2015年12月13日

差別的だからダメ! で済ませていいのか

差別的発言だからNGという風潮を危惧している。

たとえば米大統領の共和党候補を争うトランプ氏である。
彼はわざと批判されるような発言で注目されようという戦術なのであろう。
ISILによるテロの数々を受けて、イスラム教徒の入国禁止とか、警官の殺害を一律死刑にするとか、ぱっと聞いて過激と思える主張をしている。

当然イスラム教徒の多くは善良な市民たりえるし、警官を殺そうが一般市民を殺そうがそこに差があってよいわけがない。だがしかし。

これを差別的だとして封殺するのが正しいのだろうか。英国ではトランプ氏の入国を拒否すべしと署名活動が起きているというが。

主張を暴論として退けたいのであればその論を攻撃すべきであって、差別的であるということを根拠にしてはいかんのではないか。言い方が気に食わないといっているのと大差ない。

トランプ氏はテロリストを米国に入れないためにイスラム教徒を入国させるなと(表面上は)主張している。
イスラム教徒を差別するなといえば簡単で反論しにくい攻撃となろう。
だが論点はそこか?
事実仏国のテロでは難民を装ってテロリストが入ってきた。トランプ氏の主張がテロを未然に(少なくとも米国内で)防ぐなら考慮しなくていいのか。
果たして効果があるのか、効果があったとしてその弊害はいかほどか、これが論点ではないのか。その弊害の中に米国が宗教差別的なことをしているということがどれだけ国際的な評価を落とすかという観点もあろうが。

イスラム教徒を排除するというが区別がつくのか?
むしろ「正しいイスラム教徒」であるなら、服装言動もイスラム教の戒律を頑として守るわけでまだ区別がつく。なによりイスラム教徒かと問われたら胸を張って肯定することだろう。
だがテロリストはイスラムを口実に使っているだけでテロのためなら何でもやる。酒や豚肉をたしなんで見せることぐらいするだろう。
実効性はあるのか。

アラブ人だけを排除する? 今やイスラムは世界に広がり、アジアにもイスラム教徒が大半を占める国が多々ある。
さらに「Home Grown」と言って、テロリストの本拠地からテロリストがやってくるのではなく、感化された自国民がテロリストになるケースも多々ある。中にはISILに感化されてイスラム教徒でもない連中がISILに参加するという例もあるとか。

この実情に対して「イスラム教徒を入国させない」がどれだけ空疎な話なのかという議論をせねばなるまい。

トランプ氏の話は一例であって、あらゆる差別に結び付けられるような言動が入口で封殺されていないか今一度考えたい。
差別主義者だとレッテルを張るのも差別主義者とさして変わらない。
posted by Mozzo at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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