2015年07月05日

残薬が出るなんて 医師と対話できる人になろう

患者のプロというこのサブテーマを立ち上げて、すでに言うべきことは書ききってしまったような気もするのだが。
繰り返しになるが賢い患者でありたい。それは自己満足だけではなく公的な利益につながるのである。

たとえば残薬の問題。 
医者と無縁という健康な人には想像もつかないとは思うが、世に慢性病と言うものがあり、薬を飲み続けなければならない人がいる。私もそうだ。おそらく一生飲み続けなければならない薬がある。

薬が残る。
たとえば毎食後に飲めとなっていたとしても、一日3食で28日分84錠が処方されているからといってきっちり28日で飲み切るものではない。
当然うっかりの飲み忘れというものもある。さらに、食事ができないということもある。薬には「食事ができなければ飲む必要はない」というものと「食事ができなくとも飲むべき」というものがある。食事ができないときには多めに水を飲めともいわれる(胃を傷めたりするのだな)。
私の場合、一日3食食べられる日のほうが少ない。7時に朝食を食べたらその後12時に食事をする気にはなれないのだ。消化しておなかが空いて(おそらく血糖値とか関係するのだろう)食事をする気になるのは18時以降だ。若いころはこうじゃなかったのだが中高年になればこんなものなんだろう。若いころは牛丼の大盛りをぺろりと平らげたものだが、いまじゃ並でご飯軽めでそれがもたれて半日以上食べる気にならないという体たらく。それでも痩せないのはなぜだ〜〜〜。なぜだ〜〜〜。大事なことなので二回言いました。

だいぶ脱線したが、食事とワンセットになっている薬なら当然余る。もちろん飲み忘れだってある。人間だもの(いいのかそれで)。
日常的に飲む薬であれば処方と実際の消費がずれても仕方ないのだ。そこを厳密にやろうという圧迫はかえって病気を悪くすると私は思う。

在庫調整をすればいいのである。今回はいらないとか前回は止めたけど今回は出してくれとか。

ところが世の中この辺に甘いという報道があった。
薬が残っていようがお構いなしで処方を受け、残った薬は死蔵したり捨てる人もいるという。あり得ない。薬にも有効期限はあるとはいえ生鮮食品ではない。1か月単位で在庫調整をすれば捨てることはありえない。

で、この残薬で公費が日本全体で数十億円というオーダーで無駄になっているというのだ。在庫があるからいらないと言えば済む話である。というよりいらないと言えば自己負担だって減るのだ。なぜしない。その回に全く処方箋がないとしたら医師が投薬料を請求できないが、一つでも処方箋を出すなら医師の収入は減らない。どちらにしてもたいしたことではない。まぁ薬局と製薬会社はうれしくないかもしれぬが「正しくない消費」を期待するのは間違っているのであるから問題ない。まぁ誰もそんなことは気にしないか。
日本全体で数十億円が大きいのか小さいのかは判断できぬが、あらゆる場面で予算に圧迫のあるご時世、たとえ1円でも公費を節約することは悪いことではない。何十億円と特定業界に支援するということはなかなかあるまいに。

どうも患者の側に医師にものを言ってはいかんという意識があるようなのだ。
無論法外な要求はいかんのだが、医療的判断に反しない範囲で要求するのは全然かまわない。薬の意味が分からなければ説明を求めても間違っていないのだ。さらに言えば医療的判断に基づく処置についても成人であれば反論・拒否することもできるのではあるが、その根拠(セカンドオピニオンを得るとか)が固くなければ健康のことを考えれば医師の処置に従ったほうがいいけれども。
薬が余っているから今回はいらないとすらいえない人が医師との良好な関係を築けるとは思えない。従属するだけだ。神社にお参りして「病気を治してください」と言っているのと結果は違うだろうが態度としては同じだ。医師と対話したうえで神社にお参りするのが人間として正しい。

医師には患者の病気を治す(正確には直ることを支援する)という役割はあるが、それ以外にもQOL(Quality of life)を上げるという役割がある。たとえ投薬だけとはいえそこにはQOLがある。
大きな錠剤は飲みにくいとか甘いシロップが嫌だとか人によって好みがあるのである。一時の急病ならまだしも一生飲み続けるのなら服薬とてQOLだと私は思う。

私はOD錠(口内崩壊錠)が嫌いだ。アスパルテームが入って甘いから。
だから私はOD錠ではなくカプセルにしてくれと要求してすんなりそうなった。医師が処方箋に書くことは絶対と思うかもしれないが「ナントカだったらOD錠が主流かな」くらいで決めている部分もあるのだ。カプセルではいかんという理由がなければ変更できるのである。
もしこの辺を要求していい顔しない医師がいたら藪だと思っていい。
無論、患者が知らない理由でその処方と言うことはあるだろうがそれを理解させることができなければ藪なんだろう。患者側に理解する知性は必要だけれども。

====
何の問題を論じても結論は毎回同じような気がする。
医師と対話して意思疎通して、経済的で病気に良くてQOLが上がる道を探ることである。

しかし医師の前に出ると緊張するという人もいる。ワタシなんぞ患者のプロなので医師看護師の前で毎回冗談の一つも披露してくるのである。この前は検査で体重を測るというので「3トンあります」と言ったら検査技師が笑っていた。やった!
病気になれば精神的に追い詰められるかもしれず、患者に緊張を強いる医師がいるとすれば問題だが、多くは患者の側が構えすぎだと思う。横柄な医師もいるにはいるが多くは、特に開業医はその辺に最大限配慮している。物腰柔らかく丁寧な物言い。くつろげる待合室診察室。まぁわが主治医は若干顔が怖いのだが関係ないな。

医師と対話するにあたってはその投薬やら治療について患者の側が理解せねばいかん。とはいえごく基本的なところから医師が説明するというのでは現実的ではない。
たとえば高血圧で「塩分を控えて」と言われた患者がいて、どういう判断なのか「肉や魚をやめて佃煮だけにしているのだが」と薬剤師にこぼしていた光景をみたことがある。前にも書いた。三大栄養素とか食物繊維とかビタミン・ミネラルとかそういうレベルから毎回医師が説明せねばならんとしたら病院は破綻してしまう。

学ぶ気もない人たちには啓蒙活動も必要なのだろう。しかしそれ以前に知的興味として学ぶ気持ちを持ちたいものである。

そういう意味で「一病息災」という言葉が意味を持ってくるなと思うのである。
「生まれてこのかた、病院に行ってませんねぇ。生まれた産院が最後で。ま、健康だけが取り柄ですよ。わははは」という人は幸せだしうらやましくもある。
だが、病気はふと訪れるものである。病気のことを考えない人はショックも大きいだろうし基礎知識がない。
持病があるのは憂鬱なことだがその分勉強をする。自分の病気に関係なくとも興味がある。病院の事情にも通じることができる。勤務医と開業医の違いなんてのは自分の病気には関係ないのだがだんだん見えてくる。
現状では持病とはいえ日常生活を脅かすものではないのだが、この先大きな病気に襲われることもあるだろう。
大きな病気で倒れることは誰にでもありうる。そのとき落ち着いていられるかどうかが違うと思う。

だからといって積極的に持病を持つことはできない(そんな人はいないだろうし)。健康であることはそれはそれは素晴らしいことであるのだ。だからこそ学習とシミュレーションが有効であるのだ。自分が病気になったらとか、病気の隣人はどのような生活なのか、考えてみてはどうだろうか。
posted by Mozzo at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。