2015年08月23日

てんかんへの偏見をなくそうというけど

基本間違っていないが公に求めるものを間違っていないかと言う報道。古い記事だが引用する。

引用ここから====
患者、周囲の理解求める

 運転手のてんかん発作が原因で小学生6人が死亡した事故などをきっかけに、昨年5月、持病が原因の交通事故を厳罰化する自動車運転死傷行為処罰法が施行されたが、てんかん患者の約6割が差別や偏見が強まったと感じていることが、日本てんかん協会(東京都豊島区、鶴井啓司会長)の調査でわかった。

 調査は昨年7〜8月、全国の20歳以上のてんかん患者や保護者らを対象に行われ、2022人が回答した。「差別や偏見が強まった」と答えた人は、「とても」(27%)と「やや」(30%)を合わせて57%だった。

 このうち34%が「(勤め先から)解雇されたり心ない言葉をかけられた」と回答。差別や偏見が強まったと感じる場面は「日常生活」が67%、「職場」が42%、「学校」が10%だった。

 持病による事故をなくすために必要なこととしては、「病気を正しく理解してくれる社会」や「運転不可でも就職で不利にならない保障」など、周囲の支援を挙げる声が多かった。

 同協会副会長で静岡てんかん・神経医療センターの久保田英幹・統括診療部長は「発作が出なくなったり、意識を失うほどの発作はなかったりする人が多いのに、病気の危険性だけが強調され、誤解につながっている。持病で運転ができなくなった人には、公共交通機関の交通費を割り引くなどの施策や、周囲が病気を正しく理解して患者が病気を隠さずに済む社会作りが必要だ」と話している。

(2015年2月18日 読売新聞)
引用ここまで====

てんかんの患者による悲惨な事故がいくつも起きて、偏見が高まっているというのはあるのだろう。それを正すために世にアピールするというのもあっていい。
だがやり方を間違えると偏見は高まる。

この記事が特別おかしいと言うつもりはないのだが端々に、ん?と引っかかるものがあるのだ。
この調査、日本てんかん協会が実施したわけだ。これ公正な調査だったのという気がしてしまう。身内が身内の窮状を訴えるための恣意的な、という色眼鏡で見られてしまう部分がないとは言えない。できれば公正さが期待できる第三者の調査ならよかったのだが。
調査結果をいじっているなどとあからさまな不正があったとまでは言わない。だがこの手の団体が「差別もなくなりました。我々の存在理由も薄れました。もうすぐ解散です〜」ってような結果を導くわけがない。もちろん当の患者だってそうだ。「偏見なくなりましたねぇ」なんていうのは「空気の読めない」ことじゃなかろうか。

イメージ戦略を誤るとこういう見方もされるということを言いたい。

====
言っていることもどうだか。
文中にある「運転不可でも就職で不利にならない保障」「持病で運転ができなくなった人には、公共交通機関の交通費を割り引くなどの施策」というのもこれだけ見ればわからんではない。
だが冷静に考えてみてこれはどうか。
運転不可はなにもてんかん患者だけじゃない。私も運転不可だ。免許がない。返上した。
私が返上したのは運転の適性がないと自分でわかったからだ。いずれ事故を起こす絶対の自信があった。教習所で「操作は素晴らしくうまいが運転は下手だ」と的確なコメントを頂いたものだ。クランクやら坂道発進やらテクニックは合ったのだ。すすいのすいっってものだ。しかし、運転に必要な「まんべんなく必要なところに注意力を向ける」ということができない。一点集中でほかが見えなくなる。これはそうそう治るものではない。

で、運転免許の有無を採用の条件にするなというのは乱暴だ。
クロネコヤマトに免許なしで応募するとでもいうのか。地方の営業職をはじめ、車社会の地方では免許がなきゃ仕事にならない。車運転しませんが採用しろやというのは、裏返せばどうやって仕事するつもりですかということだ。
免許が関係ない職場でそれを理由に採用しないというのもいかんが、免許が必須という職場は多いのである。そこに「てんかんだから採用しろ」という圧力をかけるならそれは偏見を高めることになる。

しかも「不利にならない保障」とある。誰が保障するんですかね。誰の義務なのだ。誰に向けた言葉なのか。公か?
先に述べたとおり、免許を持たない人を採用する余力も意味もないという企業は多々ある。その枠組みをそのままに保障しろというのは「仕事ができようができまいが雇って金払え」と言っているのに等しい。企業がむりなら公費で賄えと言っている。
バランスがおかしくないか。

免許がなくても働いている人は多々いる。免許がなくても働ける枠組みは作れるのである。そこに着目して枠組みを変える働きかけをせずに「差別するな〜」と言っていると反感が増すばかりではないか。

「だって地元の職安に行っても全部免許ありが条件なんだもん」と言う人もいよう。その地方は車社会なんである。なんなら自家用車で通勤するほかないところに社屋を構えている会社もあろう。
だから「仕事ができなくても雇われて当然じゃん」というのは論理の飛躍だ。
不利は不利なのだ。仕事をするうえで必要なあらゆる能力において、個人ごとに優劣はある。それを企業は必要な能力があるかないかをみて採用する。その差を見てはいかんと言うのは乱暴だ。

なぜその車社会の地方から抜け出さないのか。免許がなくても働ける場所はいくらでもある。私だって働いている。
地元で働きたい? 甘えだ。自分に都合のいい条件をそろえてくれと言っているだけだ。条件は自分で整えるものだ。
都会に出るお金がない? 改善すべきはそこだろう。「ほかの人と対等にスタートできる条件」を公に求めるのは正しい。スタートラインを同じくしてあとは個人の能力と努力。都会に出る支援を求めるならまだしも(これも問題はあるんだが)。
しかし、「不利にならない保障」というのは一見スタートラインを同じにしようにみえるが、スタートしてからも私を有利にしてねと言っているのだ。就職したって仕事ができないんだから。

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「交通費を割り引け」というのも同じく乱暴な話だ。
自動車に乗らないんだからその費用が浮くでしょうに。それを交通費に充てればいいのであって、その他の自動車に乗れない人との平等はどうなる。免許がなかったら一律割り引くのか。
私のためにバス路線を作れと言っているのとロジックは同じなんである。
なぜ交通費が安く済む都会に引っ越さないのか。

話を大きくすると、自動車に頼るような閑散とした地方はコンパクトにまとめて効率のよい地方都市にすべきなのである。無秩序に広がった住宅や事業所をなくして、自然に戻したりまとまった農地にする。自動車が必要なのは広大な農地に出かける農家の人だけ。後の勤労者は都会でコンパクトに暮らす。
そう変えていかないと生活環境を支えるコストに社会が持たなくなる。限界集落に行くための道路や橋にも同じくメンテナンス費用がかかるのである。

====
てんかんを抱えて生活に不安があるのはわからんではない。
社会に何かを求めるのも間違ってはいない。
だが、
「我々に都合のいい施策を」
というのと、
「誰もが暮らしやすい社会とはこういうものだ」
というのでは意味も違えば他者からの見え方が違うというものだ。

「交通費を俺にくれ」というのと「交通費が少なくて済むコンパクトな都市を作ろう」と言うのは違う。

てんかん協会自体がてんかん患者への偏見を増すことのないよう願いたい。
posted by Mozzo at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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