2015年09月27日

今更ながらにラグビーの話題

「ラグビーのワールドカップ イングランド大会での日本の逆転勝利」
スポーツ報道で盛り上がっているようだ。

。。。。えっとですね。
なんとなく日本語で書かれているらしいことはわかった。
何度も読んで、強豪南アフリカに勝利したということも読み取れた。
そんでもってそれがラグビーの世界を揺るがす珍事であり、史上最大の番狂わせだという。
たぶん、日本語話者ではない人が辞書を引き引き読んだのと理解度は変わらない。言語に通じているということはその話題に通じていなければならぬということか、と思わず変な方向で納得。

その先がなかなか理解できなかった。
だってラグビーの試合じゃないの。スポーツの勝負は実力が第一だが時の運もあるんじゃないの?
時に番狂わせもあろうし、番狂わせと言わせるくらい南アフリカは強豪で、日本が及ぶレベルではなくそれは日本チームが一番分かっていて、別に1回勝ったからってどこかの国のように「俺たちは強い」と天狗になったわけでもあるまいに。もちろん記事にもそうは書いてない。
なにがそんなにびっくりすることなのか?????

で、いろんな報道を眺めていた。
評者のいう史上最大の番狂わせという見方もなるほどわからんでもないということになった。
ラグビーというスポーツは不確定要素が絡みにくいものなのらしい。チームの体力、技術、経験、そして司令官の判断。この力を運や「勢い」でひっくり返すことはそうそうないらしい。
たいていのスポーツには「運」がつきものだ。やけくそで打ったボールがカップに吸い込まれた、ゴールに入った。逆転とか。
そういう要素が最も入らないという。素人目からみるとボールを投げたり蹴ったりしているわけで、ちょっとしたエラーがあったり、逆にうまく風にのったりすることもあるんじゃないかとおもうのだがそうではないらしい。
いわば知的ゲームで言うところの囲碁や将棋のようなものか。カードゲームは偶然が入り込む余地があるが。

報道を読んでやっと端っこがわかってきたのだが、なんとも清々しい話だった。
もちろん1度勝ったからといって日本チームが「南アフリカはもはや敵ではない」なんて不遜な発言をするわけがない。事実言っていない。むしろ次回はその雪辱もあってより大きな壁になることは当のチームがわかっている。

では負けた南アフリカ側はどうか。無論、格下と見ていた日本に負けてショックは隠せないのは当然だがその潔い態度はどうだ。結果は受け入れがたいほどショックだが日本はいい試合をしたと評している。
で、この手の話はラグビーにかぎらずチーム同士はスポーツマンシップにのっとり礼節を重んじ(そうでない国もあるのだが)、互いにいい試合をした、さすが強かった、いやいや時の運だった次に恥ずかしい試合をせぬよう精進するぞと、清々しい交歓をするものである。
だが、サッカーの試合に見るようにファンでは身びいきもあって汚いののしりあいになっても驚かない。

ところが、南アフリカのファンからもまた第三者の国からも冷静な分析と強豪南アフリカといかにうまく戦ったかという賛辞ばかりがネットに見られる(例外もあろうがね)。
無論強豪南アフリカが勝利しなかったというショックに呆然という意見もあったのだが、日本が卑怯な手を使ったとか、単なる運だと貶める意見は見られなかった。
ラグビーファンってのはサッカーファンよりも将棋とか囲碁のファンに近いのかもしれん。というかサッカーファンのうち異常なフーリガンなんて連中が目立つことが特別におかしいんだろう。

ラグビーは英国発祥のスポーツである。英国とはなんであるかとか、まぁそういう話はさておき英国・英連邦に広がる歴史あるスポーツである。国技と言ってよいのではなかろうか。英国は様々なスポーツの発祥であるので一つに絞れないが、英連邦を担うニュージーランドは強豪であるとともにラグビーを高貴なスポーツであると考えていて、その逸話は枚挙にいとまがない。
程度の差こそあれ、それらの国にとってラグビーが魅力的かつ神聖なスポーツであったことだろう。英連邦を築いた英国の姿勢についても、現代の視点で言うべきこともあり、温度差はあったことだろうが。

そうした中で過去も含めて英国の文化の洗礼を受けた国がラグビーにおいて強豪になるのは自然だ。政治的外交的関係から英国の影響を排したと言えど、文化的側面で即座に否定するのもおかしい。
英国中心に強豪が集まる競技であっておかしくない。
日本は英連邦とのつながりが薄い極東の国、戦時中は敵対関係だ。
それでも戦前戦後を問わず英国の文化の影響は受けている。
有名なところではカレー。英国が支配していたインドから間接的に伝わってきたのである。鉄道や電力など基本的なインフラを支える科学技術も英国から伝わってきた。

ここから脱線開始!

関連もあったとはいえ、影響も受けているともいえ、日本は英国から遠い国である。物理的な意味でも文化的な意味でも。
科学技術は遠い距離を超えて伝わるものである。単なる娯楽やスポーツも(商売を伴っているからね)。しかし、精神的なものはなかなか伝わらない。形は伝わってもそこに込められた精神は伝わりにくいものであるのだ。

たとえば和食。寿司を先頭に世界に広まっているが、残念ながら韓国人や中国人が経営するなんちゃって和食店が多いと聞く。
形だけ真似て、いや形すら真似てなくて、それで和食でございと言われると日本人として何やら悔しい。仮に形をきっちり真似たとしても、そこに込められている精神性がなければ単なる珍しい料理を出しただけである。
まずまずちゃんとした寿司が出されたとしよう。ご飯の炊き方も魚の選び方さばき方切り付け方も技術として合格。だが、当の料理人は言われた通り作っただけなのかもしれない。よりよい寿司のために何を目指していくのか、その価値観が精神性である。
和食は引き算の美学である。もちろんそれだけではないが。
生臭さ、過剰な苦みや渋み、固さや筋張った感触。こうしたマイナスの要素に対し、たいていはプラスで対応する。。
スパイスを使う、甘みを加える、よく煮込むなどなど。マイナスの要素をプラスの力でつぶしていくのが多勢である。
だが和食は違う。生臭いならもっと新鮮な材料を使えばいい、魚なら締め方を工夫すればいい(血抜きが完璧な活〆がいいとされる。野締め、氷締めは劣るとされる)。
苦みや渋みも抜くことを考えるし、固さも筋張ったものも、そもそもそうでない材料を選びぬくことを考える。
これはほんの一部のことなのだが、方向性が間違っているならば、間違っている方向に向かっていくことだろう。生臭い魚にスパイスを乗せた寿司が出てきたら悲しい。

この価値観が伝わることが文明ではなく文化の伝播なのである。

話を無理やりラグビーに戻すと、単なるスポーツなら(文明なら)勝ったほうがえらいえらいで終わってしまう。そこに文化が介在するから美しい。ノーサイドなる考えは清々しい。単なるスポーツで勝ち負けがすべてならそれは理解されないし、仮に形式的にノーサイドを入れたとしても、「試合終わったら文句言っちゃいけないんだよね〜知らんけど。むかつくよね〜」で終わってしまう。
この極東の国に英国の精神は伝わっているのだろう。だからこそ立場が違えども皆が日本の活躍に賛辞を寄せる。日本で「ラグビー精神に沿ったらどうあるべきか」を考え抜いて今の姿があるのだろう。

なんか久しぶりにいいニュースだったと思う。
この文章を寝かせていたら次の試合では日本は大差で負けたという。それも清々しい。
ざまーみろなんて罵倒も見当たらないし、やっぱり日本はダメなんだよなんて卑下もない。
勝って驕らず負けて腐らず。まさにそれをきっちりやっているのがラグビー界。
自らのありようにしたがって頑張っていれば、いつか成果が生まれるかもしれないしそうでもないかもしれない。だが、ラグビーの世界で前を向いていけばそれでいいという清々しさ。
ああいいな、と思う。スポーツ観戦が苦手なのだが、もうちょっと注目していこうと思う。
posted by Mozzo at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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