2015年06月29日

洗濯機閉じ込め事故で考える モノづくりのレベル低下があるのか

またも痛ましい事故が起きた。
7歳の男児が横置き型の洗濯機の中に入り込み閉じ込められ亡くなったというものだ。
本人も苦しかったろうが、自宅の中で息子を死なせてしまった親御さんは悔やみ自らを責めているのではなかろうか。心中を思うとまことにやりきれない。

洗濯機の蓋は内側からは開かないのだそうだ。把手を引かないとロックが外れないのであろう。知らなかった。
無論、大人が入って確認することはできないから、まさか開かないとは思うまい。

いったいどうすればよかったのだろうか。

親が気を付ければいいというのは机上の空論で実効性がない。
子供は思わぬことをする天才である。親がやるなと言ったことは隠れて必ずやる。
ましてや物は洗濯機である。押すと動き、その動きがさまざまである。子供の興味を引くのは明らかで、私自身洗濯機(二槽式だったが)が動いているところはずっと眺めていられたものだ。脱水機にいろんなものを入れて回したりしたものだ。なにかやらないわけがない。
おそらく取扱説明書には「中に入るな」くらいのことは書いてあろうが、これもまた実効性がない。


子供に(外から)開けられないようにする、子供が入れないようにする、入ったら強制的に出されるようにするのいずれかであろう。子供に開けられないものは不器用な大人も開けられないだろうし、子供が入れないなら大きな洗濯物も入らないし、強制的に出す仕組みは作れてもそれで怪我をしそうだから技術的にむつかしいのはよくわかる。
内側から蓋が開くようにするというのはダメだ。安直だ。すぐには出ようとしないだろうし、そのうち酸欠になって開くことができなくなる。気付いた時には遅いのだ。
入ったら蓋が閉まらないというのもダメだ。思慮が足りぬ。内部が酸欠になることはなかろうが、窮屈な姿勢をとっているうちに呼吸困難になるのである。

難しいのはわかるが、完全ではなくともできることはあるのではなかろうか。
親しか知らないパスワードでしか蓋が開かないとか鍵を使うとか。それこそパスワードを教えろ鍵を使わせろとうるさいことだろうが。子供が入ったことを検知して大音量のサイレンが鳴るとか親の携帯に通知するなどどうか。子供が入ったら検知してバラバラに壊れるでもいい。もとに戻すのにエライ出費になり、とんでもなく怒られるかもしれぬが死ぬよりいい。

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最近は「ユースケースに基づいた設計」ということが行われる。
従来は機能を一つずつ挙げて設計していた。
洗濯機なら「洗い機能があって、すすぎ機能があって、脱水機能があって」と挙げていくのである。そして、「洗い機能はタイマーが15分まで、洗い方は強と弱の二段階、洗い方強はパルセータを5秒回し1秒停止5秒逆転。。。。」と細部をどんどん詰めていくのである。
昔の二槽式の洗濯機ならこれでよかったが、現在の洗濯機のようにマイコン制御となり複雑だと機能の抜けや矛盾が避けられない。たとえば洗い時間を設定すると予約時間の設定に戻れないから最初からやり直しなんてことが起こる。機能と機能は何らかの形でつながっているから組み合わせで考えねばならんのだ。従来の方法では無理がある。

そこでユースケースが登場する。ユースケースは使用するときにどのような場面があるかというような意味だ。こういう使い方をするよね、こういうこともあるよねと利用場面を決めて、どのように操作し動くのかを決めていくのである。
どのような利用場面があるのか洗い出すのがポイントだ。たとえば、「タイマー予約をしたが予約はそのままで洗濯コースを変えたい」あるよねとか、「すすぎ中にすすぎが足りないようだからすすぎ時間を延ばしたい」あるよねと考えるのである。考えた結果すすぎ時間が変更できないのはいかんとかわかるわけである。

当然異常事態も想定せねばならない。気温が高すぎたとか、低すぎたとか、断水したとか、蓋が開きっぱなしだとか。
その中に「子供が入って閉じ込められたら」がなかったのだろうか。考えたけど妙案がなく、「取扱説明書にダメって書いておけばいい」という結論になったのだろうか。

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私は間接的に設計・製造の現場を知っている。というと偉そうだが要するにそういう知り合いがいるだけなのだが。
その人は現場がどうもおかしいという。コストカットコストカットで現場に余裕がないという。まぁこのご時世仕方がないという部分はあろう。だが、そのせいで現場の視野が狭まっているとしたらとんでもないことだ。設計品質が下がっているのならそれはコストカットではない。スペックダウンだ。

まず言われた仕事をこなすのもぎりぎりでとても全体を見直す余力はないというのだ。先に述べたユースケースを考える担当はいるのだが、当然人間がやることで抜けや間違いがある。そのユースケースに基づいて設計をする人が誤りに気づかなければならないのだが、そんなことを考えている余裕はないというのだ。
また、仮に誤りに気づいても自分の担当外のことには口を出さないのが処世術という風潮があるという。いくら正しい指摘をしても自分の仕事を増やして恨まれるだけだと。同じ製品を作る仲間じゃないのか。

また、この知人自身にも問題はあって、担当している分野についてはさすがに深い知識があるのだが、それ以外のことについて基礎知識がない。
たとえば先にユースケースの話で「内部が酸欠になることはなかろうが、窮屈な姿勢をとっているうちに呼吸困難になる」と書いた。これは本当のことである。しかし、洗濯機をつくる技術者にとって人体の仕組みは分野外といえばそうだ。しかし、そういう問題があるかも、くらいの知識がなければここにたどり着かない。
それどころかもっと基礎的なことも知らない。たとえば洗濯機を作っているとすれば洗濯機は誰がいつ使うのか、平均的なユーザー像がわかっていなければだめだ。共働き夫婦が、とか商品コンセプトに書いてあったことくらいはわかっているのだが、共働き夫婦が洗濯機を使うに当たって何がどう困るのかなど具体的な想像ができない。
夜遅く帰ってきてアパート住まいでは洗濯機が回せない。なら静かならいいのか。違う。すぐ寝たいのである。待っていられるか。ならタイマーが使えたらいいのか。違う。予定通り帰れるかわからない。帰ってから干す元気もないくらい疲れているかもしれないし、急に飲み会が入るかもしれない。外からタイマー予約を変えられないか、朝起きたと同時に洗濯が終わっているような静かで正確なタイマー予約はないか。と生活に即して考えるシミュレーション能力が問われるのだが、生活体験が薄いとこれができない。洗濯機だろうがスマホだろうが戦闘機だろうが、使う人がそういう人でどんな場面で使うのか想定する知識が必要なのである。
旅客機のコクピットにはドリンクホルダーがいるのだし、戦闘機のコクピットには愛する人の写真あるいは懐かしの故郷の写真を貼るスペースがいるのだよ。

無論、いくら配慮しようとも100%の安全はない。100%安全なものは1%も役に立たない。
故に製造物責任法(PL法)に規定されている通り、完全に安全な製品を作らずともきちんと表示してあることで製造者の責任を果たしているとされる。
この法律が規定したことは決して間違っていないのだが、「表示してあればOK」という安直な方向に現場を導いているのではないか。

これらのことから「できるだけのことを考え気配りする」というかつての日本製品の強みだったことが弱まっているのではないかと危惧するのである。
posted by Mozzo at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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