2008年09月11日

日本に生まれたから日本に生まれてよかったと思うのか

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日本に生まれて良かった? 参加中


言葉尻を捕まえるようだが「日本に生まれて」が「日本で育って」「日本に(これからも)暮らして」を指すのかどうか.端的な設問だけにいろいろ考えさせられる一言である.


たとえば,これから外国に移住し,容易に日本に帰ってこられないとしたらどう思うか.

個人的には日本は大変に暮らしづらい面も多々あると思うし,遠い異国の地に行ってみたい気持ちもあるので移住先がいやになることはないと思う.ただ,日本の食べ物が食べられなくなることはかなりこたえると思う.

海外でも大都市ならば日本食レストランがあったり日本の食材が手に入るということがあるだろうが,おそらくそれでは満足できないだろう.

たとえば,昼時分をはずして蕎麦屋で一杯.これが海外で味わえるだろうか.うまい蕎麦を出すためにそば粉やしょうゆ,鰹節などの食材と職人,そしてうまい酒.ここまでは海外にもっていくことができるやもしれない(費用はかかるだろうが).だが,店員や客,建物すべての雰囲気を総合して「昼時分をはずして蕎麦屋で一杯」であると考えているから,極論すれば町全体を持っていかねば満足できないのである.

と,かように私には日本食を偏愛する気持ちがある.


だが,これをもって「だから日本に生まれてよかった」となるだろうか.

人間誰しも生まれ育った地の文化の影響を受けている.どの国の人も私が日本食に思うような感情を自分の「ソウルフード」にもつことだろう.


私は日本に生まれたから日本食,日本文化,日本の風土が好きである.だがそれはどの国に生まれても同じことである.

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日本に生まれてよかったというよりは,「あの国に生まれなくてよかった」は残念ながらある.
戦争に明け暮れる国
独裁政治下で自由に物も言えない国
その国々に生まれた人には気の毒だが,自分は幸運だったと思う.

日本とて過去には軍事政権下にあったし,その他公害だの何だのと今につながる種々の問題を抱えている.決して理想的な国とはいえないが,比較の問題として「日本に生まれたらラッキー」なのだと思う.

posted by Mozzo at 20:18| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

この次の記事考え中

温暖化の話とかいまだ継続中の話題もあるのだが,今後書きたい話題がある.

算数・数学の話題である.

算数・数学が苦手だったとか役に立たないという人がよくいるのであるが,そうした人たちに向けて書きたいことがある.私自身学生時代に数学でつまずいて散々な成績だったのだが,社会に出てから算数,数学が面白いということ,またすべての知識,学問の基本であって実生活に欠くことができないことを実感したことを書きたい.


であるが,どうもうまいとっかかりがない.

算数,数学で習うことは本当はそれぞれつながっていて大変美しい体系になっている.

だが学校で習うときは分数も面積もみんなばらばらに習う.ばらばらに習うのでつながりが見えず面白くない.しかも本当はそれぞれつながっていてひとつずつ積み重ねないと先に進めない.


積み重ねであるからどこか一箇所でつまづくとそれ以降算数,数学が苦手になってしまうものだと思うが,人それぞれつまづくイントが違う.

三角関数でつまづいた人もいれば2桁の足し算で桁上がりでつまづいた人もいよう.

どこでどのようにつまづいたのか,この一文をお読みの方にコメントいただけるとうれしい.

posted by Mozzo at 23:37| Comment(1) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

クールビズと涼しい建物で!

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ブログネタ:クールビズにひとこと 参加中

暑さと服装の関係は大変に大きい.

スーツやシャツといった現代日本のホワイトカラーが着る服はそもそも冷涼な西欧が発祥であり,高温多湿な日本にあう衣服ではない.

その点古来の和服は通風がよい.浴衣は仕事をする服ではないので別としても,胴着着流しで羽織(時代劇に出てくる商人の格好)ならば単衣(夏服)でなくても大変に涼しい.

また夏でも上着を着るというのはかつての日本(空調が一般化する以前)においてはそもそもごく改まった席での作法であり,一般労働者である会社員は開襟シャツなどを着用していたのである.

また改まった面談の場でも暑い時期には上位側から「上着を脱いで」「ネクタイをはずして」と薦めるのも作法であった.


洋服を禁止するのではなく,和服もビジネス着として正式である,といっせいに決めてみればまた効果があると思う.せめて開襟シャツの復活をしてはどうかと思う.


そこへ新たなビジネスチャンスと思ったか,古くは省エネルックと言った珍奇な服,あるいはその土地の伝統ではない服装を(本来の土地では伝統のものであっても),無理やりはやらせるのには文化的抵抗がある.

廃れたものを復活するのと他所から持ち込んだり新しく作り出すのとはわけが違う.


しかし,服装だけで暑さを乗り切れというのも乱暴な話である.

建物のほうももう少し進化してもらわねば困る.

私の立ち回り先のビルではどこも「冷房をすることが前提の構造」になっている.

省エネのため定時以降には空調停止というところも少なくないが,窓を開けられず蒸し風呂のような部屋で仕事をしておられる.外は涼しい風がふいている夜であってもだ.

窓が開けられないとかあけられるが網戸がないため虫が入ってくるだとか,たいへんくだらない理由で蒸し風呂を我慢している.


しかし,考えてみれば省エネが叫ばれたのはオイルショックのころからか.ざっと30年以上.それ以降のオフィスビルは省エネのために風が入る設計になっていてもおかしくないのだが,実際にはそうなっていない.


人間が暑さを感じるのは気温だけではない.

まず通気.適度な風が体に当たれば体感気温が下がる.通気のよい服を着て,建物に風を通せば効果がある.

もうひとつは輻射熱.熱い物体が発する熱線(赤外線)があたることで気温は低くとも暑く感じる.いくら冷房で気温を下げても,壁や天井の断熱が悪く,輻射熱を感じると体感温度は高くなる.


そのへんの建物の設計をはしょって冷房に頼っている安直な建物が多いように思う.

冷房というのはなかなか難しいもので,暖房であれば熱気を噴出する以外にも床暖房などいろいろな方法があるが,冷房は基本的に冷気を噴出すしか方法がない.

どうしても寒いところと冷房が届かない場所ができる.

不思議なことに,一番暑がりのおじさん族が空調の冷気が届かず,輻射熱の激しい窓際に座っている.そうした場所に行くときは寒がりな私など「ウォームビズ」と言いながら上着を羽織っている始末である.ばかばかしいにもほどがある.


通風と断熱の考慮をした建物と着衣の工夫があれば冷房を動かさねば耐えられない期間はぐっと減るに違いない.

posted by Mozzo at 16:14| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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