2015年05月31日

大阪豊中 またも異常者による凄惨な事件が

またも悲惨な事件が起きてしまった。大阪豊中で女性が殺された事件である。1歳の長男の目前で殺されたという残忍な事件だ。しかも女性は妊娠中であったという。実質二人の命を奪った。残された男児にけがはなかったそうだが、たとえ幼児とはいえ精神的にはぬぐえない傷を残したことだろう。
犯人は同じマンションに住む上原亮宏容疑者(53)と報道されている。

報道によれば犯人は日頃周囲の人が起こす生活音に怒り怒鳴り込んだり、隣人が監視しているという妄想を膨らませたりしていたそうだ。同じエレベーターに乗り込んできた被害者親子を「監視している」と思い込んだようだ。

当たり前のことを言ってしまえばこの男は異常だ。
若いころは自意識過剰な人もいて、みんなが自分を見ているという妄想に陥ることもある。だがつまらない中年男性をいちいち監視するほど世の中暇じゃないということに気付かない年じゃあるまい。
また生活音もするものだ。神経質で隣人の音に耐えられないほど弱いならなぜマンションに住むのか。緩衝帯を充分に設けた一戸建てに住むかその金がなければテントを買って山奥でキャンプでもすればいいのだ。まぁ人の土地に定住するのは違法だが。
この妄想を育ててしまったということは異常者なのである。
異常が故に今後の裁判では弁護士は精神異常により責任能力がない、無罪だという主張をするだろう。こうしたことは以前からこのブログで批判しているがそれでいいのか。
あの淡路島の事件といい、異常者が社会にいるのに放置して、それで凄惨な事件を起こしても無罪なんてことが道理として通るのが許せない。

こんな事件がいくつも起きているというのに予防策は取れないのか。人が死なないと危険な奴を警察の管理下におけないのか。しかも弁護士は無罪だと主張するというのか。
いつもの主張であるが、この件については後手に回ったが異常者があぶりだされたわけで、社会から排除されるべきだとおもう。死刑にするか終身刑にするか。とにかく二度と社会に出てきてほしくない。怖い。
さらに事件を起こしかねない異常者をどうするのか、実効性のある手段を考えてもらいたいものだ。周囲に執拗かつ不合理なクレームを入れるやつなんて放っておいていいとは思えない。
「人権派」はそれを人権侵害と言うのだろうな。たとえ人が殺されようとも。

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それにしてもこの犯人の神経の細さがどうかと思う。
些細な音で神経がきりきりし、周りの他人が自分を監視していると思い込む。この神経で53年生きてこれたというほうがむしろ驚きかもしれぬ。
生活音に耐えられないというのはむしろ中高年に多いのではなかろうか。少なくとも報道される範囲では騒音に耐えられないと事件を起こすのは間違いなく中高年だ。耳の感度は衰えているのに、精神の耐久性が劣ってきているのだ。
近所の幼稚園の子供の歓声に怒り、斧をもって怒鳴り込んだ老人もいた。幼稚園は必要なものだし、夜中まで営業しているわけでもない。子供の歓声を微笑ましいと思えないその感覚はどこから生まれるのか。

人間が集まって暮らせばそれなりに音がする。その他いろいろ迷惑をかけたりかけられたりだ。人間が集まっているからこそ、高層マンションが生まれ、そのエレベーターは混雑し、その先の駅も混むのだ。
だが、人間が集まるからこその利便性や経済的利点があるから集まっているのだ。職があるからと都会に人が出てくるのもそのためだ。好きで都会に住んでそれで他人に耐えられないというのは不合理だ。

集合住宅の騒音問題というのは普遍的な問題でもある。子供の騒ぐ音がトラブルのもとにもなる。ネット上でも相談系の掲示板では定番の話題である。
そういったとき、子供ぐるみで交流があれば違うというアドバイスもこれまた定番だ。どこの誰ともわからぬ子供が騒ぎどしんどしんと床を踏めば腹も立つが、ナントカさんちのナントカちゃんがと思えばそうは腹も立たぬというものだ。元気に遊んでいるなと思うものだと。

それを考えるとこの犯人は地域社会と壁を作ってしまったのだろう。その壁の中で妄想と怨念を育てて育てて。それが愚かで劣った行為だということを知らせる方法があれば何かが違うはずだ。

つまり、病気にたとえれば治療法があるのではないかということだ。

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病気にたとえればと書いたが、そもそもこの犯人は病気である。精神の病である。
予防と発見と治療が必要なのではないか。
これを別の病気にたとえれば、生活は乱れ健康診断にも行かず症状が出始めても病院にも行かず生活も改めず。死んでしまってから「ああ死んでしまったね」と言っているようなものだ。個人で完結しているぶんだけこのほうがましだ。この犯人は自分が死ぬ代わりに他人を殺したのだ。
道理を無視しても個人に完結するなら無理に健診や治療を強制することはできまいが、病気でも伝染病など社会に迷惑をかけるものなら強制力をもって対処できる。
この犯人を強制力をもって治療する方法はないものだろうか。

無論内面の問題だから難しいのはわかる。だが、過去の事件と照らし合わせてみればこの手の事件は必ず地域の人や交際関係のある人とトラブルを起こしている。刃傷沙汰にならない小競り合い程度がエスカレートして破滅的な凶状に至る。
これを総合的にプロファイリングして危険な、注目すべき行動パターンを明確にし、発見次第公が介入する仕組みはできないものだろうか。決してそれは監視社会でもない。
なにもいきなり逮捕拘留せよというのではない。状況によってカウンセリングを受けさせるとか、被害者・証人保護プログラム(転居させ戸籍を作り直すところまで徹底的に別人になる)を適用するとかやりようはある。

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思うにこうした異常者を生み出しやすい社会になっていると思う。年を追うごとにだ。
個人尊重はいいことだが、それが故に個人の妄想も秘匿できるようになった。周囲と隔絶して妄想を育てる土壌が増えたように思う。
ネットだ監視カメラだというツールが一般化し、それは基本的に便利でよいものなのだが、その存在感に人間の精神がついていけないこともある。監視カメラが自分を見ているという妄想が生まれたら個人の力で消すことはできないのではなかろうか。

だから昔に戻せと単純な人はいうだろう。しかし現実としてそれは無理であるのだし、新しく生まれた技術や制度によって大きな恩恵も受けているのである。

世の中が変わったのだから、それに伴い生じる問題にも新たに対応せねばならないのは当然である。昔は「コンビニATMでのぞき見防止対策」とかなかったわけである。

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どうも公は腰が引けていると思う。
人が死ぬということに関しては、海外の伝染病が入ってこないようにする対策と同じく力を入れねばならないのではないか。高熱で痛い目には合うが死ぬことはめったにないデング熱対策にあれだけ力をいれるなら、人を殺すことも多々ある異常者対策に金を使わない道理はない。

人間の内面の問題、人権との兼ね合いでむつかしいのはわかる。だがそこに力を入れるという姿勢を持たねば安心な社会も生まれないし、そうした問題へ対処するプロフェッショナルも育たない。人材を育て法整備をしてと考えれば10年以上の時間がかかる。
どういう体制をとるのがベストなのかは私も専門家ではないから具体的なことはわからない。おそらく強制力を持つ警察かそれに似た組織とカウンセリングをおこなう専門家、さらに被害者(及びその可能性のある人)を守る行政関係の人が必要なんだろう。
まずはそれが必要だという方向性を政治家が認識すべきだと思う。
posted by Mozzo at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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