2014年11月24日

事務連絡 文字化けコメント

11月24日13時ごろにコメントを下さったらしき方、文字化けでぜんぜん判読できず。
あるいはなにか海外のボットなのか。
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2013年02月04日

最近の話題雑感

このブログを放置している間にいろいろニュースがありましたな。
テキトーにコメント。

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度重なる体罰で自殺した高校生の事件。

言葉の定義の問題なんだが、体罰ってなんだ。
まぁ正式な定義があるんだろうけど(調べろよ→私)、世間的には
「物理的な実力をもって行われる懲戒」
と肯定的な理解なんだろうか。
あるいは、
「指導者の立場を悪用した暴力」
なんだろうか。
まぁ言葉の定義なんだからどうでもいいといえばそのとおり。この前ラジオで「体罰なんてもんじゃない、これは暴力ですよ」と興奮気味にわめいていた御仁がいたが、自身の怒りと言葉の定義とそんなものの間でくるくる回っていて肝心のなにが悪かったか、どうすればいいのかを語る時間がなくなる始末。公共の電波を使ってやることではない。「これは殺しなんてもんじゃない、殺人ですよ」とわめいていたら馬鹿だと思われる。同じことである。

言葉の定義があいまいで解釈がゆれるような概念を排して、客観的に検証できる事実で議論したほうがいい。
と口で言うのは簡単だが、実際には難しい。
まず物理的な暴力。
教師が生徒の肉体に接触したかどうかは客観的に検証しやすい。これは教師によるわいせつ事件にも通ずるところである。
だが現実に「生徒の肉体に物理的に触れたら暴力だわいせつだ」となるとこれが運用は難しい。

幼稚園や小学校低学年であれば、なにかうまくできたときには頭をなでてやりたいではないか。小さな子供の頭をなでたり、抱き上げたりというのは子供の側から見ると「信頼している大人、かつ自分を肯定的に捉えている大人に身をゆだねる快感」なんだと思う。いい場面で行われるなら子供の教育にプラスになるのはもちろん、そうした家庭を経ずにバランスのよい教育ができるとは思えないとも思う。
子供が行動する動機の多くは周囲が認知し評価することであるからだ。

これが、精神的な係わり合いになると検証はより困難である。
たとえば
「今日の試合は残念な結果だった」
と教師が言ったとしても、そのタイミング、口調、目線などで意味合いは異なる。
たとえば完全に格上の相手ではあったがいいところをひとつも見せられない采配ミスだった、監督である教師自身の反省として発せられる言葉かも知れない。
あるいは決定的なミスを犯した選手を責めつるし上げる言葉であるかもしれない。
後者であれば言葉の暴力であるのだが、それを客観的に区別することは困難である。

精神的な係わり合いとなると受ける側の力も関係してくる。
物理的な力であれば「これは痛い・これは痛くない」ということに個人差がそれほどあるわけではない。なんなら一平方センチメートルあたり何キログラムとか定義することも可能かもしれない。
だが精神的なもの、言葉や態度を激励ととるか罵倒ととるかは難しい問題だ。

とはいえ、ここに挙げた例は少なくとも教師本人は暴力とは思っておらず、非常に微妙な線を想定している。
今回報道されている事件については、部活の主将を続けるならこれからも殴るぞのような発言が報じれており、それが事実であるなら暴力を振るうことが目的化した異常者というほかはない。異常だ。若年者を痛めつけて性的興奮を得ようとしていたように見えて仕方ないのだが、偏った見方だろうか。

問題はこの教師にとどまらない。暴力を黙認した同僚、あるいは暴力と引き換えに部活の有力校という満足を得ようとした保護者たち。子供を暴力で支配しようとすることを肯定する構造がそこにある。

本件の監督責任のトップにある橋下大阪市長の対処に賛否両論がある。
問題の高校学科について受験中止、教師の全入れ替えだという。
これに対して、受験生の夢を奪うなとか教師を辞めさせるなとか反対の意見があったそうな。
この件については市長は論理的かつ慎重に物事かんがえているようだ。先日テレビ番組で某キャスターと話したが、そのキャスターがあまりにも勉強不足で、あたかも橋下氏がキャスターに講義しているかのようだったと報じられている。

私も橋下氏の考えかたに賛成である。
この事件は「普通の指導」に耐えられないひ弱な若者が自殺した事件か? 絶対に違う。
ではこれは一教師の、異常な教師の問題か。ちがう。少なくとも暴力を容認した同僚や保護者の存在がある。

腐っていたのは教師一人ではない。学科全体か学校全体か、いや日本の高校教育全体なのか。体罰の問題は全国的に報じられているし、高校だけではなく日本代表チームにまで暴力が蔓延していると報じられている。

目先の「受験成功」にとらわれてそうした腐った場所に子供を送り込むのが愛だろうか。腐った場所を作り出した教師を擁護するのは正しいだろうか。引き止めるのが愛ではなかろうか。

極論に傾けば、現時点での教師やコーチという人たちをすべて排除し入れ替えてすべてをリセットしたい。そうでなければ愛する子を任せられないではないか。
だがそれは現実的ではない。教育界全体が腐っているといっても大阪市長として影響を及ぼせる範囲は限られる。
そのなかで私立高校の受験を制限。府立に枠の拡大を求めたことは現実的な最低限の対処だと思う。それが子供を守ることになる。無論府立は安全なのか確証はないが、少なくとも子供を死においやるような教師、それを黙認するような教師がいることが実証された問題の高校とは違う。

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きゃりーぱみゅぱみゅさんのミュージックビデオに因縁をつけた人たちがいるそうな。
成人になったということをテーマにした曲で、ビデオではお酒を一気に飲み干すような演出があったそうな。
それに一気飲みを防止する団体なるものがクレームをつけたそうだ。
これは前にも書いたことだが責める先を間違えている。

自分の体質に合わせてお酒をきゅーっと飲んでぷはーっ、おいしいねということを表現して何が悪い。行儀が若干悪いかもしれん。でも夏の浜辺、鍋や焼肉パーティの冒頭、酒を飲める人が飲める範囲でぐっとあおっておいしいのが何が悪い。

大学生を中心とする一気飲み強要による事故死、悲惨であるしあってはならないことだが、厳密に考えると悪いのは一気飲みではなくそれを強制する構造である。
私は飲み会で大ジョッキを頼んだら半分ほども一気に飲む。きゅーーーっと。うまい。でも二杯目でそれはしない。それが自分のペースだからだ。他人に強制されることではない。飲めとも飲むなともいわれたくない。
酒が飲めないなら口をつけることすらすべきでないし、ちょっと飲みたい人はちびちび飲めばよい。私のように一杯目はぐーっと行きたい人もいようし、二杯目も一気に行きたい人もいよう。泥酔して他人に迷惑をかけない限り文句を言われる筋合いはない。

愛する親族を失った場面が一気飲みであるなら、それをうらむのはわからんではない。だが的外れな批判は問題を温存し関係のない人に迷惑を及ぼすのではなかろうか。

===
オークションの詐欺があったそうな。
普通オークションといえば、出品した商品に対してもっとも高い値をつけた人が買える。競り落とすというわけだ。1000ドルをつけ、1010ドルをつけ、1020ドルをつけと競りあうこともある。同じ人が何度も値段を高くつけていくのである。
その場合でも最終的な額を提示した人がその額を払うだけであって、競り負けた人がお金を払う必要はない。

ところがインターネットオークションで詐欺があった。
まずオークションで一度入札するごとにお金がかかる制度にした。一度の料金を1ドルとすると、1000ドル、1020ドル、1040ドルと競り合って買うときには1040ドルの落札価格に加えて三回の入札料金3ドルを払わねばならない仕組みだ。落札できればいいが、まけても払わねばならない。つまり、この例では競り合ったほかの人が数ドル払っていることになるのだ。

一度せりに参加したら負けたらマイナス、勝つまでやるぜと熱くなるのが人間の心理だ。
それでもここまでは犯罪ではない。人間心理をうまく操る手法といえよう。ギャンブルの一種だといえよう。

犯罪はここから。
インターネット上のオークションであることをいいことにそこにボット(あたかもネット上に参加している人間のように振舞うプログラム)を仕組んでおくのである。
ある商品に応札があると、ボットが微妙に高い額をつけて対抗する。対抗して値を上げるとそれに沿ってまた値段を上げてくる。
期限間近までそれは続き、オークション期限間際にボットが入れた値段で決定。というわけである。
ほかの本当の人間は入札料を取られて何も得ないわけである。

ただせりに強いボットを仕組んだだけなら犯罪なのかどうかグレイなところだろう。かなり黒いが最終的に競り負けたり、競り勝ったなら本当に買うなら犯罪と決め付ける根拠はないかもしれん。
だが、そもそもその商品は存在せず、手数料の詐取が目的であるとしたらこれは完璧に詐欺である。

まぁここまではよく考えるねぇ、この情熱をまともな商売にかければいのにね、的な話題。問題はここから、ステルスマーケティング、言っていいのだろうか。芸能人が利用されたから話題になった。
有名芸能人が利用された・あたかもそのサイトでいい品物を安値で競り落としたとブログに書きそれに対して報酬を得ていたというのである。
報酬は数十万程度とのこと。有名芸能人にとってはちょっとお小遣い稼ぎという額だろうし、お金よりもいろいろ義理があってのことかもしれない。詐欺集団がいきなり有名芸能人に依頼することは難しいだろう。間を取り持ってつなぐ人間がいる。その人に悪いから引き受けた、その人に悪いからこの騒動でも自分が悪いといわねばならないなんてことがあるのかもしれない。

たいしたことじゃないと思った、あるいは断りきれずにのいずれかだろう。

もちろんほめられたことではなかろう。だが、目くじら立てて怒ることかね、と思う。
ステルスマーケティングなんて今風の言い方だから悪いことだと思うんだろうけど、この場合要するにサクラでしょうが。昔からあった。
サクラにだまされない、ことに芸能人のお勧めなんて仕事でやってるんだから鵜呑みにしないなんてのは常識ではなかろうか。

今回、その詐欺オークションで安く商品を競り落としたという話をしたわけだ。有名芸能人がそれを宣伝して、信じる要素がどこにあるか。

有名芸能人はお金持ち(とは限らんらしいが)と仮定したら、彼ら彼女らがわざわざきわどいオークションに頼らずとも、定価で信頼できるところ(正規輸入代理店とかね)から買うだろう。
仮に本人がそれほど裕福ではなく、有名芸能人ならではの限定情報であるなら、それは外に出さないだろうし、一般人が同じサービスを受けられるはずがない。
真にお買い得情報であるなら有名芸能人だから知っている、一般人は知らないという理屈は通用しない。忙しい有名芸能人よりそういう情報をチェックする暇のある人は多々いるはずだ。

そう考えれば、ああこれはサクラなんだと思うのは当然である。
で、宣伝しているものが洗剤とか食べ物とかだったらそれなりに割り引いてみればいいが、ものがオークションである。
これは怪しいと結論付ける以外にないと思うんだがどうか。

まぁだまされるほうが悪いの典型ではなかろうか。

しかも、その有名芸能人たちは詐欺と知って協力したわけではあるまい。頼むほうだって「これから詐欺をやりますから協力を」なんていう馬鹿はいない。
仕事だとおもっていたらうまく犯罪に利用させられていたてなところだ。
これに対して目くじら立てて非難することだろうか。まぁ一般庶民の私が彼ら彼女らにお説教する機会はないが、芸能人の同僚先輩は「妙なのに引っかかっちゃったね、気をつけなきゃだめよ」というのが妥当だろう。
とある人がこの件に対して怒っているそうでそれが芸能記事になっている。まぁそれ自体が話題づくりで額面どおりに受け取ってはいかんが、「詐欺の片棒を担いだくせにテレビに出てくるな」は言いすぎである。片棒担がされたのかもしれんが自発的に担いだわけではなかろう。厳密に考えれば名誉毀損である。もうちょっと考えて発言すべきだ。

まぁ本人を取り巻く問題はわれわれの手の届く範囲ではないのでいいとして、このレベルのことにだまされる、それが実質的被害につながるということではいかんと考えねばならん。世の中に詐欺師や怪しげな人々が跋扈していた時代から清潔になってしまったのか。身近な例ではお祭りの縁日なんてやくざがやっている怪しいものというのが常識だった。そこを見極めて、綿飴とか瓶詰めのコーラとかごまかしの利かないものを妥当な値段か吟味して買うのが常識だった気がする。
無論詐欺師がいない社会は清潔だが、基本だました側が悪いんだが、だまされないことを保障する、能天気でもいい社会を目指しているとしたら息苦しいように思う。
芸能人のサクラなんて芸のうち。真実を追究しだしたらCMなんて作れない。「このシャンプーいいらしいよ。私はつかってないけど」なんてのが見たいのか。


posted by Mozzo at 00:58| Comment(2) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

またも

しょこたんぶろぐに泣かされる。
この人が背負っているものの重さなのか。
勝彦さんも忘れてないよ
posted by Mozzo at 16:09| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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