきっちり分かれるものではなく見る立場によって変わるのだ。
きっちり定義が分かれるものじゃないのだ。
米国が日本を打ち負かし、いまだ米軍基地が日本にあるのは侵略ではないかと言ったら否定する論理はない。決して正義の騎士が現れて狂犬日本を成敗し去って行ったわけではない。みんな国益で動いている。。
沖縄に軍事基地を置くというのは地政学的にまことに正しく(米国の立場で)、まだ中国の力が弱かった時期にこれを判断したのは先見の明があったといえよう。
日本としては身の安全を考えれば米国に頼らざるを得ない状況にあった。
狂犬とみなされ牙を抜かれた身には米国に頼る安全保障しかなかったわけだ。

しかし米国の力は相対的に衰えた。
軍事プレゼンスの観点で「今まで通り」にするには日本も具体的な軍事協力ができるようにすべきではないのか、米国が引いた分日本が加わる。それが今まで通り。戦争をしたがっているなんて言いがかりも甚だしい。

「徴兵制への道」なんてのもイメージ戦略だ。全く意味がない。
効くだろうね、徴兵制なんて言われたら。自分自身のことならまだしもわが子がと思えば平静ではいられないだろう。こういうことを言い出すのがイメージ戦略で腹立たしい。

徴兵制というのは嫌われている。
あの韓国では現在北朝鮮との停戦中で徴兵制である。
若者は決められた年限を軍隊で過ごさねばならない。
当然すべての人が「国を守るためだ喜んで」という状況にはない。有力者は海外に逃げたりコネを使ったりと徴兵を避ける策を弄するし、有名芸能人は部隊の慰安目的として特別待遇を受けるよう画策するとか。
みんな嫌なんである。
軍国主義と否定されがちな日本の戦中戦前でも事情は変わらない。醤油を飲んで病気だと偽ったとかいろんな逸話がある。社会保障制度の貧弱な当時において、いや現代でも、重要な経営者、労働者が兵隊にとられたら経営が傾くという企業は多々ある。

徴兵制は別の弊害もある。簡単に言ってしまえばやる気の差だ。
日本の自衛隊は志願制だ。時の経済状態によって「自衛隊だけが就職先だ」とか「安定しているから」とか消極的肯定論で自衛隊に行く人もいるだろうが、基本は国を守るために力を尽くそうという若者である。
徴兵制では「俺、人殺せないっすよ。親が殺されそうでも」とかいろいろあるのだ。なじめない奴がいる。それが普通だ。防衛と言うのは突き詰めてみれば「同胞を守るために敵を殺せるか」である。
疑問を持ったまま参加した人間のやる気はそれなりだ。
人間のやる気というのは恐ろしいもので、すべてに影響する。知識も経験も筋肉の力もなにもかもやる気が支配している。つまり能力×やる気が成果なのである。やる気がない人間は何も生み出さない。

ゆえに防衛だろうが侵略だろうが、国の軍事的な活動には志願制が望ましい。
軍事力をもって防衛をするという前提に立てば徴兵制か志願制かは要するに「人が足りるか足りないか」である。
足りなければ待遇改善などやるべきことは多々あれど、いつかは徴兵制にせねばならない日が来る。

ところが、左翼のやっていることはなんだ。
日教組なんぞ、我が国を守ろうと自衛隊への道を選ぼうとする若者を無理やり変心させようとしている。
高校生あたりの世代は自分が気持ちいいことを求める段階から組織や社会で認められることを求める段階に移るころであろう。その方法はいくつもある。コツコツと社会基盤を整えるような職種もあろうし、華やかな外見言動を生かして人々を慰める仕事もある。その中でっ身を挺して国を守るという意識は崇高と言えよう。
それが気に食わないと、つまり自衛隊をコケにできれば何でもいいという阿呆の教師が説得にかかるというのだ。
バカではないか。

軍事力で国を防衛するというのは残念ながら受け入れるべき避けざる事実である。すべての軍事力を放棄したので日本を攻撃するのは違反で負けでーす!なんてことが通用するか。ゲームじゃないのだ。光の速さで沖縄を奪われるよ。
とはいえ自由意思でみんなが防衛の現場に行きたいわけじゃない。物理的能力に欠けるもの(私だ)もいようし思想的に嫌と言う人もいよう。
だが一方で国のために働こうという人もいる。
それをつぶしてどうする。

つぶせば気持ちがいいのだろうが、その思惑がうまくいくなら自衛隊が必要とする要員を確保できないことになる。「自衛隊困ってる!うれしー」という結果を求めているのか。
だが、それは徴兵制への道を開くことになる。

左翼が徴兵制を後押ししているのである。歪んだ形で。

果たして左翼は軍事力の否定をしたいのか、軍事同盟を否定したいのかどちらだ。
いろんな阿呆がいるのでまとめてもいかんと思うのだが。
先に述べたとおり軍事力の否定はお花畑派の阿呆にすぎない。

日本が中国に侵略されたら軍事的に抵抗せず降伏すべきとした層がそれなりにいるらしい。阿呆である。中国に侵略されて日本が中国になったとして同じ中国人として生きていけるとでも? チベットや内モンゴルやウイグルといった中国に侵略された国を見よ。さらに日本は中国の身勝手な「彼らの作った」歴史の中でメンツをつぶした国である。元日本人は殺しても無罪くらいのことはやるぞ。
軍事力を持つなということはあり得ない。

軍事同盟を否定したいというのは気持ちいいかもしれないが阿呆は阿呆だ。
スイスのように地政学的に安定した場所であるならまだしもだ。
日本が軍事同盟を否定するということは日本が軍事的に周囲に対抗しうるということだ。
中国の軍事膨張にどう付き合うつもりか。
常に中国に伍する軍事力を持とうとすればチキンレースになる。軍事イケイケの国に対してそれをやるのか。中国に軍事拡大の口実を与えるだけではないのか。

だからこそ軍事同盟だ。それぞれの国としては中国に対抗しうる軍事力はないが束ねれば対抗しうる。守る力は高めても侵略の機運は高まらない。
自警団の発想だ。

左翼が言っているのは以下のいずれかだ。
・日本だけで防衛して軍事大国になろう(自衛隊員を馬鹿にしつつ→徴兵制にして)
・軍事力を否定して中国に占領されよう


日本が侵略されないこと、
日本を守る自衛隊員が尊敬され、物理的な待遇も恵まれ、若者が目指すべき職業になること。
あとは私のような物理的能力に欠けるものが活躍できる場があること。私だって国を何らかの形で守りたい。
これが理想だ。

posted by Mozzo at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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