2008年09月23日

きちんとしたものを大切に食べよう

食の安全を脅かす事件が続いている.

直接的には生産・流通に携わる人間が儲かればいいあるいは他の業者もやっているからそうしなければ倒産してしまう(それだってエゴイズムだ)として消費者無視の行動をとったからだ.

それは大いに批判されてしかるべきだ.

しかし,遠因はわれわれ消費者にもある.

とにかく安いものを!という圧力をかけているのは明らかだ.もちろん,財布の紐を締めねばならない経済の仕組みというものも批判されてしかるべきではあるが...


同じ品質のものなら安いに越したことはない,とたいていは考える.,

同じ品質に見えて実は...というのが昨今の食の安全問題である.

仮に検査や規制を厳しくして同じ品質が確保されたとしても,とにかく安いものを!という圧力がある限りしわ寄せはどこかに行く.

生産者が受け取る対価はその労働に見合うべきものだろうか.小売店で働く人たちの給料はどうだろうか.


われわれ消費者ができることは,きちんとしたものをそれなりの値段を払って消費することだと思う.

きちんとしたものとは,当然安全なものという意味のほかに,生産流通に関わる人に正当な対価,待遇が維持できるかという意味がある.また,大上段に構えてみれば食糧安全保障・国内産業維持・輸送の環境負荷の観点からもなるべく国産であるべしという意味もある.


たとえば,醤油.拙宅でいつも使っている醤油は1リットル600円ほどのものである.

普通のスーパーで売られているものとしては高いが,そのメーカの商品としては「普通品」である.そのメーカの高級品では「職人手作りの吉野杉樽で長期熟成秘伝の醤油」などいうものもあり,普通品の4倍の値段のものもある.

「特別高級じゃないけど,ちゃんとした材料でちゃんとした作りかたしてまっせ」という位置づけの商品である.

安いものを見慣れてしまうと高いと思うが,ちゃんとした材料でちゃんとした作り方をした「普通品」なら醤油1リットルが600円というのは妥当だと思う.1リットルの醤油を作るのに使われる大豆の量と値段を考えただけで「1リットル198円の特売醤油」がまともなものではないのは想像がつく.


きちんとした品物だからこそ,食べるときもきちんと大切にしようという気持ちになる.

たとえば醤油をつけて食べる食事のとき,私は食事の終わりには醤油の小皿に醤油が1滴も残らないようにして食べる.

一方で他人が食事する姿を見ていると盛大に小皿に注ぎたっぷりと残す人が多い.

値段が半分の醤油でも無駄に倍使えば払う金額は一緒である.小さな話であるのだが,その払った金額がきちんとしていない商品生産に向かっていると考えればどうだろうか.


ちゃんとしたものを大事に食べる.

ちゃんとしたものを作る人々を支援することになり,ものを大事にすることになり,健康にだっていい.そして何より人として品がある,粋だと思える.

たとえば高級な寿司屋で食い散らかしたあとを見たらたっぷり残った醤油の小皿.みっともないでしょう? たぶんご飯粒も2粒ほどくっついていたりしてね.



posted by Mozzo at 13:35| Comment(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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