2015年12月26日

アマゾンを批判する前に仏教界自身が反省しなさい

自らの影に怒る仏教界を嗤う、といいたい。
産経新聞から引用する。

引用ここから=====
仏教会がアマゾンの「僧侶派遣サービス」に反発 ネット上で仏教会批判の書き込み続々


 インターネット通販の「アマゾンジャパン」が12月から提供を始めたサービス「お坊さん便」をめぐって、全日本仏教会が「宗教行為をサービスとして商品にしている」と批判するなど波紋が広がっている。一方、インターネット上では仏教会を批判する意見が続々と書き込まれる事態になっている。

■“基本料”は3万5000円

 アマゾンが開始したのは、一周忌や三周忌などの法事・法要に、僧侶を基本3万5000円で手配するもの。「自宅」と「墓」といったように移動をする場合は4万5000円。それぞれ2万円を上乗せすると戒名もつけてもらえる。

 ネットで葬儀の注文などを定額で受け付ける事業を展開する「みんれび」(東京)が提供する。みんれびは、これまで自社サイト内で僧侶の手配をしてきたが、アクセスの多いアマゾン内でも展開することで、受注件数の増加を狙った。

 希望者はアマゾンのサイトで、僧侶派遣のチケットを発注。法事・法要の日時、場所、宗派をメールで確認したのちにチケットが送付され、その内容に沿って僧侶が派遣される仕組み。派遣前に僧侶とも打ち合わせをすることになっている。

 戒名を希望した場合は事前に郵便で受け取ることも選択できる。戒名は宗派ごとに合わせたうえで、「信士・信女」「釋・釋尼」のいずれかが与えられるという。サイトでは「車代・膳料・心づけなどは不要」とうたっている。

■仏教会「宗教行為を商品化」

 これに対して、全国の主だった伝統教団でつくる全日本仏教会は24日に、理事長声明を発表。「お布施はサービスの対価ではない。同様に『戒名・法名』も商品ではない」と指摘。

 そのうえで「『お坊さん便』は、まさしく宗教行為をサービスにしている商品であり、諸外国の宗教事情を見ても、このようなことを許している国はない。アマゾンの宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」と激しく反発した。

 仏教会ではサービスの取り扱いを中止するようアマゾンに要請することも検討しているという。

 一方で声明の中では「お寺は相談しにくいという声を真摯(しんし)に受け止め、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団、寺院運営に反映していかなければならない」とも自戒している。

。。。。後略
引用ここまで====

葬式仏教と批判されて久しい。正確に言えば、仏教形式で葬儀を行う葬儀業だろうに。実態は宗教団体ですらない。
宗教というなら信徒にむかってのみやるべきだろうに。
宗教行為として葬儀をするなら信徒のみ。当たり前のことだ。得度しろとまではいわんが、人生に一度は僧侶のもとに修行の一つもして、月に一度はお寺にいって説法を聞く。最低限そのくらいして初めて信徒だろうに。
檀家制度というのがあって、昔からの地域では寺がある種の地域団体になっていて、自動的に檀家になってしまうような悪い仕組みがあった。それは「信教の自由」を侵していると言っていいのだが、名目上檀家でも自分が仏教徒であると思っていない人が大半であって、実質的に信教の自由は侵していない。

誰に対しても葬儀をするし、「宗派は問いません」なんて墓地もあるくらい(墓地は寺が名目上の経営母体になっている)。
結局、既存の仏教系宗教団体も「仏教スタイルの葬儀を提供するサービス業」に堕しているわけで、そこに定価・低価格のサービスを持ち込んだ「競争相手」に既得権益を奪われると対抗心を燃やしているだけではなかろうか。
アマゾンは現状を追認し、そこにビジネスとしてまっとうな競争原理を持ち込んだだけだ。
このサービスに参加する僧侶は現状をわかっていて、阿漕なカネもうけではなく信徒ではない人に対しても広く遍く仏教のほんの一部でも広めていこうと働く人たちだ。仏教式で送り出したい人に正当な対価で尽くす。これこそ民衆に寄り添った宗教家のあるべき姿じゃないのか。

ビジネスをしてきっちり税金を払うべきだ。宗教家も市民の一部。社会に属する以上自分の食い扶持を稼いで、社会のコストを税の形で負担する。そのためにきちんとした形で「ビジネスをする」ことがなんら宗教を侵したことにはならないと思う。

私は宗教法人の優遇策をすべて撤廃すべきだと思っている。
ちょっとした田舎の有名でもない寺があんなに立派な建物を建てられるのはなぜだ。僧侶が高級車に乗っているのはなぜだ。地元で働く優良企業の社長でも軽自動車に乗っている例も少なくないのに。
ビジネスをやってもうけているのだから、社会インフラに乗っかっているのだから税金払えというのは全然宗教弾圧じゃない。
ましてや商売をしていないはずの大宗教団体たとえば創価学会が壮麗な建物を建て、海外にまで進出できる財力があるのに税金を払っていないのはどうかしている。

祭壇や仏像に向かってお経を読み、何やら特別な衣装を着て、荘厳な雰囲気を作り出せばみんな感心して頭を下げるだろう。金も払うだろう。だが、それは例えばプロの歌手が来て、素晴らしいセットの前でパフォーマンスするのと何がちがうのだろうか。
それは信仰じゃない。
宗教活動をいうならまずその精神性で信徒を増やしてからだ。

個人的な話だが、私もいろいろと人生思い悩むこともなくはなし。長い休みを取ってお寺で奉仕しつつお坊様の説法を聞くような時間を取れないもだろうかと考えたこともかつてあった。
だが今回の騒動のようなことを言い出すようじゃだめだ。
これを機に葬式仏教と言われるような実態を正し、ブータンなど僧侶が真に尊敬されているような仏教に生まれ変わることを考えるべきではないのか。
壮麗な寺も豪華な仏像もいらない。説法を聞きたいと思わせる、御釈迦様の精神性が伝わってくる、そういう僧侶が増えてくれば未来もあろうが。
posted by Mozzo at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな正論! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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