2015年12月26日

讃岐はうどんだけに馬鹿に対しても腰がある対応

カレンダーに六曜がはいっているからと抗議を受けて引いたことを前回書いたがこちらは気骨あるいい報道。


引用ここから====
「悪意や問題はない」うどんかるた販売再開へ 「つ」の句、差し替えず

 香川県は22日、公募で選ばれた読み句の表現が不適切との指摘でいったん中止した「うどんかるた」の販売を、句を差し替えずに26日から再開すると発表した。内容をあらためて検討した結果、悪意や問題はないと判断した。

 県によると、「あ」から「ん」までの全46作品のうち、「つ」の「強いコシ色白太目まるで妻」の句が「悪いイメージで受け取られる可能性がある」と外部に指摘され、15日の一般発売を延期。

 県職員や有識者ら5人でつくる選定委員会の再検討で「作者の意図は、大好きなうどん同様に妻をいとしむ気持ちをうどんの特長に込めたもの」などの意見があり、全員一致で当初の選定を維持することを決めた。

 かるたは22日から「年明けうどん」の公式サイトで無料ダウンロードできるほか、26日から同サイトと高松空港で計1800セット(1620円)を販売する。
引用ここまで====

悪いイメージで受け取られる可能性がある!? だぁ?
理屈と膏薬はどこへでも付くということわざのとおり、悪いイメージなんてつけようと思えばどうにでもなる。悪いのはその対象(この場合かるたの句)ではなく文句をつける阿呆の頭の中にある。

このクレームを入れたのは別の報道では1通だったんではないか。そんな阿呆の戯言に選定委員会が動いたというのはまだまだ弱腰といえようが、斜に構えてみてみれば「検討してみましたが何か?」と阿呆の主張を瞬殺する戦術ともいえよう。

「強いコシ色白太目まるで妻」
なかなかいい。
年齢を重ねれば人は変わる。男女かかわらず変わるんである。
中年になれば男女かかわらず図々しくなるものだし、体形も変わる。体力も落ちる。さらに年をとれば頑固になったり、物忘れをしたり。当たり前のことである。劣化はあるのだ。
その中でそれを受け止めつつ根底に愛着があるさまを描いているではないか。しかも色白はちょっとそこがお気に入りだと言っているんである。
この名句を撤回したらさぬきの損失だ。

馬鹿に対抗した讃岐の見識を評価したい。
posted by Mozzo at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カレンダーにすらいちゃもんをつける阿呆人権団体と受け入れる弱腰役人

こういう阿呆の構造が残っているのか。
産経新聞から引用する。

引用ここから====
大安、仏滅…六曜「差別につながる」 カレンダー配布中止、大分


カレンダーに表記があると、便利な「六曜」だが…

 大分県や佐伯市などは25日、カレンダーや冊子に大安や仏滅といった「六曜」を記載していたとして、配布中止などの対応を取ったと明らかにした。県人権・同和対策課は「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と説明する。

7万部近く作ったが…「大安」もダメ!?

 六曜は古代中国で生み出されたとされ、日の吉凶に関する習わし。平成17(2005)年にも人権団体からの指摘で、大津市の職員互助会の職員手帳が問題になった例がある。

 大分県や6市町村などでつくる団体が、世界農業遺産に認定された「国東半島宇佐地域」の写真を使い作製したカレンダーに記載があることに気付いた。約1900部を配った関係機関には使わないよう求め、今後配布しない。

 佐伯市は28年から10年分の日記スペースがある冊子を5万冊作製。以前人権担当をしていた職員が21日に気づき、配るのをやめた。

 杵築市はカレンダー1万2千部を25日に市内の全世帯に配布する予定だったが、六曜を削除して作り直すことを決め、臼杵市役所に事務局を置く「市農業者年金協議会」は会員らに配ったカレンダー約230部の回収を始めた。
引用ここまで====

こういうことをねじ込む馬鹿がいて、抗議に唯々諾々と従う公務員がいるということか。
ねじ込んだ馬鹿がどこまでひどかったのか、それがトラウマになって馬鹿側の視点になった元人権担当がおかしいのか。

記事にもあるとおり、六曜は中国から伝わり日本で長く親しまれていた風習である。
仏滅で結婚式はどうかなとか、あえて仏滅にやれば安いし空いているしとかそんなもんだ。なにが差別を助長するだ。差別を持ち出せばなんでも通るというものじゃない。
というより六曜を否定して気持ちよくなる団体がいるのか? 六曜云々じゃなく公的機関にクレームを通して気持ちよくなっている馬鹿がいるとしか思えない。
役所とかクレーム慣れしていないから通しやすいわけだ。気持ちよくなりやすいわけだ。
本当に非科学的なものを世の中から消し去りたいと思っているならテレビ局にねじ込んで占いコーナーやめさせりゃいいんである。テレビ局はこういう馬鹿の扱いには慣れている。

非科学的なものがいいというのではないが、害がなく伝統で伝えられてきたことは残せばいい。それが根拠もなく何かのきっかけになればいいことだ。テレビの占いで「AB型の今日の運勢:今日は積極的に言いたいことを言おう」で、思い切って会議でばっちりいえるかもしれないではないか(これは運勢じゃないと思うんだが)、。
こんなことに目くじら立てる人権団体ってなんだ。馬鹿なんだろう。

非科学的なものをすべて排除するというなら世の中非科学的なものだらけだ。それを排除すれば人間としての文化は消える。
葬式なんて意味ありますか? 人が死んだらただの物体なんだからそのままごみとして出せばいいんです。科学的ですね。
初詣なんて意味がありますか? 木や石で作られたものに手を合わせて何が起こるというんですか。寺社仏閣は全部つぶしてマンションやショッピングセンターを作ればもうかります。科学的ですね。
コーヒーなんて意味ありますか? カフェインは毒です。中毒になります。がんになりますなるんです。ああ科学的ですね。

こういうことを言う連中なんだろう。

カレンダーに六曜と祝日が掲載されているのは日本の文化だ。
阿呆の人権団体につける薬はない。くだらないことをいうなと役所の公務員が言い返せなければ阿呆を増長させるだけだ。奮起せよ。
posted by Mozzo at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これ以上韓国に妥協するな 安倍政権倒れるぞ

安倍首相が外相を韓国に差し向け、慰安婦問題の解決に努めるよう指示したという。
どのように解決を図っているのかはまだはっきりとはわからない。賠償という形でなく金を出すという話も出ている。もちろん交渉に際して手の内をさらすのは下の下であるからはっきりさせる必要はない。

この動きに対して慰安婦問題を強硬に主張する韓国報道と挺対協は完全に自分たちの主張が通ることだけが解決だという。強制連行と認めろ、金を払え、天皇と首相が跪け、永遠的に謝り続けろ、てなものだ。

その主張に対しては異論が示されている。
まず強制連行されたと主張する慰安婦の証言があいまい、矛盾を含むと指摘されること。挺対協のメンバが慰安婦に証言内容を吹き込んでいると当の挺対協メンバが話していたという証言。
当時の広告を見れば金で慰安婦を募集していたという物理的なエビデンスがあるという。民間業者しかもその一部は朝鮮人(当時は日本国籍)が慰安婦集めに暗躍していたという。
また、戦場の慰安所では慰安婦は大事にされ、生活の自由もあり、帰郷の際は惜別の思い出日本兵が見送ったという証言がある。慰安婦の証言は信じて日本兵の証言は信じないというのは論理的におかしい。証言が食い違えばどちらが正しいのか検証するのが論理的な姿勢だ。

私はこれらの主張が正しいか否かを検証するすべを持たない。
だが、どちらの主張が蓋然性があるかということは判断できる。
当時、朝鮮半島は戦争することもなく日本に併合されるほど国力がない国だった。むしろ日本の資金や技術が入ってくることを期待する層もあったという。併合前の支配層は腐敗しきっていて、自らの権益を守ろうとするだけで国民を守る気はなかった。日本に併合されるくらいならロシアにという層もいた。
一方で日本もまだまだ近代化民主化が足りず貧富の差は大きかった。
国力が増すにつれ金持ちもいたが、貧乏人もいた。
日本にも朝鮮にも金で身を売らざるをえない人がいたのである。
女は身を売らざるをえない。ならばしっかりしたところ(軍隊)のほうがましで怪しげな歓楽街に身を沈めるよりましだという判断はあっただろう。
男は男娼として生きていける人はほとんどいないから、貧乏人は劣悪な労働に耐えるしかない。その中で軍人になるというのは名誉欲も満たせるわけで朝鮮人(正確に言えば朝鮮系日本人、当時は)には人気の職業だった。

金がない、ゆえに身を売る、軍隊に入る。それは日本人も朝鮮人も同じだった。

しかし、金ゆえに売られていくというのはうら若き乙女でもある娘には言えなかっただろう。ゆえに食堂の給仕だとかうそを言ってだまして売り飛ばした例もあるだろう。

そちらのほうが蓋然性があるのである。私はそう思う。
金で身を売ること自体は現代の視点では悪であろう。だが、悪だから身を売るな買うな、貧乏人は死ねばいいではなかろう。いきなり超福祉国家は現れない。それは今も同じだ。身を売る人もいまだいる。それを一面的に否定できるものではない。

慰安婦問題を解決するというのであれば互いの主張を整理して、何が物理的事実であったのか、それをどう評価するべきなのかという論理的な姿勢があってしかるべきだ。

それを自分がいうことだけが真実だ、日本人跪けと、それ以外は絶対に許さんというのは解決を目指しているとは言えない姿勢だ。

ものの見方は多面的なのだから、自分の主張がすべて通るわけはない。そんな幼児のような姿勢で外交が通るものか。そんな国を相手にしていいのか。

韓国の報道なり挺対協なりが幼児的主張をし、それが韓国世論の大勢であるというなら日本は韓国と交渉してはならない。金を出しても無駄になる。それは歴史が証明している。

どうせ岸田外相が出向いてなにか合意しても、そのあとひっくり返されるのだ。蒸し返さないなんて約束が守られるはずがないのだ。自らが気持ちいいことだけが真実だと思う人たちである。韓国人すべてがそうではないと信ずる。ただ、韓国では妥当なことを言うと攻撃をうけるという雰囲気がある。

日本は韓国に迎合する必要はない。
韓国が中国北朝鮮に飲み込まれるかどうかは米国が気にすればいいことだ。
日本が主張する内容を韓国がすべて認めるまでは合意しないという姿勢をとればいい。日韓基本条約に基づいて賠償したし、その金を韓国国内でどう流したのかは韓国国内の問題だ。それは朴大統領のとーちゃんの話でもある。
それでも日本は反省すべきは反省する、謝罪すべきは謝罪するとしているだけ韓国より謙虚だ。これ以上妥協する必要もないし、金を出す必要もない。これまで出した金も日本が出したとは全然認識されてないのである。

これ以上韓国にこびへつらうのであれば今の安倍政権もぐらついてしまう。
安倍政権の人気はアベノミクスなどの経済政策によるところもあろうが、これまで日本が委縮して言えなかったことを言う、まっとうなことを言うことが評価されているのは言うまでもない。
そうはいっても現実に妥協はあるからいうべきことがすべて実現しているわけではない。それは支持層もわかっている。だが限界もある。もう韓国への妥協は不要だ。というより竹島問題などもっと韓国に強気にいかねばならない問題があろう。

posted by Mozzo at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アマゾンを批判する前に仏教界自身が反省しなさい

自らの影に怒る仏教界を嗤う、といいたい。
産経新聞から引用する。

引用ここから=====
仏教会がアマゾンの「僧侶派遣サービス」に反発 ネット上で仏教会批判の書き込み続々


 インターネット通販の「アマゾンジャパン」が12月から提供を始めたサービス「お坊さん便」をめぐって、全日本仏教会が「宗教行為をサービスとして商品にしている」と批判するなど波紋が広がっている。一方、インターネット上では仏教会を批判する意見が続々と書き込まれる事態になっている。

■“基本料”は3万5000円

 アマゾンが開始したのは、一周忌や三周忌などの法事・法要に、僧侶を基本3万5000円で手配するもの。「自宅」と「墓」といったように移動をする場合は4万5000円。それぞれ2万円を上乗せすると戒名もつけてもらえる。

 ネットで葬儀の注文などを定額で受け付ける事業を展開する「みんれび」(東京)が提供する。みんれびは、これまで自社サイト内で僧侶の手配をしてきたが、アクセスの多いアマゾン内でも展開することで、受注件数の増加を狙った。

 希望者はアマゾンのサイトで、僧侶派遣のチケットを発注。法事・法要の日時、場所、宗派をメールで確認したのちにチケットが送付され、その内容に沿って僧侶が派遣される仕組み。派遣前に僧侶とも打ち合わせをすることになっている。

 戒名を希望した場合は事前に郵便で受け取ることも選択できる。戒名は宗派ごとに合わせたうえで、「信士・信女」「釋・釋尼」のいずれかが与えられるという。サイトでは「車代・膳料・心づけなどは不要」とうたっている。

■仏教会「宗教行為を商品化」

 これに対して、全国の主だった伝統教団でつくる全日本仏教会は24日に、理事長声明を発表。「お布施はサービスの対価ではない。同様に『戒名・法名』も商品ではない」と指摘。

 そのうえで「『お坊さん便』は、まさしく宗教行為をサービスにしている商品であり、諸外国の宗教事情を見ても、このようなことを許している国はない。アマゾンの宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」と激しく反発した。

 仏教会ではサービスの取り扱いを中止するようアマゾンに要請することも検討しているという。

 一方で声明の中では「お寺は相談しにくいという声を真摯(しんし)に受け止め、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団、寺院運営に反映していかなければならない」とも自戒している。

。。。。後略
引用ここまで====

葬式仏教と批判されて久しい。正確に言えば、仏教形式で葬儀を行う葬儀業だろうに。実態は宗教団体ですらない。
宗教というなら信徒にむかってのみやるべきだろうに。
宗教行為として葬儀をするなら信徒のみ。当たり前のことだ。得度しろとまではいわんが、人生に一度は僧侶のもとに修行の一つもして、月に一度はお寺にいって説法を聞く。最低限そのくらいして初めて信徒だろうに。
檀家制度というのがあって、昔からの地域では寺がある種の地域団体になっていて、自動的に檀家になってしまうような悪い仕組みがあった。それは「信教の自由」を侵していると言っていいのだが、名目上檀家でも自分が仏教徒であると思っていない人が大半であって、実質的に信教の自由は侵していない。

誰に対しても葬儀をするし、「宗派は問いません」なんて墓地もあるくらい(墓地は寺が名目上の経営母体になっている)。
結局、既存の仏教系宗教団体も「仏教スタイルの葬儀を提供するサービス業」に堕しているわけで、そこに定価・低価格のサービスを持ち込んだ「競争相手」に既得権益を奪われると対抗心を燃やしているだけではなかろうか。
アマゾンは現状を追認し、そこにビジネスとしてまっとうな競争原理を持ち込んだだけだ。
このサービスに参加する僧侶は現状をわかっていて、阿漕なカネもうけではなく信徒ではない人に対しても広く遍く仏教のほんの一部でも広めていこうと働く人たちだ。仏教式で送り出したい人に正当な対価で尽くす。これこそ民衆に寄り添った宗教家のあるべき姿じゃないのか。

ビジネスをしてきっちり税金を払うべきだ。宗教家も市民の一部。社会に属する以上自分の食い扶持を稼いで、社会のコストを税の形で負担する。そのためにきちんとした形で「ビジネスをする」ことがなんら宗教を侵したことにはならないと思う。

私は宗教法人の優遇策をすべて撤廃すべきだと思っている。
ちょっとした田舎の有名でもない寺があんなに立派な建物を建てられるのはなぜだ。僧侶が高級車に乗っているのはなぜだ。地元で働く優良企業の社長でも軽自動車に乗っている例も少なくないのに。
ビジネスをやってもうけているのだから、社会インフラに乗っかっているのだから税金払えというのは全然宗教弾圧じゃない。
ましてや商売をしていないはずの大宗教団体たとえば創価学会が壮麗な建物を建て、海外にまで進出できる財力があるのに税金を払っていないのはどうかしている。

祭壇や仏像に向かってお経を読み、何やら特別な衣装を着て、荘厳な雰囲気を作り出せばみんな感心して頭を下げるだろう。金も払うだろう。だが、それは例えばプロの歌手が来て、素晴らしいセットの前でパフォーマンスするのと何がちがうのだろうか。
それは信仰じゃない。
宗教活動をいうならまずその精神性で信徒を増やしてからだ。

個人的な話だが、私もいろいろと人生思い悩むこともなくはなし。長い休みを取ってお寺で奉仕しつつお坊様の説法を聞くような時間を取れないもだろうかと考えたこともかつてあった。
だが今回の騒動のようなことを言い出すようじゃだめだ。
これを機に葬式仏教と言われるような実態を正し、ブータンなど僧侶が真に尊敬されているような仏教に生まれ変わることを考えるべきではないのか。
壮麗な寺も豪華な仏像もいらない。説法を聞きたいと思わせる、御釈迦様の精神性が伝わってくる、そういう僧侶が増えてくれば未来もあろうが。
posted by Mozzo at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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