2014年09月28日

御嶽山噴火に思うこと

御嶽山噴火の報道を驚きと恐れをもって注視している。
この文章を書いている時点で人的被害の全貌もまだ明らかになっていない。
現場が危険なため充分な捜索・救助もできないという。当然、噴火や火砕流の状況も明確になっていない。専門家をしても、広い意味での火砕流が発生したと推測されるとしかいえない程度に情報が限られているようだ。
このなか、生き埋めになった人もいるのではないかという報道もあり、大変に見通しが暗い状況にあるのは否めない。

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御嶽山は活動が活発で、小規模とはいえ近年にも噴火している。
ゆえにそれなりの観測体制はあったはずだったが、直前の警戒レベルは最低(安全)であったという。地震と同じく火山噴火予知もまた難しいということを改めて思い知ることになった。
日本は火山国であるにも関わらず、観測から漏れている火山もあるという。また、かろうじて観測の対象になっていても体制が乏しいところもあるという。
さらに、いくら観測機器や人員が充実しても過去のデータの蓄積というものが大切であって、一朝一夕に観測体制が整うものでもない。たとえば、地下の内部構造を知るにはたとえ噴火は起こらずとも他の場所で発生した地震、あるいは人工地震で波形を観測する必要がある。このデータがなければ観測機器も活用できないのだ。

古い世代では活火山、休火山、死火山という分類を学校で習ったと思う。
今の見識においては死火山などという言い方はできないとなっている。かつて火山であったものはいつか噴火するかもしれないのだ。
これら死火山とされていたものも含めて観測体制を整えていくことは意味があると思う。

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「観測体制なんて有効かどうかもわからんのだからいっそ立ち入り禁止にせよ」という考え方もあろう。
他の危険なものなら私もそう思う。わざわざ危険な場所に住んで危険なものを監視する世に逃げた方が早い。
だが、火山に関しては重要な資源であるという一面もある。

美しい景観、温泉、地熱は大変に利用価値が高い。ある種の鉱物も産するという。
危険だから近寄るなと言ってしまえば大変な損失だ。
ことに超A級の規模・価値の富士山が噴火も近いと騒がれてずいぶん経つが、富士山の噴火がいつかわからんからみんな避難となったらいったいどれほどの地域がなくなってしまうことやら。
現実的じゃない。

観測して防御して、時には一時的避難をするのが正しい。時には失敗して犠牲がでることもあるかもしれない。だがそのデータを蓄積して次に備えるのだ。

地震予知も同じことなのだが、すぐ答えが出ないどころか、本当に将来に答えがでるのかもわからないことであろうとも、科学研究にお金を使う政治であってほしいとねがう。
どちらの例でも、どれだけ精密なセンサーをきめ細かく広域に張り巡らせるかが勝負という一面がある。

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ここからは邪推である。
この記事に貼りつけてあるのは9月16日におきた地震の画像である。日本気象協会のページから引っ張ってきた。
北関東で起きた地震は南東北から上信越、東海、近畿の一部までも揺らした大きなものだった。

この画像を見ると数字の入った丸で地図上の震度を示している。
この数字が示された場所とはなんだろうか。おそらく何らかの観測拠点の場所ということだろう。
この地図を見ると気づくことがある。
まだらなのである。
地質構造の違いを無視すれば地震動は震源からの距離に応じて減衰する。マクロに見ればそのようになっているのだが、よく見るとむらがある。

たとえば関東から宮城県北部まで連綿と続いていた表示が途切れ、岩手県にだいぶ入ったところで震度1の表示がある。また、富山県に全然表示がないのに石川県北部に表示がある。
観測拠点が足りないのではないのか?
これは地質構造の問題なのかもしれぬ。振動が伝わりにくい場所があるのかもしれぬ。まさか富山県に一つもないということはあるまい。

だが、今一度地図を見ていただきたい。妙に県境の線がきっちり見えないだろうか。
県境は揺れないとでもいうのか。
表示のために県境を避けるようプログラムされているのかもしれぬが、東京・神奈川・千葉あたりは県境もなにもなく塗りつぶされている。

わざわざあえて県境近くを選んで観測拠点を減らすということがあるだろうか。
そもそも県境(昔の藩の境界でしょうな)は人が住んでいる単位で決まるのが自然だったのではなかろうか。こっちの集落はXX藩、あっちの集落はYY藩、その境といえば「あの山の尾根のあたり」なんて決め方だったのではなかろうか。地形を無視して緯度経度で決めたなんてことはあるまい(アフリカにはそれをやったのだな)。

ゆえに県境は基本的に辺鄙な場所になる。辺鄙な場所だから「まぁいいか」になったとしてもふしぎではない。

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おもえば東日本大震災後、地震メカニズムを説明する数多くのドキュメンタリーを見たが、いずれも「包括的に」「継続的に」「綿密に」観測することの重要性が見て取れた。
人間にとって大事なところだけを観測してても全体像は見えないのだ。全体像とは地球規模の構造を持っているのである。

もっと綿密に細かく観測を。
ところが政府は気象台をはじめとする公的な観測拠点を減らしている。個々の大学などに任せても包括性に欠けるだろう。
この事故を機に再度必要性について考えてほしいのである。
地震・火山の災害は日本列島の宿命である。うまくやっていかねばならないのである。もっと予算を、人員を。くだらない道路や箱モノはいらないから。
暴論と思われるかもしれぬが、今の10倍の予算が必要だと思っている。
posted by Mozzo at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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