2015年06月28日

沖縄の報道 報道の自由を盾に何でも言っていいわけじゃない

またも低レベルな騒動が起きている。
勉強会「文化芸術懇話会」での発言に批判が集まっているものだ。沖縄の普天間基地移転などで対立をあおっているとして沖縄の新聞社を批判したものだ。
出席者、作家の百田尚樹氏は「破廉恥とか売国とか日本をおとしめる目的を持って書いているとしか思えない記事が多い」と発言したそうだ。また、出席した自民党議員が広告を出す企業経由で圧力をかけるべきだとも発言したと言われる。新聞社をつぶせとも。

まぁ脇が甘い発言ではある。今の野党を見れば表面的な字面に反応して騒ぐ阿呆ばかりである。甘い餌をばらまくどころか、隠しておいても危ない。

報道の自由・言論の自由と端的な言葉で言ってしまえば大変に問題があるという発言ということになってしまうだろうが、果たしてそうだろうか。
物事はディテールと本質を見て評価せねばならないのではなかろうか。

本来、報道機関は中立でなければならない。だが理念的にはそうでも現実にはそうはいかないのは当人たちが認めている。しかし、あきらめて思いっきりイデオロギー的集団と同じ立ち位置に立ってどうする。民衆をミスリードしてどうする。
中立を保つからといってなにも事実だけを淡々と報道せよというのではない。とはいえ何らかの立ち位置に立って議論を展開するのも行き過ぎだ。
メタ議論をするのが報道の本質なのではなかろうか。誰がどういう立場でどのような論を組み立てているのか、どのような論拠があるのか、その論拠は正しいか、政治的な力加減で論が曲げられていないか、力が弱くて主張されていない論はないか。そこを分析して論評するのが報道機関ではなかろうか。それを「沖縄に負担を押し付けるな」「米軍出ていけ」などとあおるのは報道機関のふりをした「機関紙」だ。

たとえば、私は普天間基地移転問題でYes・Noの二元的な議論がされていることが疑問でならない。移転先の辺野古沖は自然豊かなところで自然破壊が懸念されるし、それが反対派にとっていい材料を与えてしまっている。
ほかの方法もあるのではないか、という議論がすっぽり抜け落ちている。なぜそういう批判をせずに「米軍出ていけ」になってしまうのか。その弊害はないのかを論じないのか。
「理屈はいくらでも言えるわ」「お前はどういう案を持っているのだ」と私に対して批判する人もいよう。では脱線するがその辺の話を。

基地があることによる被害が小さくなることが本質なのである。
基地が移転するのではなく街が移転すべきではないのか。お金がかかろうとも。
基地が移転すればその街の被害は小さくなるが、移転が実現するまで何にもおきない。だが街が移転するなら移転した数だけ効果が上がる。
基地を移転すれば移転した先にも被害が起こる。だからと人里離れた場所に移転すれば自然破壊だし、生活基盤がない場所だから基地の規模以上に破壊する。

ことに離着陸の線上にある住宅や施設は早急に移転すべきだ。米国本国では居住禁止になっているという。
移転すれば商圏・コミュニティーが分断破壊されるという批判はあろう。だからこそできる限りまとめて一気に移転すべきだ。
跡地には米兵の家族が住めばよろしい。文句は言うまい。
出ていけ、いや受け入れろと政治的な押し引きで考えるのは単純にすぎる。今できることは何かを考えることも大事なのだ。それを言えない報道機関ってなんだ。やっぱり機関紙だ。

閑話休題。
報道の自由というものはあるが、「報道は神聖にして侵すべからず」ではないのだ。物を言う以上批判はあってしかるべしである。
報道機関の本質を押さえている報道機関であれば批判も慎重にする。その押さえ方に批判はあっていい。その分析は間違っているだろうとか、取り上げる事象が偏っているだろうとかの批判はあっていい。政党はそれぞれの思想性を持っているものだが、その立場からの批判は控えたほうがいい。それでも議論は堂々とすればよろしい。
ましてや特定のイデオロギーに基づいて民衆をミスリードをするような報道機関であれば躊躇なく批判攻撃しても問題はない。民主党が自民党を攻撃するのとなんらかわりなくていいのである。報道機関でございというだけで攻撃されない権利を得るということのほうがおかしいだろう。それこそ「報道機関の独裁」である。

またこの騒動、百田氏側の説明によれば非公開の会であったのに報道記者がドアに耳をつけるなど盗聴して取材した結果という。これは批判されなくていいのか。
内輪の発言を公開の場で批判すること自体が内心の自由を侵すのではないか。これでは議論の準備もできない。

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まぁこういうことを書くと「右寄りなのね 自民党支持なのね」と心を閉ざす人もいよう。だが、それは事実ではない。自民党の言うことにも疑問はある。
だが沖縄の報道や政治活動を見ると義憤を感じるのだ。己のイデオロギーや政治的活動欲求を満たすために沖縄を利用しているようにしか見えないのだ。「基地に反対する沖縄地元の人」と報道されているものが本当に沖縄の人なのか、東京をはじめとした県外から思想バカが乗り込んでいるのかは堂々と検証報道せねばならないのではないか。
同じように「米軍帰れー」とデモで暴れている映像に「反対する地元の人」というテロップをつけるか「東京から乗り込んできた活動家」とするか。印象は変わるだろう。
そこを正確にせねば報道が民衆をミスリードしていると言わざるを得ない。
posted by Mozzo at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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